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第3章 少女と亡国

 ジェイルは、小川の畔で焚き火の前に座っていた。辺りは薄暗く、空にはちらほらと星が見え始めている。サラは焚き火から少し離れた所で小川に手をつけ、川の冷たさを確認していた。


「絶対、こっち来ちゃ駄目だからね!」

「あぁ。わかっている」


 ジェイルのそっけない声が聞こえてくる。露ほども興味を示そうとしない。それはそれで失礼じゃないかしらと思いながら、サラは自分の服を脱ぎ始めた。

 脱いだ服を川にさらして洗い始める。コボルトとの戦闘時に、相当汚れてしまった。まだ買ったばかりなのに。丁寧に揉んで、しっかりと汚れを落としていく。サラは服とマントを洗い終えると、残ったものを脱ぎさり、自分自身も川に入った。


「冷た……」


 思ったよりも水は冷たく、思わず身震いをしてしまう。それでも我慢して、ぱしゃりと水を肩にかける。汗と血でどこもかしこもドロドロだ。

 血。

 ぱしゃり。

 生気を失った目。

 ぱしゃり。

 私が。

 この手で。

 赤い。真っ赤だ。どこも、かしこも!

 ばしゃん!

 手を思い切り叩きつける。跳ねた水が顔にかかる。


「うっ……うっうっ……」


 頬を伝う水滴が水面に落ちた。思わず顔を両手で覆う。


「パパ、ママ……」


 寂しい。寂しいよ。



 細い枯れ木を焚き火に投げ入れる。炎はあっという間に枯れ木を飲みこみ、一段と大きくなる。パチパチという音が耳に心地よい。


「はぁ、気持ちよかった」


 水浴びを終えたサラがやってきてジェイルの隣に座った。彼は焚き火から視線を外し、彼女の方を見た。


「それは……」


 サラの格好は、ジェイルと初めて会った時の格好に戻っていた。短めのスカートの白いワンピース。サラの細身の体にぴったりフィットしており、職人の技を感じる。さらに、質感の良さと無駄のない造りから高級感を醸し出していた。


「な、何よ! こんな時でも着ちゃ駄目なの?」

「いや、悪かった。何でもない」

「謝られても困るけど……」


 サラは銀の櫛で濡れた髪をとかしはじめた。

 二人は森を抜けた後、近くの小川で火を焚き、野宿をすることにした。森を抜けた頃には既に日が傾きかけていたことと、疲労もあり、これ以上の徒行は危険と判断したためだ。また、これからのことも話し合わなければならなかった。


「明日からはどうする。山を越えるか、迂回するか」


 ジェイルがサラの顔を見る。


「え?」


 サラはキョトンとした顔をする。言った意味がわからなかったのだろうか。


「ガルガ・エーラに行くんだろう? ならあのリント山脈をどうにか越えなきゃならん。それくらいは知っているだろう?」


 ガルガ・エーラは自分達が来た方向からだと、リント山脈という山を挟んで反対側にある。それほど標高が高いわけではないが、切り立った崖のような山なので越えるのは一苦労だ。だからと言ってそれを避けようと迂回すると、かなりの回り道をさせられる羽目になる。どちらも一長一短と言ったところだろう。


「あぁ、そのことね」


 納得したというように、サラが両手を合わせる。


「そういえば、まだ言ってなかったっけ」

「何のことだ?」

「抜け道があるの」

「抜け道?」


 サラはリント山脈の方を見ると、溜息をついた。ジェイルもそちらに目を向ける。もう陽は完全に陰っているため、暗くて様子がわからない。


「あの山からワーフォードって街が正面に見えるところに、お城に直接行ける隠し通路があるのよ」

「!」


 ジェイルは驚き、眉を片方持ち上げる。

 それが本当なら、危険は随分と減る。ガルガ・エーラに入りさえすれば、そこには誰もいないはずだ。ガルガ・エーラは戦争時に壊滅的な被害を受けたと聞く。それに城というのは籠城などの期間戦でこそ真価を発揮するもので、野戦が主な場合は復旧してまで使う利点がそこまでない。おそらく、兵士も民間人も誰も居ないだろう。だが、しかし、城への抜け道だと?

 何故、そんなことを知っている?

 まさか、この少女は。


「どうしたの?」

「いや、詳しい場所はわかるのか?」

「行けば、多分わかると思う」


 ジェイルは押し黙って焚き火に目を移す。そして、ゆったりとした動作で火の中に枯れ枝を放り込んだ。サラは沈黙が気になったのか、心配そうな顔つきになる。


「もしかして、駄目?」

「……問題ない。それよりも体が乾いたなら、もう寝ろ。どうせ、明日も一日中歩くことになる」

「それも、そうね。うん。ジェイルは?」

「俺は見張りをしておく」

「わかった。休みたくなったら起こして頂戴。交代するから」


 サラは欠伸を一つすると、自分の荷物を枕にゴロンと横になった。


「……まさかな」


 ジェイルは頭を掻くと、今度は大きめの枯れ木をとって、火の中に放り込んだ。すると、火はパチンとはじけ、火の粉が暗闇に向かって舞い上がった。


**


 二つの人影が草原をとぼとぼとしょぼくれた様子で歩いている。


「うぅぅぅ、うぅぅ」

「そんな声を出しても、何も出ないぞ」

「だってぇ……」


 サラは物欲しそうな顔をジェイルに向ける。しかし、ジェイルは見向きもしない。

 まさか、こんなことになるとはなぁ。

 ジェイルは歩きながら、今朝起きた出来事を思い出していた。



 その日の朝、空は薄い水色に染まり、トンビが円を描きながら飛んでいる。ジェイルは剣の手入れを止めると、空を見上げる。そこに小川で顔を洗っていたサラが大きく伸びをしながら戻ってきた。


