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8-2(マスタイニスカの娘たち2)

「ホントに、あなたが黒い剣を作ったの!?」

 ナーナはウィストナッシュに向かって叫んだ。ヴラドのひげを引っ張って遊んでいたシェルミが驚いたようにナーナを振り返る。

「当たり前だ、他に誰がいる!」

「そんなこと言って、具体的なことは何も話せないじゃない!どんな言語で、どんな呪を編んだのか!肝心なところになると秘密だとかなんとか言ってるけど、自分でも判ってないんでしょ!ホントは!」

「そんなことはない!」

 ウィストナッシュはそう叫んだが、ナーナはまったく信じていなかった。闇の司祭に対する敬意は、当然ながら彼女の中には欠片も残っていなかった。

「もういいわ。これ以上は無駄みたいだから」

 そう言ってナーナはメモを取っていたペンを置いた。

「ナーナ、怒ってるの」

 ヴラドの頭によじ登ったシェルミが訊く。シェルミの玩具にされているヴラドは諦め顔である。

「いいえ、シェルミ様。怒ってなんかいません。驚かせてごめんなさい」

「お話は終わった?お姫ちゃん」

 台所から現れたフランがナーナに訊ねる。

「うん。もうこれ以上は無駄みたい。このへっぽこ、自分がどうやって黒い剣を作ったか、何にも判ってないよ」

「人の命の重さを具象化するためにって、ちょっと聞くに耐えないひどい話をしてたけど、それじゃあどうにもならないってこと?」

 シェルミからなるべく離れた椅子に座り、ナーナとウィストナッシュの話を聞いていたアキラが訊いた。

「うん。人の命の重さを具象化するために、術の媒介にした人の奥さんを殺したとか、子供まで殺したとか、なるほどと思わないでもないけど、その行為と、黒い剣を繋げる部分が曖昧すぎるの。汲み出したエネルギーをどうやって質量に変換したのか、それをまたどうやって圧縮したのか、具体的な術式の話になると誤魔化してばかり。

 ホントにへっぽこよ」

「闇の司祭と呼ばれるこのワシをへっぽこ、へっぽこと」

 異相をさらに歪めて、ウィストナッシュが文句を言う。

 それを見ながらアキラは、慣れてしまえば怖くないもんだなぁと思っていた。ウイストナッシュの異相は、改めて見ると妙な愛嬌があった。

「それじゃあ、あたしは市場へ行って来るわ。シェルミ様も一緒に行きますか?」

「うん、シェルミも行くよ」

 シェルミが手を上げて答え、ヴラドの頭の上から滑り降りるのかと思う間もなく、フランの足元に現れ、歓声を上げて彼女に抱きついた。

「それじゃあ、頭巾を被りましょう。その御髪だと、すぐに怪しまれてしまいますからね」

 すぐ足元にいきなり現れたシェルミにまったく驚くことなく、フランが笑みを浮かべてしゃがみ込む。

「オレも出かけてこよう。ガストンのことをヤツの家族に伝えないといけないからな」

「ヴラドさん、それならわたしたちも行くよ」

 立ち上がったヴラドが、意味ありげな笑みを浮かべてナーナを見下ろす。

「いいんだよ、オレだけで」

 フランはシェルミに頭巾を被せ終わると、「少し待っててくださいね」とシェルミに断って、ウィストナッシュに歩み寄った。そして、身構えた闇の司祭の耳に、笑みを浮かべたまま何事か囁いた。闇の司祭がフランを見返す。チッと忌々し気に舌打ちして、ウィストナッシュが姿を消した。

