9-2(マスタイニスカの世界2)
「アキラ、ヒント!」
ナーナがそう言ったのはその夜、1泊目のホテルでのことである。
「ヒントをひとつ!」
ホテルのベッドに胡坐をかいて座り、人差し指を一本だけ立てて、彼女は言った。窓際の椅子に座ったアキラは、少し笑ってから答えた。
「オレが推測できるということは、ナーナも知っている人ってことだよ」
「えー。それだけ?」
「それじゃあさ、フランさんの妹の--って違和感あるけど、ユン魔術師について、フランさんはなんて言ってた?」
「真面目でお母さま想い……」
「で、オレを殺そうとした理由はなんだっけ?」
「未来を見ることができて、未来にアキラの姿を見たから……。あー!」
「そう。そんな力を持った人が何人もいたらびっくりするだろ?」
「マスタイニスカ様が”あらゆるもの”と契約した時には幼かったって、フランさん言ってた。まさか」
「他に考えようがないよね」
「……シェルミ様」
呆然呟いて、ナーナはポカンと口を開いた。
「そうよ」
翌日の朝食の後に、フランは頷いた。
ホテルのロビーのソファーに座って、アキラとナーナの3人で旧大陸からの輸入品であるコーヒーの入った湯呑を前に寛いでいるところだった。
シェルミは3人から少し離れたところで、床に胡坐をかいて座ったヴラドの巨体によじ登って遊んでいた。シェルミが三角の耳を引っ張っても、毛を小さな手でワシャワシャしても、ヴラドは唸りもせずにじっと耐えていた。
「そんな」
そのシェルミを見つめながら、ナーナは喉から絞り出すように呟いた。
「シェルミ様、たったおひとりで……」
「おそらく、黒い剣が鞘から引き抜かれなくても、今のマスタイニスカ様が亡くなられると、これだけの封印を維持できなくなってしまうんじゃないですか?」
アキラが、フランの顔を探るように見つめながら訊ねる。
「その通りよ。そうしたら、何が起こると思う?お姫ちゃん」
「あのへっぽこが言ってたように、この星が、壊れちゃうんじゃ……」
「そうよ。もっとも、ここにいる見習君が鬼のような形相になって壊しちゃったこともあるんだけどね。何があったかは言うまでもないと思うけど。でも、その通り、地球が壊れちゃうの」
「それで、逃げ場がなくなって、過去へということですか」
アキラが問う。
「ええ、そう」
「でも、随分と過去へ飛ぶんですね」
「そうね。それだけ必死だったということかしら。あたしにもなぜそんな遠い過去まで飛んだのかは判らないわ」
「フランさん。フランさんは昨日、人が神々を創ったって言ったよね。もしかして、マスタイニスカ様、ううん、シェルミ様が神々を創ったの?」
「そうよ、お姫ちゃん。新しい神みたいにすべての神がそうだという訳ではないけれど、ほとんどの古い神々や精霊はお母さまから生まれたの」
アキラは深く頷いた。
「闇の主神を道具扱いするはずですね。シェルミ様が生みの親なんだから」
「ええ。神々も精霊も、妖魔でも、お母さまならわざわざ呪文を使って従わせる必要はないわ。もちろんお母さまの言葉に逆らう子もいるでしょうけど。あたしみたいにね。でも、神々のほとんどは、お母さまの言葉に従うはずよ」
「神々がシェルミ様の言葉に従う、ですか」
感嘆したようにアキラがフランの言葉を繰り返す。
「昨日フランさんが、この世界がマスタイニスカの世界だって言った意味が判りましたよ」
「でしょ」
アキラは続けて訊ねた。
「月が破壊された後始末も、シェルミ様が?」
「そうよ。黒い剣を封印する際に月のほとんどは失われてしまったけれど、欠片がいくつか落ちて来たわ。お母さまがそれを神々と協力して西の大洋に下ろしたのよ。
それでも、被害は相当なものだったけれど」
「それが、大災厄……」
ナーナが呟く。
「ええ」
「そのことでちょっと気になっていることがあるんですが、ナーナが見つけた、黒い剣が月を破壊したっていう記述の日記は、もしかして、フランさんの仕業じゃないですか?こうして伺っていると、黒い剣が月を破壊するところを見た人がいるとは、ちょっと思えないんですが」
「さすがねえ、見習君。その通りよ。他にもいろいろ手がかりを残してるわ。全部、あたしの仕業よ」
「何のために?」
そう訊ねたナーナに、フランは笑顔を向けて淡々とした口調で答えた。
「お姫ちゃんたちをラクドに向かわせて、黒い剣を出現させるためよ。見習君が言った通り、お母さまが亡くなればいずれにしてもこの世界は終わっちゃうから」
「むしろ、出現させて、なんとかできないかと」
アキラが横から確認する。
「そうよ」
「なんとかできるの?」
「なんともできてないわね。今までは」
「おーい」
ヴラドが囁き声で彼らを呼んだ。見ると、寝そべったヴラドの胸の上でシェルミがぐっすりと眠っていた。
「なんとかしてくれ」
シェルミを起こさないよう、やはり囁き声でヴラドが言う。
「はいはい」と、フランが立ち上がる。「そろそろ出発しましょう」
「ええ。そうしましょうか」とアキラは応えた。
「なんとかできないのかな」
湖の畔に建てられた瀟洒なホテルの一室で、ナーナは言った。2泊目の宿でのことである。
「アイディアはあるんだ」
椅子に座って何か考えていたアキラは、あっさりと言った。
「本当?!」
「うん。でも、フランさんやユン魔術師が納得してくれるかどうか判らないから、デアに着いてから話すよ」
「えー」
「それよりね、ちょっと気になってることがあって」
「なんなの?」
「うーん。フランさんの言ってることなんだけど、なんか、ちょっと納得いかないというか。フランさんが嘘を言ってるとは思わないんだけど。例えば、なぜフランさんは家を出たんだろう」
「そんなこと良くあることじゃない?反抗期とかさ」
「反抗期って、フランさん、ウルトラマンより年上なんだよ?」
「ウルトラマン?」
「あ、ゴメン、話が逸れた」
「わたしは気にならないけどなぁ。マスタイニスカの娘たちってことは、女性ばっかりなんでしょう。それはいろいろあるんじゃない?いじめとか、いろいろさ」
「うーん。フランさん、何か誤魔化しているような気が……あ、それで思い出した」
「なに?」
アキラがナーナに顔を向ける。わざとらしく眉間に皺を寄せていた。
「ナーナ、アレクシの家を片付けてたらオレの知らない魔術書がたくさん出て来たんだけど、あれ、いつ買ったの?」
「あ、今、それ言うか」
「ナーナ、ちょっとここに座りなさい。君は少し無駄遣いが多すぎるから、一度説教しなくちゃと思ってたんだ」
自分の前の椅子を指さして、アキラが声を厳しくして言う。
「あーあ。買い物も好きにできないなんて、口うるさいお婿さんもらっちゃったな」
座っていたベッドから素直に立ち上がりながら、ナーナは文句を言った。
アキラは笑った。
「なんかそれ、オレの世界だと男の言うセリフだよ」
ナーナも笑いながら、あれっと思った。なにか違和感があった。アキラの言ったことに何か。なにか、とてもひっかかることが。しかし、なんだろうと思っているうちに話題は別のことに移って、ナーナがその違和感の正体に気づいたのは、それから随分後になってからのことだった。




