閑話 会えない彼を思う婦人 前
「はぁ〜」
「奥様、どうかなさいましたか?」
「どうしたもこうしたもありませんよリボン。何故悠人さんが家に来ることを教えてくれなかったのですか?」
「いや〜それは〜〜。はははっ」
忘れてましたと言わんばかりに頭を何回も下げるリボン。せっかく彼に会える機会が失われたのだ。しかもその日用事が無くオフだったのにも関わらず。
「ついてないですねぇ」
「確か今日は女子会でしたよね?」
「ええ、そうです」
本当なら私はとある女子会に参加しているはずだったのだが、急遽予定が入り参加出来なくなってしまった。
「まぁ早く終わりましたしこのまま戻れば途中からでも参加出来ますよ」
「そうですねぇ」
女子会に参加出来るのはいい。だが、
「悠人さんに会えなければ意味がないんですよ」
彼と会ったのはあのパーティのみ。もしかしたら忘れられているかもしれない。マリアに相談したところ「そんなこと絶対にありませんよ!」と強く否定されたが、やはり心配にはなる。
「あっ、でも私のこと覚えてくれていたので大丈夫ですよ!」
「斬られたいんですか?」
「えっ!? いやそんな殺生な!?」
慌てるリボンをよそにリムジンの窓の外を見る。
彼とまたいつ会えるのか。
そう思うとため息が込み上げてくる。
「奥様、少しスーパーに寄りたいんですけどいいですか?」
どうやら夕飯の買い出しをついでにしていこうと思ったらしい。
「ええ、大丈夫」
当然断ることはない。
リムジンをスーパーに止めて、リボンが買い出しに行く。私はリムジンの中で待っている。私は携帯を開き、ホーム画面にしている彼のウエディングドレス姿を見る。
「初めてですよ。ここまで殿方に興味を持ったのは」
私橘エリナは言うなれば古くから続く名門で世界一の貴族。欲しい物は何でも手に入り、どんな事もその権力で従わせることもできる。その気になれば国を動かすことも出来る。
10代くらいの時は異性にも興味はあった。自分だって女だ。あんな人こんな人と出会えたらいいなと憧れていた。物語に出てくる様な殿方と素敵な出会いをし、共に困難を乗り越え愛を育む。素晴らしい事だと思っていた。
でも実際会ってみれば、家の金や権力を自分の物としようとする殿方だけしかいなかった。私の事なんてその付属品としか見ていない。そんな殿方達を見て私は愛を求める事を辞めた。
それは娘マリアが生まれてからでも変わらなかった。マリアには「殿方には気をつけなさい」「殿方を信用してはいけませんよ?」と口を酸っぱくして言い、育ててきた。そしてマリアも私と同じ様に殿方を信用する事は無くなった。
だが小学校入学して帰ってきた時、
「お母様! 今日とても非常識な殿方がいたんです!」
と嬉しそうに話してくるマリアがいた。なんと義務教育でないのに殿方が小学校に入学していたと。自己紹介したら握手を自分から求めてきたと。女性に対して嫌悪感を感じてないと。
最初はマリアに近づくために演じているのではないかと疑っていたが、マリアに毎日聞かされると少しは信用が持てた。そして何よりマリアが笑って話しているのだ。
カッコよくて優しいと、誠実で真面目と、綺麗好きで掃除が誰よりも上手いと、誰であろうと差別せず同じ様に接すると。
マリアの話を聞いているうちに私も彼に興味が湧いた。そして私のコネで彼の情報を見たがあんなに美形な殿方が優しいなんて嘘かと思った。
そしてパーティの数日前に、
「ペアとなる方を連れて行きたいのですがいいですか?」
聞けば身体力測定で勝負してギリギリ勝ったらしい。マリアが負けそうになったというのにも驚きだが、お願いを聞いてもらえる。それでパーティに一緒に参加する事になった。
私もそれを快く了承し、いざパーティに参加すると、
ウエディングドレスで参加している彼の姿が。
なるほど……確かに常識外れ。
私の想像以上だった。彼はごく普通の家系に生まれ育った。そんな人が初めて参加する貴族のパーティで他の殿方が誰一人として着ようとしなかったウエディングドレスを着るなんてありえない。
それに彼は女性だらけの小学校に通っているのにもかかわらず、汚れなき目をしている。いくら小学校一年生といえど、女性の性に関する事が目に入ったりするのに。
全く人生というのは何が起こるのか分かりませんね。
彼と話し、「常識外れ」と冗談を言うとマリアを追いかけ始めました。普通の殿方なら顔にしわを寄せるのに、あろうことか笑っている。そして追いかけられているマリアも笑っている。
そしてその後も会話は弾み、私も初めて殿方と話して楽しいと思えた。
さらに「マリアと結婚してはどうか」と聞くと、彼は笑って断りました。自分で決めるのではなくマリアの意思が大事だと。
その発言で彼ならマリアを幸せに出来ると思った。そんなに想われているマリアが羨ましくなった。そして私も幸せにしてほしいと思うようになった。
恋に年なんて関係ない。気にしたらその時点で負け。
その後も彼と接しているうちに彼への気持ちが大きくなった。もっと話していたいと、もっと彼の事が知りたいと、側にいたいと。
それは会えない時も大きくなっていくばかり。しかし私は会いに行く事も、連絡を取る事もできない。いやどうやればいいのか分からない。殿方との接するための方法の本を見ても、彼は別。その枠組みから大きく外れている。普通の本では対応を誤ってしまう。
しかしそうしているうちに数ヶ月と過ぎてしまった。
このままでは彼に告白しても断られ……
コンコンコンッ!
