9-3(マスタイニスカの世界3)
「すみません、まだ疑問があるんですが、シェルミ様はそれほどの力をお持ちになっていて、黒い剣が作られることもご存じなのに、なぜ、あのへっぽこが黒い剣を作るのを防げないんでしょう。そうするのが一番良さそうですが」
アキラがフランにそう聞いたのは、さらにその翌日の夜のことである。
シェルミはナーナがお風呂に連れて行っていて、宿に併設された食堂でヴラドを含めた3人でジョッキを傾けている間のことだった。
「そうだよなぁ。オメエもいたんじゃねえか、その時には。オメエらならなんとかできただろう」
「そこがあたしも良く判らないところなの。当然、お母さまもあたしも黒い剣が作られるのを防ごうとするんだけど、何故かそれができないの。今回はあのへっぽこが黒い剣を作ったけど、あのへっぽこだけじゃないの、黒い剣を作るのは。あのへっぽこを始末して防いだつもりでいても、必ず誰か別の人が黒い剣を作ってしまうのよ。
まるで、それが定めかなにかみたいに」
「定め、ですか」
「それでよフラン、そもそもオメエはなんで不死になっちまったんだ?自分で術をかけたのか?」
「不死じゃないわ。不死みたいなモノ。ただ、忘れないだけよ、あたしは何も。それに、自分じゃないわ、術をかけたのは」
「とすると、シェルミ様ですか」
「ええ」
何か苦いものでも飲み込むようにフランはジョッキを口に運んだ。
「見習君なら、もう気がついているかな。お母さまはこの時間が終わると、もう前のことは憶えていないの。考えてみて、この時間が終わる時には、この時間の始まりのときに”あらゆるもの”と契約したお母さまは亡くなってしまう。次の時間の流れの中では、今のシェルミ様が新しいお母さまになるの。
それはもう、別の人よ」
「そうだとしたら、フランさんに術をかけた方は、もう」
「ええ。もう時間の層の下に埋もれてしまった。あたしに術をかけたお母さまには、もう会えないの」
フランはどこか遠くに視線を向け、囁くように言った。
「話さなくていいんだぜ、無理には」
ジョッキを口につけながらヴラドが言う。
「ゴメンね、大丈夫よ」
薄く笑ってフランは言葉を続けた。
「お母さまは考えたの。繰り返しているこのループの知識を、次の自分にも伝えていかないといけないって。だから、あたしに術をかけたのよ」
「それは」と、アキラが妙に慎重な口調で訊いた。「どんな術だったか、フランさん、ご存知ですか?記憶を、どこに留めているか」
「ううん。術をかけられた時は、まだあたしもよく判ってなくて。何度か別の時間の流れのお母さまにも訊いたけど、誰も判らなかったわ」
「……そうですか」
「それで、オメエがアキラと初めて会ったのは、いつのことだ?」
「うーん。憶えてはいるけど、いつと言われると難しいわねえ。姫姉さまと出会う2回前のことだから、確か……」
「姫姉さまって、ナーナのことですか?」
「そうよ」
答えるフランの声が少し弾んでいた。
「姫姉さま。とてもお綺麗で、とても綺麗な長い髪をされていたわ。それにお優しくて、どんな仕草をされても優雅で気品があって」
「ホントのお姫さまでしたからね、ナーナは」
アキラも同意する。彼女の話ができるのが少し嬉しかった。
「ええ。おおかみくん、その時の姫姉さまは見習君のこと、アキラさまって呼んでたのよ。信じられる?」
「嬢ちゃんの前世、だったか?ちょっと信じられねえな。と言うか、まったく似合わねえ。どっちも」
「でしょ。笑っちゃうでしょ。でも、前世というのとはちょっと違うかな」
「何が違うの?そうなのかなってわたしも思ってたけど」
ナーナがアキラにそう訊いたのは、部屋で二人っきりになってからである。アキラは自分とナーナの布団を押し入れから引っ張り出しながら答えた。
「ナーナは、まだどこかにいるんだ」
「……どういうこと?」
と訊いたナーナの胸が、また少しざわついた。それに気づいたのか、アキラが優しくナーナを見返した。
「そう言えば、まだちゃんと謝ってなかったね。ごめんね、ナーナ。アレクシでは哀しい想いをさせて」
ナーナの胸のざわつきが嘘のように溶け去っていった。我ながら現金だなあと思いながら、自然と口元に笑みが浮かぶのを、彼女は抑えられなかった。
「ううん。いいの。それより、あの人のこと、教えてくれる?」
「あの人と言っても、君のことなんだけどね。ぜんぜん憶えてない?」
「う、ん。多分」
夢で見た気がした。絵に描かれた空と海。あれが、もしかして。
しかし、アキラはそのナーナの様子に気づくことなく布団の上に胡坐をかいて話し始めていた。
「ナーナは、ラクドに行く途中に立ち寄ったオアシスの廃墟の地下室に、牢獄があったの憶えてる?」
アキラが敷いてくれた自分の布団に腰を下して、ナーナは頷いた。
