66 二つ名命名
『さーて。いよいよ、歴史的瞬間を目撃する日がやってきました!』
『何しろ、フルマラソンは走る男子が少な過ぎますから。走りきれば記録更新が当たり前と言われている程ですが、今回はまずいんじゃないんですかね」
『ええ、そうです。テレビでは、息を切らせたことがないグラウザーですからね。彼の本当の実力が知れる良い機会になりますし、大幅更新待った無しですね』
『この後、他の男子は対抗心を燃やすか、諦めるかのどちらかですからね。多分彼は後者のつもりでいくと思いますよ。何しろ、メディアからは消えたいと、常々言ってますからね。でも、出てくれるってのは彼もそれなりに楽しいと思っているんじゃないでしょうか?』
『でも、消えるか消えないかだと、消えたいんでしょうね』
『最近、メディアの印象悪くするために態度を悪くしているのでしょうが、私から見れば反抗期迎えた子供の程度にしか見えません。はっきり言って可愛いものですよ」
『今も周りには中指立てたり、親指を下に向けてます。おや、何やら首辺りで何か腕を動かしてますね?』
『おお、凄い。あれは首吊り用の紐を絞る動きですね。ご丁寧に吊った後の死んだフリもしてくれています』
『本当ですね。見えますし、吊れてます』
『あれするためにどれだけ練習したんでしょうね。努力の方向性が間違っていると思いますが』
『さて、そろそろですよ』
『はい、私も楽しみで仕方ないんですよね』
俺はスタートラインに立っていた。
走りすらしていないのにもかかわらず、周りの歓声が自分を包み込む。そういうのは走りきってからにして欲しいと思う。
それよりもだ。
フルマラソンといえど何度か走ったことがある距離。だが、いつもと違うといえば、大勢の観客が俺の走りを見ていること。マリアやエリナがいないこと。
その2点。
だが、関係ない。
決めたのだ。
走る。
それだけだ。
ピストルの音が聞こえた。
進む、超えたいがために。
「悠君、早いけど大丈夫かしら」
「にーちゃなら3時間なんていけるよ!」
「ええ、そうです。悠人様なら余裕です。ですが、少しペースが早いような気がします」
「……頑張りなさい、悠人」
「明日香、悠人君が陸上選手になったらどうしよう」
「知らないわよ、そんなこと」
「ねぇねぇ、お母さん。悠人君のおかげで、グラウザーのイメージ変わりはじめてるけど大丈夫なの?」
「大丈夫よ〜、里奈。別次元のグラウザーって感じで、チョロまかせば良いの〜」
「おお〜、ゆーとさま早い」
「流石です!」
「こらこら、2人とも。あまりテレビの近くに行かないで下さい」
「柳田さん。どうかしたんですか?」
「いいえ、早苗ちゃん。何というか、女子会していると悠人君だけを仲間外れにしているなと思っただけよ」
「皆さん、お茶が入りますよー」
同時刻、木下の実家にて、まさかの全員集合。
今回の同伴者は、天皇、東堂春妃であった。
エリナや栞は当然、春妃と知り合いであった。
今回のお迎えで春妃と真夏は顔合わせるのは2度目になる。そして、彼女達が対面した時真っ先に起きたことが、春妃からの謝罪であった。
東堂家の人(主に悟)が来るたびに、愛する息子が拉致、拉致、拉致。
客観的であっても母の立場である者なら笑えない。ヒステリーを起こしながら訴えられるのが普通だ。
しかし、真夏は不満はあれど当事者達の問題だからと、息子も楽しんでいるからと軽く流した。そんな真夏の対応に偉く感動した春妃、この人と関われば息子の悟と円満な関係を築き続けられるだろうと。
というか、悠人の普段の態度が良すぎて、その母親である真夏の評価が爆上がりである。
【聖母マリアの再来】
と、一部では呼ばれるほどに。
それはさておき、保護者の同伴として彼女達が行かない訳にはもう一つ問題がある。
仲が良すぎる、という点。
よく同伴している玲奈、美雨。特に美雨に至っては、スキンシップの多さが目にあまると世間からよく言われてしまった。
特に、拳と拳を合わせるという行為に対して。
忘れてはいけない。一般男性は女性が近寄ることでさえ嫌悪するというのに、一体誰が身体に触れさせたいと思うのか。
つまりそういうこと。
中の人、普段の素行を知っていれば、「普通の事なのに、何言ってんだ?」となるが、テレビだけしか知らない一般人からしたら、過度なスキンシップの様にしか見えないという。
まぁ、単なる嫉妬が多数であったが。
しかし、それを重く見た悠人。だからといって他が信用できるかといえば嘘になる。
そして、一つの考えが。
グラウザー出る。悟君現場に現る。当然、保護者春妃同伴。
春妃に任せればいんじゃね?
という安直な理由で彼女が同伴することになった。
因みに、真夏を同伴させないのは、美雨や玲奈よりもスキンシップが確実に多く、過激であるから。
彼がファミコンであることを忘れてはならない。
2時間27分45秒52。
それが奴の記録だった。
周りは大幅に更新された新たな記録、奴の素の実力の高さを目の前にして、歓声は走る前よりも大きくなっていた。
それを見ている画面の向こうでは、その圧倒的な実力にやっても無駄と諦める者、更に対抗心を燃やす者。どうでもいいだろうと無関心を貫くと思っていてもやはり気になってしまう者。新たに憧れを持つ者、反応は様々だった。
「……」
しかし、走り終えた奴は記録を前に疑問を抱いていた。
何故、自分は倒れていない?
何故、自分はトレーニングでは毎回の様に嘔吐をしているのに今回はないのか?
何故、走り終えたというのに走り足りないと思ってしまうのか?
自分の甘さに苛立つ。しかし、今回はそれで良しとする。まだ、先があるのだ。超えたいとは思っていた反面、たかが数年で超えられるとは思ってはいなかった。
自分の壁は高い。それを再確認出来た。
いつか、必ず。
だから今は、自分を讃えてくれる少年の元に向かおう。
奴はそう思った。
奴の記録は、公式的に登録された。
走り終えた後、直ぐに表彰式が行われた。されている時の奴の仮面の下は不満げではあったが、その場にいた誰にも悟られることもなく、社交辞令でトントン進めた。
しかし、これによりガワの知名度は更に高まるのは確実で、奴の思惑とは違う結果になる。
「アホくさ」
「いや、グラウザー。頑張った結果をそう言うのはどうかな?」
「あたしゃね、あの結果に納得したかないよ」
「狂った走り屋」
「誠に遺憾である」
奴は走り終えた後、少しクールランニングすると言ってまた走りだした。
その時、ファンサービスに手と手でタッチするくらいいいだろうと思ってしまった。
それがあかんかった。
当然、私も私もと近づいてくる人。そして、走る時は広かった道路が、リレーのレーンくらいの幅になった。
奴は両手でタッチをしながら前とはゆっくりに走る。目線の先には期待の眼差しで手を差し伸ばしてくる者が見えないところまで続いていた。
その目を見ていると途中で止めることが出来なくなって、走りきってしまった。
フルマラソン、数時間もない間に再走。
男子最強、というより狂った走り屋。
又の名、【狂走者】。
もう、メディアからは逃れられない。
家で待つ彼女達は、帰ってくる奴に対して溜息を吐いた。