誰かが車の窓をノックしたらしい。
……リボン、早く戻って来たのね。
「入りなさい」
しかし返事をしたのに入ってこない。そしてまた、
コンコンコンッ!
とまた3回ノックされる。
はぁ、なるほど、また何処かの企業の誰かが私に名前を覚えてもらおうとしているに違いない。全く非常識ですね。
ここはビシッと言ってやりましょうか。
ノックされた窓を見ると、長い黒髪の顔が隠れるくらいの帽子を被っている女性がいた。私は窓を開け、
「貴方は誰ですか? 私は今忙しいのですが」
「えっ……あっ、すいませんエリナさん。見かけたので挨拶ぐらいしていこうと」
「その前にまず先に名前を言ってください」
「木下悠人です」
……はっ?
「えっ?」
「カツラと帽子被って声を変えてますけど、木下悠人です」
「とりあえず車の中へ」
そう言って私は彼を車の中に入れようとする。一応確認をしましょう。もし本人だったら周りがうるさくなってしまう。
「いえ、大丈夫です。挨拶しに来ただけなので。それにお忙しいんですよね?」
「いえいえそんな事ありません! 唯一人の資産家が大暴落するくらいですから」
「それ一大事じゃないですか!?」
「全然全く何も問題ないです。とりあえずゆっくり車の中でお話ししましょう?」
「分かりました。じゃあ失礼します」
ふぅ、危なかったですね。せっかく会えたというのに帰らせてしまうところでした。
さて……早速、
「カツラを取って頂けますか?」
「あっそうですね。車の中ですし」
私は車の窓についているカーテンを閉める。
その後彼はカツラを外し、
「はい、木下悠人です」
と微笑みながら私の目を見て言ってくる。
「はい、確かに悠人さんですね」
そんなにも真っ直ぐな目で見られたら恥ずかしくなってしまう。
しかし彼がスーパーにいるとは。そういえば主夫業をしていると言っていましたね。
「ところで悠人さん、もしかしてお買い物の途中でしたか?」
「はい、今日はイカとサーモンが安かったんです!!」
さっき買ったであろうサーモンとイカを見せてくる。しかも目をキラキラさせて。殿方がこんな顔してるの初めて見ましたね。しかしそれよりも、
(なんて愛くるしいのでしょう)
今すぐにでも抱きしめたい。そして頰と頰をくっつけてクルクル回りたい。
「ふふっ、そうですか。それは良かったですね」
「エリナさん今日はお一人ですか?」
「いえ、リボンもいます」
「今日も南さん来ていたんですね」
「……今日も?」
自然と声が低くなる。
「えっ、あっと、偶然にも毎週会うんです。今日は買出しの日だからと言ってました」
……そうですか。最近妙に買い出しした後ご機嫌になって帰って来ると思ったらそんな事があったなんて。
コンコンコンッ!
「入りなさい」
「はぃ……今戻りました」
気分を下げ、溜息をつきながら戻ってきたリボン。
「今日は悠人さんに会えませんでしたか?」
「はい、そうなんですよ。……え?」
「リボンさん、お邪魔してます」
「あっ、こんにちは悠人様!」
「リボン、後でお • は • な • しですよ?」
「アッ……ハイ」
後でゆっくりと聞くとしましょう。
それよりも悠人さんがいらっしゃることですし、
「少しお話でもしませんか?」
「大丈夫ですけど、これ生物なので冷蔵庫貸してもらえますか?」
「ええ、大丈夫です」
やりました。これでしばらくは一緒にいられますね。
「ではリボン、車を出しなさい」
「分かりました」
適当にドライブしながら話すのもいいですが、
「どこか行きたいところはありますか?」
彼の行きたい場所に連れて行くのもいいんですよね。
「いえ……特にはないですね」
「殿方はゲームが大好きと言っていたのですが悠人さんもするんですか?」
「はい、結構やります。エリナさんもゲームするんですか?」
「そうですね、私の周りではカジノくらいしかありませんでした。それに私はつまらないのでやってません」
「そうなんですか」
「悠人さんはゲームセンターに行ったことあるんですか?」
「いえ、外出すると言ってもスーパーやデパートぐらいしか行きません。行ってみたいんですけど1人ではちょっと……」
「じゃあ折角なので今行きましょう」
「えっ、いいんですか!?」
「私も興味あるので一緒に行きましょう。大丈夫です、私がいます」
「ありがとうございます!」
「ではリボン、後はわかりますね?」
「はい奥様! お任せ下さい!!」
「あっ……それとリボン。事故らないように」
「だからそれはやめてくださいっ!!」
やっぱり軽くトラウマになっているのね。ずっと前にこのリムジンに小傷をつけたことが。