「うん。ガストンさんが趣味が良くない男だったって言ってた、あそこだよね」
「そう。あそこで、初めて君と出会ったんだ。でも、不思議と初めて会ったって気がしなくて、どこかで会ったことがあるような気がしたのを憶えてる。何故だろうね」
そう言えばと、ナーナも思った。わたしもそうだった。倒れているアキラを初めて見た時に、なぜか見覚えがある気がした。あれは、前のわたしの記憶だったのかな、とナーナは腑に落ちるのを感じていた。
「その時、君は裸でね、裸であの牢獄に閉じ込められているところへ、オレが現われたんだ」
「えー!なにそれ!」
「驚いた?」
「イヤラシイ」
一語一語区切るようにナーナは言った。
「え゛」
「イーダ姉さんの言う通りだわ。男はみんな狼だって」
「いやいや、オレが君を裸にしたんじゃないから。って、話、続けていいかな」
「いいわ。聞いてあげる」
ツンと顎を上げてナーナは言った。なぜか、完全に上から目線である。
小さくため息をついて、少し笑ってからアキラは話を続けた。
「君はね、指輪に縛られているって言ってた。君の名前を刻んだ指輪に縛られているって。指輪をつけた人の言うとおりに動かないといけないって。マスタイニスカがその指輪を作って、気まぐれで、あの屋敷の主人に与えたって。
でも、それはぜんぶ嘘だったんだけど。
オレが君と一緒に過ごしたのは、あの時間の流れの中では多分、半日もなかったんじゃないかな。牢獄にいるところを、君はラクドの騎士に連れて行かれて。オレは、今回と同じように切られちゃって。ああ、ごめんね、辛いことを思い出させて。もちろん、その時も死ななかったんだけど。オレは切られた後、奴隷商人の馬車に拾われてね。で、奴隷商人の馬車でラクドに連れて行かれる途中、火の一族に襲われて、あの時は、今回とは逆にラクドの騎士に助けられたんだ」
「似ているけど、少しずつ違うんだね」
「うん。あの時は、助けられた後にラクドの騎士に跳馬に乗せてもらってラクドまで行ったんだよ。でもそこで、変な悪霊に取り憑かれてさ、その悪霊の力でラクドの王宮に忍び込んだんだ。今回みたいには紹介状を持ってなかったから。
キスリス神官王は、あのときもシェルミ様を助けることしか考えていなかったな。
でも今回と違うのは、ウィストナッシュがオレを殺そうとしたことかな。マスタイニスカに言われた通り。
ウィストナッシュと争っている時に、聖墓の前でナリアが自分の目を切って、それで動揺したオレに応えて、黒い剣が現われたんだ」
「ナリアって誰?」
「君が、最初に会ったときにはお姫さまだったって話は聞いた?」
「うん。古い王家のお姫さまだったって」
「オレも詳しくは知らないけど、デアにも負けないぐらい、魔法王国としては相当、繁栄してたらしいね。君はそこの、順位は低かったけど、王位継承者だったんだ。デアと違って神々にも愛された王国で、君は生まれたときと、10歳になったときの2回、愛と美の女神に祝福されたって聞いたよ。その君に、ラミーナ様という第一王位継承者の姉上がいたんだ。ラミーナ様は戦神に愛されてて、生まれたときと10歳になったとき、そして、20歳になったときの3回、戦神に祝福されたそうだよ。そのラミーナ様が妹君である君をとても愛していてね。
でも、君が14歳になった夜に君は王宮から姿を消してしまった。
実際には、マスタイニスカが君を攫っていってたんだけど、ラミーナ様は姿を消した君を探すために父王を幽閉までして王位を簒奪して、世界中を探し回ったって。そして、世界中に戦乱のタネを撒き散らした挙句、遠征先で部下に殺されたって。そのラミーナ様の血を受け継いでいたのが、ナリア」
「……」
「運命なんだろうね。ナリアは、オレが拾われた奴隷商人の馬車に乗ってた。たまたまというには、あまりにできすぎだけど、それが神に愛されるってことかも知れない。でも、ラクドに到着する前に、ナリアはマスタイニスカに術をかけられたんだ。オレを殺すように。ラクドの黒い城壁にも遮られることなく、オレのことが見えるように、自分の目となり、耳となるようにね。
まさか、自分が手先にした子が--ナリアは8歳だったかな--そんな因縁を持っているとは思わなかったんだろうね、さすがのマスタイニスカも。
それで、聖墓の前で行われていることをマスタイニスカはナリアの目を通して見てた。でも、ナリアの血の中のラミーナ様がマスタイニスカの術に抵抗して、ナリアは自分の目を切ったんだ。マスタイニスカに何も見せないために、オレを刺すために持っていたナイフで。
ナリアの悲鳴は、まだ耳にこびりついているよ。
それで、黒い剣が現われたんだ」
「……凄い話だね」
「うん。黒い剣が現われたときには、やっぱり今回と同じようにシェルミ様が君とナリアを助けてくれた。アスは死んでしまったけど」
