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2-1(黒いユニコーン1)

「これじゃあまるで、ジェダイと、笠をかぶったストーム・トルーパーだよ」

 と、アキラがため息交じりに呟いたのは翌日の朝のことである。

 ハクに行くためにナーナがアキラに用意したのは、半袖のチュニックに長ズボン、それと昨日履いたのと同じサンダルだった。さらに髪をすべて覆い隠すように頭巾をかぶせられた上に、日よけと思われる笠を頭に載せられた。サンダルと笠を除けばすべて洗い立てで目にも眩しいほどの白。その鮮やかな白さと、少しぶかぶかの仕立がアキラにストーム・トルーパーを連想させたのである。

 一方、アキラの笠の紐を結んでいるナーナは、アキラと同じ半袖のチュニックとズボンにサンダルという装いだったが、その上にフードの付いた地面まで届きそうなほど丈の長い漆黒のローブを羽織っていた。

『昨日オレを吹き飛ばしたのは、実はフォースだったのか?』

 と思わせるような出で立ちである。

 アキラの笠の紐を結び終えたナーナが後ろに下がる。そして満足げに頷き、彼女はアキラに、ゆっくりした口調で何事かを語りかけた。アキラの頭巾を指さし、念を押すように言葉を続ける。

 必ず髪を隠しておくように注意されているようだったが、理由がよく判らず、理解し損ねているかなと思いながらアキラは曖昧に頷いた。

 リュックを持とうとしたナーナを手で制し、自分で背負う。何が入っているのか大きさの割に妙に軽い。

 涼しいうちに行こうということだろう、まだ空は暗かった。

 坂道を下り、森を抜けたところで視界が開け、アキラは空を見上げた。月を探すが、やはりどこにもない。

 昨日、結局ナーナは、月を、少なくともアキラの描いた三日月を理解できなかったのである。日が落ちてから外に出てみたが、いつまで待っても月が昇ることはなかった。それはアキラを少なからず不安にさせた。カレンダーがおよそ30日ごとの12ヶ月に区切られているのは、太陰暦の影響が残っているからとアキラには思われた。

 それなのに三日月が判らないというのは、どういうことだろう--。

「<お嬢!>」

 遠くから呼ぶ声にそれ以上考えるのをやめて顔を向けると、道から少し奥まったところに建つ民家の前で、女性が手を振っていた。

 イーダだ。

 ナーナが手を振り返し、アキラも軽く手を上げた。

 昨夜、夕食を持ってきてくれた際に挨拶は済ませていた。名前を名乗ったイーダは、余所者のアキラにまったく物怖じすることなく右手を差し出した。握手を、ということだろう。文化的な問題はないかと少しためらってから差し出したアキラの手を、イーダは軽く握った。その際イーダが短く何かを言ったが、アキラには理解できなかった。ただ、とても温かみのある声音が、強くアキラの印象に残った。

 手を振るイーダの後ろの民家から、一人の男がのそりと姿を現した。背が高い。小柄なイーダの頭が男の胸の辺りまでしかない。

 アキラは知らなかったが、それがイーダの夫だった。

 彼は手を振るイーダをちらりと見て何かを言うと、どこか忌々し気な視線をナーナとアキラに送り、そのまま家に戻っていった。

 何軒かの民家の前を通り過ぎる。

 しかし、イーダ以外の住民に出会うことはほとんどなかった。たまに出会うと、声をかけるどころか二人から目を背け、誰もがそそくさと姿を消した。

 ナーナは何も言わない。もちろん、アキラも何も訊ねない。

 やがて川に突き当たり、短い橋を渡った先でさらに視界が開けた。

 アキラは思わず目を見張った。

 見たこともないような平地が、見渡す限り広がっていたのである。

 山は、二人の後ろを除けばどこにもなかった。いや、遠くにかすかに青く見えているのがどうやら山のようだった。

 平地の中ほどに光の帯が見えた。朝日を反射して輝くその帯が、川幅さえ判らない大河の流れだと気づいて、アキラはぽかんと口を開いた。

 ナーナが右の方向を指さす。

「ハク」

 彼女が指さしたその先に、城郭と市街地らしきものが霞んで見えた。そのハクに向けて、幾本かの細い線が平地をまっすぐに走っていた。

 それが街道だった。

 実際に一番近い街道に出て、アキラは今度こそ驚きの声を上げた。

 右を見ても左を見ても、まるで鏡に映したようにまったく歪みのない石畳の道路がどこまでも続いていたのである。

 終わりらしいものはまったく見えない。いや、よく目を凝らすと、右方向に伸びた街道の果てに城郭らしきものが微かに見えた。

「ハク?」

 アキラが指をさしておそるおそる訊くと、こくりとナーナが頷いた。

 街道は車道と歩道に分けられ、4車線道路ほどもありそうな車道の両側に3~4mの幅の歩道が設けられていた。車道は中心部から僅かに曲線を描いており、よく見ると歩道との境目に排水溝と思われる穴が穿たれていた。