「んー! お腹すいたぁ!」


 ジェイルは剣を背負い直し、立ち上がる。


「そうだな。朝食にするか。俺の荷物から食料袋を出してくれ」

「了解了解っと」


 サラは敬礼のような仕草を見せると、無造作に置かれた革袋のところまで行き、しゃがみ込んだ。そして、袋の中に手を入れ、ゴソゴソと探し出す。


「これでいい?」


 サラが一つ袋を掲げる。


「あぁ、それだ」


 トンビの甲高い鳴き声が辺りに響く。ジェイルは空を見上げた。しかし、トンビの姿を確認することは出来ない。小さな鋭い風切り音が彼の耳に届く。

 あ、これはまずい。

 彼はサラに向かって叫ぶ。


「よけろ!」

「え?」


 ジェイルの声にサラが目を丸くする。その時であった。


「きゃっ!」


 黒い影がサラの目前を通りすぎる。それに驚いた彼女は叫び声をあげ、尻もちをついてしまった。


「いったーい」


 サラは腰を摩りながら、辺りを見回す。


「もう! 今の鳥なんなのよ!」

「大丈夫か?」


 ジェイルがサラに歩み寄る。


「大丈夫って、アレ? ない……なーい!」


 サラが自分の周りをパタパタと手で叩く。


「やられたな……」


 ジェイルは忌々しげに空を見上げると、サラも釣られてそちらの方を見る。


「あー!」


 そこには白い袋を足に引っ提げ、揚々と飛び去るトンビの姿があった。


「返せー! 私の朝ごはんー!」


 サラは立ちあがると、両手を空に突きあげ力の限り叫ぶ。しかし、トンビはこちらを見向きもしないどころか、馬鹿にしたような鳴き声を一声上げると、空の彼方へ消えて行った。

完全に油断していた。焚き火もしていたから野生の獣が寄ってくるとは思いもしていなかった。ジェイルは頭を掻くと、深い溜息をついた。

 朝飯どころじゃない。これからの食料全てを失ったのだ。あのトンビ、次に会ったらとっ捕まえて丸焼にしてやる。

 彼は心の中で静かに誓った。



「お腹すいたーお腹すいたよぅ……」


 サラがゾンビのように呻く。


「言うな。余計腹が減る」


 そうは言っても、先程からジェイルの腹も鳴りっぱなしだ。

 これはどうにかしないと、本当に死んでしまう。

 ジェイルは懐から地図を取り出し、それを眺めた。

 普段なら近場の町にでも寄って食料を調達するところだが。

 元々、この国は町村が少ない。それに、戦争中まっただ中で住人がのんびりと暮しているのは考えにくい。いるとしたら兵士くらいだ。町の線は消した方がいいだろう。となると、狩りか……よさそうな場所を探す。


「あー!」


 その時、サラが素っ頓狂な声を上げる。そちらを見ると、彼女は口をポカンと開け、驚いた様子で空を指差していた。


「どうしたんだ」

「鳥! あの鳥!」


 彼女の指先をたどると、一羽のトンビが空を舞っていた。


「朝ごはん泥棒!」

「おいおい。気持ちは分かるが……」

「間違いないわよ!」


 サラはトンビを追うように駆けだし、ジェイルの方へ振り向く。


「だって、足に包帯巻いてるもの!」

「なんだって?」

「ほら、見失っちゃう! 朝ごはんを取り戻すの!」


 そう言うや、サラはトンビを追いかけていってしまった。止める暇もない。

 足に包帯。ならば、その先には人がいるかもしれない。それにしても、よく見ていたものだ。

 ジェイルは地図でトンビの行った先を軽く確認する。『ロヘド林』。地図にはそう書かれていた。


**


「ねぇ、これって食べられる?」


 サラが赤と青のコントラストが非常に奇麗なキノコを木からもぎ取る。


「死んでもいいなら」


 ジェイルが無表情で言う。サラは頬を膨らませると、そのキノコを捨てた。しばらくして、幾何学的な模様が神秘的な紫色の木の実を見つけたので、それをとってみる。


「これおいしそう!」

「死んでもいいなら」


 ジェイルを睨みつける。そして、手に持った木の実を力の限り投げ捨てた。両手で頭を抱えて、わしゃわしゃとする。お腹が空きすぎてどうにかなりそうだった。


「何よ! 全部駄目じゃない!」


 吼える。ぐぅ。もっとお腹が空いた。もう死んでもいいから、何か口に入れたい。いれなきゃ死んじゃう。

 ジェイルが溜息をつく。


「ここらは毒物ばかりだな」

「うー……」


 サラは口を尖らせて唸った。それを見たジェイルが愉快そうに笑った。ムッとはしたが、怒るガッツは湧いてこない。


「森や山には慣れているんだろう? 少しは見分けがつかないのか」

「だって、見たこと無いのばっかり。それに、私の知ってるところでは食べれるのがほとんどだったし……」


 サラはグルリと辺りを見回す。

毒物だと言われてみれば、確かに雰囲気が少しおどろおどろしいかもしれない。木は曲がったり奇妙な瘤があったり。動物もさっぱり見かけない。あのキノコや木の実もよくよく考えたら、とんでもない色彩だった気がする。きっとお腹がすきすぎて、正常な判断力を失っていたのだろう。

