8-1(マスタイニスカの娘たち1)
南の空に出現した闇の神の威容は、アレクシの街でも多くの者が見た。
ヴラドもその一人である。
ラクドへ向かう隊商が全滅したという知らせも、彼の許へもたらされていた。その中に、ガストンらしき死体があったとようやく確認できたところへの異変だった。
「船が出ねえ」
声に焦りを滲ませて、ヴラドは言った。
ラクドに行こうにも、船が出なければどうにもできなかった。闇の神の出現に、街の機能が半ばストップしていた。
そうしてすでに、2日が過ぎていた。
「死体の中にアキラと嬢ちゃんの姿があったとは確認できてねぇが、馬車ごと焼かれたりしててまだ何とも言えねぇ」
「誰か船を出してくれる人に心当たりはないの、おおかみくん」
「いねぇこともないんだが、どこで飲んだくれているのか捕まらねえ。フランの方はどうなんだ?」
フランとそう話し合っているところに、外から悲鳴が響いて来た。何事かと立ち上がったところへ、「飛竜だぁ!」という叫び声が続いた。
大剣を掴み、ヴラドは通りに駆け出した。
ぎゃあぎゃあという鳴き声が幾つも空から聞こえて来た。
鳥にしては大きな体。太い足と尻尾。腕と一体になった巨大な翼。粉うことなき飛竜が4体、青空を舞っていた。
と、飛竜が、まるで申し合わせたかのように急降下して来た。
だが、駆け付けるには遠すぎた。
悲鳴が上がり、再び飛竜が空に舞い戻ったときには、あるものは人を咥え、あるものはその足で人を掴んでいた。
「ん?」
ふと、何かが焦げるような臭いがした。
それと、遠雷のような微かな轟き。
何事かと顔を向けたヴラドのほんの10mほど先で、落雷が落ちたような光の筋が、地面から立ち上がった。
突然、飛竜が啼いた。
それも、ヴラドのすぐ背後で。
鞘から引き抜く間もあらばこそ、ヴラドは振り返るや否や、飛竜の眉間に大剣を叩き込んでいた。飛竜の頭が大剣ごと道路に叩きつけられ、石畳を打ち砕く。しかし、飛竜はすぐさま頭を起こすと、怒りの声を上げて、巨大な口を開いてヴラドに迫った。
ドンッと、ヴラドが足を踏み出す。
大剣が飛竜の口中に滑るように突き込まれる。
飛竜の上げた悲鳴が大気をびりびりと震わせ、飛竜は体を反らし、大剣をヴラドの手から奪い取った。大剣の重さにバランスを崩し、よたよたと後退する。
喉にモノが詰まったような、まさしくその通りではあったが、ガッガッガッという声を上げ、それでも飛竜は2本の足で立ち上がり、巨大な翼を広げて、武器を失った狼男を睨みつけた。
「ヴラドさん」
緊張感のない声がヴラドの背後で響いた。アキラの声だった。
「おう」
飛竜と対峙したままヴラドは応じた。武器を奪い取られたにも関わらず、彼の口元には楽しげで凶暴な笑みが浮かんでいた。
「帰って来たか。ちょっと待ってな。今、こいつを片付ける」
「オレがやりましょう」
アキラがそう言った途端、ヴラドの前に立ち上った飛竜の体が、何の前触れもなく肩から斜めに切り落とされた。地響きを立てて倒れた飛竜の首がそれでも持ち上がったが、それもすぐに細かく切り刻まれてただの肉塊と化した。
まだ動いていた下半身が続いて肉塊となるのも、ほとんど一瞬のことであった。
「おいおい」
ヴラドは低く屈めていた体を起こすと、飛竜だった肉塊に歩み寄り、自分の大剣を拾い上げた。
飛竜に突き込んでいた部分から先が完全に失われていた。
「何してくれてるんだ、アキラ」
ヴラドが振り返ると、アキラは、空を舞う飛竜に目を向けていた。
アキラが何かをした様子はなかった。しかし、残りの3体の飛竜は突然両断され、落下しながらさらに細かく切り刻まれ、最後はただの血飛沫となって消えた。
アキラの周りで悲鳴が上がる。彼が黒い髪を晒していたからである。
ヴラドに目を戻したアキラが、「あ、すみません」と、ヴラドが手にした切断された大剣を見て、軽く頭を下げる。
その時には、彼らの周囲から人は誰もいなくなっていた。
アキラの足元に、ナーナと、見知らぬ銀髪の少女が倒れていた。
「嬢ちゃんは--」
と言いかけたヴラドの声を、別の声が遮った。
黒い影がアキラの傍らに湧き上がるように現れ、喜びの声を上げた。天狗にも似た異相。ウィストナッシュである。
