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第1章 少女と男

 爆発。

 長い長い暗闇。裏切り。

 閃光。

 空虚な希望。

 そして、孤独の魔法はさすらう剣と交わる。


 これは一人の少女の、旅立ちの物語。

 木々が互いを抱き合い外の世界を拒むような森が広がる薄暗い小道。そこを一人の男が歩いている。短く刈り揃えられた髪は木漏れ日を薄く緑色に反射し、堀が深い精悍な顔は無表情でただ前を見つめている。ただ者ではない。男を一目見れば十人中十人はそう思うことだろう。それは、人の目を引く常人を優に超える長身のせいでも、小汚いレザーマントをしていてもわかるほどの屈強な体つきのせいでも、ましてや背中に背負う巨大な剣のせいでもない。

 理由はただ一つ、男が脇にグッタリと項垂れている少女を抱えていたからだ。

 男が歩く度に彼女の短めの黒髪(立った状態なら肩程までだろう)がゆらゆらと揺れる。男が大柄なせいもあり、随分と小柄に見えるその少女はピクリとも動こうとしない。


「まだか……」


 男は足を止めるとため息をつき、愚痴をこぼした。

 思わぬ拾い物のせいで予定よりも随分遅れている。この程度の重さならいくら経とうと物の数ではないが、誰ぞとはち合わせた時に見た目が悪い。2、3発頬をはたいて無理矢理目を覚まさせてやろうか。しかし、目を覚ました時に騒ぎ出されたらそれはそれで面倒だ。

男は空いている右手で頭を掻くと、黙って歩き出した。

 今の状況は男にとって、かなり不本意な事態であるようだ。何故このようなことになったのか。それを知るためには少しだけ時間を遡る必要がある。



 一本しかない道を外れた森の奥の奥。そこに、一人の少女とそれを取り囲む五人の男達がいた。男達は皆、毛皮とボロ布を巧みに着くずしている。無骨で野蛮で不潔。対象的に、少女は細い体を膝丈ほどの清潔感のある真っ白なワンピースで隠し、その上から丁寧に装飾されたケープをきちんと羽織っていた。


「ゲェヘッヘ。いてぇよ、いてぇよ。ほれ見ろよぉ」


 髭と髪を伸ばしたい放題にした薄汚い男が、少女の華奢な手を木に抑えつけながら空いている腕を彼女に見せつける。毛深い腕にはよく見なければわからないほどの小さな切り傷があった。


「どうしよっかなぁ、俺どうしちゃおっかなぁ」

「自業自得よ! この手を離せ!」


 少女は体をくねらせながら、髭の男を睨みつけて大声で叫ぶ。


「状況わかってる? わかってないよねぇ。ナイフで殺そうとしてきた女の手を離すと思う? みんなはどう? どう思う?」


 男がそう言うと、取り巻きが一斉に笑った。少女の必死の叫び声にも微塵の動揺も感じられない。こんな場所には泣こうが喚こうが誰も近寄らないことを知っているのだろう。この粗野な集団の中で、彼女はあまりにも無力であった。それでも彼女は歯を食いしばり、男を睨み付ける。


「殺すなら殺せ!! 私にこれ以上触れるな!!」


 少女は毅然と、しかし声を震わせて言う。


「あの子の親にやったように、この人ご」

「べろべろぉぉん」


 ふいに少女の頬を男の舌が這った。


「ひっ」


 あまりのおぞましさに少女の全身が粟立つ。おまけにひどい悪臭で気を失いそうになった。


「はぁはぁ、たまらねぇ。もういい? やっちゃうよ。すげぇよアンタ、何もかもドンピシャ」

「!!」


 男の無骨な手が彼女の腰をゆっくり撫でる。


「未完成なバディに強気な態度、育ちも良さそうときた。あぁ、はち切れちまう!」

「私の服に触らないで!!」


 少女の叫びも虚しく、男の手が彼女の胸襟にかかる。彼女はあらん限りの抵抗をし、叫ぶが事態は何も好転しない。


「ボスは商品に手を出すなって」


 取り巻きの一人が言う。男は胸の手を離すと、その取り巻きを指さし激昂した。


「うるせぇ! こいつは商品じゃねぇ!! 俺様のペットにするって今決めた!!」

「うーこえー。上玉なのにもったいねぇ。後で貸せよ」

「ゲェハッハッ!! しばらくご無沙汰だったからべちょべちょのくちゃくちゃだぜ!」


 再び取り巻きが笑う。

 少女は平然と交わされる会話に怒りと悔しさがこみあげてくる。

 『商品』『ペット』。

 この連中は人を人だなんて思っていない。そんな奴等に私は……

 これからのことを思い少女は震える。

 怒っているのにそれを全て覆い尽くすような恐怖で頭がおかしくなりそうになる。思わず、目から涙がこぼれた。


「ひゅー、泣き顔も最高だぁ。だけど、下手に暴れて俺が怪我するのもつまんねぇ。今日は大人しくしててくれよ」


 髭の男は拳を固め、少女のみぞおちを突き上げるようにして打ち抜く。余りの激痛に「ぐっ」と唸ると彼女は首をかくんと項垂れさせた。


「これから先は、ちゃーんと調教してやるぜ」


 その言葉は最早少女の耳には届いていなかった。



「ゲヘヘ、それじゃ、お楽しみの御開帳ぅ!!」


 男が再び無遠慮に少女の胸倉に手をかける。その時だった。


「げぁっ!」


 短い悲鳴。髭の男が振り向くと取り巻きの一人が倒れていた。残った者達はざわめき辺りを見回す。髭の男だけは倒れたその一人を注意深く観察していた。


「石?」


 倒れた取り巻きのそばには拳ほどの石が転がっていた。探せばどこかにはあるような丸い石であるが、妙に気になる。


「おい――」

「へげっ!」


 また一人、悲鳴をあげて倒れる。石がごろりと男の足元に転がる。間違いない。投石されている。しかも下手すれば死ぬくらいの強さ。明らかな敵意に髭面が引き攣る。


「ゾルゲゲ! あっちだ!」


 一人の取り巻きが西を指差し叫ぶ。


「どこのクソッタレだ! 出てきやがれ!」


 取り巻きが指した方向に向かって、髭面の男、ゾルゲゲが声を荒げる。


「出てこねぇと」


 ゾルゲゲがぬっと懐からダガーを抜き、少女の首筋にあてがう。すると、男達から20歩ほど先の大木の陰から、薄汚れたレザーマントを羽織った巨躯の男がゆっくり現れた。背中からは、長く太い剣の柄が見えている。


「てめぇ、よくも邪魔してくれちゃったねぇ! おれのビンビン丸どうしてくれんだ! おぉ?」


 マントの男は面倒そうに頭をかく。


「知るかよ」


 男はさらに溜息をつき、ゾルゲゲの方を見た。


「運が無かったと思って諦めろ」


 彼は低い声でそう言うと、ユラリと笑う。いや、口元は笑っているが、その視線には得体のしれない恐ろしさがあった。


「諦めろだぁ? 状況わかってんのか、バーカ」

「状況?」

「こっちは三人、おまけに人質つきぃ! これでどうやって勝つの? 教えてくれよ、なぁ!」


 ゾルゲゲ達が高らかに笑う。だが、男は笑みを崩さない。


「人質? 誰が?」

「あぁん? てめぇこの女を」

「俺はただ、気に入らない奴をぶちのめすためにきただけだ」


 その表情、雰囲気、冗談を言っているようには聞こえない。こっちを殺すためなら、少女の小さな命など、あっさりと見捨ててしまうだろう。男の瞳は悠然とそう語っていた。


「……ふざけた野郎だ」


 こいつ、ただの通りすがりじゃねぇ。

 ゾルゲゲは男を睨み返し、少女を地面へと乱暴に転がす。残りの二人も腰のショートソードを抜き、男を挟むような位置まで素早く移動した。三対一で戦えばどんな相手だろうと負けるはずはない。それに、折角手に入れた極上のおもちゃを手放す気もハナから持ち合わせていなかった。


「そこで黙って俺様のハッスルショーを見とけってんだ。邪魔するからおっ死ぬことになんだぜ」


 マント男は囲まれたことなど気にする様子も無く、背負った剣をゆったりと抜く。その剣は刃渡りが異常に長く、縦にも横にも分厚かった。普通の人間では、まともに振ることすら出来ないだろう。両手で使用することを前提としたツーハンデッドソード。その中でもグレートソードと、そう呼ばれる代物だ。それを男は片手で軽々と扱っている。切っ先を突き付けられたゾルゲゲは一瞬息を飲む。が、すぐに余裕の表情に戻った。


「こけおどしぃ。デカけりゃいいってもんじゃないぜ。三人も相手なら特にな」

「ふざけた奴の割に中々鋭い」

「クソ野郎が……テメェら、同時だぁ!」


 ゾルゲゲが叫び、マントの男に突進する。男は動こうとはしない。ゾルゲゲはあっさりと懐へと潜り込むことができた。

 馬鹿が! もうそのデカ物を振ることも出来ねぇだろ!!