サラはお腹を押さえると、重い足を引きずり先へと進むことにした。

 今、二人は朝食を盗んだトンビを追って、ロヘド林まで来ていた。姿は途中で見失ってしまったが、方角の検討は大体ついている。幸い、林はそこまで大きくない。探していればその内に何かしらは見つかるものと思われた。

 だが、二人はトンビの前に思わぬものを見つけることになる。



「な、なんなの、これ……」


 サラはごくりと唾を飲み込む。草木にまぎれ点在する、鎧、武器、兜。そして、いつかは人であったもの。白々と存在を主張するそれは、ここで何かがあったことを雄弁に語っている。

 ジェイルは一つの死体に近づくと、色々と手に取り、じっくりと観察し始めた。


「さわっ」

「まずいかもしれん」

「え?」


 ジェイルは頭蓋骨を取り、サラの方に向ける。彼女はへどもどしながら一歩後ずさった。


「き、急にこっちに向けないでよ!」

「ここに穴が空いているだろう」


 渋々、ジェイルが指差した所を見てみる。そこには確かに大きな穴が開いていた。


「そうだけど、どうかしたの?」

「他の死体も同じような傷跡がある。こいつらは似たような手で殺されたんだろう」


 ジェイルは頭蓋骨を捨て、いきなり抜剣すると振り向きざまに何も無いところを切り払った。その瞬間、バキッと鈍い音をたて、何かが地面に転がる。


「……例えば、こんな風にな」


 転がったものは折れた小さな矢であった。


「え? え!?」


 サラは目を白黒させる。何が起こったのか理解できない。できないが、何となく危険だということはわかった。慌てて、自分の鞄を頭上に掲げる。サラとは反対に落ち着いた様子のジェイルは、ゆっくりと剣の切っ先を斜め上方に定めた。


「そこにいるのはわかっている。痛い目みたくなきゃ大人しく出てこい」


 静寂が返る。それでもジェイルは動こうとしない。すると、観念したかのように、彼の指していた所から、黒い影がガサリと飛び出してきた。そして、音も無く二人の前に着地する。


「……」


 それは奇妙な風体だった。

 小柄なサラよりも、更に小さい小人とも思えるほどの背丈。そのくせ、手足は異様に細長い。簡素な布の服の合間から見える地肌は緑色にくすんで見える。そして、顔には大きな蓮の葉に目の穴をつけただけの、単純な仮面をしていた。


「やはりフォレストウォーカの子供か」


 ジェイルは剣を納める。


「フォレストウォーカ……」


 サラは手に持った鞄の影から、小人をじっくり観察する。初めて見た。しかも子供。自然と共に生き、自然と共に死ぬ。人間を好まず、滅多に姿を人前には現わさない。そう聞いたことがある。サラがゴクリと喉を鳴らすと、それを合図にしたようにフォレストウォーカの子供が口を開いた。


「オマエ、ダレ。ヘイシ、チガウ?」


 ジェイルは頷く。


「あぁ。普通の旅人だ」

「フツウ、ウソ。オマエ、ツヨイ」


 フォレストウォーカの子供は警戒するように弓を構える。強い敵意を仮面の下から感じる。下手に答えれば打たれる、とサラは直感した。しかし、ジェイルは面倒そうに頭をかいただけだ。


「悪かった、言い直す。強い旅人だ」

「スナオ、イイ」


 子供は構えを解く。敵意もなくなった。そんなんでいいんだ、とサラは思ったが口出しはしないことにした。


「ヘイシ、チガウ。コロサナイ。デテケ」

「まぁ、そうもいかん事情がある」

「ジジョウ?」

「そ、そう! 私達鳥を追ってきたの! 足に包帯をまいた!」


 サラは顔の前の鞄を下ろせずにいた。子供とはいえ、弓をもっている相手は怖い。そばに点在する死体のように頭に風穴を開けられたくはなかった。


「トンビだ。そいつに食料を奪われてな」


 ジェイルが補足する。すると、フォレストウォーカの子供は吟味するように何度も頷くと、指を咥え、大きな口笛を鳴らした。


「ソレ。ゲイル」


 しばらくすると、羽ばたき音とともに、トンビが舞い降り、子供の肩へととまった。サラは思わず叫ぶ。


「あー! その包帯! 朝ごはん返しなさい!」


 トンビの片足には包帯がしっかりと巻かれていた。



「ニンゲン、二人ダケカ?」


 フォレストウォーカの言葉にジェイルは頷く。今度は大人、しかも族長と呼ばれる者だ。背丈はジェイルほどもあるが、やはり、顔には木彫りの仮面をしていた。他の者達よりも少しだけ豪華なのが非常にそれっぽい。

 あれから、ジェイルとサラの二人は子供に連れられ、フォレストウォーカの集落へとやってきていた。子供が言うには「マチガイ、アヤマル。ニモツ、カエス。スナオ、イイ」だそうだ。どうやら、荷物を奪ったトンビ、ゲイルは子供の相方で兵士から荷物を奪うように訓練されていたようだった。何故兵士に間違われたかは、言わずもがな。背にある大剣のせいだろう。

 一般的にフォレストウォーカは人間に対して、あまり友好的ではない。それを知っていた二人は、荷物を返してもらったら、すぐに出ていくつもりだった。しかし、集落を出ようとしたところで、大人数に囲まれ、族長の前まで連れられてやってきた次第である。


