59 雪と男と女 後
「ぶぅぶぅ、またにーちゃとお風呂入れなかった」
「今日くらい我慢してもいいじゃん。私もお兄さんとお風呂入りたいのに!」
「ええ〜、どうせ早苗ちゃんはにーちゃの下半身見て鼻血ブーでしょ」
「そ、そんなことないもん! お兄さんに髪を洗ってもらったり、背中流してもらったり、逆に私が流したりするの。あ、あと一緒に湯船に入ってお兄さんに寄りかかりたいなぁ」
「はいはい、分かった。妄想で我慢してねー」
「フシュウッ!」
「きゃあ! にーちゃ、助けて!」
「いや、今のはお前が全面的に悪い思うぞ?」
君達はその話を本人のいる目の前で話すものかね。
しかも、そのキャットファイトに俺も巻き込まれるのも何でかなーと思うんだよ。
「では、お兄さん私と一緒にお風呂入って下さい!」
「今、お風呂入ったばかりでしょ? 」
「うう、そうですけど……」
「まぁ、早苗ちゃん。とりあえず髪を乾かそう。それくらいなら問題ないから」
気分を落としている早苗ちゃんにそう言って、自分の膝を数回叩く。その意図が分かった早苗ちゃんは、さっきの暗い顔が消え、満面の笑みで俺の膝の上に座る。
「では、お願いします!」
「うん、任せなさい」
ドライヤーで、丁寧に、そして丁重に早苗ちゃんの髪を乾かす。乙女の髪は命、その重さを知らない俺ではない。
因みにドライヤーを持っていたのは、優菜の髪を乾かそうと事前に準備していたから。
「大丈夫? 熱くないか?」
「はい。大丈夫です!」
「それは良かった。それに綺麗な髪をしているね」
「そうですか? ありがとうございます!」
「あ、にーちゃ!」
「優菜は少し反省しなさい」
「えー!?」
「へっ!」
こら、早苗ちゃん。挑発するんじゃない。
「ぐぬぬ、早苗ちゃんめ!」
「へっ!」
でも、可愛いから許可する。
いいぞ、けど程々に。
〇〇〇〇
「んじゃ、俺も風呂入ってくる」
早苗に続き、優菜の髪を乾かした悠人はその場を後にする。
今回も、彼が1番最後に風呂に入ることになった。というか、男が女より先に入るのは駄目と断固として先風呂を入ることを拒否する悠人に対して、それは私達のセリフと女性陣の全員が思っていた。
ホモでもなく、性同一性障害でもない。もしかしたら彼は女性脳というやつではと現在は思われている。
「この前、悠人君がメディア出演をいっぱいすれば、家計も支えられるんじゃないって言ったら、すっごい真面目に考えました」
「えっ!?」
明日香の唐突な発言に驚く真夏。
「真夏は家事で俺は仕事……、帰りを待つ真夏と優菜。帰宅時に玄関に迎えに来てくれる……いいかもしれんって、ブツブツ言ってました」
「母としての立場が!」
女としての威厳も母としての立場も失うかもしれないことに不安を抱く。
しかし、この不安は杞憂である。
悠人は明日香にそう言われ実際には考えたものの、金は入るが優奈と過ごす時間が確実に減ると判断。家計に大問題が起きた時か、優奈が高校生か大学生になるまではそういうのはしないと考えている。
だが、彼には別の事でメディアに出てしまう可能性が高い。
言わずもがなグラウザーとして。
不安が募りに募った真夏は、悠人が風呂から出てくると同時に必死にその考えを改めるよう言うのだが、あまりの圧力に話が分からないまま、悠人は顔を縦を振ることになった。
「いや、一体何の話?」
「この前、私がアイドルになったら真夏さんをヒモに出来るねって話をしたのよ。木下君結構悩んでたし」
「あー、なる」
悠人が頭を縦に振ったので、真夏は上機嫌に自室へ向かい仕事の書類の整理をしに行った。
その後、取り残された悠人はその場にいた明日香に訳を聞いていた。
「まぁ、あれはあれでいい妄想だったけどな。でも、それを強要させるつもりはないぞ?」
「そう」
「んー、しかし、職の一つは持っていた方がいいと思うんだが、やっぱり俺は主夫を目指すべきなのかねぇ」
「そうね、下手に働かれて襲われたら大変よ」
「そうか、ところで秘書とかどう思う?」
「秘書? 秘書ねぇ……」
秘書。組織や上司の書類面における仕事を請け負う職業。また、上司の身の回りの世話やメールや電話の応対、来客の接遇、スケジュール管理、書類・原稿作成などをする。
上司の身の回りの世話。
上 司 の 身 の 回 り の 世 話 。
「いいんじゃないかしら」
「おお! じゃあ、少しずつ勉強していこうかな」
