かく普通の恋物語
命短し、恋せよ乙女。
なんてよく言われる。
私はこの意味がよく分からない。
命なんてこの先永劫続くように思うし、恋せよ、なんて、誰かに言われたくないなんて思うのは私だけだろうか。
でも恋って、何だろう。
時折、本当に時々だけどそんな事を考えたりする。
友達は私に何て事ない様に聞く。
「あんた、好きな人いないわけ?」
その度に、私は所在無げに首を振って否定する。
したことがないから、感じた事がないから、分からない。
それはどんな気分になるのだろうか。
それはそんなに楽しい事なのだろうか。
春風が強く吹く。
それに伴い、桜の花が可憐に舞い散る。
「——ッ!」
制服のスカートを、捲り上げるように下からアッパー気味に吹く風に、私は苛立ちを覚えて慌てて裾を抑えた。
油断も隙もあったもんじゃない。
だけど、風はまだ冷たくて、私の眠気を覚ましてくれる気がした。
あー、まだまだ寒いね。
新学期という憂鬱な言葉を飲み込んで、歩き慣れた通学路をゆっくりと踏み締める。
漏れるため息は、散った桜の花を舞い上げた気がした。
「おっはよ」
「はよ」
ポンと肩を叩かれ、私は振り向いた。
友達の智子だ。
元気のトレードマークであるツインテールを元気良く振り回して、私を見つめる。
「相変わらず元気ないね。凛子は」
「そう? こう見えて新学期の出会いとやらにワクワクしてるけど?」
「……ウケる!」
ウケないけどね。
ってか、そのスカート短すぎない?
寒いでしょうに。
「ってか、聞いてよ。彼ぴっぴに浮気されたのー!」
「ぴっぴって、あんた今年で高3でしょ。その変な言葉遣い改めたら?」
「ぴっぴは、ぴっぴじゃん」
新学期から頭が痛い。
私達以外には、誰もいない通学路。
不自然な程に静かな一本道、ガサガサと音がしたので、その方向に意図せず顔を向ける。
——あっ、あれ。
「んでね、彼ぴっぴがね。……ね、聞いてる?」
智子の声は耳から零れ落ち、私のそのワンシーンに目を奪われた。
桜の花と、猫、そしてまだ若い眼鏡の男。
嬉しそうに猫を抱えるワンシーンは、まるで写真の一部から飛び出してきたように思えて、目を丸くする。
何て事ない一面。
猫が木から降りれなくなったとか、そんな理由だろうか。
男は心から嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑っていた。
「おー、良かったな。ははっ」
急速に、早鐘を鳴らす心臓。
その笑顔があまりにも、あまりにも綺麗で。
目が、身体が、縫い付けられみたいに動かないのだ。
頭がおかしくなったのか。
私は、制服の袖を口に当てて、そのシーンを噛み締めていた。
「どったの? 凛子の知り合い?」
「違うけど、うん。違う」
「そうなん。ほら、早く歩こうよ」
急かさせる様に、私はその場所を後にした。
余韻に浸っているのか、何度も、何度もあの一場面が頭から離れない。
「ねぇ、智子」
「なぁに? 彼ぴっぴの話再開する?」
「しない。……恋って、どんな感じなの?」
私の唐突な質問に、智子は唇に指を当てて考えてくれた。
「リフレインする、かな。何度もその人の事を考えたり、何度も同じ事を考えたりしちゃうかも」
あ、う。
いや、違う。
流石にそれはないし、そもそもの話だ。
春の季節だから、そんな思考になっただけ。
「そう」
「凛子が珍しいねぇ。どったの? 恋でもした?」
「ちが、違うし!」
「おー、そうかねそうかね」
智子の見透かした様な目は、好きじゃない。
奇跡とか、そんな曖昧な言葉は嫌いだ。
私は信じてない。
朝起きて、サンタクロースがプレゼントを置いてくれる、ぐらいには信憑性のない話だろう。
校門を入った辺りで、私はようやく落ち着きを取り戻した。
たった一瞬の話なのだから、関係ない。
勘違いだ。
ぶんぶんと頭を振って、靴箱へ。
「頼むよ、轟くん。初日の朝からそんな猫の毛をつけて」
「はは、すいません」
これだって聞き間違い。
わたしの勘違い、なんだから。
「この新学期の集会だけは、どうにかならないかな」
「まぁ、そう言わない! 今年も凛子と一緒のクラスが良いな」
「智子は彼ぴっぴとやらと同じクラスがいいんじゃないの?」
「えー浮気する奴なんて、金玉潰れて死ねば良いのに」
可愛い顔して怖い。
ざわつく体育館に、急に響くマイクの音。
かったるい先生の話に、新任の先生の挨拶。
さっさとクラス発表の紙が欲しい。
欠伸を噛み殺して、後手を組み直した。
「えー、次! 英語の新任。轟 大介先生!」
「お早うございます。みんな楽しく英語を勉強しましょう」
新任の癖にボサボサの髪、遠目からでも分かる気怠さ。
……奇跡なんて、信じてない。
……恋なんて、必要ない。
また早鐘を鳴らす心臓に、私は手で喝を入れる。
あれは、あさきゆめなのだから。
「このクラスの担当、轟です。三年生を受け持つのは前の学校でも同じだったから、気軽にどうぞ」
神様のアホ。
「じゃ、そこの子から自己紹介いってみようか」
えがおで、ゆびささないで。
「葵 凛子です」
これは、私のかく普通の恋の物語。
青き春の、短い恋の夢。