「フム、確カニ似テイル」


 族長は二人の方をしみじみと眺める。仮面で視線はよくわからないが、サラは自分が見られているように感じた。


「強キ旅人ヨ、失礼シタ。人違イヲシタラシイ」

「人違い?」

「我等ノ恩人。モウ会エヌト分カッテイタガ、ヤハリ、ソウナノダナ」


 族長は少し肩を落とす。似ているって私のことだろうか、とサラは思う。最近そんなことをよく言われる。


「……よくわからんが、そう気をおとすな」


 ジェイルはそう言うと、人差し指を立てた。


「せっかくの機会だ。一つ、聞いてもいいか?」

「答エヨウ」


 族長は頷く。


「アンタ等の祖先はエルフと関わりがあったと聞く」


 族長は再び頷く。


「なら、エルフレムを知っているか?」


 ピクリ、と族長が反応した気がした。エルフレム。サラも、もちろんその名前を知っている。知らない人などいないだろう。エルフ達が作ったエルフだけの王国。その美しさはこの世に並ぶものはないという。今もエルフはその王国の中で、俗世と切り離された久遠の時を過ごしている。

所謂、お伽噺だ。

 エルフは疾うの昔に滅んでしまったと言われている。エルフレムもエルフが滅ぶのと同時に無くなったというのが通説だ。何百年と探されてきて、誰も確認できなかったのだから、そう言われても仕方ないだろう。

 まさか、そんな単語がジェイルの口から出てくるとは思わなかった。サラは少しだけ驚いていた。族長は視線を宙に彷徨わせる。


「エルフレム。霧ノ王国。ソノ姿、名ノ如クタユタウ。千年ノ現実デアリ、一夜ノ夢デモアル」


 族長が歌うように呟いた。そして、首を小さく振る。


「我等モ知ルノハコレダケダ。コノ口伝ガ真実カモ分カラヌ。役ニハ立テソウモナイ」

「いや、十分だ。感謝する」

「ナラバ、良イガ」


 ジェイルは軽く頭を下げると、サラの方を向き「行くぞ」と声をかけた。しかし、サラは動こうとはしない。動けなかった。動きたくなかった。


「私からも質問があります」


 サラはキッと顔をあげる。族長は頷く。


「答エヨウ」

「どうして……」


 サラは一呼吸置く。両足に力を込め、拳を思いっきり握りしめる。

 わからなかった。

 どうしても、わからなかった。


「どうして、人を、殺すんですか?」


 喉から声を絞り出す。


「どうして人を殺すんですか!?」


 一度言ってしまえば後は土石流のようだった。


「どうして、あんな子供が人を殺さなきゃいけないんですか? 何があったのか、私は知りません。でも、殺したいほど憎いんですか。子供にまで背負わせなきゃならないんですか。そんなの、悲しいじゃないですか。どうして……」

「サラ」


 ジェイルに肩を叩かれ、ハッとする。


「あの、その」

「その辺にしとけ」

「ご、ごめんなさい。私……」


 言うべきではないと思っていた。自分達をここまで通してくれたフォレストウォーカが、そこまで人間を憎いわけがない。けれど、わからなかった。なぜ子供が、あそこまで純粋な殺意を人に向けられるのか。何故それを周りの大人が許すのか。そんなのは間違っている、と心の中の自分が叫び続けていたのだ。


「優シキ子ヨ。ソナタガ正シイ」

「え?」


 族長の思いがけない一言にサラは戸惑う。


「憎シミハ悲シイ」

「なら」


 族長はゆっくりと首を振った。


「ダガ、止メルコトハ出来ナイ。先ノ戦争ニ巻キ込マレ、アマリニモ多クヲ我等ハ失ッタ。親、兄妹、子供。ソレゾレガソレゾレノ憎シミデ動イテイル。ソレヲ否定スル権利ハ誰ニモナイ。種族ノ為、身ヲ焦ガス灼熱ニ耐エラレ続ケル程、我等ハ強ク無イ」


 族長は首を振る。


「ソンソンモソノ一人ナノダ」

「あの子も? 一体、何が」

「人間ニ話スコトデハナイ」


 その声音はとても冷たく、明らかな拒絶の意思が表れていた。サラはどうすればいいかわからず、俯いて、ただ口を強く噤むことしか出来なかった。

 憎しみ。やはり、私は勝手だ。自分に出来ないことを、自分の事じゃないと批判するのだから。



 フォレストウォーカの集落を出ようとした時、ジェイルが何かをポツリと呟いた。

 お前は、それでいい。

 サラにはそう聞こえた気がした。


**


 フォレストウォーカの集落を出て丸二日が経った。二人はようやくワーフォードの町が見えるところまでやってきていた。その後ろにはリント山脈がそびえている。遠目からでも町はそれなりの規模があることがわかるが、民家の煙などの生活感はどこにも見てとれない。

 二人が町に入ってもそれは変わらなかった。煙どころか、喧騒もなく、もうすぐ陽も暮れるというのに一つの明かりすらも灯らない。あるべきも、鳴るべきも、いるべきも、ない。ワーフォードは完全なゴーストタウンとなっていた。住民は慌てて逃げ出したのか、民家の扉が開け放しになっているものすらある。

 ジェイルにとっては、大方の予想通りであった。兵隊が住みついていたら厄介だと思っていたが、ただの杞憂だったようだ。もう、ヤトト、イシブムチ両軍とも撤退に入っているのだろう。どちらが取るにしろ、ここでの争いが終われば、人も戻ってくるかもしれない、と彼はボンヤリ考えた。ただ、今誰もいないのは都合がいい。


