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6-3(封印の城3)

 それに最初に気づいたのはフランで、惑乱の森を南へと下り始めてから7日が過ぎた午後のことだった。

「おおかみくんのおかげでお腹はすかないけど、お肉ばっかりで、やっぱりお米やお野菜を食べたいわねえ」と歩きながら、ふと足を止めて、「あれ?」と、フランは言った。

「どうした、フラン」

 先頭を歩いていたヴラドが足を止め、フランを振り返る。

「あれ、煙じゃない?」

 フランが指さす先、木々の間に、確かに細い煙のようなものが見えていた。

「本当ですね」

 最後尾を歩いていたアキラが言う。

「でしょ」

「炊事の煙……か?まだ遠いな」

 ヴラドは手にした大剣と、担いでいた荷物を置いた。

「ちょっと見てくる。オメエらはここにいな。周囲に注意を怠るなよ。また、狼に襲われるかも知れねえ」

「待って、ヴラドさん」

 ヴラドのすぐ後ろを歩いていたナーナも、荷物を置いた。

「念のため、風の精霊の術をかけとくよ。近づいてもバレ難いように」

「炊事の煙を何の注意もせずに上げてるんだ。怪しいヤツじゃないだろうよ」

「うん。でも、念のためにね」

 忍んで行った先で、ヴラドは軍と思われる一隊に出会った。とは言っても、見張りの歩哨に気づいて、相手に気づかれる前に茂みに身を潜めたのである。ヴラドは鼻と耳をヒクヒクと動かした。本隊は、さほど離れていないところにいるようだった。

『ショナの兵士だな』

『数は、……10数人というところか。20人はいねぇ』

『獣人も一人、いや、二人。犬の獣人か』

 こんなところで何を……と考えた時には、彼なりの答えが出ていた。

「おい」と、茂みの中から歩哨に声をかける。そして巨体に似合わぬしなやかさでそっとそこを抜け出し、「誰だ」と誰何する歩哨の脇に影のように忍び寄った。歩哨が彼に気づいた時には、ヴラドは、剣の柄にかけた歩哨の手を押さえていた。

「敵じゃねえ。慌てるな」

 歩哨が彼を見上げる。恐怖と警戒の表情を浮かべていたが、悲鳴は上げなかった。

「誰だ」

 低い声で歩哨が問う。

「オレはヴラドだ。傭兵をやってる。指揮官は誰だ?頼みがある」

「ヴラド……。英雄殺しの?」

 歩哨が探るようにヴラドを見る。恐怖が薄れ、彼が緊張を解くのが判った。

「ああ」

「少々お待ちいただけますか。上に相談して参ります」

「いや、一緒に行こう」

 少し考えてから、歩哨は頷いた。

「判りました。こちらへ」

 歩哨がヴラドを案内したのは、森の中に開けた狭い広場だった。そこに簡易のテントが幾つか建てられていた。炊事をしていた臭いが残っており、フランが見つけた煙がここから上がっていたのは間違いなかった。

 歩哨はそのうちのひとつのテントに向かい、そこから彼の上官と思われる男が出て来た。上官はヴラドを見てぎくりと体を震わせたが、何事かを部下に確認した後、頷いてさらに別のテントへ入って行った。

 テントの中で誰かが怒鳴る声が響いた。ヴラドは心の中で舌打ちした。知っている声だった。

「ヴラドだと」

 大声で怒鳴りながら、見覚えのある小男が出て来た。南方の事件で知り合った男だが、あまり、いや、できれば会いたい相手ではない。

「狼男がこんなところで何をしている」

「久しぶりだな、大佐」

 ヴラドは感情を抑えて、小男に話しかけた。

「挨拶などいい。何をしているかと、儂は訊いているんだ」

 ヴラドが大佐と呼んだ男は、傲岸な口調でそう言った。

「そちらと同じだ」

 彼らがなぜこんなところにいるのか予想はついていたが、とりあえずヴラドはそう答えた。

「何?お前もブランカを探しているのか!」

 やはりと思いながら、ヴラドは頷いた。

「ああ」

「誰の命令だ!」

「軍団長だ」

「……ギャレ様だと?」

 大佐が不信感も露わにヴラドの顔を見た。ヴラドの言うことは信じていないが、もしかしたらと考えている顔だった。ヴラドはヴラドで、なるほどあいつかと、鼻筋が通ったギャレの端正な顔を思い浮かべていた。

