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5-5(神追う祭り5)

 門が開かれたのは、その翌日のことである。

 塀の向こうから響いて来る詠唱の声は今や4人分だけではなく、何人もの声が重なって、露店も仮設の芝居小屋もすべて取り払われて何もなくなった広場を、流れる水のように満たしていた。

 神殿を囲んだ塀から200mは立ち入り禁止となり、堅く張られたロープの外から、アキラたちは群衆に紛れて神追う祭りを見守っていた。

 しかし、塀に設けられた門は固く閉じられ、中で何が行われているか彼らのところからは垣間見ることすらできなかった。

「残念ね、お姫ちゃん。これじゃあ、何をやってるかまったく判らないわねぇ」

「そんなことないよ。詠唱を聞いているだけで参考になるよ。多分だけど、この群衆も術の一部になっているんだよ」

「これがか?」

「うん。ここにいる人たちは、神が追われるところを見たがっているでしょう?その見たいって気持ちが、術の一部になっているんだと思う」

「ナーナ」

 アキラがナーナの耳元で囁く。

「ちょうど神殿のある辺りの上空に、例の立方体があるよ」

「えっ」

 と声を上げて、ナーナは視線を空に向けた。しかし、いくら目を凝らしてもそこには青い空があるばかりで、彼女には何も見えなかった。

「本当?アキラ」

「うん。四角い、半透明の壁が見えてる。三重になっているようだよ。高さは、3階建てか、それより少し高いぐらいだね。立方体じゃなくて、縦に長い直方体と言った方が正確だね。宙に浮いているんじゃなくて、下部は塀の下まで伸びて見えなくなってる」

「やっぱりオレにも見えねえが」

 そう言ってアキラの横でヴラドが鼻をヒクヒクと動かす。

「確かに何かあるな」

「やっぱり門に関係のある術だったのね。いつから見えてたの?」

「昨日はなかったよ。さっき気がついたらあったから、少し前からだと思う」

「そうなんだ」

 と、ナーナが応えた時、あっとアキラが声を上げた。

「どうしたの」

「いや、何か」

 塀を見つめたままアキラが応える。何かが聞こえた気がした。塀の内側、その下の方から。深い深い、地面の底から。

「声のようなものが--」

 どんと、突然、地面が下から大きく突き上げられた。

 群衆が悲鳴を上げ、ナーナはアキラに、フランはヴラドにしがみついた。縦揺れはすぐに横揺れに変わり、立っていることができなくなった人々は悲鳴を上げながらその場にしゃがみ込んだ。

 しかし、アキラと、アキラにしがみついたナーナの二人だけは、しゃがみ込むことなくその場に立ち尽していた。

 アキラは激しい揺れにも関わらず、足を踏ん張る様子もなく、横に激しく揺さぶられながらまるで地面と一体となったかのように立っていた。いや、まるで地面の方が彼を中心に揺れているかのようであった。

「門が開いたんだ」

 中空に目を向けたままアキラが呟く。

「見て」

 アキラに言われて、激しく視界が揺れる中、ナーナが目をやった先、先ほどアキラが何かあると言った辺りに、今は何かがいた。アキラが言ったように、見えない四角い壁に沿うかのように、霧とも土煙ともつかない何かが、そこでもがいていた。

「新しい神だ」

 アキラが囁く。

「新しい神が、逃れようとしているんだ」

 霧とも土煙ともつかないそれが、少しずつ、少しずつ上へと上がって行く。見えない壁を壊そうとするかのように、下がっては上がり、下がっては上がり。

 アキラとナーナの周囲では、左右にゆっくりと揺れる地面にしゃがみ込んで、誰もが顔を伏せたまま悲鳴を上げ続けていた。

「アキラ」

 アキラにしがみついたナーナが囁く。

「うん」

 アキラも頷いた。

 霧とも土煙ともつかない新しい神の中に、幾つかの人影があった。

「信者だ」

 手が見え、時折、頭も見えた。しかし。ナーナは、アキラにしがみついた手をギュッと握りしめた。人形のように踊る人影が、意識を失っていることは確かだった。いや、たまに見える頭はがくがくと激しく揺れて、とても生きているとは思えなかった。信者を連れて逃げようとしているのか、それとも、逃げるためにはどうしても信者が必要なのか、アキラにもナーナにも判らなかった。ただ、数日前の面談の際に、新しい神が言った言葉が二人の脳裏に蘇っていた。

