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10-1(黒い剣の世界1)

 デアからハクまでは、デアに来た時と同じように駅馬車を使った。

 たまたまだろう、二日目の宿は行きと同じ宿で、ナーナが大浴場から戻ると、アキラはベッドに座り、壁を背に足を投げ出していた。アキラの前、ベッドの端に、黒い剣が音もなく浮かんでいた。

 ナーナは黙ってベッドに上がると、アキラの隣に壁を背にして座った。

「何してるの?」

「考え事」

 アキラはそう答えて、黒い剣を見つめたままナーナに訊ねた。

「ナーナ。これ、何に見える?」

 ナーナは宙に浮いた黒い剣に目を向けた。そうと知っているからだろう、ナーナには、それは剣にしか見えなかった。

 しかし改めて問われれば、剣にしては異様である。

「知っているからだと思うけど、剣にしか見えないよ」

「そうだね。オレにもそう見える。でも、なぜ剣なんだろう」

「どういう意味?」

「人の命の重さを具象化したのなら、なぜこれは球体じゃないのか、ってことだよ」

「……ああ」

 ナーナはアキラの質問の意味を理解して頷いた。

「そうだね。重力が強ければ強いほど、球体になるはずだもんね」

「そう」

「球体じゃなくて剣の形をしているのはさ」

 ふと心に浮かんだことを、ナーナはそのまま口にした。

「やっぱり、何かを切るためじゃないのかな」

 アキラの身体が、少し震えた気がした。あっという形に口を開き、壁から体を起こす。やがて、「そうか」と呟き、アキラはしばらく沈黙した。

 再び口を開いた時、彼はそれまでとまったく関係のない話を始めた。

「……オレが読んだ本にね、『コンタクト』っていう小説があるんだ」

「うん」

「宇宙からメッセージが送られて来て、人類は苦労してメッセージに従ってある機械を組み立てるんだ。それは星の彼方に行くことができる機械で、人類を代表して、数人の魔術師が乗り込むんだけど、その機械でブラックホールの中を通って行く際の会話に、こんなセリフがあるんだよ。

『誰か、因果律の破綻を感じることはなかったかな?』って」

「どういう意味?」

 ナーナの質問に答えることなく、アキラは「少し恐いな」と、言った。

「何が?」

「これから、何が起こるか判らないことが。ナーナ、君を」

「なに?」

 アキラが少しためらう。

「……失くしてしまうかも知れないことが」

 ナーナは笑った。なぜかおかしかった。

 ナーナの笑い声に、訝しげにアキラが首を回す。

「大丈夫だよ」

「えっ?」

「わたしはここにいるよ。ずっと。アキラと一緒に。だから、何も恐がることなんかないよ」

 アキラがナーナを見る。まるで彼女を初めて見るかのように、驚いた表情で。

「ナーナ……」

 そう呟いたアキラの口調に、ナーナは聞き覚えがあった。アレクシで、もう一人の自分を見た時の口調だ。

 この人は今、誰を見ているんだろう。

 わたし?それとも、彼女?

 ああ、でも、そんなこと、もうどうでもいい。今、ここにいるのは、わたしだ。他の誰でもない。彼が見ているのは、わたしだ。ナーナ。それはわたしの本当の名前じゃないのかも知れない。でも、そんなことはどうでもいい。ナーナ。これは、彼がわたしにつけてくれた名前だ。

 だから、わたしが。今は、わたしが。

「大丈夫。だから、大丈夫だよ。アキラ」

 そう言って、かつて名のなかった少女は、朗らかに笑った。



 カナルに帰り着いた二人は、ヴラドと共に、まずイーダの家に寄った。

「お嬢!」と叫んで走り出して来たイーダは、ナーナと抱擁を交わした後、ふとナーナを見上げて「お嬢、少し背が伸びた?」と訊いた。

「うん」と、ナーナは頷いて笑った。

「それで」

 とヴラドが言ったのは、その夜のことである。

「何か、オレに話があるんだろう?」

 そう言ったヴラドの手には、日本酒の入ったグラスが握られていた。帰ってから、アキラが譲ってもらいに行って来たのである。

「ええ」

 つまみの入った木皿をテーブルに置きながらアキラは頷いた。

「フランさんの、この世界のことです」

「まだ何かあるのか?」

「オレの想像でしかないんですが」

 そう前置きして、アキラはナーナの横に腰を下ろし、テーブルを挟んで向かい合ったヴラドに話し始めた。

「フランさんが言ってた、この世界が滅ぶ理由について考えてみたんです。それでよく考えると、シェルミ様が過去へ飛んだっていうのは、間違っているんじゃないかと思うんです」