「どうだ、凄いだろう!ワシの作った剣は!だが、まだまだこんなものではないぞ。次はドラゴンを呼び寄せてやる。存分に戦うが--!」
しかしその声もまた、別の声に遮られた。
「お姫ちゃん!」
フランが借家の戸口に立っていた。
フランは倒れたナーナに駆け寄ると、ナーナと、すぐ側に倒れたシェルミが息をしていることを確かめ、ほっと安堵のため息をついた。
「おおかみくん、見習君、何をぼけっとしてるの!早く二人を家の中に運んで!」
フランの怒声に、毒気を抜かれたように「ああ」「あ、はい」と応え、ヴラドがナーナを、アキラがシェルミを抱き上げて、フランが開けた扉を潜った。
焼け付きそうなほどの日差しの中、一片の影も落とすことなく、取り残された闇の司祭は口を開いたまま呆然と宙に浮かんでいた。
「で、何があったか説明してもらいたいんだが」
借家の居間でアキラと向かい合って座ったヴラドが口を開く。ナーナとシェルミは別の部屋のベッドに寝かされ、フランが看てくれていた。二人とも外傷はなく、気を失っているだけと思われた。
「こいつは何なんだ?」
ヴラドがこいつと言ったのは、ウィストナッシュのことである。ウィストナッシュは先ほどからしゃべりっぱなしだった。しかも、そのほとんどが埒もない自慢話ばかりで、二人をいい加減うんざりさせていた。
「これが闇の司祭です」
どこか諦めた口調でアキラが答える。
「これが?」
疑うようにヴラドがアキラを見る。
「嘘だろ?」
「残念ながら、ホントです」
「黙らせられないのか?」
「残念ながら」
「おい、聴いているのか、小僧、痩せ狼!」
宙に浮いたウィストナッシュが、二人の耳元で怒鳴り声を上げる。
「……殴れないんだよな」
「……それができれば、オレが先ですから」
ヴラドは舌を鳴らし、ウィストナッシュを肩越しにチラリと見て、アキラに視線を戻した。
「まあいい。何があった」
ウィストナッシュを無視して、アキラはアレクシを出発してから聖墓に引き摺り込まれるまでの一連の出来事を語った。
もちろん、自分が人ではないことも。
「残念ながら、オレ、簡単には死なないようです」
「首を切り落としてもか」
「多分。試したいとはあまり思いませんが」
ウィストナッシュに聖墓に引き摺り込まれ、そして。
「聖墓の中で、黒い剣を見ました。いや、見たというのは正しくなくて、光は一切ありませんでしたから。でも、こいつに連れられて行った先に、黒い剣はありました。聖墓の闇の中でも、それと判るような漆黒の剣が。それが」
と、アキラは剣を握っているかのように右手を上げた。
その手の中に、それは現れた。
長さが1mほどの、つばのない、闇よりまだ暗い、空間の裂け目でもあるかのような黒い剣が。
「それか」
「はい。でも、これはまだ鞘に収まっている状態なんです。まだ完全には封印が解かれてなくて。マスタイニスカ様の封印は相当に強力で、ラクドはなくなりましたが、ラクドの城壁が折りたたまれたようにこの中に収まっているんです。
もし、そうでなかったら、この星はもう無くなっているはずです」
「どうだ、凄いだろう!痩せ狼!」
ウィストナッシュが口を挟む。それを無視して、ヴラドはアキラとの話を続けた。アキラが右手を握りしめると、黒い剣はその姿を消した。
「だがよ、人の命の重さを具象化するって、そんなに凄いことなのか?オレにはピンと来ないんだがよ」
「そうですね」
と、アキラは少し考えてから口を開いた。
「こいつが言った通り、地球の質量よりも大きなエネルギーを汲み出して、ただの一点に圧縮することができたと仮定しての話ですが、そこまで圧縮すると、重力が大きくなって光も脱出することができなくなります。
まず、こいつが汲み出したのが地球と同じ質量のエネルギーだったとして、それがここに出現したとしましょう。すると、光が脱出できなくなる境界が円形に形成されて、ただの穴が出現したように見えます。サイズは1cm弱になります。
これぐらいですね」
アキラが親指と人差し指で大きさを示す。
「それだけか」
「はい。たったこれだけです。たったこれだけで、地球と同じ質量になります。
