第5章 少女の旅立ち
ジェイルはサラを優しく抱く。
彼女が失ったものはあまりにも大きい。そこから目を背けて生きてはいけないほどに。どこかで現実と向き合わなければならなかった。だが、ちっぽけな少女の心では目の前の光景を受け止めるには未熟すぎたのかもしれない。
サラは涙も枯れたのか、ときおりしゃくりあげるだけになっていた。
彼女が掠れた声でぽつりと呟く。
「夢だと思ってた」
その表情は伺い知れない。
「戻ってくれば、この長い夢から覚めるって思ってた。パパがいて、ママがいて、サリーがいて……また幸せな日々が戻ってくるって」
ジェイルは黙ってサラの話を聞く。
「でもそうじゃなかった。平和なガルガ・エーラはとっくの昔になくなってた。みんなみんな、死んじゃった」
サラは顔を上げる。目は赤く充血し、瞳は力強さを失っている。あの強気で元気だった少女は見る影もない。
「心のどこかではわかってた。でも信じたくなかった」
「……」
「最低ね。こんな下らないことに付き合わせちゃって。何度も、何度も止めてくれたのに」
かける言葉が見つからない。
「そういえば」
サラが力無く微笑む。
「よくよく考えたら、ちゃんとした自己紹介って、まだしてなかったっけ」
サラはトン、と指先でジェイルの胸を押すと、踊るような足取りで離れていく。そして、差し込む夕日を背にクルリと回ると、スカートの端を掴むような動作をしながら、優雅にお辞儀をした。
「ご機嫌よう、ジェイル・ナット殿。私はサラ。サラ・ブレアと申します。ウズシ国王エクス・ブレアと王妃リアン・ブレアの娘であり、第一王女になります」
そう言う彼女の顔は、今まで見たこともないような、悲しい笑顔だった。
*
サラはぽつり、ぽつりと自分の身に起きたことを話す。ジェイルは彼女の話しに横槍を入れることもなく、ただただ黙って聞いていた。
ここに来たら全てを話す約束をしたのだから守らなくてはならない。これは、サラにとって最後のけじめであった。
「盗賊退治の件では助けられました」
もう、遠い昔のことのようだ。
「また、ここまで連れてきて下さり、感謝をしています」
今となってはどうでもいいこと。
「お礼も十分に出来ぬ身で厚かましいとは存じますが」
後、私が望むのは一つだけ。
「最後に一つ、お願いがあります」
既に一度は聞かれなかった望み。
「その剣で」
それでも
「私を殺して下さい」
願わずにはいられなかった。
*
「そうか」
剣に手をかける。生きる方が死ぬより辛いなんてことはざらだ。
死にたいというなら、否定をする気はない。
少女は目を閉じると、あごを少し持ち上げる。
彼女にダブった影は、いつの間にか自分の形をしていた。
あぁ。結局、救いたかったのは。
剣から手を離し、拳を握りしめた。
*
これで、やっと全てが終わる。
サラは目を閉じ、その時を待った。しかし、いくら待っても何も起こらない。聞こえるのは風の音のみ。少し心配になって、薄目を開けてみる。
そこには、拳を振り上げるジェイルの姿があった。
「え」
ゴチンと小気味のいい音が頭の中に響く。数瞬遅れて、鋭い痛みが襲ってきた。
「……ったぁぁい!!??」
回る回る世界が回る。グーで殴られた。しかも相当思い切り。
サラは困惑と痛みでしっちゃかめっちゃかな頭を抱え、ジェイルを見上げる。
「え、え? すごい痛い!」
普通に泣きそうだ。
「痛いんだな」
何をのんびりと聞いているのだ。当り前だ。
サラは答える代わりにジェイルを睨みつけた。
「そりゃよかった」
「よかったって何よ、それ!」
その言葉を無視して、ジェイルはサラに背を向ける。
「今のはお前の両親からの一発だ」
「は?」
「死にたいなら、死ねばいいさ。俺にはお前を止められる理由も義理も無い。言うことを聞く必要も。じゃあな」
ジェイルは軽く手を上げると歩きだした。
「ま……」
彼の背中に手を伸ばすが、引き留める理由がない。その手は何の役目も果たさずにダラリと下がった。
「何よ、何なのよ……」
勝手に助けといて、肝心な時にさよならなんて、薄情じゃない。何が両親からの一発よ。あなたにパパとママの何がわかるっていうのよ。何が……
何が、私にわかっていたの?
ふと思う。今まで考えたこともなかった。ここまで戻ってくるのに必死だったから。どうして、パパもママも私を助けたのだろう。嘘をついて、自分を犠牲にしてまで。
「泣くんじゃない。困った、どうすればよいのだ…」
パパ?
「ほら、泣かないで。可愛い顔が台無しよ?」
ママ?
「一体何があったのだ?パパに教えておくれ」
「そうよ。何がそんなに悲しいの?」
だって、もうパパもママも……
「ホラ、もう大丈夫だから。頼む、笑いなさい」
「笑ってサラ。だってパパもママも貴女の笑顔が」
『一番好きだから』
簡単なことだった。
それに、忘れていた。
あの男がとんでもないお節介焼きだということを。
**
ジェイルは来る時に使った隠し通路の入り口に手を掛ける。その時、息を切り、走ってくる人物がいた。よほど急いだのか、セミロングの髪は乱れ、頬はうっすらと赤く染まっている。
「ちょっと待って! 待ちなさい!」
その人物はジェイルの前まで来ると、肩で息をしながら、ジェイルに指をつきつける。
「あ、あんたね、相棒を置いてくとはどういうつもり!?」
「いつから相棒になったんだ、サラ」
ジェイルは首を傾げて見せる。サラは息を整えると、笑顔になった。
*
目の前のお節介のお人好し男は、すべてを見透かしたかのように少しだけ笑っている。癪ではあるが、ここはわざと乗っておこう。
「細かいことはいーのよ! 私決めたから。あんたが私を助けてくれたように、今度は私があんたを助けてあげる! いや、とか言っても絶対ついてってやるんだから」
サラは腰に手を当て、胸を張る。もう、死のうとは思わなかった。ジェイルが気付かせてくれたから。
最後にパパとママは言ってくれた。『生きなさい』って。なら、生きてやる。今はどれだけ絶望に打ちひしがれようとも。ちょっと、辛いけど。ちょっと、泣きたいけど。でもきっといつか……
「好きにしろ」
ジェイルは通路の入り口を開けると中に入る。
「早く来ないと置いていくぞ」
「うん!」
この人について行けば、何か見つかる。生きていてよかったと思えるような何か、生きたくてしょうがなくなるような何かが。そんな気がする。
サラは廃墟となった城を仰ぎ見る。
だから、今は笑顔で。
「いってきます!」
両手を振り、大声で叫ぶ。一陣の風がサラの頬を優しく撫でる。サラは大きく頷くと、ジェイルの後を追った。
終わりです。
主人公2人の境遇を暗くしすぎて、書いていて非情に辛い気持ちになったのでここまでになります。