「死ねぇぃ!!」


 身をくねらせ、ダガーを低い姿勢から突き出す。鋭く短い金属音。ダガーは分厚い剣の腹で受けられている。

 器用な真似しやがる。


「だけどぉ!」

 ほぼ同時に彼を挟むように迫った男達がショートソードを振りかぶっていた。

 勝った。

 ゾルゲゲの顔が緩む。


「いち」

「へ?」


 ゾルゲゲは見た。男のマントの裾から、小さな白い玉が一つ落ちたのを。かと思うと、その玉がもの凄い勢いで真っ白な煙を噴出しだしたのだ。



「な、なん……にょうぅぅん!!」


 煙の中で鈍い音と共にゾルゲゲの汚い悲鳴があがる。煙の勢いはなおも止まらず、辺り一帯を包み込む。取り巻き達は一瞬怯んだが、構わずにマント男が居た場所に剣を振り下ろす。しかし、そこには誰もおらず、剣は虚しく煙ばかり切りさいた。

 しばらくして煙が晴れる。その時そこにあったのは、尻を突き出すようにして倒れこんでいるゾルゲゲだけで、マント男と少女の姿は影も形も無くなっていた。


**


 時間は現在に戻る。


「お」


 男が顔を上げる。その視線の先には、立ち上る一筋の煙があった。どうやら、目的の場所に辿りつくことができたようだ。余計な道草で予定より随分と時間がかかってしまった。木々の合間から見える空は橙色に染まっている。

 やっとこさ、このお荷物様から解放されそうだ。

 そう思うと、重かった足取りも少しは軽くなるというものだ。



 森を抜けると、小ぢんまりとした村が見えた。

 アリム村。質素な木造建築物が立ち並ぶ開拓農村。ヤトトとハイヅタの国境に近いため、冒険者、商人の憩所ともなっている。外部の人間を温かく迎え入れてくれる気質と、おふくろの味を思い出すほっとするような郷土料理が特徴的。特にアリム村でとれた野菜とイムイムの鍋物は絶品でおススメ!

 男はぼんやりと情報冊子の文面を思い出しながらアリム村に入る。ちょっとした木にでも登れば全体が見渡せそうな小さな村だ。日も暮れて来ているので人通りも少ない。どことなく寂しげな印象を男は受けた。そう思うと、ちらほらいる人の表情もどことなく暗く見えてくる。

 男は辺りを見渡し、腰かけ用に加工された切り株に座り、うつらうつらとしている白髪の翁に声をかけた。特に誰でも良かったが、一番近く、そして一番暇そうだったからだ。日も暮れるという時にこんな所で寝ていると風邪を引きそうだというお節介心も少しだけあった。


「休憩中に失礼」


 翁は顔をあげ、しょぼくれた目をしばたたかせる。視線は男を見て、荷物を見て、男に戻った。そして、小刻みに震え出す。

 誤解をされている。

 直観的に感じた男は愛想笑いを浮かべた。


「あー、自分は旅の者なんだが」

「帰ってきおったぁぁ!!」


 突然の叫びごえに体が少し震えた。顔を近づけた所に大声で叫ばれたものだから、堪ったものではない。ただ、自警団でも呼ばれたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。白髪の翁はフルフルと震えながら立ち上がり、しわとひびにまみれた細い手を伸ばし、男の抱える少女の頬をなでたのだ。


「……知り合いなのか?」

「おぅ、おぅ。この子はワシの娘も同然じゃ……全く心配を掛けさせおってからに。アンタが助けてくれたのかえ?」

「まぁ、そうなる。家族なら話が早い。この子を引き取ってもらえないか。森の中で気絶していたのを拾ってな。正直手に余ってたんだ」

「森の中。やはり……よう無事でおったわい。アンタには」


 白髪の翁がハッと顔を上げる。


「こ、これは失礼。名は何と?」

「ジェイルだ。ジェイル=ナット。まぁ明日には出ていくから覚えなくていい」

「ジェイル殿、感謝とお礼を申し上げる。冒険者じゃったのう。ならば今日泊まる宿でも探しておるんじゃないか?」

「あぁ、実はそうなんだ。良い所を紹介してくれると助かる」

「ほっほっ、ならワシの家に来んしゃい。礼がしたいんじゃ。家内と孫にも紹介したいしのぅ」


 男、ジェイルはほんの少しの間逡巡する。何やらこの少女はワケ有りのようだ。あまり、家庭の事情というものには立ち入らない方がいいし、立ち入りたくもない。しかし、余分な出費は出来るだけ避けたいというのも事実。家庭事情は気になるが、懐事情はもっと気になる。


「……わかった。渡りに船、恩に着る」

「礼なぞええて。せにゃならんのはこちらだと言うに」


 悩んだ結果、彼は翁の好意に甘えることにした。



 白髪の翁に連れてこられたのは小さな昔ながらの木の家であった。見た目は大分古いが、造りはしっかりしていそうだ。腕のいい大工の仕事に違いない。

 控えめにオリーブと小鳥の彫り物で装飾された玄関を翁が叩くと、ゆっくりと扉が開いた。その隙間からは背が少し曲がった皺皺の嫗が顔を出す。簡素な服にくたびれたエプロン姿がいかにも村のおばあさんといった風情だ。


「誰かと思えば……お爺さんですか。と、その大きな方は」

「ですかとはなんじゃい。それよりもな」


 彼が両手を広げ、笑顔を見せる。


「婆さん! あの子が、サラが帰ってきたぞぃ!」

「えぇ!?」


 嫗は口に両手を当てて、目を潤ませる。彼女が翁の妻のようだ。サラ、というのは少女の名前だろう。


「本当ですか!?」

「本当じゃとも! このジェイル殿が助けてくれたそうじゃ」


 嫗は外に飛び出すと、ジェイルの両手で抱えられたサラを見て、涙を流す。嫗は彼の顔と少女を交互に見た後、零れる涙を隠そうともせずに深々とお辞儀をした。


「本当に……本当にありがとうございます」

「どうかな」

「?」

「とりあえず、中に入ってもいいか? 抱えっぱなしは流石に」

「おぉ、そうじゃそうじゃ! とりあえず奥へ。婆さん、案内してくれ」

「は、はい! どうぞこちらへ」


 嫗に連れられて、ジェイル達は家の中へと入っていった。

 寝室のベッドにサラを寝かせると、彼等は居間へと移動し、質素な木製の机を囲んで座った。嫗が湯呑を二つ置く。彼女の眼は少し赤いが、もう落ちついたようで涙はない。


「お茶をどうぞ」

「ありがとう」


 ジェイルは目の前の湯呑を手に取り、中に入ったお茶を飲む。久しぶりの水分が体の隅々にまで染みわたる。それに口の中に広がった芳醇な葉っぱの香りが気分をすっきりとさせる。思わず彼は「ほぅ」と小さな嘆声を上げた。翁もお茶を飲み、一息つく。そして、背筋を正して頭を下げた。


「重ねて、お礼を申し上げる。ジェイル殿。サラを救っていただき、本当に感謝しております」


 ジェイルは手を軽く振る。


「偶々さ。そんな大仰に頭を下げられても困る」

「この程度当然。迷惑のかけ通しじゃ。しかし、本当に無事でよかった……盗賊共に攫われたかもしれんと、気が気でなかったわい」


 翁は深く溜息をつく。


「盗賊。見た目のまんまだな」

「奴等に会ったんか!」


 しまった、と口を噤む。

 思ったことをつい口に出すのは悪い癖だ。こうだから『貴様は口が軽い』とよく言われるのだろう。

 ジェイルはしかめ面で頭をかく。対する翁は驚きに細い目を丸くしていた。


「よう無事で……よもや倒して!?」

「いや、適当に煙にまいただけだ」


 文字通りに。


「いやはやしかし、それでものぅ。相当腕が立つと見える。もしや名のある方なのかな?」

「本当に大したことはしてないんだ。そう持ち上げないでくれ」

「ジェイル、ジェイル殿。うーん…」


 翁は手を顎に当て考え込む。ジェイルは視線を少し泳がせ、口を開く。


「それよりも、あの子は何故一人であんな森の奥に?」

「あ、あぁ。それもそうじゃ。事情も説明せんと、誠に申し訳ない」

「気にしなくていい」


 ジェイルは口端を少しもちあげる。

 慣れない愛想笑いばかりで口が釣りそうだ。それに結局、聞きたくもない家庭の事情を聴く羽目になってしまった。

 さっさと寝ちまえばよかったとジェイルは内心後悔していた。翁といえば、先ほどから一転して表情に暗い影を落としている。


「それは、多分ワシのせいじゃ」

「アンタの?」

「ワシが、あんな話をしたから……」


 翁は噛みしめるように言葉を続ける。


「もう、わかっておるじゃろう。サラはのぅ、ワシらの実の娘ではない」


 ジェイルは少女のことを思い出す。目の前の翁と彼女では歳が離れすぎている。少女はおそらく16、7というところだろう。更には『娘同然』と翁が言っていたことからも、その辺りのことには大凡見当がついていた。