もしこれがここに出現すると、まず潮汐力が働きます。あまりに重力が強いので、例えばヴラドさんの前面と背中の側で重力の強さが異なって、ヴラドさんは原子レベルで引き千切られることになります。
あ、苦しむことはありませんから心配しなくて大丈夫です。
多分、即死するはずですから。
重力が時空間を歪める速度は光の速度と同じです。地球の反対側まで届くのにざっくり言って、えーと、0.04秒と少しです。月までは38万キロ離れていましたから1秒と少し、と言ったところですね」
「そりゃあ、苦しむヒマはないな」
「ええ。この距離だとあっと思うヒマもありません。見た、と思った時には終わってます。いや、見た、と思う間もないかも知れないですね。
それで、実際にどれぐらいのエネルギーが汲み出されたか、ですけど、正直、オレにもさっぱり判りません。
ただ、この地球より少し重いといったレベルではないはずです」
「なぜだ」
「月が破壊されていますから」
「どういう意味だ?」
「これはあくまでもオレの推測ですが、月を破壊したのは、黒い剣の潮汐力じゃないかと思うんです。確か、地球の質量で月を破壊するには、月が地球半径の3倍程度まで近づかないとダメなはずなんです。
だいたい2万キロほどですね。
でも、月が破壊された時、月は地球から38万キロ離れていました。
潮汐力は距離の3乗に反比例するはずで、それなのに月が破壊されたんですから、地球とは比較にならないぐらい膨大な質量が汲み出されたことは間違いありません。
地球が一緒に破壊されていないことの方が、むしろ不思議ですよね」
「破壊されなかった理由に、心当たりがありそうだな」
「……マスタイニスカ様の封印でしょうね」
アキラは小さく息を吐いた。
「これも推測でしかありませんが、地球の側から封印を展開したんでしょう。そしてその時、月が空にあった。もし、月が地球の反対側にあったら、今でも月は空に浮かんでいるかも知れません。
黒い剣が出現し、月は、黒い剣の潮汐力でばらばらに破壊され、加速された」
「加速?」
訝しげに問い返したヴラドに、アキラは頷いた。
「重力があるというのは、加速度があるということと同じです。おそらく破壊された月の大部分は、黒い剣が封印されるまでの間に、地球の重力圏を離れるのに十分な速度を加えられたんじゃないかと思うんです。
地球に向かって加速され、本来の軌道の内側にまで入り込んで、地球を掠めて、飛び去っていった。
だから月がない」
「それもコイツの言っていることが本当だとしてだな。で、ホントなのか?」
「判りません。試すには恐ろしすぎて。でも、実際に月はなくなっていますし、封印の強力さからすると本当だという気がします。ナーナは、そんな事できるはずがないって言ってましたが」
「それは嬢ちゃんが目を覚ましてからにするか。で、その剣を手に入れた後、嬢ちゃんとはどうやって合流したんだ?」
「剣を手にすると、封印が一度弾けました。それをまたこの剣の中に引き摺り込んで、ふと気がつくと砂漠の中に一人で取り残されていたんです。
するとこいつが」
アキラがウィストナッシュを目で示す。
「飛竜を呼び出したんです」
「あれもこいつの仕業か」
「ええ。剣を使えって。で、砂漠でしばらく飛竜を相手にしてたら、今日になっていきなり、ナーナとシェルミ様が現れたんです。空中から。それで、二人を抱えてここに逃げて来たんです」
「しかしよ、封印されたままの剣でどうやって飛竜を相手にしてたんだ?」
「その封印の力です。この封印は、多分、時空間を畳み込んでるんです。あまりにも大きな重力を遮るために。遮る、と言うより、遠ざけているって言った方がいいかも知れません。
ナーナの重力結界で長剣が何の抵抗もなく切れたように、時空間ごと切断しているので多分切れないモノはないんじゃないかと思いますよ。畳み込んでいる実体がかなり大きいので、実質的に距離も関係ありませんし。
ちょっとやってみましょうか?」
「ああ」
アキラは立ち上がり、陶製の花瓶を手に戻って来た。
「フランさんには後で謝らないといけないですね。まずは、普通に切ります。この時、剣を出現させなくても」
テーブルの上に置いた花瓶が、音もなく両断された。
「この通りです。で」
と、二つに切断された花瓶が、今度は微塵に切り裂かれた。
