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8-4(マスタイニスカの娘たち4)

 ナーナは、カズナの港から少し離れた海沿いの崖の上に築かれた城の塔の最上階に閉じ込められていた。ふたつの窓にはどちらも鉄格子が嵌められ、扉の外には二人の兵士、そして室内に設えられたふたつの椅子のひとつには、必ず魔術師協会の魔術師が一人座っていた。彼女への配慮からか、そのほとんどは女性だったが、話すことを禁じられているのか、室内にいる間はまったく口を開いてくれなかった。

 室内にあるのは他に小さなベッドとやはり小さな机だけだ。

 詠唱はできたものの、何か呪をかけられているのだろう、精霊を呼ぶことも重力結界を使うこともできなかった。

 一度だけユン魔術師が訪れ、ナーナにアキラのことを質問していった。アキラが何者なのか。どこから来たのか。しかし、まず自分をここに連れて来た理由を教えて欲しいというナーナの質問には一切答えてくれなかったため、ナーナの方でも頑なに答えるのを拒んで、ため息だけを残して、ユン魔術師は帰って行った。

 城の中庭を臨む窓から微かに詠唱が響いて来ていた。その詠唱に、ナーナは聞き覚えがあった。

 門を開くための詠唱である。

 彼らが何をしようとしているかは、あえて考えるまでもなかった。アキラを門の向こうに追いやろうとしているのである。

 どうにかしないと、と気ばかりが焦ったが、室内にいる魔術師に隙はなく、疲れるのを待とうにも不規則に交代していて、ナーナにはどうしようもなかった。

「ユンも面白味のない子ねえ。こんな塔の最上階にお姫ちゃんを閉じ込めるなんて。おとぎ話もいいとこじゃない」

 突然知っている声が響いた。

 振り返ると、いつ現れたのか、フランが扉の前に立っていた。椅子に座った魔術師は、目を開けてはいたが硬直して瞬きすらしていなかった。

「フランさん!」

 ナーナはフランに駆け寄った。

「フランさん、あの人たち、門を開こうとしてるの。多分、アキラを門の向こうに追いやろうとしてるの。どうしよう」

「大丈夫よ」

 フランはナーナを安心させるように微笑んだ。

「そんなところだろうと思ってたから。お姫ちゃんは大丈夫?ちゃんと食事とか用意してくれてる?」

「うん。わたしは大丈夫。でも」

 さらに言い募ろうとするナーナの唇にフランが指を当てる。

「大丈夫よ。お姫ちゃんには辛いかも知れないけれど、なんにも心配する必要はないから。でも、ちょっとだけお姫ちゃんに術をかけさせてね。ここであたしに会ったことは忘れて、見習君が門の向こうに落とされてもお姫ちゃんがショックを受けないようにする術。いい?」

「フランさん、それは、それにどうして」

 と言った時には、フランは姿を消していた。

「えっ」とナーナは声を上げたが、なぜ自分が声を上げたかさえ、もう覚えてはいなかった。「今、確か」と言った彼女を、椅子に座った魔術師がフードの下から訝し気に見上げていた。