「あの子は二月ほど前に森で倒れているのをワシと婆さんが助けたんじゃ。……最初は、そりゃ酷い状態じゃった。何にも喋らんかったし、食料にもほとんど手をつけようとせんかった。まるで生きることを諦めてしまったような、そんな雰囲気じゃった」

「そうは見えなかったが」


 そんな状態が長く続けば無理が体に現れる。少女の体は確かに軽かったが、正常範囲の内に収まるだろう。肌にも髪にも若々しさが溢れていた。寝たきりのそれとは違う。

 翁がゆっくりと頷く。


「うむ。今は元気になっとる。それはエイミのお陰なんじゃ」

「エイミ?」

「孫じゃよ」


 孫ということはその子には親がいるはずだが、それらしい人物を家の中でまだ見ていない。ジェイルの様子で察したのか、翁は首を横に振った。


「その……な。エイミには親がおらん。件の盗賊共に殺されてしまったんじゃ」


 翁の言葉にジェイルは腕を組む。

 どこにでも似たような話があるものだ。多くの国々は長く続く戦争によって荒れている。最近は大分膠着状態になっているが、小さな小競り合いなら最近でもあった。それで自滅するように一つの国が滅んだとも聞く。そんな時世に賊を取り締まる余裕が国に無く、ここ数年でそういった連中が爆発的に増えた。

 彼は小さく息を吐いた。


「それは、気の毒だったな……」

「あぁ、いいんじゃよ。このご時世ではありふれた話じゃ。それで、不思議なことに、あの子はいつの間にかエイミとだけは話すようになった。エイミも姉が出来たようだと喜んでおってのう。あの嬉しそうなエイミの……いや、今はこの話は関係ないの。まぁ、エイミと話すようになってから、少しずつあの子は元気を取り戻していったんじゃ。ワシ等とも話してくれるようになっての。特にエイミのことを知りたがっておった」


 翁が嬉しそうに目を細める。だがすぐに寂しげに視線を落とした。


「それで、つい、エイミの親が盗賊に殺されたことまで、話してしまったんじゃ。思えば、あの時からじゃった。サラが食事をしっかり取って、外に出て身体を動かし始めたのは。もう、既に決意してたんじゃろうて。ワシ等の娘夫婦……いや、エイミの親の仇を取ると。今朝、こんな置手紙を残して、村の外に飛び出してしもうた」


 翁は懐から紙を取り出すと、ジェイルの前に置いた。そこには奇麗な字で、『お爺ちゃん、お婆ちゃん、仇は必ず取るからね。エイミによろしく!』と書かれていた。


「なるほど」


 ジェイルは紙から目を離すと大きく頷いた。つまり、あの時少女は襲われていたのではなく、襲っていったところを逆に返り討ちにあってしまったのだろう。納得はしたが、理解はできない。あまりにも無謀だ。こんなことをするのはよっぽどの馬鹿か、よっぽどの阿呆。もしくはとんでもない世間知らずだけだ。


「ワシの不用意な言葉のせいで……申し訳ない」


 そう言うと、翁はもう一度頭を下げた。この優しげなご老人は、きっと少女のことが心配でたまらなかったのだ。それで、村の入り口近くに座って少女の帰りをずっと待っていた。翁の姿を見てジェイルはそう思った。


「ただいま~!」


 扉が開く音と共に、元気な声が玄関から聞こえてくる。それを聞いて、嫗は「おかえりなさい」と優しい声で言うと、ジェイルに一礼し、玄関の方へと歩いていった。


「エイミが帰ってきたみたいじゃ」


 翁がそう言うと、小さな女の子が嫗に連れられ、やってきた。身長は小柄な嫗より更に一回りも二回りも小さく、かなり幼そうであった。肩ほどまでで整えられた栗色の髪と、大きく開かれた目から明るく元気な印象を受ける。女の子はジェイルに気付くと、ビクリと身体を震わせ、嫗の後ろに隠れてしまった。


「このおっきなおじちゃん、だぁれ?」


 嫗のエプロンの端を握りしめ、女の子が言う。


「これ、エイミ。御客人に対して失礼じゃろ」

「いや、大丈夫」


 ジェイルは立ち上がると、女の子の前まで行ってしゃがみこみ、笑顔を見せた。


「初めまして、お嬢さん。俺は、おじいさんや、おばあさんの友達なんだ。友達、わかるかい?」


 女の子は恐る恐る頷く。


「だから、お嬢さんとも友達になりたいんだ。いいかい?」


 女の子は表情を明るくすると、元気よく頷く。


「よし、決まりだ。俺の名前はジェイル=ナット。お嬢さんは?」

「エイミはエイミだよ! 6さいになるの!」

「そうか、エイミちゃんか。いい名前だ。よろしくな」


 そう言って、ジェイルが大きな右手を差し出すと、女の子はその指を二本だけ握り返した。そして、彼が彼女の頭を撫でると、彼女は大輪の向日葵のように笑った。


「ねぇ、おねえちゃんは?」


 エイミは手を離すと、嫗に向かって聞く。


「お姉ちゃんはね、今ベッドで休んでいるの。とても疲れているから起こしちゃだめよ?」


 嫗が優しくそう言うと、エイミはつまらなそうな顔をし、しばらく考え込んだ後、「ちょっとだけおねえちゃん見てくる」と言ってトテトテ走って出て行ってしまった。



「元気な子だ」


 エイミの出て行った先を見つめる。


「えぇ、ワシ等もエイミの明るさには随分助けられとります」


 胸の辺りが、ざわついた。


**


 次の日の朝。

 ジェイルは居間で椅子に座りながら剣の手入れを行っていた。埃を麻布で軽く落として、オリーブオイルを吹きつける。そしてそれを羊毛フェルトで丁寧に拭う。朝は道具の手入れから始めないと落ち着かない。ほとんど体にしみ込んだ癖のようなものだ。

 そんなことをしていると、どかどかと騒々しい物音を立て、誰かが居間へ入ってきた。彼は手を止め、顔を上げる。そこには先日の森で出会った少女、サラがいた。


「お、目を覚ましたか。どうだ? 痛いところは無いか?」

「……少し、お腹が痛いわ」


 目尻がほんの少しつり上がっている大きな目で睨みつけるようにジェイルを見ながら、サラがぶっきらぼうに答える。ジェイルは片眉を上げる。どうにも警戒、というより嫌われているようだ。


「そりゃよかった」


 ジェイルは再び剣に目を落とすと、手入れの続きを始めた。サラはツカツカ歩いてくると、テーブルに勢いよく手を叩きつけた。上にあった他の道具がガチャンと音を立てる。サラの瞳は再び彼を睨みつけていた。近づくと長いまつげがその睨みに迫力を増させている。品よく配置された鼻と口は、現在力が入りすぎているのか少しだけ歪んでいた。


「お爺ちゃんから聞きました。助けてもらったことには感謝しています。でも、あなたヤトトから来た……しかも冒険者なんですってね」


 ヤトトとは大陸最大の国である。アリム村のあるハイヅタとは隣あっており、往来はさほど珍しいものではない。ジェイルもそんな往来者の一人である。


「そうだが」

「私を助けた理由は? 一体目的は何! 私の本はどこなの!」

「本?」

「いいから答えなさい!」

「偶々通りかかったからだ。本は何のことかわからんな」


 ジェイルは剣の手入れを止め、抑揚もなく答える。サラはギリッと歯ぎしりをすると、もう一度テーブルに手を叩きつけた。置かれていた道具はしっちゃかめっちゃかである。ジェイルはサラの顔を不思議そうに覗いた。