 かの娘の歌声が、とても好ましかったのだ……。

 人影の中に、あの時に新しい神が見せた少女が含まれているかどうか、アキラにもナーナにも見分けはつかなかった。しかしそこに、彼女もいるはずだった。

「駄目だ」

 苦いものを飲み込むようにアキラが言う。

「ひとつめの壁も越えられない……」

 新しい神が下へ引き摺られて行く。下へ、下へ。おそらく、門の中へ。

 それにつれて揺れは次第に収まり、悲鳴も少しずつ消えていった。

 揺れが始まる前よりも一層大きく、詠唱の声が辺りに満ちる。

 揺れが完全に収まり、人々が立ち上がった時には、暴れる新しい神の姿は塀の下へと消えていた。

 何かの気配が遠ざかって行くのを、アキラは感じていた。扉を閉じるように、少しずつ、1枚、2枚。と幾枚か数え、そして。

「閉じた」

 アキラがそう言った時、門は閉じられていた。

 新しい神と、信者を飲み込んで。

「アキラ、嬢ちゃん、大丈夫か?」

 フランを支えて立ち上がったヴラドが訊ねる。

「ええ」「うん」

 お互いを支え合ったまま、二人は頷いた。

「あっ」

 群衆の中で誰かが声を上げる。

「あれはなんだ?」

 声を上げた男を群衆が一斉に振り返り、男の指さす方向に、揃って顔を向けた。南だ。遠く、山々を越えたその向こう、そこに、細い柱があった。柱としか言いようのない一本の黒い線が。その線が、雲にまで届いて、空に消えていた。

 どこから伸びているのか判らなかったが、相当遠いように思われた。

「消える……」

 誰かが呟く。

 下へ、下へと、黒い線が吸い込まれるように消えて行く。

 そして、ふと気がつくと1ヶ月近く響いていた詠唱の声はすでになく、異様なまでの静けさの中、神追う祭りは終わった。



 塀の内側には、何も残っていなかった。新しい神を封じていた神殿も、周囲の池も全てが消えて、草の1本もない剥き出しの地面だけが広がっていた。

 先程までそこに、深い穴が口を開けていたのだ。

 その穴に、新しい神は信者とともに落ちて行った。

 だが、その穴もまたすでに閉じられ、今や跡形もない。

 ユン魔術師は数人の供を連れて、ただの荒地となった塀の内側に足を踏み入れた。

「問題はありませんね」

「はい」

 ユン魔術師に従った魔術師が黒いローブの下から答える。

「すべては予定通り。門は完全に閉じております」

「そう」

 ユン魔術師は小さく詠唱を口にした。門の痕跡を探したのである。しかし、そこにあったはずの歪みはどこにも感じられず、供の言う通り、門が完全に閉じていることに間違いはなかった。

「いいでしょう」

 そう言って、ユン魔術師は言葉を続けた。

「では、余人に悟られぬよう、もう一度門を開く準備に取り掛かってもらえますか?」

「は?」

 供が驚きの声を上げる。

「もう一度、でございますか?」

「ええ。ただし、次はこれほど大掛かりにする必要はありません。おそらく、2m四方ほどの門を開けば足りるはずです。開く場所がどこになるか今はまだ判りませんが、どこであれ門を開くことができるよう、検討いたしましょう」

「怖れながら。なにゆえに」

「世界を救うためです」

 供が、ユン魔術師の横顔を窺う。しかし、ユン魔術師の老いた顔からは、何の表情も読み取ることはできなかった。

「それと、今現在、一番近くにいる軍団長はどなたですか?」

「ムゥロ・ギャレ軍団長が、信者の残党狩りをしているはずでございます」

「ギャレ様ですか。それは良かった。少し、ご相談したいことがあります。会見を申し込んでいただけますか?」

「直ちに」

 ユン魔術師が合図し、供の者が下がって行く。彼らが塀の外に出たのを確認してから、ユン魔術師は黒い穴が開いていた荒地に視線を向け、小さく呟いた。

「カーナ……」と。

 塀のこちら側は、まだ結界の中にあった。彼女の呟きは、誰にも聞かれる怖れはなかった。神々にも、精霊にも。そして、妖魔にも。つまりは、彼女の敬愛する姉にも。

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