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9-5(マスタイニスカの世界5)

 夏の盛りであるにも関わらず、マスタイニスカの屋敷は庭に出ても心地よい涼風が吹いていた。空は青暗いと言っていいほどの快晴で、その空に視線を彷徨わせたままアキラは広い中庭の木陰に座って一人黙然と考え込んでいた。

「アキラ」

 彼にそう声をかけたのはナーナである。

「落ち着いた?」

 アキラは顔を上げて、歩み寄るナーナに訊いた。

「うん」と頷いて、ナーナはアキラの隣に腰を下ろした。しかしその目は、まだ赤く充血していた。

「アキラは何をしてたの?」

「フランさんが言ったことの意味を考えてた。なぜこの世界が滅ぶのか」

「それで、何か判った?」

 アキラは首を振った。

「何も。でもね、これが最後の手がかりなんだという気がしてる」

「手がかり?」

「うん。ただ、まだよく判らないけれどね」

 短く応えてアキラは黙った。

 ナーナもそれ以上は何も問おうとせず、彼に体を寄せて自分の膝を抱え込んだ。

「ナーナ」

 しばらくして、アキラが呟くようにナーナに問いかけた。

「なに?」

 ナーナもまた、小さく呟くように応えた。

「オレは何を解放するんだろう」

「黒い剣じゃないの?」

「そう思ってたんだけどね、そうだとしたら、ナーナが神々に祝福も呪いもされなかった理由が判らないんだよ」

「ああ」

 少し考えてから、ナーナは言葉を続けた。

「そうだね。黒い剣を解放すると地球が壊れちゃうんだもんね。そうだとしたら、神々がわたしを呪わなかったのがむしろ不思議だよね。闇の神なら祝福してくれるかも知れないけど、闇の神でさえわたしを祝福も呪いもしなかったんだもんね」

「うん。だから、ただ黒い剣を解放するってだけじゃないんだと思う」

「解放したら、何が起きるの?」

「判らない。でも、それはすべての神々にとって祝福すべきことであり、同時に呪うべきことでもある、ということなんだと思う」

「どうして?」

「解放者であるオレを呼び出すことで君が祝福もされず、呪いもされなかったから。逆に言えば、オレが解放する何かは、神々にとっては祝福すべきことであり、同時に呪うべきことでもあるってことだよね」

「そうだね。そういうことになるかな」

「新しい神は、君が報われることを望んでいると言ってた。それに、新しい神は信者を連れて門から逃れようとした。それはつまり、闇の司祭様が言った通り、神々は人に好意を持っていて、無関心ではない、ということだと思う。

 それも気になってる」

「……それは、当たり前のことだと思うけど」

 アキラは小さく笑った。

「オレの感覚だとそうでもないかな。神々って、本来は人には無関心なんじゃないかって思うよ」

「そうかなぁ」

 アキラの肩に小さな頭を凭せ掛け、ナーナは呟くように言った。アキラはナーナのその呟きには答えず、再び宙に視線を彷徨わせた。

「何故、シェルミ様は52万年前まで飛ぶんだろう」

 しばらくして、アキラはまた独り言のように呟いた。

「そんなに昔まで飛ぶ必要はないってこと?」

「うん。それと、ラクドでナーナとシェルミ様が現れたのが、黒い剣の封印が解かれた2日後だったよね。ここに鍵がある気がするんだ」

「鍵って?」

「多分、シェルミ様は……」

 そう呟いて、アキラはまた深い思索の中に沈んで行った。

 ナーナはアキラに寄り掛かったまままぶたを閉じた。疲れが彼女の意識を途切らせかけていた。無理もない。馬車がデアに着いたのは今朝のことだったのだから。

「ナーナ」

「なに」

 強い眠気を感じながら、ナーナは応じた。

「”あらゆるもの”って何なんだろう。彼らは、どこから来たんだろう」

「わたしたちは、物理法則の外にある存在をひっくるめて”あらゆるもの”と呼んでるけど、何かと改めて訊かれると判らないな。でも……」

「でも、なに?」

「そういう意味では、黒い剣も”あらゆるもの”のひとつとかなって思ったの」

「ああ、なるほど。黒い剣も”あらゆるもの”のひとつか……」

「それにね、”あらゆるもの”がどこから来たかなんて考えたことないよ。最初っから当たり前のようにあるんだから」

「それはそうだよね」

「うん」

「”あらゆるもの”、”あらゆるもの”か……」

「アキラ」

「なに?」

 頭のすぐ上からアキラの声がした。それで彼が、自分を見下ろしているのだとナーナは知った。彼の体のぬくもりが傍らにあった。ただそれだけのことであったが、ただそれだけのことが、今のナーナには計り知れないほどの慰めになっていた。

「どうしてフランさんは、わたしたちと一緒に旅をしてくれたのかな……」

「それは多分、……」

 アキラの声はまるで子守歌のように彼女を眠りの中に落としていった。彼の話す答えがただの推測に過ぎないことはナーナにも判っていた。しかしその答えは、何の抵抗もなく彼女の心に深く沁み込んでいった。

 フランの寂しげな笑みと明るい笑みが、ナーナの脳裏に浮かんだ。

「そうか……」

 アキラにも聞こえないような微かな声でナーナは囁いた。

 それなら、良かった、と。



「帰って来たぜ、嬢ちゃん」

 娘たちのひとりであるまだ若い魔術師と話していたヴラドが、ふと、鼻をひくつかせて言った。固い顔で見守るナーナの10mほど先で、落雷が落ちたかのような光の筋が地面から立ち上がった。そしてその光の筋の間から、アキラが姿を現した。

「アキラッ」

 ナーナはそう叫んで走り寄った。アキラが笑みを浮かべて彼女に応える。

「上手くいったよ」

 ユン魔術師の判断で、マスタイニスカの体を門の向こうに送ることにしたのである。

 世界が滅ぶにしても、少しでもその時間を伸ばす方がいいのではないか、と。お母さまがそれで少しでも長く命を留められるならと。

 アキラたちがマスタイニスカの屋敷に滞在してすでに2ヶ月近くが経とうとしていた。

「アキラ殿」

 ユン魔術師がアキラに歩み寄りながら声をかけた。

「お世話になりました」

「いいえ。こちらこそお世話になりました」

 ユン魔術師が首を振る。

「とんでもありません。この後は、どうなさるのですか」

「帰ります、カナルに」

「そうですか」

「それじゃあオレは、お役ごめんってことだな」

 さばさばした口調で言ったヴラドに、アキラが顔を向けた。

「いいえ。ヴラドさん、改めてカナルまでの護衛をお願いしてもいいですか?」

「もう護衛なんか必要ねえだろう?オメエなら」

「美味い酒もあります。是非、来ていただけると嬉しいんですが」

 ヴラドがアキラを見下ろす。まるで、アキラの心の内を琥珀色の瞳で見透かそうとでもするかのように。

「ヴラドさん、お願い」

 そう言ったのは、アキラの傍らに寄り添うようにして立ったナーナである。

 牙を剥き出し、ヴラドは笑った。

「嬢ちゃんに頼まれたんじゃあ、しょうがねえ。引き受けてやるよ」

「ありがとうございます、ヴラドさん」「ありがとう、ヴラドさん」

 二人は、声を揃えて言った。

 数日後、ユン魔術師とシェルミに見送られて、アキラとナーナはカナルへの帰路についた。彼らがカナルを旅立ってから、すでに1年が過ぎていた。

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