「何をそんなにいきりたっている?」

「……出て行って。私は、あなたを信用できない!」


 サラが叫ぶ。するとその声に誘われたのか、もう一人、居間へと現れた者がいた。


「おねえちゃん、何してるの?」


 エイミである。まだ朝も早いので寝間着姿のままで、眠そうに目を擦っていた。


「エイミ……何でもないの。この男と少しお話ししていただけよ」


 サラはまたもジェイルを睨みつける。そんな彼女を尻目にジェイルはエイミに向かって声をかけた。


「エイミちゃん、おはよう。よく眠れたかい?」

「あ、こら!」

「おじちゃん、おはよー! すごいね! そのケン」


 エイミが目を輝かせてジェイルの傍に走り寄る。それを見てサラが二人の間に割って入った。


「エイミ!」

「なぁに?」

「そんな、よく知らない人に近寄っちゃ駄目よ!」

「えー。でもエイミ、おじちゃんとともだちになったもん。だから知らない人じゃないよ」


 エイミがハツラツと答える。それを聞いたサラは呆然と立ちすくんだ。エイミはサラを迂回するとジェイルの太い腕に手をかけ、彼の顔を見上げる。


「うわー、おっきい。エイミが知っているのとゼンゼンちがうねぇ」

「お、エイミちゃん。なかなか目が利くね。この剣はグレートソードって言うんだが、その中でも一品物でな。そこらのとはワケが違う」

「へーよくわかんないけどすごーい! ねぇねぇ、これは?」


 エイミが机に広げられた道具の一つを窮屈そうに指す。ジェイルは剣を立てかけると、エイミを抱き上げ、自分の膝に座らせた。


「これでよく見えるだろ?」

「ありがとう! ねぇそれでこれって何?」

「それはだな」


 ジェイルとエイミは楽しげに話し合っている。その様子を毒気の抜かれたような顔でサラは見つめていた。


「あ、そうだ、水を汲んでこなきゃ!」


 そう言うと、エイミはピョンとジェイルの膝から降りる。


「またね、おじちゃん!」

「あぁ、頑張れよ」

「おねぇちゃん、今日もいっぱいあそぼうね!」

「え、えぇ」


 手を振りながら出ていくエイミを二人が見送る。ジェイルは一息つくと広げた道具を次々に身につけていった。


「まぁ、元々長居をする予定はない。出てけと言われりゃ出ていくが、挨拶ぐらいはさせてくれないか?」


 サラは目を伏せて、握り拳を作り黙っている。ジェイルは立ちあがると、首に小瓶のついたネックレスをかけ、膝上からを隠すようなレザーマントを羽織る。そして、立てかけていたグレートソードを担いだ。


「荷物を取りに行くとするか」

「待って!」


 振り向くとサラがジェイルを真っすぐに見つめていた。その目に先程まで感じていた敵意はない。


「ごめんなさい!」


 サラが腰を曲げ大きく頭を下げる。ジェイルは突然変化した態度に少し戸惑う。どうやら誤解は解けたようだ。何を誤解していたのかはわからないが。


「私、あの……さっきのことは、忘れて。本当はこれだけ伝えたかったの。助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」


 顔をあげたサラからジェイルは目を逸らす。


「まだ、やるつもりなのか?」


 ジェイルは真っすぐに壁を見つめて言う。


「え?」


 今度はサラが戸惑いの表情を見せた。


「盗賊退治だ。まだ続けるつもりなのか」


 ジェイルは低く、呟くように言う。サラは一瞬息を飲むと、「あなたには関係ないじゃない」と吐き捨て、居間から逃げるように出て行ってしまった。


「……やる気だな、ありゃ」


 ジェイルは顔をしかめ、面倒そうに頭をかいた。



「どうやらこの村の連中は相当お困りのようだ」


 5人で食卓を囲んでいるときに、突然大声で誰かが言った。サラ達は突然のことに食事の手が止まる。


「こんな頼りない小娘一人に盗賊退治をさせているくらいだからな」


 そう言いながら、既に食事を終えたジェイルがつまようじで歯をすく。

 翁と嫗は噎せ、サラは目を丸くする。エイミは周りをキョロキョロと見て眉間に皺を作る。何の事だかわからない、といった様子だ。ジェイルはやれやれと首を振った。


「まぁどうなろうと知ったことじゃないが、今のままじゃ良くて死ぬのが落ちだな。せっかく助かったのにもったいないったらありゃしない」

「アンタ、一体何を」


 サラは不快感をあからさまに表し、立ち上がると目を怒らせる。翁の言葉を遮り、ジェイルに向かって叫んだ。


「何も知らないくせに!」

「別に知る必要はない」

「この!」

「力を貸してやってもいい」


 スプーンを投げそうになっていたサラの手が止まる。ジェイルは腕を組み、背もたれにぎしりと体重をかけた。


「え?」

「その勝ち目のない盗賊退治に力を貸してやってもいいと言っている」

「どういうつも」

「ただし、それ相応のものは払ってもらう。最近懐具合が寂しくてなぁ。そこまで困っているなら報酬も相当あるんだろう? そうだな、半々ってところか」


 ニヤリとジェイルが笑う。


「は、そういう」


 サラは落胆をこめた溜息をつく。


「……やっぱり冒険者ってお金のことしか……」


 そこまで言い、彼女の動きが止まった。

 この男、何て言った?


「半々って……私が貰う報酬の半分ってことかしら?」

「そうだ」

「そこまで自信満々なら、腕は立つんでしょうね」

「見かけ倒しってことはない」

「ふーん」


 サラはジェイルの巨躯を眇める。

 あの絶体絶命の状態から助けてくれたのだから、本当に腕は確かなのかもしれない。


「その言葉に嘘はないわね」

「もちろん」


 ジェイルは軽薄な笑みを浮かべたまま頷く。


「サラ! あなた何を言っているの!」


 嫗が叫ぶ。表情は悲痛に歪んでいた。


「ごめんなさい……でも、私は……」


 心配をかけて悪いとは思うが、盗賊達に実際に会って、許せない気持ちはさらに高まっていた。それにもう一つ、個人的な理由も増えている。盗賊退治を諦めるわけにはいかなかった。

 サラはスプーンを握りしめる。


「いいわ! 半分でも全部でも好きなだけ持っていきなさいよ! その代わり、今から私は雇い主よ。いいわね?」

「いいとも、契約成立だな」


 サラは不敵な笑みを浮かべる。翁と嫗は苦々しく顔をしかめた。エイミはキョトンとしたままフォークを握っている。


「ねぇねぇ、おねぇちゃんたち、何のおはなしをしているの?」


 エイミは嫗の袖を引っ張った。



「一体何のつもりじゃ! あの子をこれ以上危険な目に合わせんでくれ!」


 食事後、ジェイルは翁に詰め寄られていた。嫗といえば、気分が悪くなったのか今は自分の部屋で休んでいる。

 翁の興奮は収まらない。せっかく生きて戻ってきたのにどういうつもりなのだ、またあの子を死地へと向かわせる気なのか、とジェイルの胸倉を掴み激しく揺さぶる。しかし、老人の腕力ではジェイルの巨躯は微動だにしない。


「アイツは死ぬまで諦めない」

「そんなことは……」

「ないのか?」


 ジェイルは掴まれたまま静かに言う。すると、翁の手からふっと力が抜けた。やはり薄々は勘付いていたようだ。だからこそ、食事中は黙っていてくれたのだろう。ジェイルは翁の腕をそっと払いのける。


「さっき言ったことは本当のことだ。今度は死ぬぞ。それか、死んだ方がマシだと思うような目にあうだけだ。誰も助けてなんてくれない」

「なら、やるなら、一人で」

「それだと、納得しない」

「……」


 翁は俯き、身体を震わせた。


「わかっとる。アンタが正しい。あの子はそういう子じゃ。目を見とるとようわかる」


 顔を上げた翁の目は少し涙でにじんでいた。


「一つだけ約束してくれんか? 必ず、二人で無事に戻ってくると」

「あぁ。死ぬ気はないし、あの子も死なせない」


 翁は小さく息を吐き、力の無い笑顔を見せた。


「それを聞いて安心したわい……しかし、ジェイル殿は演技の方は上手くないとみえる」

「やっぱりそうか」


 ジェイルは軽く笑う。いつどこでバレれてもおかしくない三文芝居だったと思い返す。相手が出会ったばかりで、しかも子供だから騙せたようなものだ。しかし、こうでもしないとまた勝手に飛び出していきかねなかったのだから仕方がない。


「あの子を、サラを、お願いしますぞ」


 翁を神妙な顔つきで頭を下げる。


「なに、駄目だったら力づくで引っ張り戻すさ。腕力と逃げ足にはちょいとばかり自信があるんでね」


 ジェイルは自分の太腿を軽くはたく。そして、翁に軽く笑いかけると部屋を出て行った。


**


 まだ日も少し曇る早朝。朝靄がうっすらとかかる中、ジェイル達はサラが盗賊達ともめていた所に来ていた。


「ここで本当にいいんだな」

「えぇ、情報の真偽は身をもって体感済みよ」


 サラは頷きながら言った。



 二人が手を組んでから三日が過ぎていた。その間は主に情報収集をしていたのだ。盗賊はあの時だけでも五人いた。対してこちらは二人。あの時は奇襲があったから煙にまけたが、今度もそうとは限らない。多人数相手に正面からやりあうのは無謀でしかない、とジェイルは言った。