 わっと窓の外で喚声が上がった。「来たぞ」と言う声が聞こえた。扉が開かれ、外に控えていた兵士たちが彼女を連れていくために荒々しく室内に入って来た。


「賑やかだな」

 アキラの後ろを歩きながらヴラドは呟いた。

「大歓迎ですね」

 アキラが応える。

 二人の前には先導役の兵士がおり、城壁の上や建物の中から、兵士たちの喚き声が轟いていた。

「中庭に行くようだな」

「ええ。ヴラドさん、術に巻き込まれないように気をつけてください。巻き込まれたらお終いです」

「おお。ちゃんと教えてくれよ」

「ええ。ああ、フランさんが言ってたのはあの文様ですね。フランさんの言う通りだとすると、門の大きさは2mといったところでしょう」

「2mだな」

 ヴラドは頷いた。

「こちらにお立ちください」

 兵士がアキラを指し示したのは、土だけの中庭に描かれた文様の中心と思われるところだった。兵士が文様を踏まないように注意しながら離れて行く。

「なあ、この文様、消したらどうなるんだ?」

「それは聞いていませんでしたね。消せるんでしょうか。ちょっと試したい気もしますね」

 それから何ほども待つことなく、中庭に続く建物の中からきらびやかな軍服に身を包んだ、意外と小柄な男が現れた。

 それがギャレ軍団長だった。

 歳は50代だろうか。

 金髪を短く整え、人なつっこい笑みを浮かべて兵士たちの歓声に応えていた。ヴラドからあらかじめ聞いていた通り、鼻筋が通り、彫りの深い端正な顔立ちをした男だった。朗らかとしか言いようのない笑みを浮かべてはいたが、空のように青い碧眼は、強烈な意思の強さを湛えて中庭のすべてを写し取っていた。

「あれがギャレさんですか」

 アキラは背後のヴラドに囁いた。

「ああ、いけ好かないヤツだろ?」

「ええ。なんだか怖い人ですね」

「ああ。今まで会ったヤツの中でオレが本当に怖いと思ったのはヤツだけだ。ま、オレ自身を除いてだがな。

 だがよ」

 と、ヴラドが囁く。

「ヤツの髪をよく見てみな」

「えっ?」

「何か、生え際がオカシイ、と思わねぇか?」

 アキラはギャレ軍団長の端正な横顔を、短く整えられた金髪をまじまじと見た。

「……笑わせないで下さい」

 ヴラドが大きな手でアキラの肩を軽く叩く。

「ま、そういうことだ。気負わずやろうぜ」


 ギャレ軍団長はアキラの正面に設えられた椅子に腰を下ろし、後をついて来た兵士たちが両側に並んだ。その兵士の中に、白い犬の獣人、少佐の顔もあった。

 ギャレ軍団長が顔を上げるのを待って、ヴラドが声をかけた。

「よお、ギャレ、久しぶりだな」

「おう、腐れ狼。相変わらず怖え顔だなあ」

 快活な良く通る声でギャレ軍団長が応える。

「こんなところでお前さんに、しかもこんなかたちで会うとは思わなかったぜ。自慢の大剣を持ってねえな。どうした、質にでも入れちまったか」

「飛竜に喰われちまって無くしたんだ。作り直すにも金がなくてな。ちょっと貸してくれると助かるんだがな」

「ああ、いいぜ。オレの下でお前さんが働いてくれるんならな。ちょっとそこの魔術師見習いの坊やの首をここに持って来てくれたら、無利息、出世払いで貸してやるが、どうだい、腐れ狼」

 ヴラドは肩をすくめた。

「いい話だが、この坊やが今のオレの雇い主でね。そんなことをしたらオレの信用問題になっちまうんで遠慮しとこう」

「そうかい。そりゃ、残念だ」

「もうひとり、コイツの師匠もオレの雇い主なんだ。返してもらえねえか」

「ああ。いいぜ」

 ギャレが左手を上げて合図をする。

 中庭の右手の建物から、両側から二人の兵士に腕を掴まれて、ナーナが現れる。それに合わせて、弓を番えた兵士が中庭を囲む屋根の上にずらりと現れた。

「おっと動くなよ、若いの」

 アキラの機先を制してギャレが声を響かせる。

「お前さんが妙な業で飛竜を落としたってのは知ってる。弓も、狙っているのはお前さんだけじゃねえ。お前さんの師匠も狙っている。師匠の両側に立ってる兵士もおんなじだ。お前さんが妙な真似をしたらすぐにその師匠を殺しちまう様に言ってある。さらに言えばだ、姿を見せねえように魔術師も何人か、師匠に狙いをつけてる。

 オレとしちゃあ、こんな卑怯なやり方は性に合わねえんだが、それもこれもお前さんの力に敬意を表しているってことで勘弁してくれ」

「何がご希望なんですか」

 アキラはナーナからギャレに視線を戻し、低く抑えた声で言った。

 ギャレが楽し気な笑い声を上げる。しかし、アキラに向けられた彼の目にはひと欠片の笑いも浮かんでいなかった。

「おお、話が早そうだな。腐れ狼とくっちゃべる必要はなかったか。なに、難しいことじゃない。ちょっとそこで動かないでいてくれればいいんだ。そしたら、師匠は腐れ狼に連れて帰らせてやるよ」