「今日は適当なところにでもお邪魔するか。久々に柔らかい所で眠れそうだぞ、サラ。……サラ?」


 ジェイルが呼びかけるも、サラは反応せず、虚ろに町の様子を眺めていた。彼は右手を彼女の顔の前で振る。


「わっ! え? 何?」


 サラは驚いた様子でジェイルの顔を見る。


「どうした、ぼうっとして」

「えっと、な、何でもない! 少し考え事をしてただけ……」


 彼女はそう言い目を伏せる。


「もうすぐ目的地だというのに、元気が無いな」

「そんなことないわよ」


 サラはプイとそっぽを向く。ジェイルはやれやれと肩を竦めた。


「とにかく、どこかの民家に入るぞ。これまで野宿が続いたから、疲れがたまっているだろう?」

「そうだけど、そんな火事場泥棒みたいなこと」

「なに、留守の間にベッドを一晩借りるだけだ。掃除の一つでもすれば、十分礼になる」


 ジェイルはそう言うと、開け放しになっている民家の一つに入り込んだ。



 その夜。サラはベッドに体を放り投げ、ボンヤリと天井を見つめていた。

 眠れなかった。体は疲れているはずなのに。

 暗闇の中、一人でいると、嫌なイメージや不安が否応なしに襲いかかってくる。シーツにくるまりながら、体を丸める。


『商品には手を出すなって……』


 金。


『身ヲ焦ガス灼熱ニ……』


 恨み。

 私も、そうだったのかな。そうじゃなきゃ。

 違う、あるわけない。だから、みんなきっと。

 ……嫌だな、私ってこんなに弱かったかしら。

 サラは自嘲気味に笑う。

 隣に誰もいないだけでこんなに弱気になるなんて。隣に……

 ふと、不安になる。このまま眠って、朝起きて、誰もいなかったら。また、一人ぼっちになってしまっていたら。いや、実はもう隣の部屋には誰もいないかも知れない。そう思うと、不安は加速度的に広がっていく。

 イヤ、もうイヤよ。私を一人にしないで。

 ガタガタと体は震え、歯はカチカチとイヤな音を立てる。サラは世界に一人取り残されたような孤独感と必死に戦っていたが、ついに耐えきれずに、ベッドから離れた。



 控えめなノックが聞こえてくる。ジェイルは目を開けると、ベッドから体を起こした。


「開いている」


 そう言うと、軋みを立てながら扉が開いた。月明かりに照らされ立っているのは、当然ながらサラである。彼女はジェイルの姿を見て、ほっとしたように笑った。


「どうした? 蜘蛛でも出たか」


 彼女は黙って首を振る。そして、服の端を握り、上目で彼を見つめると、おずおずと口を開いた。


「ね、ねぇ。そっちに、行ってもいい……?」

「何?」

「駄目、よね。ごめんなさい。私、ちょっと」

「いや、なんだ。そうじゃない。話があるなら聞こう」


 ジェイルはとりあえず、サラを部屋に入れた。彼女はベッドに腰掛け、押し黙る。ジェイルに出来るのは見守ることだけだ。

 この年頃の娘というのはとても繊細だ。こちらから触れてしまえば、たやすく壊れてしまう。だから、ただ只管待った。


「私、不安、で」


 しばらくして、サラは俯きがちにポツリと呟く。


「怖くて、もう、一人は」


 そして、顔を両手で覆い肩を震わせた。泣いているようだった。

 彼女はいつも見えないところで泣いていた。

 ジェイルは知っている。知っていて、黙っていた。自分では彼女を守れても、支えることはできない。彼女の柔らかい部分には触れないようにするしかなかった。でも、今回はそうはいかない。助けを求め、泣いている。壊れそうな心が耐えきれなくなり、悲鳴をあげている。


「安心しろ」


 何を?


「俺はどこにも行きはしない」


 酷く、薄っぺらい言葉を吐いている。それでも、目の前の一人ぼっちの少女を、あの冷たい雨の日を、少しでも救えるのなら。


「どこにも行きはしないさ」


 そう言って、微笑んだ。



 金属が擦れ会う音で、意識が戻ってくる。目を薄く開けると、ジェイルが道具の手入れをしているのが見えた。最早見慣れてしまった光景。サラは安心すると、もう少し眠ろうと、また目を閉じる。少し身じろぎをすると、ベッドがギシリと軋んだ。

 ……ベッド?

 サラの脳裏に昨夜のことが鮮明に蘇る。


「わ、わーっ!!」


 かかっていた布団を跳ね除け、飛び起きる。そしてジェイルから距離をとるように壁際にはりついた。


「お。おはようさん」


 ジェイルは特に気にすることなく挨拶をサラに投げる。


「おおおおはよようごごございまます」


 一方のサラは呂律が回らない。顔がのぼせた時のように熱い。

 そうだ。昨夜、私はこの男と同じ部屋で。それに、アレではまるっきり自分から。合意と見られても、そんな、よろしくない! 野宿では何度も夜を一緒に過ごしたけど、同じ部屋で、しかも同じベッドでなんて意味合いが全然違う!