 アリム村では盗賊の被害にあった人も多く、有益な情報は簡単に手に入った。例えば盗賊の規模は多くて十人ほどということ、常に五人程度の集団で略奪行為をしていること、森のどこかにアジトがあることなど。残念ながら、アジトの詳しい位置までは掴めなかったが、話を統合するといつも似たような場所に同じ方角から現れることがわかった。その方角を辿ると、ここに行きつく。そこで、先に現れた盗賊団に待ち伏せをかけて縛り上げ、アジトの場所を吐かせることにしたのだ。


「戦いの基本はわかっているかい、隊長殿?」

「わかってるわよ」


 ジェイルの言葉にサラは俯く。この三日間、情報収集だけではなく、彼女は彼に少しだけ戦いの訓練を施されていた。そんな訓練の最中、彼女は何度も同じことを言われていた。


「危険なら逃げろ、でしょ」

「上等だ。それを忘れるな」


 ジェイルは言った。死なないためには二つのことを心掛ければいいと。相手から逃げること。もしくは相手を無力化すること。無力化するというのは、つまり。無理なら逃げることだけ考えろとは言われたけど、これは私が望んだ戦いなのだ。私だって。

 手に持った古ぼけた本をサラは体で包むように抱きしめた。



 ジェイルを雇った夜のことだ。眠りにつこうとしたサラの前に翁と嫗の二人がやってきた。


「渡したいものがあっての」


 翁がそう言うと嫗が前に出る。


「これを持って行きなさい」


 嫗はサラに古ぼけた本を渡した。表紙にはシンプルな五ぼう星が書かれている。それは、魔導書と呼ばれるものであった。

 魔導書は魔法を使うものにとって大事な代物である。中には様々な魔法陣がそれぞれのページに描かれている。ざっくりと言ってしまえば、この魔法陣へと魔力を流しながら呪文を唱えることで、魔法は本来の力を発揮するのだ。また、同じ魔的力を解放できるものとして、魔導具と呼ばれるものが存在するが、それはまた別の話である。


「ど、どうしたのコレ!?」

「今の貴女には必要だと思って……自分の物は失くしちゃったのでしょう?」


 その言葉にサラは目を見開く。その通りであった。サラは盗賊と戦った際に、命の次に大切にしていた魔導書を奪われてしまっていた。彼女が盗賊退治を諦められなくなった理由の一つだ。


「ありがとう……大事にする!」


 魔導書を胸に抱きしめると、サラは潤んだ瞳で二人を見つめた。



 お婆ちゃん、とサラは小さく呟く。この本を抱いていると、心が落ち着いてくる気がした。


「ゲェハッハァ! 今日も元気にお仕事といくかぁ!」


 遠くから、聞き覚えのある声がする。サラは身体を震わせた。

 あの汚い声、忘れもしない。

 見開かれた目といやらしく笑う口、鼻の曲がりそうな臭い、頬をはったおぞましい感触。脳裏にそれらがよみがえる。唇と喉は一気に乾き、息をするのも辛くなった。


「こっちだ」


 ジェイルに小声で言われると、サラは手を引かれ木陰へと引き込まれた。ジェイルはそこから少しだけ顔を出し、様子を窺っている。サラもそれに倣うと、やはりというべきか。見覚えのある汚い顔の男が、数人を引き連れ、傲然と歩いているのが見えた。


「ゾルゲゲよぉ、もう体は大丈夫か?」

「ぷっ」

「笑うんじゃねぇ。殺すぞ。あの野郎、今度会ったらズタズタにしてちん○引き千切ってやる……」


 あの野郎とはジェイルのことだろうか。私が気絶している間に何があったのか。


「ど、どうする? 先制攻撃?」


 サラが小声でジェイルに話しかける。緊張からか、声が上ずってしまった。


「落ち着け。作戦通りに行く。手順はわかっているな?」

「う、うん」


 ジェイルはマントの下から、ひも状のものを取り出す。少し幅のある丈夫そうな布の両端に捻じられた紐がついており、紐の片方の先は輪っかになっている。ジェイルは、大き目の石を布の部分に乗せると輪っかの部分に指を通した。これは、スリングと呼ばれる携帯式の投石機だ。サラは使い方を教えてもらいながらやってみたが、これがなかなか難しく、残念ながら今日までにものにすることは出来なかった。ジェイルは風切り音を鳴らし、グルグルと身体の側面でスリングを振り回す。

 そのまま片方の紐を離すと、石が勢いよく飛び出す。飛び出した石は、吸い込まれるように男達の一人の頭に直撃した。その一人は「ぐぁっ」と短い悲鳴を上げ、その場に倒れこむ。頭蓋骨と石のぶつかりあう鈍い音があまりにも痛そうだったので、サラは思わず顔をしかめた。


「ぞ、ゾルゲゲ! 見ろよ!」

「糞、またか!」


 倒れた男の傍に転がった石を確認すると、ゾルゲゲは周りの男達に指示を出し、周囲を見はるかのような、円形の隊形をとった。


「流石にそう何度も通用しないか……楽はできんな」


 ジェイルは飴玉程度の白色のボールを取り出す。それには導火線がついていた。


「それは?」

「煙玉」


 ジェイルは腰につけた袋に指を入れる。引き抜かれた指には黒い粉がついていた。粉がついた指を煙玉の導火線に近づけ、激しく擦り合わせる。すると一瞬だけ火花が飛び散り、導火線に火がいた。


「発火砂だ」


 不思議そうな顔をしていたサラにむかってだろう、ジェイルが呟く。発火砂とは強い摩擦を与えると火花を散らす性質を持つ砂のことである。


「これ、結構高いんだがなぁ」


 ジェイルは小さくそう愚痴をこぼすと、ゾルゲゲ達に向かって煙玉をなげた。何かがとんできたことを、盗賊の一人が気付いたようが、その時にはもう遅い。煙玉は大量の煙を撒き散らし、あっという間にゾルゲゲ達を包み込んでしまった。サラは小さく嘆声をあげる。まるで魔法のようだった。


「な、なんだぁこりゃ!」

「あっちからだ!」

「どっちだよ! 見えねぇっての!」

「ただの煙だ! おい、陣形を乱すな!」


 煙の中から混乱している声が聞こえてくる。


「サラ!」

「わかってる!」


 感心ばかりもしていられない。サラは前に出ると、魔導書を開き左手で持った。そして、右手を前方に突きだす。

 目を閉じ、意識を集中する。乾いた唇をなめる。落ち着け、落ち着け、落ち着け……心の中で何度も反芻する。魔力が本へと流れていくのがわかる。一枚の木の葉が彼女の前にヒラリと舞った。


「炎の具現者、サラマンドラよ。その猛き力を我に示せ」


 目を見開き、高らかに叫ぶ。


「『ファイアーボルト』!」


 パリッと音を立て木の葉が砕ける。そして、彼女の右手がぼやけたかと思うと掌から炎の矢が一直線に飛び出し、白煙の中に吸い込まれていった。



「んぎゃぁぁ!!あっちぃぃ!!」


 突如、近くから上がった悲鳴。ゾルゲゲは声のした方へと反射的に振りかえるが、黒い影がうっすらと見えるだけだ。


「おい! 何があった!」

「ちくしょう、手が焼かれた! 何だよ、あちぃよ、ちくしょう!」

「焼かれただと? 石じゃないねぇのか!?」


 ゾルゲゲは声を張り上げるが、まともな返事が返ってこない。当事者も何が起きているのかよくわかっていない様子だった。怯えと混乱が混じった怒声が聞こえてくる。


「このままじゃ狙い撃ちだ!」

「と、とりあえず逃げよう!」


 ガサガサと動き回る音が聞こえてくる。これでは隊形も何もあったものではない。


「落ち着け、大したこたねぇだろ! おい、逃げんじゃねぇ! もうすぐ煙も晴れる!」

「うっせぇ! もう俺は御免だぜ!」


 一人が走り出す音が聞こえた。それを期に複数の足音が聞こえてくる。全員が散り散りになってしまったようだ。チッと舌打ちをし、根性無し共め、と呟く。身を低くして辺りを警戒する。こういう時には取り乱した方が危険なことを彼は知っていた。


「ぎゃ!」


 しばらくして、一人の悲鳴があがる。


「ぐぉ!」


 もう一人。


「げぁ!」


 そして最後。


「くそったれが」


 煙が晴れる。ゾルゲゲは倒れている自分の仲間達と、巨大な剣を肩に担ぎ、こちらを無表情に見つめる大男を目に捉えた。



 ジェイルが煙の中へと入ってから瞬く間に悲鳴が3つ。煙が晴れた時に見たものは、肩で剣を担ぐジェイルとその傍らで倒れ伏している盗賊達、そしてジェイルを睨むあの憎き髭面の男であった。


「す」


 すごい。サラは目の前の光景に呆然とする。

 あの欠伸をするだけで終わりそうな一瞬で。

 少しだけ頭がクラクラしてくる。倒れた盗賊達からは血が大量に流れ出ている。ピクリともしない。


「あ……う」


 怒号だ。

 怒号が聞こえる。

 それに、悲鳴。嗚咽。

 違う。違う! 私達はあいつ等とは違う!

