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9-4(マスタイニスカの世界4)

 マスタイニスカの屋敷は、旅に出る前に、デアに滞在した折にアキラとナーナが借りていた貴族の屋敷からさほど遠くない上流階級の人々の住むエリアにあった。そのエリアの中でも、格別に長い塀に囲まれていたのが、マスタイニスカの屋敷だったのである。

「ここ、通ったことあるよ、わたし」

 入り口の大きな門を見上げてナーナは言った。アキラも彼女の横で頷いた。

「あるね、確かに。まさか、伝説の魔術師がこんなとこに住んでいるとは思いもしなかったけど」

「やっぱり街中の方が便利が良くてね。人里離れた山の中だと年寄りには不便でしょ、いろいろ。その方が伝説の魔術師らしいんだけどね」

「確かにそうですね。買い物に行くだけでも大変ですし」

「でしょ?」

「ところでフランさん、この街のデアって名前も、もしかして、マスタイニスカ様が住んでいるからそう名付けられたんですか?」

「そう。表向きの理由は違うけれど、その通りよ。ショナを建国したのも、そもそもはお母さまの療養場所を確保するためなの。さすがにラクドって名を付ける訳にはいかなかったから、デアって名付けたの。

 あたしも建国には協力したのよ。

 ここは守るのにもいいし、交通の便も良くって。お母さまの好きないい温泉も湧いているしね」

「たった一人の療養のために建国とは、それはそれですげえ話だな」

 シェルミを腕にしがみつかせたヴラドが言う。旅の間にヴラドは、シェルミの一番のお気に入りになっていた。

 そうこう話しているところへ、門が内側から開かれ、魔術師の黒いローブを纏ったユン魔術師が姿を現した。

「お帰りなさいませ、フラン姉さま」

 フランを見つめ、彼女は言った。そして、アキラやナーナに顔を向け、温かい笑みを浮かべた。

「みなさまも、よくおいで下さいました。どうぞ、お入りください」

「お邪魔するわ、ユン」

 フランが応える。

 どう見てもユン魔術師の方がフランよりはるかに年上で、判ってはいたものの、どうしても違和感を感じずにはいられないやり取りだった。

「不思議な光景だな」

 全員の気持ちを代弁するかのようにヴラドが呟き、フランを先頭に、一行はマスタイニスカの屋敷に足を踏み入れた。


「そうでしたか。この世界が時間の中でループを……」

 そうユン魔術師が呟いたのは、屋敷のゲストルームでのことである。落ち着いた内装の中庭を臨む部屋で、アキラたちは広いテーブルを挟んで、ユン魔術師と向かい合うように座っていた。

「ええ。理解してくれた?」

「はい。お姉さまがこれまで何をご覧になって来たのか、ようやく理解いたしました」

「今日ここに来たのはね、シェルミ様をお願いしたかったからなの。シェルミ様はここにいていただくのが一番だと思うから」

「承知いたしました。わたくしたちで、シェルミ様は大切にお預かりいたします」

「ありがとう、ユン」

「お母さまがお亡くなりになれば、シェルミ様はおひとりで過去へ行かれるのですね」

「ええ。そうなるわ」

「それは、なんとかすることはできないものなのでしょうか?」

「あの」

 アキラが二人の会話に割って入った。小さく手を挙げている。

「ひとつ提案があるんですが」

「なに?見習君」

「マスタイニスカ様の寿命を延ばす方法についてです」

「そんなことが可能なのですか」

 身を乗り出してユン魔術師が訊く。

「おそらく。ただ、フランさんにもユン魔術師にも納得していただけるかどうか判らない方法なんですが、聞いていただけますか?」

「ええ。話してみて」

 意外なほどに冷静な声でフランが応じる。初めて聞く話のはずだが、あまり驚いた様子がなかった。そのフランを、床に座ってシェルミを遊ばせていたヴラドが琥珀色の瞳でちらりと見た。

「マスタイニスカ様を、門の中に落とすんです」

 アキラが言う。

 ユン魔術師は絶句した。

「……お母さまを、門の中に。そんなこと」

 そう言ったユン魔術師を見つめて、アキラは言葉を続けた。

「もちろん、黒い剣に飲み込ませようという訳じゃありません。ユン魔術師は、ウィストナッシュ様をご存知ですか?」

「ええ、お会いしたことはありませんが、闇の司祭様ですよね。知っています。それが、お母さまを門の中に落とすのと、どう繋がるのですか」

「闇の司祭様は、マスタイニスカ様が黒い剣を封印した際に巻き込まれて、ラクドの封印に飲み込まれていました。その状態で1200年ほど生きて来たんです。同じことを、マスタイニスカ様にもできないかって思うんです」