 思わず、ジェイルのたくましい腕に抱かれて眠る自分の姿を想像する。

 ぶんぶんぶん、と思いっきり頭を振ってイメージをかき消した。いくら心細かったとはいえ、昨夜の私はきっとどうかしていた。全ては夜の暗闇のせいなのだ。


「あ、あ、あの、昨日のことは」

「ベッドのことなら気にするな。俺はどこでも眠れる」

「へ?」


 間の抜けた声が自分の口から漏れた。ジェイルは、サラが来た後は椅子で寝ていたということを説明してくる。

 つまり、その言葉を信じるなら、何もなかった。同じベッドにすら居なかったのだから。そして、その言葉は真実なのだろう。彼のいつもと何一つ変わらぬ態度が物語っている。

 サラはホッとした反面、今度は何かモヤモヤとしたものに心を支配された。

 私のことを女としてあまり意識していないのはわかっているつもりだ。奥さんがいるのも知っている。それでも一つ屋根の下どころか、同じ部屋にいたのに何も感じないものなのか。ちょっとくらいどぎまぎしてもいいではないか。

 それとも、私ってそんなに魅力ないかしら……

 サラは自分の遠慮がちな胸を撫で、溜息をついた。


**


 先を行くサラはまるでジェイルから離れようとするようにズンズンと歩いて行く。


「おい、そんなに急ぐと危ないぞ」


 ジェイルがそう言っても、サラは聞く耳を持たないといった様子だ。

 全く、昨夜はあんなにしおらしかったのに、一体何を怒っているんだ。

 年頃の娘ってのは本当に難しい。ジェイルは頭をかくと、大股で彼女を追いかけた。

 リント山脈の麓に近付くにつれ、足元が危なっかしくなっていく。砂利には大小様々な石が混じりはじめ、つま先を引っ掻けようとする。


「足元に気をつけろ」


 無駄だとは思うが、サラに声をかける。彼女はフンと鼻を鳴らす。


「……きゃあっ!!」


 まるで予定調和のように、サラが足元の石に躓いて見事に転んだ。


「いっったーい!」

「それだけ大声を出せるなら大丈夫そうだな」


 サラは無言でこちらを睨みつける。元々、目尻が少しつり気味だが、今は目を縦にせんばかりの勢いだ。下手に手を出せば、咬まれる。そう直感したジェイルは、それ以上は何も言わず、彼女が立ち上がるのを待つことにした。


「あーー、もうっ!」


 サラは勢いよく立ち上がると乱暴に服に着いた砂利を叩き落とす。ついている砂利が無くなっても、必要以上に彼女ははたき続けた。その様子を見守っていると、


「ばっっっかみたい!」


 突然、胸に指を突き付けられた。


「ばっかみたい! ばっかみたい! ばっっかみたい! ばぁぁっか!!」


 サラはにじり寄りながら、何度も何度も指を突き付けてくる。ジェイルはその鬼気迫る様子に気圧され、思わず後ずさった。こうなると、出来ることは一つしかない。彼は両手を上げる。


「わかった、俺が悪かった! だから機嫌を直してくれ」


 謝ることだけだ。しかし悲しいかな。


「謝るなぁぁ!!」


 こういう時に謝って解決することなど、ほとんどない。



 叫んで、喚いて、八つ当たりをしたら、少しは気分が晴れた。それにジェイルがうろたえる姿を初めて見て、何だか勝ったような気分にもなった。


「ふふ、ほんと、馬鹿みたい」


 そう、こんなことでいつまでも拗ねるのは馬鹿なのだ。もうすぐガルガ・エーラに辿りつける。今はそのことだけを目指せばいい。

 サラは振り返って、リント山脈を真剣な眼差しで見上げた。


**


 二人は田舎道から少し外れた、リント山脈の麓に辿りついた。そこには登ることはおよそ無理だと思われる切り立った崖と巨大な岩がごろごろとあるだけだ。人が訪れるような場所ではない。サラは遠くに見えるワーフォードをチラチラと見ながら崖の壁をチェックしていた。


「多分この辺りだと思うんだけど……」

「何か目印はないのか?」

「うーん、おっかしいなぁ」


 サラは辺りを注意深く見回す。ジェイルは溜息をつくと、近場の岩壁に背を預けた。


「もう、ちゃんと探してよ!」

「見たことも無いものを探せるわけがないだろう」

「それはそうだけど……あ!」


 ジェイルの方を向いたサラが声を上げる。そして嬉しそうにジェイルの方へ駆け寄ってきた。


「そうだ、ここよ、ここ! ジェイル、偉い!」


 ジェイルは苦笑いを浮かべる。一瞥する限りは何の変哲もない岩壁だ。なるほど、これでは誰にも気付かれない。まさに秘密の抜け穴というのにふさわしい。


 

 サラは目の前の壁を見上げる。忘れもしない。あの悪夢の始まりの日、自分はここから這い出てきたのだ。サラは岩肌を撫でると、壁から少し出っ張った部分の石を思いっきり押し込んだ。すると、低く鈍い音が辺りに響き、岩壁に丁度手が入るほどの穴が現れる。