「ああ。それで頼みがあるんだが」

「なんだ。聞いてやる。言ってみろ」

「ブランカを探してたんだが、食料がなくなってな。分けてもらえないか」

 大佐が鼻で笑う。

「森で迷ったのか?狼が?」

「そうだ」

「ブランカは見つけたのか」

 彼にしては静かな声で、大佐はそろりと訊いた。もしそうなら手柄を横取りしてやると顔中に書いてあった。

「いや。まだだ」

 カカカカカと、大佐は笑った。次に彼が何を言うか、ヴラドには容易に想像がついた。しかし、想像がつくのと感情は別物だった。

「食料など分けてやるものか。痩せ狼風情などに……」

 あっ、とヴラドが声を上げた時には手遅れだった。大佐の体は宙を飛んで、森の木に叩きつけられていた。自分でも予想外の行動だったので、手加減をしていなかった。まるで破裂したように頭部のほとんどを失った大佐の小柄な体が、力なくずるずると滑って落ちた。

「すまねぇ、つい」

 と、ヴラドは謝ったものの、それで許してもらえるはずがなかった。

 殺気立った兵士たちが剣を抜くのを、ヴラドは仕方ねえなあと思いながら見ていた。兵士たちの立ち位置を何気に確認しているところに、「待て」と、思わぬ方向--ヴラドの背後の森--から声が響いた。

 その声も知っている声だった。ヴラドは心の中で舌打ちした。ただし、大佐とはまったく違う意味で。

 ヴラドが振り返ると、いつからそこにいたのか、全身を真っ白い毛で覆われた犬の獣人が森の中に立っていた。

 身長は170cmぐらいだろう。ほっそりとした体は、まるで柳の枝のようにしなやかだ。ヴラドを見つめる瞳の色は左右で異り、耳はたれ耳だったが鼻が長く、彼女が、嗅覚に特に優れていることを物語っていた。

「お久しぶりです。ヴラド殿」

 低いが、聞き取りやすいきれいな発音で彼女は言った。

「よう、少佐。あんたも来ていたのか」

「ええ。大佐のお守りで。ただ、もうお守りは必要なさそうですが」

「どこから見ていた?」

「今、戻ったところですよ」

 少佐はそう言って兵士たちに顔を向けた。

「剣を収めなさい。大佐は不運にも狼にかみ殺されてしまったようです。惑乱の森ではよくあることです。丁重に弔いをしましょう。あとの指揮は、次席の私が取ります」

 はっと返事をし、兵士たちが剣を収める。この小隊で大佐がどう思われていたか、そして少佐がどう思われているか、よく判る行動だった。

「わたしはヴラド殿と話があります。少し、離れていなさい」

「しかし、少佐」

 兵士の誰かが不安を声に滲ませて言う。当然だろう。つい先ほど、ヴラドが上官を殴り殺したのだから。しかし少佐は、ヒトには真似できない優雅さでその兵士に微笑んで見せた。