 ユン魔術師が考え込む。しかし、しばらくして彼女は頭を振った。

「わたくしには判りません。詳しくお教えください、アキラ殿」

「詳しい説明は省きますが、重力がとても強いところでは、時間はほとんど止まってしまうんです。光に近い速度で動いている物体も。闇の司祭様は、ラクドの封印に飲み込まれた時に、自分の身体の周囲に強力な結界を張って潮汐力の影響を殺しつつ、黒い剣の封印の中にある事象の地平線の近くで周回運動をすることで、ほとんど時間が止まった状態で生きて来たんです。ですから、同じ様にマスタイニスカ様にも強力な結界を張って、黒い剣の中の事象の地平線の近くを周回させれば、寿命を延ばすことができるんじゃないかと思うんです。

 いえ、寿命を延ばす、と言うのは正しくないですね。時間を止めることで、亡くなるのを遅らせるだけですから。

 ただそうなると、おそらくもう、マスタイニスカ様とは顔を合わせることはできなくなると思いますが」

「お母さまは、少なくともすぐに亡くなられることはなくなる、ということですね」

 納得した様子でユン魔術師は言った。

「ええ。上手くいけば。マスタイニスカ様を門の中に落とす際には、オレも一緒に門に入ります。一度やったので、多分やれると思ってます。もしそれで失敗したら、すぐに封印が解かれてこの星は一巻の終わりになってしまいますが」

「なかなか面白れぇカケだな」

 床に胡坐をかいて座ったヴラドが口を挟む。ヴラドが見上げる先には、天井近くで歓声を上げるシェルミがいた。ヴラドに放り上げられて、ふわりふわりと浮いて、そのまま落ちて来ないのである。

「いかがでしょうか」

「フラン姉さま」

 フランに顔を向けてユン魔術師が言った。

「いずれにしても、お母さまが亡くなられればこの世が滅んでしまうのなら、わたくしは試してみたいと思います。お母さまとお別れしなければならないのは辛いことですが、それでお母さまのお命が助かるのであれば。

 如何でしょう?」

 フランが微笑み、微かに赤い光が煌めく瞳を、アキラに向けた。

「そうね。あたしも賛成よ、見習君」

 やっぱり驚いていないな、とアキラは思った。すでに想像はついていたが、フランが何かを隠していることは確かだった。

「ユン。お母さまの具合は、最近はどうなの?」

 ユン魔術師が首を振った。

「最近は、もうお眠りになっているだけで、お声もまったく聞こえません。お世話だけは皆でしておりますが」

「会わせていただけるかしら」

「勿論です。みなさまもよろしければご一緒に」

「ええ。そうさせていただけますか」

 アキラはそう応えて椅子から立ち上がった。しかし、ふと隣に座ったナーナを見ると、彼女は立ち上がるどころか顔を伏せて固く両手を握り締めていた。

「ナーナ?」

「アキラ、もう一度、門の中に入るの?」

 アキラを見上げ、声を上ずらせてナーナが問う。アキラはナーナを見つめたままもう一度椅子に腰を下し、膝に乗せたナーナの手に、自分の手をそっと重ねた。

「うん。そうしようと思ってる。オレじゃないとできないことだから」

「でも」

「心配ばかりさせてゴメンね」

 そう言って彼はナーナに笑って見せた。

「大丈夫。できるよ、きっと。それにね、駄目だったらみんな一緒に死んじゃうだけだから、そんなに心配することはないよ」

「変な励まし方」

 不安を含んだ声でナーナが言う。

「そうだね。でも、そういうことだから」

「うん」と弱く頷いて、それでもしばらく考えていたナーナだったが、もう一度、うんと頷いた。濃い栗色の瞳にまだ不安を残していたが、彼女はしっかりとアキラを見返して微笑んだ。

「判った。アキラを信じる」

「ありがとう。じゃあ、マスタイニスカ様にお目にかかりに行こうか」と言って、アキラは彼女の手を引いて立ち上がった。


 マスタイニスカは、窓が広く、日当たりの良い部屋のベッドに寝かされていた。

 皺だらけの顔は小さく縮み、息はしていたが、今にも止まってしまいそうなほど微かな息遣いだけが聞こえていた。シェルミに似ていると言われればなるほどそうか、と思わないでもなかったが、やはり年齢が離れすぎていてそれとは判らなかった。