「だめ、だめよ、アキラ!コイツら、アキラを門の向こうにっ!」

 ナーナが両腕を掴まれたまま身を乗り出すようにして叫び、彼女の左側に立った兵士がナーナの髪を荒々しく後ろに引っ張った。

「黙れ」と兵士が言った時には、兵士の腕は切断されていた。少し遅れて、悲鳴が上がった。ナーナのすぐ後ろに、黒い板のようなものが現れていた。いや、それは、剣先のようだった。それが、兵士の腕を切断したのである。

「狼狽えるな!」

 ギャレの大音声が、中庭に響き渡った。

 矢が放たれようとしたまさにその瞬間だった。

 ギャレが目で合図し、腕を切断された兵士が連れていかれ、すぐに別の兵士がナーナの腕を掴んだ。さらに3人の兵士が、新たにナーナの後ろに立った。そしてその時には、黒い剣先は、地中に吸い込まれるように消えていた。

「若いの。すまなかったな。しかし、ちょっとやり過ぎじゃねえか?」

「申し訳ありません。まだこの力に慣れていないので、つい」

 白々しさを隠すことなく、アキラが言う。

 ギャレはそのアキラに、芝居じみた仕草で大きく首を振って応えた。

「慣れてねえって割には、ズイブン正確に切断してったなあ。おい、腐れ狼。この若いの、キレ易いのか?」

「まあな。見ての通りだ」

「危ねえヤツだなあ。まあ、なるべく控えてくれよな。こちらも、ついってことはあるからよ。そしたらお互い不幸になるだけだ。

 そうだろう?

 若いの、ちょっと師匠に静かにしてるように言ってくれねえかな」

「ええ」と頷いて、アキラはナーナを見た。

 ナーナは唇を震わせ、目には涙を浮かべていた。そのナーナにただ微笑みかけ、アキラは頷いて見せた。

 ナーナに顔を向けたまま「ヴラドさん」と、小さく囁く。

「下がった方がいいです」

 アキラは、ナーナの重力結界と同じ直方体が地面から自分の周囲に伸び上がって来るのを見たのである。

 ヴラドが鼻を動かし、2歩、3歩と下がる。

 その様子を、ギャレも少佐も見逃してはいなかったが、二人とも何も言わなかった。

 伸び上がった直方体の天井が閉じ、アキラの周囲から音が消えた。そして突然、彼の足元に、黒い穴が開いた。

「アキラッ」とナーナが叫んだ時には、アキラの体は下へ、黒い穴の中へと落ちていた。門を閉じるための詠唱の声が大きく響き始め、ナーナの意識が遠のき、崩れ落ちそうになる彼女を支えた兵士の上に、巨大な影が落ちた。ヴラドだった。ヴラドが、兵士たちに覆い被さるように彼らを見下ろしていた。

「待ちな!腐れ狼」

 ギャレが鋭くヴラドに声をかける。

 ホントによく通る声だぜと思いながら、ヴラドは兵士から目を離さなかった。

「返してもらう約束だぜ、ギャレ。もう望みのモノは手に入れたんだろう?だったら、あまり欲かかねぇ方がいいんじゃねえか」

 そう言われたギャレは、ふむと頬杖をついた。そして、すぐに朗らかな笑みを浮かべてヴラドの背中に話しかけた。

「お前さんの言う通りだ。ああ、望みのモノは手に入れた。いいぜ、その子を連れて帰っても。若いのにも約束したからな」

「礼を言うぜ。そういう訳だ、こちらに渡しな」

 兵士がまるで割れ物でも扱うかのように意識を失ったナーナをヴラドに渡し、ヴラドは彼女をそっと抱き上げた。

「それじゃあ、邪魔したな。ギャレ」

「いいってことよ。今度ゆっくり酒でも呑みに来な。腐れ狼」

 ギャレと少佐に目をやり、軽く手を上げてヴラドは悠然と中庭から出て行った。アキラを飲み込んだ黒い穴は、すでに中庭のどこにも残っていなかった。

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