「今のは、黒い剣を同時に複数、出現させたんです。目には見えませんが。もちろん目に見える様にして切ることもできます」
「距離は関係ねぇって言ったが、どれぐらいまでやれる?」
「畳み込んである時空間の大きさにも依るでしょうね。実際にどれぐらいの大きさがあるかは判りませんが、少なくとも地球の直径と同じ程度の距離はいけるんじゃないかと思います」
「なぜそう思う?」
「月が破壊された際に、地球への潮汐力の影響を完全に防いでいますから。一時的にせよ、地球全体を守ったことは間違いないので、だとしたら、どんなに少なくても地球を覆えるほどの大きさが隠されているはずなんです。
ただし、オレが見えないところを切るのは難しいと思います。切ることはできても、かなり見当違いの場所を切ってしまうんじゃないかと思いますね。
そう言えば、切れないモノは多分ないんじゃないかってさっき言いましたけど、ここへ逃げて来るのにも、空間を黒い剣で、正確には封印の力、鞘の方の力で、ですが、切断して、空白の砂漠を飛び越えたんです」
「オメエ、もう、なんでもありって感じだな。それで、闇の主神が現れたのも、何か関係あるのか?」
「ええ。この封印は、その、闇の主神そのものなんです。闇の主神の本質は、時空間そのものです。その、時空間そのものである闇の主神を使って封印を作っているんです。生きているんです、この封印そのものが」
「ホントか」
アキラは「ええ」と頷いた。
「マスタイニスカ様って、何者なんでしょうね。闇の主神を道具扱いですよ。ホントに人間かどうか、かなり怪しいですね」
「なんでそんなことをオメエ、知ってるんだ?」
「彼らが、そう教えてくれました」
「彼らって誰だ?」
「大災厄以降、名を口にするのも憚られる御方たちの活動が少なくなったって、以前、ナーナが言ってました。その理由も判りました。闇の主神と一緒に、彼らも封印されていたんです。驚かないでください」
アキラは自分の影に目を落とした。
それに応えるように、影が立ち上がった。ひとつ、ふたつと、幾つもの影が、アキラの周囲に伸び上がり、彼を取り囲んだ。異形の影が天井近くまで立ち上がり、幾つもの異なる瞳が開き、ヴラドを見た。
室内の気温がいきなり何度も下がったようにヴラドは感じた。
先程まで喚き声を上げ続けていたウィストナッシュが、いつの間にか彼らからそろりと離れて距離を取っていた。
「これが、闇の一族です。彼らが、今言ったことを教えてくれました。彼らはオレのことを、闇の王と呼んでます」
異形の影を見つめるヴラドの口から、低い笑い声が洩れた。
「闇の王か。オメエ、この世界でも征服する気か?」
「まさか」
「いいや、できるだろう。もしそうするなら、オレも手伝ってやるぜ?」
アキラはため息をつき、責めるようにヴラドを見返した。
「ヴラドさん。もしオレが何か良くないモノだったら、カタを付けてくれるって約束したじゃないですか」
「良くないモノだったらな。だが、そうは思えねえ。オメエなら結構いい国を作りそうだ。少なくともラカン帝国なんぞよりはな。
それによ、オメエが王になりゃあ、譲ちゃんは王妃様になれるぜ?」
アキラは小さく笑った。肩の力が、僅かだが抜けた。ナーナが王妃様というのは、とても魅力的な冗談だった。
「悪くない話ですが、勘弁してください」
そう言ってアキラは周りに立ち上がった影を振り仰いだ。影は何も言わず、次第に小さくなっていき、彼の影と同一化して消えた。
「つまり、その剣には二つの力があるってことだよな」
アキラの話をまとめるようにヴラドが言う。
「ひとつ目は鞘である闇の主神に由来する力。何でも切ることができる力だ。で、ふたつ目が剣の持つ本来の力で、もし使っちまえば、この星そのものを破壊できる力って訳だ」
「はい。コイツの言うように世界をこの星と定義すれば、本当の意味で世界を滅ぼせる力です。
おそらく黒い剣を鞘から抜いた瞬間に、この星は潮汐力によって粉々に砕かれてしまうでしょう。粉々に砕かれて、降着円盤を形成して、最後は黒い剣に飲み込まれる、と言ったところでしょうか。
実際に何が起こるか、正確なところは残念ながら判りませんが、この星が破壊されてしまうことは間違いありません」