「おぉ」


 ジェイルが嘆声を上げる。サラは現れた穴に手を入れ、引っ張る。岩の扉は驚くほど簡単に開き、岩壁には大穴が現れた。


「こいつはすごい」


 ジェイルの言葉に少しだけ得意気になる。自分が作ったわけではないが。


「よし、行くわよ……」


 サラは唾を飲み込むと、穴の中へと足を踏み出す。ジェイルもそれに続いて入っていく。この先に全てがある。サラは目の前に広がる暗闇をじっと見据えた。



 ジェイルが松明を持ち、先頭に立って通路を歩いていく。通路は一本道で、特に仕掛けもないように思えた。ジェイルは燭台を見つけ、それに火を灯す。

 随分造りが古い。一体何年前のものだろうか。

 照らされた石造りの壁に手を当てる。厚い層になった埃を払うと、見たことも無い不思議な文様の一部分が現れた。


「早く行きましょうよ」


 後ろからサラがジェイルをせっつく。ジェイルは壁から手を離すと、再び歩きだした。


「うぅ。ここってこんなに不気味なところだっけ……?」


 サラはジェイルの背中にくっつき、身を強張らせる。


「ここを通ったことがあるのか?」

「うん」


 ジェイルのぼんやりとした推測が確信に変わる。

 間違いない。この子は……


「そうだ、フォレストウォーカ達にエルフレムのこと聞いてたわよね?」


 サラの言葉に意識が引き戻される。


「ん、あぁ」

「もしかして、アナタの旅の目的って」

「まぁな。エルフレムを見つけることだ」


 ジェイルは肩を竦めてみせる。


「俺一人の人生じゃ見つかるかわからんが」

「だから急ぐ旅じゃないって」


 サラが納得したように頷く。ジェイルは乾いた笑い声をあげた。


「手がかりはわずかばかり。フォレストウォーカの言う通りなら、正に霧を掴むような話しだ。可笑しいだろ? 大の大人がお伽噺を本気にしているんだ」

「そんなことないわよ」


 サラが即座に否定する。その声音には同情も憐れみもなかった。


「私はあると思う」


 そこにあるのはただ確信のみ。


「だって、エルフレムは実在してたんだから」

「うん百年も昔の話だ」


 革ばりの靴がならす規則正しい足音と、二人の話声だけが通路に響く。今、この空間においては二人の立場は対等だ。


「でも、滅んだって話はないわ」

「今でさえ、誰も実在を証明できていないんだぞ」

「何百年も、滅んだという証明を誰もできなかったのよ?」


 サラは微笑む。


「なんだか、ある気がしてこない?」


 ジェイルは反論をしようかと考えて、やめる。探している自分が否定するのも変な話だ。それに、サラの言うことはもっともだ。


「そう、そうだな」


 ジェイルは空いている手を軽くあげた。


「ありがとよ」


 何故だかサラが目を丸くする。驚いているようだった。


**


 どれだけ歩いたのだろう。暗く、短調な道は、時間の感覚を奪う。丸一日歩いていると言われればそんな気もしてくるし、実はさほども時間は経っていないかもしれない。もしかしたら、同じ時間、同じ場所を延々とループしているのかもしれない。サラの掌が汗ばむ。思いだせない。前に通った時は、ここまで長かっただろうか。

 ふと、ジェイルが足を止めた。すぐ後ろを歩いていたサラはぶつかりそうになる。


「きゅ、急に止まらないでよ!」

「ん、悪い」


 ジェイルは暗闇の先に向かって顎をしゃくる。


「風の音がしたんでな。もうすぐ出口らしい」

「本当に!?」

「あぁ」


 サラは耳に両手をそえてみる。が、何も聞こえない。今度は目を閉じて集中する。が、何も聞こえない。単調な道が続くあまりに幻聴が聞こえたのではないか、と疑い始めたとき、ジェイルはさっさと歩き出してしまった。彼女は慌てて追いかける。


「待ってってば! 本当に聞こえたの?」

「嘘をつく必要がどこにある」

「そうだけど……」


 どう頑張っても聞こえないのだから、仕方がない。

 だが、しばらくして。サラの耳にもか細い風の音が届いた。



 遂に二人は突き当りまで到達した。


「ここで行き止まりか」


 ジェイルが壁を松明で照らすと、上に伸びる梯子が見えた。しかし、梯子の先は天井で途切れている。


「風は梯子の先から入ってきているみたいだな」

「うん。確かあそこは開くはずよ」


 サラはそう言うや早く、梯子に手をかける。そして、上まで昇ると、天井をぐいぐいと押した。


「くぅぅ! りゃぁぁ!」


 サラは気合いを入れて思いっきり押しているが、天井が動く気配はない。ジェイルは壁に背をあずけ、その様子を見守る。


「なんでなのよぉ……」

「そこに仕掛けはないのか?」


 泣きごとが聞こえてきたので、ジェイルは下から声をかける。サラは首を左右に振った。


「何もなかった気がするけど」


 サラは顔を悔しさに歪ませながら梯子を降りてきた。


「よし、俺が試そう」


 ジェイルはサラに松明を預けると梯子を昇る。そして、天井に片手をつけ、感触を確かめる。古ぼけてくすんでいるため分かりづらいが、確かに梯子の先の天井部分だけは一枚板の作りになっている。仕掛けらしきものも見当たらない。力をこめて押し上げる。すると、鈍い音を立てて少しだけ上に動いた。


「こりゃ上に何か乗っているな」


 ジェイルは梯子から降りると、グレートソードを壁に立て掛け、マントをサラの方に放り投げた。それによって彼女の姿はすっぽりと覆われる。


「わっ」

「ちょっと預かってくれ」

「もう少し優しく渡せないの?」


 マントから顔を出したサラは、口を尖らせる。ジェイルは梯子に手をかけ、ふと動きを止めた。


「どうしたのよ」

「本当にこの先に行くのか」


 ジェイルは低く呟く。無駄だとはわかっていても、聞かずにはいられなかった。ここが本当に最後の引き際だ。


「当たり前じゃない。何言ってるのよ」

「お前が望むものがあるとは限らないぞ」

「!」


 サラはビクリと体を震わせると、一歩後ずさる。


「やめてよ……」

「ここまで来てお前にもわかっているはずだ」


 サラはまだ若い。全てを忘れ、どこか遠くで幸せに暮らすこともできる。だが、この先に行けば、おそらく……


「やめてよ!」


 サラの絶叫が木霊する。


「私は、その先に行かなきゃ。だって、それしかないんだもん。少しでも望みがあるなら、縋りつくしかないじゃない。それ以外なんて、考えられない」


 ジェイルは深い溜息をつく。願わくば彼女の心が壊れぬことを。彼は梯子を登って行く。彼女に絶望を見せつけるために。



 ジェイルは頭が付くくらいまで梯子を昇ると、両手で器用に天井を支える。


「ぅうおおぉっ!」


 両手両足に力を入れ、全身を使って一枚板を押す。すると、それはミシミシと軋みを立てながら動き始めた。


「らぁ!」


 ジェイルが腕を一気に伸ばすと、何か重たいものが転がるような音が聞こえてきた。ジェイルは確かめるように板を二、三度動かす。そして、板を元に戻すと、梯子を下りてきた。