「大丈夫ですよ。彼は私の友人ですから」

「友人ねえ」

 立ち去って行く兵士を目で追いながらヴラドが呟く。

「そうではないのですか?」

 兵士が立ち去ったからだろう、さきほどよりは高い、ヴラドが何度も聞いたことのある声音で彼女は言った。

「ま、オメエがそう言うんならそうだろうよ。ところで、ホントのところはどこから見ていた?」

「あなたが歩哨と話しているところからでしょうか」

「食えねえヤツだ」

 そう言われた少佐が何かを考える様に首を傾げた。何を言いたがっているか、ヴラドにも想像がついた。そして、ヴラドに想像がついていることも、見通している顔だった。

「まぁいい。頼みがあるんだ。食料を分けてくれ。4人分」

「おや。お連れの方がいらっしゃるんですね」

「まあな。ここが惑乱の森だっていうことは判っているが、正確な場所は判らねえ。ザッハディアに行きたいんだが、ここからどれぐらいかかる?」

「お連れの方の足にもよりますが、7日か、8日といったところでしょう。このまま南に進めば、5日程度で街道には出られるはずです。食料は余分に携行していますし、一人分不要になりましたので、喜んでお分けしますよ。ところで」

 少佐がヴラドに歩み寄り、無遠慮に顔を覗き込む。

「ブランカの城を見つけたようですね」

 やはりコイツは誤魔かせねえかと、ヴラドは胸のうちで一人ゴチた。「あまり行かせたくないんだがな」と、正直に言う。

「西の戦乱があまりいい状況じゃないんだな」

「ええ。宦官が大量に投入されて、難しい状況になっているようです」

「それでブランカの呪いを解いて、治癒の術を使って対抗しようってところか。酷いことになるぞ」

「命令ですから」

「オメエの任務は、ブランカの城を見つけることか?」

「はい」

「いいか。呪いを解く際にはあそこに行くな。ロクなことにならねぇ」

「おや、私の心配をして下さるのですか?」

 意外そうに少佐が言う。「ああ」とヴラドは頷いた。

「オレのツレの魔術師が、呪いを解こうとしない限り城に入っても大丈夫だと言ってた。逆に言やあ、呪いを解こうとしたら何が起こるか判らねぇってことだ。

 優秀な魔術師だ。その通りだろうよ」

「そうですか。だとしたら、場所は教えていただけないのですね」

「ああ。教えるつもりはねぇ。だが、オメエなら--」

 少佐が顔を伏せ、口の端だけで静かに微笑む。それを見ながら、獣人にしては豊かなこの表情に惚れたんだったと、ヴラドは思い出していた。

「食料は用意させましょう。その間に、お連れの方もこちらに連れて来られては如何ですか。歓待しますよ」

「ああ。そうさせてもらうと助かる。ずっと兎やなんかの肉ばかりだったからな。少しは美味いものを食べて、ゆっくり休ませてやりてぇ。悪いな」

「いいえ。あなたのおかげで随分、仕事の手間が省けそうですから。では」

 立ち去る少佐の後ろ姿を見送りながら、ヴラドはふと「そういやぁ、フランがいたな……」と頭を掻いた。「ま、なんとかなるか」そう小さく呟いて、狼男は森の中に駆け戻って行った。


 アキラたちを連れて戻り、そのキャンプでひと晩を--フランと少佐に挟まれたヴラドにとっては地獄のような一夜を--過ごした後、一行はさらに南へと向かった。そこからは小隊が残して来た目印を頼りに進み、少佐の言った通り、5日目には街道へ出た。

 ザッハディアまでは街道沿いに歩いて3日で到着し、風待ちのため、10日余りザッハディアに滞在した。その間に、もしザッハディアに行くならと預かっていた3枚の証文についても回収業務を行い、まったく問題なく回収した。回収業務には、ナーナではなくフランが同行したのは言うまでもない。その後、スゥイプシャー以降で回収予定だった証文について魔術師協会のザッハディア支部で違約金を支払い、回収した貸付金の手数料の精算を行って、依頼されていた回収業務はすべてケリをつけた。

 そうして一行は、ようやく順風となって出港した、とても定期とは言えないような定期船で、島伝いに4日をかけて新大陸から旧大陸へと渡った。

 ザッハディアに滞在していた間に特筆すべきこととしては、フランの紹介で、全員でザッハディア第一執政主催のパーティーに参加したことが挙げられるだろう。ナーナはその夜、生まれて初めてドレスを着て、アキラと二人で慣れないダンスをぎこちなくも楽しく踊ったが、それはまた別の物語である。

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