35 コンクール 前
「あら、悠人君。今日はマリア様の付き添いじゃないのね。もしかして浮気かしら?」
「挨拶の前にそれが一番言いたかったんですね、坂田さん」
「うふふ、分かってるじゃない」
「今日は女装でお願いします」
「大丈夫よ、任せて」
夜々ちゃんに迎えに来てもらい、今は更衣室で坂田さんに着替えを頼んでいる。
聖アテネ学園。
避けていたはずなのに、行かないようにしていたのに、来てしまった。
来てしまったものは仕方ないので、何とか乗り切るしかない。
お忍びということもあり、安定の女装。
坂田さんのメイクは本当に俺の見た目を女性のように変えるため、見た目だけなら黙っていれば気付かれない。
しかし、今回はコンサート。唯の女装で夜々ちゃんの隣にいると流石に不自然がられそうだし、マリアに誘われて参加した時のパーティと同じ女装では「マリア様と仲違いなされたのですか?」と話しかけて来そう。
だから今回の女装は、メイド。
召使いならば近くにいても問題はないはずだ。
さらにカツラもいつもの黒髪ではなく金髪にし、カラーコンタクトで目の色も黒から青に変える。
身長もシークレットシューズで10cm程増やし、ブラにパッドを詰め込み胸の大きさを約Cカップにする。
女装に一切妥協はしない。
声の方は難しいが、見た目が違うのなら気のせいで済むだろう。
俺が聖アテネ学園に来ていることを知る人は、夜々ちゃんと母親の栞さん、坂田さん、メイドさん2人、の計5人のみ。
ちなみに今回の事はマリアやエリナに話してはいない。毎回のように頼むのは悪いし、彼女達も忙しいので予定を狂わせる事はしてはならない。
「さぁ終わったわ。後は頑張って!」
メイクを終え最後に香水をつけて準備完了。
「はい、行ってきます」
挨拶の投げキッスを最後に外で待っている夜々ちゃんの元へ。
「夜々様、お待たせ致しました」
「ゆーとさま、そこまでしなくていい」
夜々ちゃんは白のタキシードを身に纏っている。
そして綺麗な白髪には小さな赤い薔薇が複数付いているカチューシャ。
とても似合っている。
「いえ、今回はメイド。召使いとして何でもお申し付け下さい。後、名前は悠とお呼びください」
一応、ネットで立ち振る舞いなどを勉強したから大丈夫だ。
「うん、じゃあゆー。て、つないで」
「はい、では失礼します」
夜々ちゃんの手を握る。俺が握ると、握り返してきた。ふと顔を見ると、嬉しそうな顔をしている。
そして、俺はそのまま案内されるように夜々ちゃんについて行く。
「おかあさま。ゆーとさま、つれてきた」
夜々ちゃんにある個室まで案内される。
その中には、1人の貴婦人がいた。
先ほどの夜々ちゃんの発言により、その人がこの前電話で話した夜々ちゃんのママさんである栞さんだろう。
「そう、初めまして悠人様。本日は娘の我儘に付き合って頂き本当に感謝致します」
そう言い綺麗なお辞儀をする栞さん。
「初めまして栞様。本日はその名前を控えて悠とお呼び下さい」
「あらあら、では御言葉にあまえて悠。よろしくね」
「はい、栞様」
俺を見るなり、少し驚いた顔をしたと思ったら、とても面白いものを見るような目で見る。
「ふふふ、そこまで本格的な女装をしている方は初めてよ」
「身の安全は万全にしなければなりませんので」
「でも今日は楽しんで行って下さい。夜々も張り切っていますから」
「はい」
「ゆーみてて、わたしがいちばんになる」
夜々ちゃんは両手を握りしめて気合いを見せる。
「はい、楽しみにしていますね」
「でもまだじかんあるからここでゆっくりする」
「分かりました」
コンクールが始まるまでの間、個室なら少なからず誰かに会う事もなく、過ごせるだろう。
俺は近くの椅子に座る。
夜々ちゃんは俺の膝の上に乗り寄りかかる。そして、俺の両腕を掴み自分の方に寄せる。
多分俺が夜々ちゃんを抱きしめているように見えるだろう。
それを微笑ましくも羨ましそうに見る栞さん。
正直ごめんなさいとしか言えない。
コンコンコンッ!