「開いたぞ」


 ビクリ、と体が震える。サラは緩慢な動作で、ジェイルにマントを渡した。梯子の先を見つめる。

遂に戻ってきてしまった。長かった。これで、やっと終わる。悪夢から目を覚ますことができる。

 そう、きっと全ては夢だったんだ。

 サラはのろのろと梯子を登って行く。

 この先には、みんなが待ってる。パパもママもメイドのサリーもマストロ先生も。ヴラスカもウーチだって。きっと、みんな。

 手で押すと天井は簡単に持ち上がる。息を飲み、そのまま板を押しのける。強い光に目がくらんだ。

 徐々に目が慣れていく。目の前に広がる光景。それは赤く染まった空であった。


「え?」


 サラは外に飛び出し、辺りを見回す。あるのは、瓦礫の山、山。マッチの燃えカスのような臭いが鼻をつく。そこにはかつて、ガルガ・エーラの城があるはずであった。自分の慣れ親しんだ、大切な城が。

 ジェイルがサラに続いて地上に顔を出す。


「噂には聞いていたが」

「……!」

「お、おい!」


 サラは堪らず走り出す。どこかに何かがあるはずだと。何もないなんて、そんなことはありえない。だって、だって、ここは自分の全てではないか。

 きっといるはずだ!

 パパ!

 ママ!

 ヴラスカ!

 サリー!

 マストロ先生!

 城の壁が崩れ、そこから町が見える。自分は城から見る活気あふれる美しい町並みが好きだった。でも、今見えるのは人の気配が感じられない、焼け落ちた廃墟の群れ。


「嘘よ……」


 姫に災いあらば、我が剣にて打ち払うことをここに誓う!


 焼け焦げた中庭にヴラスカの姿はない。毎日、剣を振って、そこにいたはずなのに。守ると約束してくれたのに。それなのに、どこにも、どこにもない。なにもない。ヴラスカも、彼が守ると言ってくれたものも。


「嘘よ!」


 おはようございます、御姫様。今日もいい天気でございますね。


 大好きなサリー。部屋に行くと椅子に腰かけ、机の上で編み物をしながらそう言ってほほ笑んでくれた。でも、今そこにあるのは崩れた机、切り裂かれたカーテン、そして、胸に矢の刺さったメイドの服を着た白骨死体。


「嘘よ、嘘よ!」


 姫様! 魔法の勉強ばかりしないで、普段の勉強もして下さいまし!


 いつも厳しかったマストロ先生。それは私がいつもお勉強をさぼっていたせいだけれども。でも、そんなマストロ先生と一緒に勉強した部屋は、もう存在すらしていない。


「嘘よ、嘘よ、嘘よ!」


 サラ、おかえりなさい。ほら、顔を見せて?

 また何か面白いことでもあったのかい? パパに聞かせておくれ。


 パパ、ママ、私帰ってきたんだよ。一人じゃどうにもならなかったけど、たくさん大変なことがあったけど、すごく優しい人達が助けてくれたの。その人達のことを話したいの。だから、いつものように笑って出迎えて。おかえりなさいって言って。

 サラは外れかけた大きな扉を押し開けて、駆けこむ。しかし、足がもつれ転んでしまう。


「あうっ!」


 サラは足をさすりながらも顔を上げる、そこに自分の知る優しい顔があると信じて。


「パパ……ママ……」


 だが、サラの目の前にあったのは、


「嘘嘘嘘……」


 主を無くした、崩れかけの王座だけであった。


「嘘よぉ!! うわぁぁぁ!!」


 サラは堪え切れずに、大粒の涙を流す。全ては悪い夢だと思っていた。ここにさえ戻ってくれば何もかも元通りになると信じていた。だが、夢から覚め、目にした現実は、あまりにも無慈悲だった。


「サラ」


 後ろから声がする。あの男の声が。

 私を助け、ここまで連れてきた、あのお節介の大男の声が。


「どうして……」


 とんだ笑い話だ。この男さえいなければ、何も知らずにいれただろう。


「どうして私を助けたのよ!」


 何も知らずに、希望を胸に抱いたまま死ねただろう。ハイヅタの森で。グルイの森で。ロヘド林で。秘密の通路で。どこでだって、私一人なら命を落としていた。憎しみをこめ、男を睨みつける。


「殺してよ」


 そして、その男の胸に飛び込んだ。


「私を殺してよ、ジェイル! うわあぁぁぁん!!」


 だが、その男は私の嘆願など無視するように、ただ優しく抱きしめただけだった。

幕間 とある日記

 神はいるか。

 答えは『いる』でも『いない』でもない。

 いらないのだ。

 神は救わない。

 どんなに信仰しても。

 どんなに助けを乞うても。

 どんなに許しを請うても。

 そんなものに、価値があるか。

 いや、ない。

 だから(ここから先は破れている)


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