「それじゃあな、お二人さん、ごゆっくり」

「しばらくは帰ってこないから、安心してね」

 ヴラドの巨体が玄関を潜って外へ出て行く。フランもすぐに、シェルミの手を引いてその後に続いた。

 扉が閉じ、居間に沈黙が落ちた。

「えーと」

 閉じた玄関の扉を見つめてナーナは呟いた。

「どうしよう」

 アキラがナーナの手をそっと取る。手荒くなることを自覚しながら、己の中の不安を埋めるように、アキラはナーナを強く抱き締めた。

 ナーナが小さく驚きの声を上げる。

「アキラ、どうしたの」

 両腕ごと痛いぐらいに抱き締められて、戸惑いながらナーナは訊いた。

「君を」と、アキラが囁く。「殺したかと思った」

「あ」

「砂漠に一人でいることに気づいて」言葉を詰まらせ、アキラはナーナの小さな頭に手をやって彼女の短い髪を撫でた。「……よかった」

 ナーナの口元に笑みが浮ぶ。強く抱き締められたままどうにか身じろぎし、ナーナはアキラの背中に腕を回した。

「大丈夫だよ」と、彼に応える。「足はあるよ。ちゃんと」

「ああ」

 ナーナの髪に顔を埋めたままアキラは笑った。

「そうだね」


「これからどうするの?アキラ」

 ナーナがそう訊いたのは、それからかなり時間が経ってからである。

 テーブルの上には、旧大陸に自生している木の種子を焙煎し、粉末上に挽いてお湯で抽出した飲み物--つまりコーヒーを入れた陶器製の湯呑が置いてあった。

「とりあえず、カナルに帰るのがいいかなと思ってるよ」

 コーヒーを飲みながらアキラが答える。

「そうだね。マスタイニスカ様がどこにいらっしゃるか、まったく手がかりがないもんね。一度帰って、出直した方がいいかな」

 ブラックで飲むアキラと違って、こちらは砂糖と牛乳入りのコーヒーを口にしながらナーナは言った。

「そのことなんだけどね、ナーナ。ナーナは、マスタイニスカ様が神殺しって呼ばれている理由を知ってる?」

「ううん。知らない。それがどうかしたの?」

「新しい神を追いやった門だけど、あれ、もしかしてマスタイニスカ様が作った術じゃないのかな」

「えっ」

 ナーナは驚きの声を上げ、アキラの顔を見返した。話が飛躍しすぎて、アキラが何を言おうとしているのか判らなかった。

「……どうしてそう思うの?」

「以前ナーナが、門って重力が関係しているのかもって言ってたよね」

「うん」

 神殺し、門、重力という単語を頭の中に並べながらナーナは頷いた。

「神追う祭りの最後に見た黒い柱、あったよね。あれもどうやらラクドの辺りに現れたらしいし、ラクドの封印と門ってさ、何か関係があると思うんだ。どちらも、重力が関係しているしね。

 だとしたら、ラクドの封印を作ったマスタイニスカ様が門を作ったと仮定しても、それほど無理な話じゃないかな、と。

 で、門を作ったから神殺しって呼ばれているとしたら辻褄も合うし」

「……うん、確かにね」

 ナーナにも判って来た。

 ただの推論ではあったが、少なくともラクドの封印と門に何らかの関係はあると考えるのは、間違っていない気がした。

「門ってさ、魔術師協会の秘中の秘だったよね。ということは、魔術師協会に手がかりがあるかも知れない。マスタイニスカ様の」

「ああ」

 ナーナは小さく声を上げた。

「そこまで考えてたんだ。確かに魔術師協会に当たってみる価値はあるよ、アキラ」

「そういう理由もあって、カナルに帰った方がいいかな、と。デアには帰る途中で寄ってもいいし、カナルに帰ってから出直してもいいしさ。それに」

「それに、なに?」

「なんだかカナルが懐かしくてね。知恵の神の言う通りなら、カナルがオレの故郷ってことになるのかなとも思うしね」

「わたしも、イーダ姉さんに会いたい」

「だからね、とりあえずカナルに帰るのがいいかなと思うんだ」

「うん」と、ナーナは頷いた。帰るという言葉が嬉しかった。

「そうだね。一緒に帰ろうよ、カナルに。カナルの山にさ」


「でも、マイタイニスカ様って、ホント何者だろうね」

 湯呑を両手で包むように持って、しみじみとナーナは言った。

「闇の主神で封印を作るなんてさ」

「そうだね」

 と、言いかけて、アキラはふと声を途切らせた。そのまま深い物思いに沈んで沈黙する。しばらくして「なぜ、闇の主神だったんだろう……」と、彼は独り言のように呟いた。

「何が?」

 アキラが話し始めるのを待っていたナーナが、湯呑を口に運びながら訊く。

「黒い剣の封印。なぜマスタイニスカ様は、黒い剣を封印するのに闇の主神を使ったんだろう」

「それは、黒い剣を封印するのに……、あ」

 アキラが頷く。

「そう。黒い剣を封じるには、時空間そのものである闇の主神を使うのが一番いいから、だよね。んー、むしろ他に方法がなかったからと言った方がいいかな。

 でも、なぜマスタイニスカ様は、そのことをご存じだったんだろう」

「それは」

 と言いかけ、アキラと同じ疑問に突き当たって、ナーナが口をつぐむ。

「重力が時空間を歪める速度は、光の速度と同じだ。だから黒い剣が現れた時に、それをどう封印するか迷う時間はなかったはずなんだ。もし迷ってたりしたら、もう地球はここに存在していないよね」

