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こんとらくと・きりんぐ

ハードボイルドまであと少し(こんとらくと・きりんぐ)

作者: 実茂 譲

 崖のすぐ下には復員兵士向けの巨大住宅地ができる予定のとんでもなく広い造成地があり、太洋の戦争を生き残った男たちのためのバンガローを用意すべく、工事機械が細長い鉄の首を振り上げたり、土地を踏み潰していた。

 その向こうは人口百万人の夜の灯がきらめく大都市。

 二人の人影が都市と未来の郊外住宅地を一望できる崖の上にいる。

 一人は私立探偵。もう一人は依頼人で事件の謎の常に中心であり続けたミステリアスなブルネットの美女。二人の乗ってきた車のほかに崖にあるものと言えば、アナグマの巣ぐらいだ。

 中折れ帽をかぶり、コートの襟を立て、銃身の短い三八口径のリヴォルヴァーをショルダーホルスターに入れている私立探偵と、指に挟んだ煙草の煙すらも美しく見えるカクテルドレス姿の美女。その瞳には光り輝く大都市が映っている。

 全てが文句なしのハードボイルド。

 探偵とミステリアスな美女が、事件の謎を解き、殺人事件の犯人を見事突き止め、巨大な陰謀を暴く。

 もちろん、ハードボイルドな事件に欠かせない小道具はそろっている。ギャング、探偵嫌いの刑事、不動産業界の大物、古い家柄の名士、大昔の未解決事件、ユスリ屋、死者が残したトランプの謎、どこのものか分からない鍵、黄金の鷹の像、第二の殺人。あとオレンジジュース。というよりもオレンジジュースが全てを解く鍵だった。

 私立探偵とブルネットの美女は見つめあう。

 全てが文句なしのハードボイルド――のように見えた。

 だが、違う。

 美女よりも私立探偵のほうがやや背が低い。美女のハイヒールを差し引いても背が低い。

 おまけに、というよりもこれが一番の問題なのだが、私立探偵は私立探偵ではなく、ショートへアの少女、あるいは長髪の少年に見える殺し屋だった。

 つまり、こういうこと。

 殺し屋の知り合いの私立探偵が南の海へバカンスに行くというので、ちょうど仕事の下見に来ていた殺し屋が探偵の事務所の留守番をすることになったのだ。誰か来たら、用件をタイプライターで打ち出して、私立探偵が戻ってきたら分かるようにしておけばいい。

 そんななか、このブルネットの美女が事務所に現われて、夫をゆすっているらしい男について調べてほしいとやってきたのだ。

「ちょっと待って。今、タイプライターで書き起こしますから」

「いつから調査に取りかかってくださるの?」

「さあ。ちょっと分かりませんね」

「わたし、急いでるんです。主人は気が気でありませんの。もうじき、市長選挙がひかえていて――」

「でも、ぼくは――」

「そのユスリ屋のこと、調べてくださるわね?」

 ブルネットの美女は人に、いいえ、と言わせない雰囲気があった。殺し屋は仕方なく、少しのあいだだけ私立探偵になることにした。そして、ユスリ屋が死体で見つかり、その場にいた殺し屋は逮捕され、まあ、結局証拠不十分で釈放されたものの、探偵と見れば犬をけしかけたがる凶悪ででかい刑事たちから胸を指でつかれて、事件から手を引けと言われるが、またブルネットの美女にさんざんせっつかれて、事件にずぶずぶはまり込み、すると、第二の殺人、第三の殺人がおき、その裏にはこの町の政界と財界、暗黒街をゆさぶる巨大な陰謀があり、それを一時的に探偵をしている殺し屋はオレンジジュースにヒントを得て、見事解き明かした。

 そして、町を裏から牛耳るボスが逮捕され、殺し屋はブルネットの美女と崖の上にいる。

 それがとてもいいモードで、ブルネットの美女が少しかがんで、殺し屋にキスをしようとした瞬間だった。

 青い流線型の大きなセダンが走ってきて、二人のそばに止まった。なかから出てきたのは休暇から帰ってきた本物の私立探偵。

 そこで選手交代。

 今や、ブルネットの美女の前にいるのは、本物の私立探偵で、その背丈も美女よりもずっと高い。美女が少し爪先立ちになって、濃厚なキス。

 一方、殺し屋は、というと、おいしいところで放り出されたことに文句を言うこともなく、こそこそと退散。というのも、殺人事件の黒幕は分かったが、被害者たちに実際に手を下した人間は分かっていない。黒幕の手下の誰かだろうと非常にあいまいだ。最後には何でも明らかにならないと我慢ならないハードボイルドからは程遠い結論だ。というより、そういう結論になるようにしたのだ。殺し屋が事件の鍵であるオレンジジュースを使って。

 そんなわけで、殺し屋の仕事と探偵の仕事の両方を律儀に務めた結果、殺し屋の立場はややこんがらがったものになった。

 殺し屋は、私立探偵かブルネットが下手人について、ピンと来る前に涙色のクーペに滑り込み、キーをひねって、大急ぎでその場を走り去る。

 わめき声を上げ、手をふりまわして戻って来いと叫んでいる二人をドアミラーで眺めながら、

「ぼくときたら、腕はいいけど、世界で一番馬鹿な殺し屋だな」

 と、ひとりごちる。

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― 新着の感想 ―
[一言] コンニチハワタクシなんかが読んで申し訳ありませんがどこでそうなると思うってのを書きます。 つまりこういうこと、がなんかよくわからない、のがハードボイルドからは程遠いのだとして、結論を仕向けた…
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