 街道の両側には街路樹が植えられ、これもやはり果てがないかのように続いていた。

 まだ朝が早いからか、交通量は少なかった。遠くでガラガラと音を立ててハクに向かって走り去って行くのは馬車のようだった。

 こっちとナーナに手招きされ、アキラもそちらに--ハクとは逆方向に--向かって歩道を歩き始めた。

 ほどなく集落が見えて来た。

 ただ、集落そのものは街道から少し離れており、歩道が切れ、街道と直接繋がった広場の奥に、木造の平屋が1軒だけ建てられていた。平屋の間口は広く開けられ、縁台が3つ、軒先に並べられていた。平屋の前には街路樹もなく、獣の匂いが漂い、馬のいななきが時折響いていた。

 駅馬車用の駅舎と、希望をこめてアキラは推測した。


 駅舎は間口の倍ほどの奥行きがあり、そこにも縁台が規則正しく並べられていた。縁台のひとつに座るようアキラに促し、ナーナは入口から見て左側に設けられた炊事場に向かって声をかけた。

 すぐに間伸びした返事があり、40代と思われる女性が一人、姿を現した。太った女性だった。顔の幅はナーナの2倍ほどあり、体はナーナの3倍ほどもあった。

「あら、お弟子ちゃん。またハクに行くのかい?」

 ふくよかな顔に満面の笑みを浮かべて彼女は言った。

 縁台に座って辺りを興味深げに見回しているアキラに気づいて、

「そちらはお弟子ちゃんの連れかい?」

 と訊ねる。

「うん、ハク行き切符二人分と、朝ご飯をお願い。それと、よく冷えたビールを二つね」

 腰に巻いたポーチからお金を出しながらナーナが言う。

「はいはい、ちょっと待っててな」

 お金を受取り、女性は炊事場に姿を消した。何ほども待つことなく、縁台に座ったナーナとアキラの間に木製のジョッキがドンと置かれた。

「朝ご飯はすぐに持って来るからね」

「ありがとう、おばちゃん」

 ナーナはジョッキを手に取ると、一気に喉に流し込んだ。ごくごくとひと息で3分の1ほどを飲み干し、ふーとため息をつく。体にまとわりついた冷たい視線が、不快感と一緒に足元まで洗い流されていくようだった。

 そのナーナを、アキラは驚いたように見つめ、ためらいながら自分もジョッキを口にした。すぐにジョッキから口を離し、やっぱりと呟く。アルコールがどうのこうのと言うのが聞こえたが、当然ナーナには判らない。

「アキラ、呑めないの?」

 ナーナはそう訊いたが、こちらも当然アキラには伝わらない。

 ただ、なんとなく、自分がビールを呑んでいることに、アキラが戸惑っているとナーナには感じられた。

 まだ何かをぶつぶつと呟くアキラを横目に、ナーナはビールをさらに喉に流し込んだ。もしかしたらと彼女が考えたのは、文化的に何か問題があるのかも知れない、ということだった。例えば、アキラの世界では、魔術師、もしくは女性がアルコールを呑むことを禁じられているといったような、何かが。

 ま、関係ないよね、と考えて、ナーナは残ったビールを飲み干した。

 ジョッキは、大ジョッキほどもあった。見事な呑みっぷりである。

 ま、いいかと、アキラが呟くのが聞こえた。もちろん、ナーナに意味が判った訳ではない。ただ、文化的な問題には目を瞑ろうと考えたようだった。アキラがごくごくとビールを喉に流し込んでいく。おやおやと見ていると、彼は一息にビールを飲み干した。

 こちらも見事な呑みっぷりである。

 ナーナは思わずおーと言って拍手をしていた。

 それに応えるように、アキラはジョッキを僅かに掲げて縁台に置いた。未成年なのはオレも同じだし、と言ったようにナーナには聞こえた。

「二人とも、いい呑みっぷりだねぇ」

 感心したようにそう言ったのは、二段に重ねたお膳を運んで来たおばちゃんである。

「ちょっとお弟子ちゃんにお願いがあるんだけど、いいかい?」

 お膳を置きながらおばちゃんが言う。

「なに?」

「冷蔵箱の氷を切らしちまっててさ、もしよければ作ってくれないかい?ビールをもう一杯ずつ奢ったげるからさ」

「もちろんいいよ。そんな話なら大歓迎」

「じゃ、製氷箱に水を入れたら呼ぶよ。それまで食べてて」

「うん」

 と頷いてナーナはアキラを見た。

 アキラは、お膳に載せられた朝ご飯をまじまじと見つめていた。お膳にはご飯に卵焼き、魚の干物と漬物が並び、箸が置いてあった。アキラが箸を手に取り、不思議そうに見ている。使い方が判らないのかと思って見ていると、茶碗を手に取り、器用に食べ始めた。慣れたものである。あら、わたしより上手、とナーナは思った。胸のうちで負けん気がむくむくと起き上がって来るのを、いやいやと宥める。

「はい、おかわり」

 おばちゃんがジョッキをふたつ、縁台に置く。

「ありがとう」と、ナーナも箸を取った。


 箸を見ながらアキラが考えていたのは、文化的な充実だった。

 ナーナの家で使ったのはフォークとスプーンで、この世界に箸が存在するとは、アキラはまったく予想していなかったのである。フォークを使う文化と箸を使う文化が両方存在しているということは、文化的な交流が異文化との間で濃密に行われている証しのようにアキラには思われた。