「……うん」

「だから、マスタイニスカ様は知っていたとしか思えない。黒い剣を封印するにはどうすればいいのか。どんな封印を構築すればいいか。

 それはつまり、黒い剣がどういうものか、マスタイニスカ様が知っていたってことだと思う」

「……うん」

「なぜ、マスタイニスカ様はご存じだったんだろう」

「それはさ」

 アキラと同じ疑問を抱きながら、ナーナはひとつの可能性を--自分でもあまり信じてはいなかったが--提示してみた。

「神々がマスタイニスカ様に神託を下されたのかも知れないよ」

「そうかも知れない。ただね、ナーナが神々に祝福も呪いもされていないことが、マスタイニスカ様に神託が下されていないことの証しのような気がするんだ。

 オレのこともそうだよね。

 もっとオレについての神託が下されていてもよさそうなのに、そうはなっていない。不思議なぐらい」

「……うん」

「なぜかは判らないけど、神々は黒い剣とは距離を取ってる。だから、神託で知ったんじゃない、と断言はできないけど、マスタイニスカ様は元々黒い剣がどういったものかご存じだったんじゃないかと思う。

 黒い剣が現れることをただ知っていただけじゃなくて、それがどういうものか、本当の意味で、知ってたんだ」

 アキラが宙に視線を彷徨わせる。そのまま口をつぐんで沈黙する。「やっぱり時間を……」と、彼が呟くのがナーナに聞こえた。「……だとしたら、マスタイニスカ様って……」

 アキラが眉をひそめる。

「でも、そうだとしたら逆に判らないことが……」

 ふと、ナーナはアキラから視線を逸らした。

 玄関に人の気配を感じたのである。

 ヴラドかフランが帰って来たのかと思ったが、そうではなかった。

 いつの間にかその人は玄関の扉の前に居て、笑みを浮かべてアキラとナーナを見つめていた。

 現実の人間ではないことはすぐに判った。彼女の体を透かして、玄関の扉が見えていたのである。

 ナーナは息を呑んだ。

 この世に実在するとは思えないほど、美しい人だった。

 歳は、ナーナとさほど変わらないだろう。

 明るく輝いた緑色の瞳は空に例えても海に例えてもまだ足りないほど深く澄み、腰まで伸びた金色の髪はまるでそれ自体が光を発しているかのようだった。肌は雪よりも白く、雪よりも遥かに柔らかな温かみに包まれていた。細く長い首の上には小さな頭が載り、チュニックから伸びた剥き出しの腕は指先までしなやかで、ただ立っているだけにも関わらず、均整のとれたその姿は、胸が痛くなりそうなほどに、優雅だった。

「だれ」と囁いたナーナの横で、アキラががたんと音をたてて立ち上がった。

 そして、驚いてアキラを振り仰いだナーナの前で、見知らぬ少女を見つめたまま、呆然と彼は呟いたのである。

「ナーナ……」と。


 激しく何かが倒れる音に、アキラはハッと我に返った。

 振り返ると、椅子を蹴って立ち上がったナーナが居間から逃げるように駆け去っていくところで、アキラはその背中に「ナーナ!」と声をかけたが、彼女は振り返らなかった。

 ナーナの部屋の扉が開き、再び閉じられる音が大きく響いた。

 アキラは玄関の前に佇む少女を振り返った。

 すぐにナーナを追いかけたかった。しかしアキラは、少女の方を振り返らずにはいられなかった。

 少女がアキラに悪戯っぽく微笑みかける。そして少し顎を上げながら横を向き、金色の長い髪を光の筋のように引いて、姿を消した。

「ナーナ……」

 アキラは少女の消えた空間に向けて小さく呟いた。

「王女さまが何してるんだよ……」

 ため息をつく。

 彼女が現れた理由はすでに察していた。

「どちらも同じ君じゃないか」

 そう愚痴って、彼はふと考え込んだ。

 自分の記憶を探るように、宙に視線を彷徨わせる。記憶は少しずつ蘇って来た。ガイド本に載っていたラクドの失われた神の挿絵も含めて。アキラは何かを数えるように指を折り始めた。