鮫島明日香、己の欲望を抑えきれず、その道を勧める。意外にも好印象だったので悠人は、将来の職業候補に秘書を追加した。
そして、
社長になれるほどの人材になろう。
明日香はそう思った。
「悠人様が秘書。良いですね、私も頑張らないと!」
しかし、秘書になった場合に知り合いの中の1人に雇われる事態は避けられない、ということに関してはまだ悠人は気づいていない。
〇〇〇〇
「もう寝る時間だ」
時刻は深夜の1時。良い子でもなくても寝る時間である。
いつもなら寝室の布団を敷き川の字になって寝ている。
しかし、皆泊まりに来ているので、広いリビングに布団を敷いて皆で寝るということに。
「俺は自室で寝る」
だが、その中に俺は含まれない。身内はともかく付き合ってもいない異性が隣に寝ているという状況はよろしくないだろう。
下手に寝る場所を決めるときに争われても困るし。
まぁ、前回と同じように、手紙の返事を書くから寝るのが遅くなると言う。文通の返事なら仕方ないと、皆納得してリビングに寝てくれると言ってくれた。
自室へ行き、返事を書く準備を行う。
そして、ふと気づく。
そういえば今日暇だから返事全部書き終わらせていたなと。
結果的に彼女達に嘘をついたようになってしまったので、良心が痛む。
まぁ、仕方ない。今から一緒に寝ようぜと混ざるのも恥ずかしいので、そのまま寝る事にしよう。
布団に入って、瞳を閉じる。
「悠人様、起きていらっしゃますか?」
「マリア? ……もしや、昼寝したせいで眠れないんだな?」
「は、はい、そうなんです。それにしてもお恥ずかしい姿を見られてしまいました」
マリアが話し相手になって欲しそうに部屋に来た。その様子だと皆はすぐに寝たのだろうか。里奈はいつもゲームをしていると言っていたので、起きていそうだが。
「とりあえず、入っていいぞ」
だが、外にマリアを待たせるわけにはいかないので、部屋に入れる事にしよう。
〇〇〇〇
「大丈夫、大丈夫。何回もシュミレートいたしました。たとえ、拒絶されようとも澄ました顔で話を流してしまいましょう」
私ことマリアはある決断をしていました。
それは、悠人様が私の婚約者になっていることについて相談することです。
本当は悠人様から言ってくだされば幸いだったのですが、一向に気にする様子がありません。
私の顔を見たとしても、頰を赤らめたり、挙動不審になることもありません。いつも通り何事も無かったかのように接してきます。
それはそれで疑問が多々出てきますが、やはりここは相談しておかないといけません。
皆が寝静まったところを狙って、悠人様の部屋へと向います。
ドアをノックし、声をかけます。
悠人様が私のノックに気づくと、炬燵で寝たせいで眠れないのかと聞いてきます。
だらしない寝顔を見られていたのかと思い、恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまう。
「とりあえず、入っていいぞ」
すると、悠人様が部屋から出て来て、私を部屋の中へと入れてくれました。
いや、大変です! その中は殿方のプライベートの空間そのもの。私の知り合いで息子を持っている母方ですらその中へと踏み入ることは許されないとされている部屋。
ましてや悠人様の自室!
そのような場所へ入る機会がこうも簡単に得てしまうとは!
入りたい……けれど、入ってしまったら自身のせいで、汚れてしまうのではないかと思ってしまうのです。汚すつもりはないのですが。
私は動けずにいました。
「……もしかして、部屋が汚くて入りにくいか? 」
「いっ、いえ! そんなことはありません!」
「いや、遠慮するな。少し待っててくれ」
「本当に、大丈夫ですから! ただ……その、殿方の部屋に入るというのは初めてで……」
「あー、そっか」
悠人様は私の言うことに納得して下さり、少し何かを考えた後、
「では、強引に」
「えっ?」
私の手を掴み、ゆっくりと部屋の中へと入れる。
急のことでしたので、反応することできずに、悠人様の為すがままにされてしまいます。
そして、布団の上に座らされてしまいました。
「少し待っていてくれ。お茶を持ってくる」
「えっ、あの!」
「まぁ、眠くなったらそのまま寝てくれてもいいんだぞ」
私の有無もなしに席を外す悠人様。
なぜこういう時は強引になるのでしょうか?