「お母さま」

 マスタイニスカに顔を近づけ、フランが声をかける。

「また、戻って参りました。お母さまに、愚痴を言いに」

 そうしてマスタイニスカを見つめたまま、「見習君」と、フランはアキラに声をかけた。

「なんでしょう」

「さっき言った方法だけどね」

「はい」

「確かにお母さまが亡くなるのを遅らせることはできるけれど、やっぱり世界は滅んじゃうの」

「……やっぱりそうなんですね」

 フランが体を起こしてアキラを振り返る。

「気がついてた?」

「オレの話を聞いてもフランさんが驚かなかったので、多分、すでに試したことがあるんじゃないか、とは思ってました」

「そうか。さすがね」

「フラン姉さま、そ、それはどういうことでしょうか」

 ユン魔術師が、声を詰まらせながら問う。寂しげな笑みを赤い唇に浮かべて、フランがユン魔術師に顔を向ける。

「前に、お母さまにお伝えしなければいけないことがあるって言ったでしょう、ユン。それがこのことなの。黒い剣が鞘から引き抜かれなくても、お母さまが亡くならなくても、この世界は滅んじゃうのよ」

「そんな……」

「なぜですか、フランさん。なぜ、世界は滅ぶんです?」

 アキラの問いに、フランは首を振った。

「それは知らないわ。あたしにも判らない。でも、見習君が言ったように、さっき見習君が言った方法は前に試したことがあるの。見習君が知らないうちに門を開いてね。これで世界は救われる、お母さまも亡くなられなくて済むと思ってたのに、気がついたら別の時間の流れの中にいたの。

 最初は何が起こったか判らなかったわ」

「フランさん。だったら、フランさんはなぜ、ここにいらっしゃったんですか?」

「愚痴を言うためよ」

「愚痴ですか」

「ええ」

 フランは頷いた。

「お母さまはもうじき死んでしまう。ユンも、おおかみくんも、お姫ちゃんも。もちろん見習君も。ううん、見習君とはまた会えるかも知れないけれど、次に会った時には、あたしのことは忘れちゃってる。でもね、あたしは忘れられないの。みんなのことを忘れられないの。お母さまがそうしちゃったから。悲しみも、少しも薄れないの。記憶が薄れないから。今でも、死んでしまった妹たちや、姫姉さまのことをありありと思い出せるの。ついさっきまで、そこにいらしたみたいに」

 フランの乾いた瞳から、音もなく涙が流れた。そして静かに、アキラを見つめてフランは問いかけた。

「なぜなの?なぜ、あたしは忘れられないの?見習君」

「フランさん……」

 アキラの横でナーナが呟く。

「辛いの、すごく。だから、いつも恨み言を言うために、ここに来るのよ。世界が終わるときに」

「だから、戦乱の種をバラまいているのか?」

 野太い声でそう問うたのは、シェルミを腕に抱いたヴラドだった。少し驚いたように、フランはヴラドの琥珀色の瞳を見返した。

「気がついていたの、おおかみくん?」

「すまねえ、今のは引っ掛けだ。しかし、噂で聞いたことがあってな。西の戦乱は、誰かが終わらねえように裏でいろいろ動いているんじゃねぇかって。そうじゃなきゃあ、あんなに長く続くような戦乱じゃねえってな。オレはまた、商人どもがなんかやってんだろうぐらいに思ってたんだが」

「そうか。あたしも駄目ね、おおかみくんのそんな嘘に引っ掛かるなんて。

 でも、本当よ。

 あたしや姫姉さまの犠牲の上にこの世界は成り立っているのに、誰もそのことを知らない。だから、戦乱の種を蒔いているの。みんなを、この世界そのものを不幸にするためにね。西の戦乱だけじゃないわ。他にもいろいろやってる。

 だってあたしは、既に死せる者、シャッカタカーなんだもの」

 と、フランの体が影に包まれていった。

 足元から次第に、少しずつ。

「フランさん!」「フラン姉さま!」と、ナーナとユン魔術師が叫ぶ。

「さようなら、お姫ちゃん。旅は楽しかったわ」

 そう言って、フランは消えた。


 ユン魔術師が開けた扉の向こうで、ナーナは泣き続けていた。滞在用にとアキラとナーナに割り当てられた部屋で。ユン魔術師はそのナーナに歩み寄り、ナーナがうつ伏せたベッドに腰を下ろした。

「お姉さまのために、そんなに悲しんでもらえるのですね」

 ユン魔術師はそう言って薄い笑み浮かべた。ナーナの髪を、皺だらけの手で優しく撫でる。

「わたくしは、この歳になるともう涙も出ません」

「だって、だって」

 細い声を震わせてナーナは言った。

「お礼を言わせていただいてもいいですか?」

 ううんと首を振り、ユン魔術師に頭を預けて、ナーナは頷いた。ひとり去っていったフランのために、激しく泣きじゃくりながら。

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