「なるほどな。潮汐力っていうのが、オレにはちょっと判らねぇが--」
ヴラドが身体を背もたれに凭せかけ、ぎしっと椅子が鳴る。
「これからどうする」
「マスタイニスカ様探しです。今度は」
「ああ、そうだな。こいつと違って、いろんな事情を良く知っていそうだな」
「ええ。驚くぐらい、こいつは何も知りませんから。飛竜を相手にしながらいろいろ訊いてみましたが、何一つまともに答えてくれません」
ウィストナッシュが何やら激しく文句を言っていたが、完全に二人は無視していた。
アキラはふぅと長い息を吐いた後、ヴラドに訊ねた。
「ところで、こちらで何か変わったことはありましたか?」
「ああ。あくまでも噂だが、ブランカの呪いが解かれたらしい」
「治癒の術の……」
「そうだ。軍がどれぐらいの被害を出して呪いを解いたかは判らねえが、これから西の戦乱はますますひどいことになるだろうよ」
「そうですね。死なないもの同士の戦いですから、あまり想像したくないですね」
「見習君」
寝室に繋がる廊下の戸口にフランが姿を現して、アキラに声をかけた。
「お姫ちゃんが目を覚ましたわ」
「あ、はい」「オレも行ってもいいか」「もちろんです」
「あたしは少しここにいるわ」
フランは居間に足を踏み入れると、宙に浮いたウィストナッシュを冷ややかに見た。
「ちょっとそこのへっぽこに話があるから」
アキラとヴラドは顔を見合わせた。「なんだ、女」と傲岸な口調で言う闇の司祭に少しだけ同情しながら、二人は居間を後にした。
「ナーナ、大丈夫?」
アキラはベッドに腰かけたナーナに声をかけた。
「うん」と、ナーナが頷く。顔色は良く、口調もいつも通りだった。服も聖墓の前で別れた時に着ていたものと同じで、どこも破れたり汚れたりしていないようだなとアキラは思った。砂漠で彼女らが空中から現れた時には、息をしていることだけを確かめてアレクシに飛んだため、そこまで確認する余裕がなかったのである。
「アキラは大丈夫?」
「オレは全然問題ないよ」
努めていつもと同じ口調でアキラは答えた。
実際には、安堵のあまり膝から力が抜けそうだったが、それ以外、問題がないことも確かだった。砂漠でいきなり飛竜に襲われた時にかなりの傷を負ったものの、今は跡形もない。
「良かった。ヴラドさん、ただいま」
「ああ、お帰り、嬢ちゃん」
「どうして、わたしここにいるの?」
「オレがナーナとシェルミ様を連れて帰ったんだよ。まず、オレが聖墓に引き摺り込まれた後、何があったか教えてくれる?」
「うん」と頷いて、ナーナは、重力結界を張り、それが壊されたことを話した。
「それで、シェルミ様に覆い被さって、気がついたらここにいたの」
「覆い被さったら、ここに……」
ナーナの言葉を噛みしめるようにアキラが繰り返す。
「ラクドの封印って、あれ」
怯えを含んだ声でナーナはヴラドに訊いた。
「もしかして、闇の……」
「ああ。ここからでも見えたぜ。闇の主神が立ち上がるのが」
「やっぱり」
ナーナは頷き、再び訊いた。
「それで、どうなったの?」
その問いには、先程ヴラドに話した通り、アキラが答えた。時折質問を挟みながら最後まで聞き終えたナーナがため息を落とす。
「凄いとは思ってたけど、闇の主神で封印を作っちゃうなんて、いったいマスタイニスカ様って……」
「うん。ホントに人間なのかなって疑っちゃうよね」
「そのマスタイニスカ様がアキラを殺す様にって、闇の司祭様に言ったんだよね。1200年も前に」
「ああ、そうだったね。忘れてたよ」
ナーナが笑う。
「暢気だね、アキラは」
「それどころじゃなかったんだけど……ね」
「ん?何か言った?アキラ」
アキラは首を振った。
「いいや、何にも。いずれにしても、オレを殺すようにって言ったり、まるで作られるのを知っていたかのように黒い剣を封印したり、マスタイニスカ様が何かを知っていることだけは間違いないよね」
「それじゃあ、次はマスタイニスカ様探しだね」
「うん。ところでナーナ、お腹は空いてない?」
「空いてないよ。朝ご飯を食べたばっかりじゃない」とナーナは答えた。「そうだね」と応じたものの、アキラは何かを一人で考え込んでいた。