 罪もない人を苦しめ、理不尽な死を与えるような、そんな真似じゃない!

 アイツ等は殺した! エイミの父を! 母を!

 罰せられて当然だ。死んで、当然の、はずだ。

 だから、そんな、どうして。

 どうして、人を簡単に殺せてしまうの?

 サラは目の前の男が恐ろしいと、初めて感じた。



「誰かと思えば俺の愛しいカワイコちゃんじゃないの」


 ゾルゲゲはへらへらと笑う。


「俺が忘れられなくて、戻ってきてくれたんだねぇ。あの時の続きをしてあげるから、ちょっと待っててねぇ」


 サラは身を守るように一歩後ずさる。だが、ゾルゲゲは毛ほども気にする様子はない。


「それと……やっぱり、テメェか」


 ゾルゲゲが忌々しげに言う。そして周囲を見て、フンと鼻息を漏らした。


「ナニモンだ。戦い慣れてやがる」

「今は雇われ冒険者だ」


 ジェイルは表情を変えずに答える。ゾルゲゲは「ケッ」と唾を吐き捨てると、足を前後に開き腰を落とした。ダガーはジェイルから見えないように身体を半身にして隠している。


「まぁ、んなこたどうでもいい……テメェのせいでな、ビンビン丸が死んだ。大事な大事なビンビン丸がだ。この怒り、晴らさでおくべきかぁぁっ!!」


 ゾルゲゲは言葉を吐き捨てると同時に大地を蹴り、一気に間合いを詰める。手を伸ばせば届く距離。前回同様ジェイルは動かない。ゾルゲゲは体を捻り、相手の顔に向かってダガーを突き出す。それの軌道を塞ぐようにジェイルはグレートソードを構えなおした。ゾルゲゲの口端が歪む。

 かかった!

 ゾルゲゲは膝と腰の力を抜き、体勢を沈める。それによりダガーの切っ先が急激に沈む。蛇咬。力の流れを変え、まるで蛇のように軌道を変える剣技。この技でゾルゲゲは厳しい盗賊家業を、それこそ蛇のように生き延びてきた。

 腕に覚えのありそうな奴だってこれで何人も食らってやった。一度かかれば避けられない絶対の自信がある。ゾルゲゲの頭に勝利の二文字が浮かぶ。ひゅお、と突き出されたダガーがジェイルを貫いた。


「いやぁぁ!!」


 サラの悲鳴。しかし、ゾルゲゲの表情に喜びの色は無かった。


「馬鹿な……」


 ゾルゲゲはジェイルの不敵な笑みを見返す。


「惜しかったな」


 貫いたのは翻されたレザーマント。


 あの一瞬で体を捻ってかわされたのか。超反応? それとも誘いこまれた? かかったのは、俺? なぜ、なぜ。繰り返されていた思考は解を得ることのないまま、目の前に迫った巨大な拳によって中断された。



「やめるか?」


 ジェイルは顔色を蒼白にした少女に尋ねる。少女は魔導書を抱きしめ、俯いたまま答えようとはしない。


「ここでやめても構わないぞ」


 少女はビクリと肩を震わせると、厳しい目でこちらを睨みつける。だが、その瞳には明らかな困惑が浮かんでいた。


「やるわよ」


 その言葉は自分自身に言い聞かせるようだった。


「やらなきゃ、終わらない。こんなこと、終わらせないと」


 そう言って、自分の位置を一歩一歩確かめるように彼女は歩き出す。ジェイルは肩を竦めると、ロープで縛りつけた男を軽く蹴りつけた。



 深い森の中に一軒の木造家屋がポツンとある。道もなにも通っていない立てる場所を間違えたとしか思えないような、その家屋の外見はボロボロだ。いつか朽ちていくだけの運命だろう。しかし、そんなボロ屋の壁はところどころ真新しい木の板でツギハギのように修繕され、歪に維持されている。今でも誰かが住んでいることは明白である。ここは盗賊達のアジトであった。

 アジトの中では肩から狼の毛皮を羽織った大男と、ロングソードを腰に挿した軽装の男が古ぼけた椅子に座っていた。大男の体格は軽装の男の二倍近くはあり、二人はまるで大人と子供のようだ。大男は明らかな苛立ちを顔に出している。


「どうなってやがるんだ、あの馬鹿共は! もう大分経つってのに、誰一人として戻ってきやがらねぇ!」


 大男は、傍にあった机に拳を叩きつけると、大声で怒鳴った。叩かれた部分は無残に亀裂が入っている。


「ガイゼル親分、落ち着いてくだせぇ。まともな机も、もうそれだけなんですぜ」


 軽装の男がのんびりとした口調で大男、ガイゼルをなだめる。


「きっと女のケツでもおいかけてんでしょ。きっと今に戻ってきまさぁ」

「だといいがな」


 渋い表情のガイゼルを尻目に男が軽く欠伸をする。ギシリと椅子が嫌な音を上げた。その時、ドンドンドン、と扉を激しく叩く音が外から聞こえてくる。


「おい、俺だ! 開けてくれ!」


 聞き覚えのある声だ。


「ほらね?」


 男はガイゼルに勝ち誇った視線を送ると、玄関へと向かった。

 玄関の扉を開けると、そこには片頬を大きく腫らしたゾルゲゲが手を後ろに回し、一人で立っていた。ただ事ではない様子を感じ男は慌てて飛び出す。


「い、一体どうしたってんだ!?」

「へ、へへ、約束は守ってくれよなぁ?」

「何を、ぐぁ!!」


 いきなり強い衝撃を頭に受ける。男の視界は二重三重に重なり、たまらずその場に倒れた。だんだんと視野が狭くなっていく。意識を失う直前に目にしたものは、大きく丈夫そうな革ばりの靴であった。



 一人の男がガイゼルの前に現れる。それは、先程部屋から出て行った軽装の男ではなく、レザーマントの上に大きな剣を背負った緑髪の大男であった。ガイゼルは腕を組んだまま眉を少しだけ動かすと、小さいが鋭い眼差しを訪問者に向ける。


「貴様、何者だ」


 ガイゼルは机の横に立てかけてあった片刃の大斧を手に取り、ゆらりと立ち上がる。その体は訪問者であるジェイルよりも大きく見えた。

 ジェイルは無言で剣を構える。いや、構えたというより、ただ抜いただけかもしれない。だが、それでも言い知れない重圧をガイゼルは覚える。ピリピリと相手の強さを肌で感じ取っていた。


「俺の部下達をどうした?」


 ガイゼルも斧を構える。


「殺した」


 ジェイルが短く答える。ガイゼルは視線を天井に向けると、大きく息をついた。

 女を一人逃がしたと聞いてからイヤな予感はしていた。いや、それよりももっとずっと前から。いつかはこうなる気はしていたのだ。だが、しかし。


「……部下の仇は取らせてもらうぞ!」


 ガイゼルは斧を右手に持ち変えると、ジェイルに向かって真っすぐに走りだした。



「うおらぁ!」


 ガイゼルが片手で大斧を振り下ろしてくる。

 鋭い!

 剣で受け止めることは不可能と判断したジェイルは半身になってそれを紙一重で避ける。相手を失った斧は床を粉砕し、木片を辺りに撒き散らす。すさまじい腕力と恵まれた体格がなければ成せぬ技。斧の重量ものったこの一撃は下手に受け止めれば剣ごと押し切られるだろう。しかし、一旦放ってしまえば返しは遅い。ジェイルは半歩踏み込む。


「じぇい!!」

「ぐっ!」


 しかし、同時に踏み込みこんだガイゼルの重厚なショルダータックルをジェイルはもろに受けてしまう。まるで巨岩にぶつかったような衝撃に彼は思わずたたらを踏んだ。

 まずったな。ジェイルは顔をしかめ、ひゅっと息を吸う。革鎧の上からでもダメージは小さくない。


「どうりゃぁ!」


 ガイゼルは斧を床から引き抜くと、今度は両手で真横に振りぬく。

 このタイミング、こちらの剣の方が早いが勢いであちらの斧も届く。一息入れたおかげで避けるのも難しい。

 間に合うが、間に合わない。

 ならば。



 激しい金属音が家屋の方から鳴り響く。


「あいつ……!」

「ゲッへっへ……ボスに敵うわけねえ」


 サラはキッとゾルゲゲを睨みつける。


「その強気な態度も後ちょっとで恐怖に歪むと思うと、あぁ、お、俺のビンビン丸が」


 それに気づいた時、サラは顔を紅潮させ、さらに怒りを感じる。衝動的に近くに落ちてた薪を拾うと、その元凶に向かって力いっぱい投げつけていた。


「ふっかひゅひゅーーーん!!!」


 灰と化したゾルゲゲには目もくれず、サラは胸に手を当て家屋を見つめる。

 ついてくるなと言われたけど、一体中で何が起きているのか。やられてしまったのか。こんな男達の見張りをしている場合なのか。

 行きたい。行きたくない。逃げ出したい。様々な考えが巡り、サラの心は掻き乱れた。



 ガイゼルは驚愕の表情を浮かべた。絶好のタイミングで放った渾身の一撃は、確かにジェイルを捉えた。しかし、圧倒的破壊力をもったその刃は骨も肉も皮さえも切り裂くことは敵わない。