「何故だ」

「まず、シェルミ様が、52万年前という不必要なほど過去へ飛んだこと。次に、ラクドで黒い剣が現れたときに、シェルミ様とナーナがオレの前に現れたのが一度封印が解かれた2日後だったこと」

「でもよ、確かにあの子は過去へ飛んだんだろう?」

「いいえ」とアキラ。「シェルミ様は過去へ飛んだんじゃない。未来へ飛んだんです。未来へ飛んで、飛んで行った先に、過去があったんです」

「判らねえ」

「シェルミ様が過去へ飛ぶことでループができているんじゃないんです。この時空間そのものが、ループになっているんです。黒い剣によって」

 あっとナーナが声を上げた。

「じゃあ、わたし、ううん、黒い剣を抱いたわたしがいるのは」

「そう。多分、君はこの世界の外に出たんだよ」

「そうか」とナーナが呟く。「そこが一番遠いところだったんだ」

 アキラは頷いた。

「ナーナは、黒い剣をとにかく遠くへ運ぶようにマスタイニスカに言われていた。その彼女が行ける一番遠いところは、この世界の外だったんだ。彼女の体の中の妖魔が、そこへの行き方を知っていたんだと思う。彼女はそれで終わると思ってた。でも、そうはならなかった。黒い剣は、時空間そのものを歪めてしまったんだ。ループ状にね。

 新しい神が、ナーナがこの世のすべてを支えていると言ったのは、この時空間の中心に彼女がいるからなんだと思う。

 世界は、彼女を中心にして時の流れを刻んでいるんだよ」

「それじゃあ、フランさんが言ってた、いずれにしてもこの世界が終わる、というのは、この時間の流れが過去に衝突するため……?」

 アキラは小さく頷いた。

「多分ね。フランさんは、この世界をマスタイニスカの世界だって言ってました。それはそれで正しいんですが、もっと言えば、この世界は黒い剣の世界なんです」

「黒い剣の?」

 ヴラドが問い返す。

「はい。フランさんは、黒い剣が作られるのはまるで定めでもあるかのようだ、って言ってました。そして、新しい神は大災厄のことを始まりだと言いました。始まりは始まりだと。おそらくそうなんです。黒い剣が、始まりなんです。彼ら、”あらゆるもの”にとって、時間の流れはオレらと異なっています。始めに黒い剣があり、黒い剣の向こうから彼らは来たんです。そして、あとづけの理由として、ウィストナッシュが、いえ、誰でもいい、誰かが黒い剣を作った。止められないはずです。黒い剣の方が先に存在していたんですから」

 ヴラドがグラスを傾けて日本酒を喉に流し込む。

「それで?」

「あとづけの理由でも、理由は理由です。彼ら、”あらゆるもの”は、彼ら自身が黒い剣に飲み込まれてしまった。いえ、彼ら自身が、オレらのこの時間軸の中で黒い剣になった」

「E=mc^2」

 ナーナが小さく呟く。

「どこが始まりか、オレらの感覚では残念ながら判りません。ただ、おそらく彼らはその一部が黒い剣になってしまったために、自分たちが何者か判らなくなったんです。でも、彼らは元に戻ろうとした。そして、オレを生んだ。わたしは何者だ。わたしたちは何者だ、という問いに答えさせるために」

「オメエはその答えに辿り着いたんだな」

「はい」

 アキラは頷いた。

「答えは目の前にありました」

引用元を明示します。

新潮文庫「コンタクト」カール・セーガン 池央耿/高見浩訳

以上より引用させていただきました。

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