しかし……。
見渡せば、机、本棚、タンス、今私が座っている布団。窓と押入れが1つ、壁にはカレンダーのみでポスターなどはありません。
一言で言えば、素朴でした。
あと気になったものは、本棚に溢れんばかりに並べられている手紙でしょうか。
ずっと思いますが悠人様が苦労人なのか、苦労したがりなのか分かりません。
「ストレートティーを淹れてきた」
「ありがとうございます」
「質素でごめんな。あまり面白いのは置いてないんだ」
「いえ、悠人様ですもの。あまり派手なのは好まないと思っていました。昔私の家に来る時はよくお腹を抑えていましたし、それに聞きましたよ。私が誘った社交場に行く時は胃薬を常に持ち歩いていると」
「あー、まじか。隠せてると思ったんだけど」
「腕組む位置がお腹辺りでしたのでバレバレでしたよ?」
「えぇ……」
「ふふふ」
お茶を入れに行った悠人様と少し他愛のない話をして、私は本題へと入る。
「それよりも、あの……悠人様は、知っていますか? 貴族の間で悠人様が私の婚約者と噂されていることを」
私としては上出来です。私は知っていますが、悠人様は知らなかったですよねという風に装いながら話題を出せました。
声も震えておらず、余裕を持って話しかけれました。おまけにティーカップを持ち口へと運ぶ仕草までしました。
気にしていないと、ルナさんは言ってましたし、さらっと流されるでしょう。
笑いながら、ああーそうだったなと言って軽く感想を言ってくれるでしょう。
「……ああ、知ってるよ。マリアだけに飽き足らず、花香さんや夜々ちゃん、エリナまでに手を出した。更に現在は栞さんを攻略中……だったはず」
「ああ、今はそこまで大きくなっていらしたんですね」
「そこんところ周りがどう思っているかは知らないけど、マリアが迷惑であれば公衆の面前で振るなりすればいいと思うぞ?」
「いえ、悠人様が振ってくださればいいのですが……」
「いや、マリアが振ってくれ」
「いえ、悠人様が」
「いや、マリアが」
「「……」」
「私が振ると悠人様の立場は私よりも低いと思われてしまいます。悠人様が殿方との良い関係を築いているのに、それを失いかねません。なので、ここは悠人様を立てるために私が振られるべきかと」
「逆に、俺が振るとマリア達に問題があったという勘違いをされてしまう。俺は周りから聖人扱いされている程だ、下手に理由をつけると話が大きくなってしまうかもしれない。そうなると、その後の貴族間の交流にも影響が出る。将来のためにもここはマリアが振るべきだ」
このままでは、話が平行線になりそうですね。
「悠人様、私に迷惑はかかっておりません。逆に悠人様に迷惑をかけてしまっているのかと思ったので相談をしたんです」
「俺も別に迷惑はかかってない。んー、今回はとりあえず保留にしておかないか? 夜々ちゃんや花香さん達も含めてどうするか考えないと」
「そうですね、そうしましょう。ごめんなさい、悠人様。いきなりこのような話をしてしまって」
「いや、気にしないようにしたけど、今考えると結婚だもんな。気にしない俺が馬鹿だった」
頭を下げて謝罪をする悠人様。
それを見て、私はふと疑問に思いました。
「そもそも悠人様は結婚したいと思ってはいるのですか?」
唐突な私の問いに悠人様は「へ?」と気の抜けた声を上げる。そして、少し考えたのち、
「あるには……ある。でも、それ以上は言えない」
とだけ答えて、私に近づき枕元へ倒して布団をかけます。
結婚願望はある。けれど、それには悩みがありそうに思えます。悠人様の日頃の行いからそれは一夫多妻にあるのではないかと。
また、複数人を同時に好意を持ってしまったこと。
真面目過ぎる悠人様だからこその悩みです。自分のことだけでなく、他の誰かを思っているに違いありません。
「あの……布団」
「いい、マリアはお客様だから」
そう言って、悠人様は優しく微笑みながら私の頭を撫でます。触れられている嬉しさと安心感、そしてあまりの心地良さに睡魔が襲ってきました。
「……はい、ありがとう……ございます」
「おやすみ、マリア。いい夢を」
幸福の中で私の意識は少しずつ夢の中へと移っていきました。
しかし、次の日に私が悠人様の部屋から出てきたことに関して咎められることは避けられない事実でした。
そういえば、私と結婚する事について何も言われませんでしたね。