 あの一瞬。目の前の男は全身を使って下から斬りあげた。自分に迫る斧に向かって。

 そして、結果弾かれたのは俺の斧だった。並みの剣ならば競うまでもなくへし折ってそのまま致命打を与えられる自信がある。しかし、あまつさえひびを入れられたのはこちらだった。

 いや、それよりも驚くべきは。こちらを冷たく見つめる男を見返す。この体格差を覆すには強烈な一撃を正確無比に加える必要がある。それをあの不利な態勢から、一瞬の間で。腕力は言わずもがな、とっさの判断力、完遂する技術、それを顔色一つ変えずに実行する度胸。どれも人並み外れている。


「かひゅっ!」


 ガイゼルは耐えがたい苦痛に顔を歪める。気付く間もなく股間を蹴り上げられていた。

 激痛にうずくまり、顔を下げる。目の前に巨大な影。脳に響く鈍い音とともに首から上が跳ね上がる。口と鼻から血しぶきが飛ぶ。

 膝か!

 歪んだ天井がぐらぐらと揺れる。平衡感覚を保てなくなり、思わず片膝をついた。


「ぐっふぅ……」


 負けた。

 朦朧とした確信。ガイゼルの脳裏に昔の記憶が蘇る。それはまるで焚き火から立ち上る火の粉のように一瞬でいて、鮮やかであった。



 それなりに名が売れてきた傭兵集団の副隊長。数年前の自分の肩書である。いつ死ぬともわからない家業ではあるが、気のあう仲間と過ごす日々は充実したものであった。

 しかし、一年前のことだ。皆で囲んだ食事に毒が混入され、仲間の全てを失った。あの苦しみは忘れることができない。自分が助かったのはただの幸運だ。犯人は自分達の雇い主であった。何故かはわからない。大方賃金を払うのが惜しくなったのだろう。その後どうやって逃げ出したかはよく覚えていない。

 命からがら逃げ延びた先にあったのが、森に放置されていたこの廃屋だ。そこを根城に旅人から食料などの物資を恐喝し何とか生活をしていると、そんな噂を聞きつけたのか、自分の元に世間からのつまはじき者達が集まった。こうして盗賊集団ができあがった。男達は自分を尊敬し、そして恐れていた。どうしようもない奴等ではあったが、自分にとっては再び仲間と呼べる者達であった。

 集団はじょじょに力を持ち、いつかは自分のコントロールを離れた。その内に肥大した暴力の快感に自分自身も溺れた。奪われたのだから奪ってもいいと自分に言い聞かせながら。しかし、奪うものだからと言って奪われないわけではない。

 心の片隅ではわかっていた。どこかで止めねばならぬ、と。それをしなかった結果がこれなのだろう。



 霞んだ視界で、男が剣を自分に向かって振り下ろしている様子をとらえる。名も知らぬ男に殺される。自分にはふさわしい末路だ。ガイゼルは微かに微笑んだ。


**


 ジェイルが扉から出てくると、サラは一瞬表情を明るくしたが、頭を振り、不機嫌な表情をつくって、彼に駆け寄った。


「もう、遅い! それで、その、終わったの?」

「あぁ、全て片付いた」


 ジェイルはそっけなく言い放つ。

 サラは緊張が解け、その場にへたり込んだ。

 ……本当に勝ってしまった。

 全てこの目の前の男がやったようなものだ。自分がしたことと言えば、情報収集と、ほんの少し魔法で手伝っただけ。確実に当てるために練習はしたけど。サラはジェイルを見上げる。


「気でも抜けたか。一人で立てるか?」


 そう言って手を差し出す彼に疲れた様子は見られない。

 盗賊団を一人で相手にして、こうも涼しい顔をしていられるものなの? 一体この男は何者? 本当にただの冒険者なの?

 様々な疑問、そして、盗賊達の死に様、血だまりに佇むジェイルの姿がサラの脳裏によぎる。


「す、少し疲れただけよ! 一人で立てる!」


 思わず、手を振り払っていた。慌てて立ち上がり、お尻についた木の葉をはたく。


「そりゃ失礼」


 気にする様子もなく、ジェイルは手を引っ込める。そして、サラの後ろで気絶している男達を指差した。情報元として殺すことなく彼が捕えた者達だ。その中にはゾルゲゲの姿もあった。


「それで、あいつ等はどうする?」

「ひっ……アジトを教えれば助けてくれるんじゃないかよぉ!」


 ゾルゲゲが情けない悲鳴をあげた。


「……後は村の人達にまかせましょう」

「そんなぁ! 後生だ、逃がしてくれぇ! もう悪さしねぇからさぁ!」

「その言い訳は村の人達にしなさい!」

「ひでぇよぉ、ビンビン丸が死んだ上にこの仕打ちはひでぇよぉ……」


 サラは泣き喚く盗賊達を一瞥する。こいつ等を許せない気持ちはまだある。それこそ、死んでしまえ、殺してやる、とさえ思っていた。でも、そんな思いはただの張りぼてだったことに、現実の死に直面して気づいてしまった。今はもう自分のせいで人が死ぬのを見たくない。ただその思いから出した答えだった。

 特に反論するでもなく、ジェイルは頷く。

 自分で決着をつけろ卑怯者め、と罵ってほしかった。


「それじゃ後片付けだな」


 ジェイルはレザーマントの下から大きなシャベルを取り出し、サラに渡した。ずしりと重く、彼女の力では扱いに苦労しそうだ。


「す、スコップ? こんなもの何に使うのよ?」


 サラは困惑に眉を潜める。


「このボロ屋の中にあったもんでな。用途は穴掘り」

「穴掘りぃ?」


 全く訳がわからない。サラの頭の上には疑問符が三つほど浮かんでいた。



 ジェイルとサラは森の家屋の前に深い穴を幾つか掘った。その中にジェイルが死んだ盗賊達を丁寧に寝かせ、上からサラが土を被せる。


「なんでこんなことを……と思ったか?」


 出来あがった墓に手を合わせながら、ジェイルが言った。


「まぁ、ね」


 サラはジェイルの隣に座る。墓づくりという慣れないことをして、肉体的に疲れたが、心の方がもっと疲れていた。気を抜けば糸が切れたように倒れてしまうだろう。


「自己満足。手伝わせて悪いな」

「なによ、それ」

「相手を殺すってのは、多かれ少なかれこっちの勝手な都合だ。だから、せめて死んだ後は、丁寧に弔ってやるのさ。そこに敵も味方も関係ない。殺された相手からすりゃ、どうでもいいことだが」

「……そんなこと」


 ジェイルの言葉にサラは自分のことを責められているようで胸が締め付けられた。


「私も祈る」


 墓の前に跪く。そして、胸の前で両手を握りしめ、静かに目を閉じた。

 正しいと思って、盗賊達を殺した。自分が直接手を下したわけではないけど、同じことだ。彼等は罰せられるべき。それはわかる。でも、これが正しい結果なの? 相手のこともわかろうとせず、ただ一方的に力でねじ伏せた。そこに盗賊と私達に違いはある? もっと別の道を考えないといけなかったんじゃないか。こっちの勝手な都合。ジェイルの言う通りだ。

 手を合わせていると、心が握り潰されるような感覚に襲われる。お墓の下から怨嗟の声が聞こえてくる気さえしてくる。嫌な感情が地面から這い上がってくる。自己満足なんて出来そうにない。ただただ迷うばかりだ。


「……わからないよ」


 目をゆっくりと開け、サラは言った。何が正しいのかわからない。自分がしたかったこともわからない。この男のことも、わからない。わからないことだらけでサラは少し泣きそうになる。


「それでいい。迷っている間はまともってことだ」


 まとも?