「アスって誰?」
「奴隷商人の馬車に乗っていた別の奴隷だよ。いいヤツだったよ」
「そう」
「キスリス神官王は、聖墓に行く前にナーナを縛っている指輪をオレに譲ってくれてた。封印が解放されてラクドが消えて、オレとナーナとナリアとシェルミ様だけが生き残って。オレはナーナを縛っている指輪を、黒い剣で破壊したんだ。でも、それはナーナの記憶を取り戻す鍵でしかなかったんだ。指輪がナーナを縛っているなんて全部嘘っぱちだった。
ナーナは記憶を取り戻して、黒い剣を手にしたオレの両腕を引き千切ったんだ」
「……」
「美しかった。血まみれの君は。だから、オレは見惚れてしまった。君が何をしようとしているのか、見届けたかった。オレを見返した君は、瞳いっぱいに、哀しみと決意を湛えていた。その決意を邪魔したくなかった。そして、君は詠唱を始めて、やっぱりとても綺麗な魔法陣が現われて、黒い剣とともに消えたんだ」
「どこへ行ったの」
アキラは首を振った。
「判らない。今も。フランさんは、その時の君は、黒い剣をとにかく遠くへ持っていくようにマスタイニスカに言われていたって言ってたけど。
ナーナ、君も、自分がどこにいるか判らないだろう?」
「わたしは」と、ナーナは考えた。「ここにいるよ。アキラと一緒に」
アキラが笑う。
「そうだね。でも、どこかに消えた君もいるんだよ。そして、この世界のひとつの時間の流れの終わる頃に、なぜだかいつも違う姿で現われて、オレを呼ぶんだ。助けてって。でも、まだオレは君を助けられないでいる」
「……助けてもらってるよ、アキラ」
「そうならいいんだけどね」
そうアキラが言った時、ナーナの瞳から、ふと涙が頬に伝い落ちた。瞬きひとつすることなく、アキラをまっすぐ見つめたまま。
「ナーナ?」
と問いかけたアキラに、ナーナは首を振って見せた。わたしはここにいるよ。と、ナーナは思った。助けてもらっているよ、と思った。離れたくなんかなかったよ、とも思った。ずっと、一緒にいたかったよ、と。
「ナーナ、どうしたの?」
狼狽えて問いかけるアキラに、ナーナは首を振った。何も言えず、ナーナはただ、首を振ることしかできなかった。
「ごめんね」
そう言ったナーナの顔を、アキラは心配そうに覗き込んだ。
「本当に、大丈夫?」
「うん」
こくりと頷いて、ナーナは笑った。
「でも、なんでそんなことができたの?その時のわたしは。アキラの腕を引き千切るなんて、人間業じゃないよね」
泣いていたことが嘘のような声でナーナは訊いた。まだ心配そうにナーナの表情を窺いながらアキラは答えた。
「マスタイニスカと同じだよ」
「えっ?」
「他にもそういう子がいたのかも知れないけど、オレが知っているのは君だけだ。マスタイニスカは、黒い剣を奪わせるために”あらゆるもの”を、正確には、妖魔を彼女の子宮に潜り込ませて、彼女を常人とは違うモノに変えてしまったんだ。ある意味、フランさんと同じだよ」
「ひどい」
「フランさんがナーナに優しいのは、自分と同じ境遇だと思っているからかも知れないね。本当のところは判らないけど。でも」
アキラは少し言葉を切った。
「ひとつだけ判らないことがあるんだ。初めて君に会ったとき、君はオレのことを知っていたみたいなんだ。オレの名前を聞いて、とても驚いてたから。なんでだろうね」
それはね。とナーナは思った。
口元に浮かんだ笑みをアキラから隠して。
多分、ユニコーンに聞いたんだよ。ユニコーンが、将来結ばれるべき相手として、その時のわたしにアキラの名を囁いたんだよ。でも、そんなことは言えないよ。ユニコーンが囁いたなんて。だって、女の子はみんな言うもの。あなたの名を、ユニコーンは囁いたわって。
例え、そうじゃなくても。
もし、ユニコーンが本当にあなたの名を囁いたなら、それこそ、そんなこと恥ずかしくて言えないよ。
ねえ。どこかにいるわたし。そうでしょ?
「そういえばさ、アキラは昨日話してくれたことを、いつ思い出したの?」
ナーナがアキラにそう訊ねたのは、翌朝、出発の準備も終えて、アキラが布団を畳んでいる時だった。
「カズナで門に落とされた時。黒い剣を手にした時にも記憶は少し戻って来てたけど、本当に以前の記憶を取り戻したのは、門の中で……」
押し入れの引き戸を閉じていたアキラは、不意に言葉を切った。
「どうしたの?」
「いや、今、何か重要なことを……」
アキラはそのまま硬直したようにじっと考えて込んでいたが、やがて諦めたように首を振った。掴みかけていた何かは、どこかへすり抜けてしまっていた。
「駄目だ。判らない。ヴラドさんたちが待ってる。もう行こうか」
心配そうに自分を見つめるナーナに声をかけ、アキラは荷物を手に部屋を後にした。