 暫くして、彼はうーんと小さく唸った。

 折っていた指はとっくにふた回り目を越えていた。

「それは、怒るか……な」

 そう呟いたアキラの耳元で誰かが囁いた気がした。こちらの世界に来るときに夢の中で聞いた、助けを求める声と同じ声で。しかしその声はあまりにも微かで、彼女が何と言ったのか、アキラに聞き取ることはできなかった。

 アキラは何かを振り払うように誰もいない玄関から視線を逸らすと、慌ただしくナーナの部屋へと向かった。


 帰宅したヴラドが居間で見たのは、テーブルに両肘をついて一人頭を抱えているアキラの姿である。

「嬢ちゃんは?」

「自分の部屋にいます」

 ひどく沈んだ声でアキラが答える。

 そこへナーナの様子を見に行っていたのだろう、フランが首を傾げながら居間に戻って来た。

「お姫ちゃん、ひとりにして欲しいって。ずっと泣いてるみたいなんだけど、何をしたの、見習君」

「説明するのがいささか難しいんですが」

「なんだ、痴話げんかか?アキラ、オメエ、間違えて嬢ちゃんを昔のオンナの名前で呼んだりしたんじゃねぇだろうな」

「おおかみくんじゃないんだから、見習君がそんなことするはずないでしょ」

「いえ。当たらずとも遠からず、ってとこです」

 地獄の底まで沈んで行きそうな暗い声でアキラが答える。

「へえ」とヴラドが驚いたような、それでいて感心したような声を上げた。「やるじゃねえか、オメエも」

「なにそれ、見習君。それじゃあ、お姫ちゃんが怒るはずだわ」

「いえ、違うんです。違うんですが、ちょっと説明が難しくて。オレ、どうしたらいいんでしょう?」

 顔を上げ、声を少し上ずらせて、アキラはフランを見た。アキラに小言を言おうとしていたフランは、そのアキラの様子に、うーんと唸って考え込んだ。

「なにあたふたしてるんだよ、アキラ。オメエ、仮にも闇の王なんだろう?闇の王なんだったらドーンと構えてろよ。ドーンと」

「そうねぇ。今はそっとしておいた方がいいかしらねえ。ちゃんとお姫ちゃんに説明できるようなことなの?」

「できると思います。でも、顔も見たくないって。出てけって」

「オメエ、相当おたおたしてるな」

 ヴラドが呆れた様に言う。

「そういうことなら、多分、落ち着いたら話は聞いてくれると思うわ。お姫ちゃんのことだから。だから、明日謝ったら?」

「その方がいいでしょうか」

 ヴラドは声を上げて笑った。

「闇の王を殺すには、嬢ちゃんひとり泣かせればってとこだな」

「そうね。お姫ちゃんがこの世で一番強いってことかしら」

 と、フランも笑った。

「明日にするのがいいと思うわ。お姫ちゃんはこのままそっとしておいて、食事にしましょう」と、フランは言った。


 ナーナがようやく部屋から出て来たのは、翌朝のことである。泣き疲れて、ベッドでそのまま眠ってしまったのだ。まだ薄暗い居間は静まり返って、誰も起きて来てはいなかった。

 トイレに行った後、ナーナは洗面台に置いた小さな鏡を覗き込んだ。

『ひどい顔』と、目を腫らした自分の顔を見て胸のうちで呟く。『こんな顔じゃ、アキラに会えない』

 冷たい水で顔を洗い、涙を洗い流す。手拭で顔を拭いながら、『ちゃんと話を聞かなくちゃ』と、ため息をつく。

 昨日見た、アキラがナーナと呼んだ彼女の顔を思い出すと、胸がざわついた。きれいなひとだったなと思うと、さらに心が沈んだ。あの人がナーナ。だとしたら、わたしは--と、昨日から何度も繰り返している問いが再び心に浮かんで、また涙が落ちそうになった。

 目を覚ます前に、誰かが耳元で囁いた気がした。

≪浮気性のアキラさまなんか、ぶん殴って蹴っ飛ばして、思いっきり引っ掻いちゃえ≫

 と、鈴のような声で。

 ナーナはベッドに起き上がって辺りを見回したが、室内にいるのは当然の如く彼女ひとりきりだった。

 しかし、その声のおかげで心が軽くなったのは確かだった。

 アキラをぶん殴るという提案は悪くなかった。蹴っ飛ばして思いっきり引っ掻くという提案も。

『でも。でも、その前に』

 ナーナは小さくため息を落としながら胸のうちで呟いた。

『まずはアキラの話を聞かなくっちゃ』

 そう考えたナーナの口が、いきなり背後から塞がれた。

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