 箸があるからここが過去か未来の地球--という訳でもあるまい。


「お弟子ちゃん」

 ナーナが食べ終わるのを待ってくれていたのだろう、箸を置いたナーナをおばちゃんが呼んだ。

「準備できたよ」

「うん」

 最後にビールを飲み干し、ナーナは立ち上がった。

「ちょっと待っててね」

 アキラにそう声をかけてから、酔いに足がふらついていないか注意しながらおばちゃんの待つ炊事場へと向かう。


「魔術も演出よ」

 いつのことだったか、師匠はナーナにそう教えてくれた。

「人は自分の見たいものを見る。多くの者は、儂らが魔力を持っているから魔術が使えると思っておる。だが、そうでないことは、もう理解しておろう?」

 話の流れを掴みかねながら、ナーナは頷いた。師匠はその日、なぜか上機嫌で、口数がいつもより多かった。

「儂は、精霊を操る技術に関してはお前よりも遥かに劣る。だが、魔術について知らぬ者は間違いなく、儂の方がお前より魔力が上だと考えるだろうよ。魔術師として、儂の方がお前より優れていると。それは儂の知識と経験にもよるが、儂の、このいかにもな風貌と演出によるところが大きいと儂は考えているよ」

 腰まで伸びた長い髭を大事そうにゆっくりとしごく師匠を見ながら、確かにとナーナは心の中で頷いた。

 精霊を使いこなすには、呪文を正しく唱えること、リズムや音程を間違えないことと、耳に心地よい声を生まれながらに持っていることが重要だった。

 そうでなければ、彼らは機嫌よくこちらの願い事を聞いてくれない。

 師匠はよく呪文を間違えたし、音程を外すことも多かった。声質についても、師匠の声は残念ながら精霊好みの声ではなかった。

 しかし、呪文を間違えても、精霊に逆らわれても、そんなそぶりを微塵も感じさせないのが師匠の上手さだった。

 その師匠が教えてくれた「魔術も演出よ」という教えは、深く彼女の心に刻み込まれていた。

 術を使うときは、魔術師らしく見せること。

 人が、見たいと思っているように、だ。


 水を張った製氷箱が3つ、炊事場の奥に据えられた冷蔵箱の前に並べられていた。高さは20cmほど、幅は50cmほどで、奥行きは30cmほどだ。この箱で作った氷を冷蔵箱の上部に入れて、食品を保存するのである。

 製氷箱の前に立ち、深く息を吸い込んだ後、ナーナは詠唱を始めた。

 水を氷に変える呪文はすでにルーチン化してある。単純に言えばそれを呼び出すだけで、仕事は終わりである。

 しかし演出上も、効率の上でも、それでは足りなかった。

 まず彼女が始めたのは、火の精霊と水の精霊、それに風の精霊を呼び出し、彼らのために歌うことだった。詠唱の中身は、その時点ではほとんど意味はなかった。ただ、彼らを喜ばすためにリズム良く言葉を並べているだけである。

 彼らが自分の歌を、声を好んでいることをいつ頃知ったのか、ナーナはもう覚えていなかった。物心ついた時にはすでに彼らのために歌い、姿の見えない彼らが楽しそうに踊るのを、揺れる木々や花々を通して見ていたのである。

 湿っぽく、暖かい風が彼女の髪を撫でる。

 知らないものが見れば、風もないのに彼女の髪が靡いているように見えるだろう。まるで彼女自身から力が溢れて、風が湧き起こっているかのように。

『みんな、機嫌よさそう』

 そのまましばらく精霊が髪を弄るのに任せ、もう十分だろうというタイミングを見計らって、ナーナはルーチン化した呪文を呼び出した。

 火の精霊が製氷箱の水から熱を奪い、水の精霊がその熱を循環させて空気中に放出し、風の精霊が運び去る。水の精霊は、熱を循環させると共に製氷箱の水を端から順に整列させていく。

 製氷箱から水の凍る音が小さく響き始める。反応が始まれば早い。ここまで来れば、後はもう黙って見ているだけだ。

 しかし、ナーナはさらに詠唱を続けた。実際には、彼女が行っていたのは精霊たちのために心のまま歌っているだけだった。さっきのビールの影響でげっぷを出しても、多少言葉に躓いても、この時点ではもう問題なしである。

 製氷箱から響いていた音が止まり、ナーナは精霊たちへの感謝を歌って詠唱を終わらせた。

 ふーと長い息を吐く。もちろんこれも、演出である。

 3つの製氷箱の水はすっかり凍っていた。

「終わったよ、おばちゃん」」

「もう?いつものことだけど、お弟子ちゃんはホント仕事が早いねえ。ありがとう、お弟子ちゃん」

 満面の笑みを浮かべておばちゃんが礼を言う。

「ううん、お礼を言われるほどのことじゃないよ」とナーナは応えたが、それは謙遜でもなんでもなかった。

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