 顔をしかめるサラの背中を、ジェイルの大きな手が軽く叩いた。



 アリム村に戻ると、入口にいた一人の青年が驚いた顔をして「おおーい、戻ってきたぞー!!」と大声で叫んだ。すると、がやがやと人が集まってきて、あっと言う間に二人の周りは黒山の人だかりとなってしまった。この小さな村にこんなにも人がいたのかと、ジェイルは少し驚く。


「嬢ちゃん達、もう帰ってこないと思ってたぜ!」

「よー聞いたよ! どうだ? 盗賊団は退治できたかい?」

「うわーデケーかっくいい! ねー触っていい?」

「アンタ、いい男だね。どうだい? 今夜一杯?」


 二人は老若男女、ありとあらゆる人間に質問攻めにされる。こんなことになってしまったのには理由がある。サラがあちらこちらと盗賊のことを聞いて回ったおかげで、小さな村中に盗賊退治の噂が広まってしまったのだ。

 これら全員を相手にしなければ、先に進めそうもない。どうしようかと戸惑っていると、そんな人垣を掻きわけ、白髪の翁が現れた。


「サラ! よう無事で戻ってきた!」


 翁は笑顔で両手を広げる。それを見たサラは泣きそうな顔をすると、翁に駆け寄った。


「お爺ちゃん!」


 翁とサラが抱き合う。その様子を見て、ジェイルは一度、大きく手の平を打ち合わせる。その音に驚いたのか、村人達は少し鎮まった。ジェイルは縄で縛りあげた男達を村人に見せる。


「この通り、盗賊団は壊滅した! 安心してくれ!」


 村人達から歓声が上がる。


「ただ、今日は疲れているんだ。勘弁してくれないか?」


 ジェイルは力無く笑う。すると、不満げな表情をしつつも村人達はパラパラと散っていった。残ったのはジェイルとサラと翁、そして小さな男の子だ。


「ねーったら! ケン触ってもいい!?」


 男の子がジェイルのマントを掴み、せがむ。ジェイルは屈むと、大きな手の平で男の子の頭をワシワシとかき回した。


「もうちょい、でかくなったらな」



 翁の家に帰ると、嫗とエイミが笑顔で出迎えてくれた。


「おねえちゃん、おじちゃん、はい!」


 エイミが手に持った御盆をサラに渡す。御盆の上には筍の皮で包まれた不格好なおにぎりが二つ乗っていた。


「これは?」

「エイミが作ったんだよ! おねえちゃん達、いいことしたんだよね! だからごほうび!」


 エイミはそう言うと、「えへへ」と満面の笑みを浮かべた。『いいこと』。エイミの言葉がサラの胸に突き刺さる。私達がやったことはこの笑顔を向けられるような『いいこと』だったのだろうか。


「エイミ……」


 サラが言葉に詰まり何も言えないでいると、後ろから無骨で大きな手が伸び、おにぎりを一つ持っていった。


「こりゃうまい。エイミちゃん、いいお嫁さんになるな」


 口をもごつかせながらジェイルが言う。


「どれ、もう一つ」


 ジェイルが再び、御盆に手を伸ばす。それに気付いたサラは、慌てて身体を捻り、その手を避けた。


「こ、これは私の!」

「雇い賃は村人からの報酬の半分……いや、違うよな」

「あ」

「好きなだけもってけって言っていただろう? さぁよこせ!」

「わー駄目駄目! その契約は無効!」


 再びジェイルの手が伸びる。サラはジェイルの手がつく前におにぎりを口の中に放り込む。しばらくして、喉にでも詰まったのか、胸の辺りを拳で叩きだした。


「はっはっは。契約違反のバチだな」


 ジェイルが大声で笑う。やっとのことで、おにぎりを飲み込んだサラは「笑いごとじゃないわよぅ……」と涙を浮かべながら呟いた。それを聞いて、その場にいた全員が笑った。サラも釣られて笑う。自分がしたことがいいことなのかどうかはわからない。ただ、今はこうして笑いあえることに感謝しよう。彼女はそう思うことにした。


**


 その日の夜、サラは翁と嫗の二人と向かいあって座っていた。ジェイルは既に眠りについている。表には出していなかったが、かなりの疲れがあったのかもしれない。ジェイルもやはり同じ人間だ、とサラは少しだけ安心した。彼女もかなり疲れているが、色々なことがあったせいで気持ちが落ち着くまで眠れそうになかった。


「ジェイル殿には感謝してもしきれんわい」


 翁が腕を組んで言う。嫗も深く頷いた。


「何言ってるの、ただ単にお金が欲しかっただけでしょ?」


 サラはそっぽを向き、頬杖をつく。


「ま、支払うものなんてないけどね。村からの報酬なんて、無いし」


 そう言いながらも、心の中は後ろめたさで満ちていた。彼は多額の報酬を貰えるだけのことはやってのけた。それなのに、自分のせいでタダ働きだ。

 そもそも本当にお金が目的だったのだろうか。この数日で彼の口から報酬の話が出たことなど一度もない。それに盗賊達に対する無慈悲とも慈悲深いとも言える態度。本心がわからない。得体が知れない。少なくとも自分がイメージしている、金銭目的の底の浅い冒険者像とはかけ離れていた。


「あの人はね、知っていたよ」


 嫗が優しくサラに言う。


「え……?」


 サラは顔を上げる。

 知っていた? 一体何を。

 彼女は眉を潜める。嫗は小さく頷き、柔和に微笑んだ。


「サラがエイミのために盗賊を退治しようとしていたことも、報酬なんて無いことも、全部知っていたよ」


 嫗の言葉にサラの心臓は跳ね上がり、思わず息を飲んだ。


「じゃ、じゃあ何で?」


 翁が机の上で手を合わせる。


「本心はわからん。ただ、ジェイル殿は言っておったよ。『死ぬ気も死なせる気もない』とな。若いお前を年寄りのワシ等では止められん。きっと代わりに無茶をするサラを守ってくれたのじゃよ」

「私を守るために?」


 サラは驚きに目を見開く。

 ただ、通りすがりで知り合った人間のために? そのためにわざと憎まれ口まで叩いて。それが本当なら、お人好しが過ぎる。

 馬鹿だ。

 私は恥知らずの大馬鹿だ。


「だから、の?」


 翁が笑顔を浮かべる。


「わ、わかったわよ、明日謝って……ちゃんとお礼も言う! これでいいでしょ!」


 サラが観念したようにそう言うと、二人は満足そうに頷いた。しばらくサラは頬を膨らましてむくれていたが、何かを思い出したのか、「そういえば……」というと、席を立ってどこかへ行ってしまった。


「はい、お婆ちゃん! これ、ありがとう!」


 サラは戻ってくると、盗賊退治に使った古ぼけた魔導書を嫗に差し出した。

 魔法は、魔力さえあれば誰にでも使える、便利で、危険な力だ。それ故、多くの国では国が魔導書を管理し、世に出回る量も渡す人間も制限している。もちろんヤトト、ハイヅタもそうだ。そのため、魔導書はランクの低いものでも非常に高価で、一介の村人がおいそれと手を出せるような代物ではないことを彼女は知っていた。


「もう、いいのかい?」


 嫗が優しい眼差しをサラに向ける。彼女はゆっくりと頷く。


「うん、盗賊達のアジトから自分の本を取り返したから……それ、高かったんでしょ?」


 サラの言葉に、翁と嫗が顔を見合わせて笑った。


「どうしたの? 何で笑うの?」


 嫗がサラに顔を向ける。


「これはね、私が昔使っていたものなんだよ?」

「え!?」


 翁は何かを思い出すように、遠い目をする。


「ワシと出会った頃の婆さんはそりゃ凄かった」

「いやですよ、お爺さん」


 嫗が微笑みながら翁の肩を軽く叩く。


「とっても意外! ねぇねぇ、お婆ちゃんとお爺ちゃんはどうやって知り合ったの?」


 その後三人は、心行くまで話し合った。まるで、本当の家族のように。そして、それが最後であるかのように。

幕間 クード君とシャンゼルマン先生のまどろみ授業その一


 我々が住むこの大陸の名前は知っているかな? はい、クード君。そうだね、オーティブ大陸だ。様々な種族と国が存在する所でもある。ちなみに、この大陸の東には島国である『ヤマ大国』、南には、クード君? 起きてるかい? そう南。わからない? では明日までの宿題にしよう。南の大陸にある国と文化を調べてくるように。

 さて、オーティブ大陸に話を戻そう。この大陸には様々な国がある。ドワーフの住む山国のホール・エルー、スラッジ、ダイカスト。人間の国であるヤトト、イシブムチ、ドンハの三大国家。それにここアドゥツアム。まだ他にもたくさん。それだけならいいんだけど、こう国が多いせいかこの大陸では困ったことが起こっている。何かわかるかな? そう、戦争だ。先に上げた人間の国、ヤトト、イシブムチ、ドンハの三国が敵対し、数十年に渡るいざこざは大陸全土に広がる戦争へと発展している。あぁ、ここは不可侵条約国となっているから心配はいらないよ。だけど、だからといって我関せずではいられない。むしろ、これらの国よりもその国のことを知らなければ……クード君? クード君! 起きなさい! 起きて! あぁ、もう、気持ちよさそうに……全く、最後まで聞いていた試しがない!

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