しばらく時間を潰しているとノックが聞こえた。
俺は夜々ちゃんに離れるようお願いする。
夜々ちゃんはしぶしぶ離れ、俺は立ち上がりいつでも出迎える準備をする。
栞さんが返事を返すと、
「叔母様、失礼します」
茶髪のショートカットの女の子が。
身長は俺より低いため、同年代か年下だろう。
「あら花香さん。どうしたんですか?」
「いえ、ただ挨拶に……あらそちらの方は?」
栞さんとの会話だけで終わるかと思ったが、やはり初めて会う人だから興味を持たれた。
「本日付けで夜々様のメイドをしている悠と申します」
「そうですか、私は山崎花香です。以後お見知り置きを」
凄いどうでもいいような言い方。
俺を見るに冷たい目で見下すように目線を1度向け、直ぐに栞さんの元へ。しかし栞さんや夜々ちゃんに対しては柔らかく可愛らしい笑顔。
やはり庶民だからか……まぁどうでもいいけど。
「悠さん、紅茶を淹れなさい」
「はい、栞様、夜々様、お二人は如何なさいますか?」
「……ではお願いしますね」
「いる」
言われるがままに花香さんの言うことを聞き、紅茶を淹れる。
勉強はしたし、マリアやエリナに淹れて美味しいと言われたので問題はないはずだ。
最初に頼まれた花香さんに、後は栞さん、夜々ちゃんの順に紅茶を淹れていく。
「……中々美味しいですわ」
内心でホッとする。
「お口に合って良かったです」
「ふん」
あらあら結構嫌われてる。
「おいしい」
「まぁ……」
2人の方も好印象、良かった良かった。
「ところで叔母様。あの方は今日来られないのですね」
紅茶を少し飲んだ後、気分が沈んだ感じで栞さんに話しかける花香さん。
プライベートの話だから聞き流すか。
「えっ……ええ、そうね」
「面白いですよね。今時お金で動かない殿方がいるなんて」
前言撤回だ。ほう……中々良い男じゃないか、是非ともお友達になってみたいものだ。
「確かに珍しいです」
「だからこそ、幾らで動くのか見たかったのですが残念です」
結構面白いことしてんね。多分5000兆円なら絶対に動くだろ。
世の中は結局金だし。
綺麗事並べたって、金が必要なんだよな。
仮に金で買えないものがあるとしても、それ以外は殆ど金によって必要なものが揃ってからだ。
「花香さん、前にも言ったけど……」
「いいえ、叔母様。殿方は絶対にお金を積まないと動かないのです。絶対にあの方はお金で動きます」
「まぁ、貴女の好きなようにしなさい。私は止めません」
「はい、では失礼します。夜々さんも今日は頑張って下さい」
「うん、そちらも」
そう言い残し部屋から出て行く。
「お気を悪くなさらないで下さい。あの子にも色々と事情があるのです」
「いえ、気にしてませんので大丈夫です」
彼女がどうしてそう考えるようになったのかは知らない。けれど、それにはそれ相応の嫌な事があったに違いない。
確かに人は金で動くことはあながち間違いではない。
でも、俺が金一封を1円にしたのは、大金を手に入れたら自分が変わってしまいそうで怖いから。
ただそれだけ。
我ながら馬鹿だと思う。しかし、今の幸せを自分のせいで不幸にするかも知れないという恐怖は俺にはとても耐え難い事なのだ。
だから今は金はいらない。
まぁ、そんな心情を理解して欲しいとは思わないけど。
「あら、そろそろ時間よ。夜々、準備しなさい」
「わかった」
どうやら時間が来たようだな。
「私はどうしたらよろしいですか?」
「悠は夜々に付添って下さい。分かっていると思いますが絶対に離れないように」
「ゆー、はぐれちゃだめ」
「分かりました」
「では悠、夜々。後ほど」
そして俺は夜々ちゃんに連れられ、出場者の待機する舞台裏へと移動した。
コンクールは進み、1人また1人と個人の得意な楽器を演奏する。
その音色はどれもこれも美しく、これでもまだ小学生とは思えないほどだった。
「きょうはゆーのためにひく」
夜々ちゃんの得意な楽器はピアノ。それを今から見るのだ。
「それは嬉しいです。頑張って下さいね」
「うん」
『では次は山崎夜々様です!』
舞台には惜しみない拍手が送られている。
自分に向けられているわけでもないのに、何故か緊張してしまう。
「ゆーとさま、いってくる」
「いってらっしゃい、夜々ちゃん」
俺は夜々ちゃんの頭を軽く撫でて、舞台に出て行く彼女を見送った。




