5-4(神追う祭り4)
「結局は、何にも判らなかったということか」
がたがたと揺れる馬車の中で、ヴラドは言った。
「ええ」
彼と向かい合って座ったアキラが答える。
「確かなことは何も」
「でも、お姫ちゃんと見習君が、何か切っても切れない関係にあることは、間違いないようね」
そう言ったのは、ヴラドの隣に座ったフランだ。
「それは間違いなさそうですね。オレを呼び出したことでナーナが神々に祝福も呪いもされなかったのだとしたら、そもそもの問題はオレにあるのか、とも思いますが、ナーナがこの世のすべてを支えているというのが何を意味しているのかとなると、さっぱりです」
「そうねえ」
「ちょっと大げさじゃねえのか、そいつ。そもそも世界が滅びるなんて話、これまでもよく聞いたぜ。どれぐらいあったかな、フラン」
「あたしに振るの?まあ、いいけど。
えーとね、魔神や魔王が現れて世界が滅びるって騒いだことがこれまでに10回以上はあるわね。神々の諍いとか、名を口にするのも憚られる御方たちの暗躍とかもあったし。千年紀はもちろんだけど、100年単位でも終末論は出ているわ。
国が亡びる際にもこの世の終わりってよく騒ぐわねぇ。
そもそもおおかみくんも、この間までそんな事件に関わってたじゃない」
「そうだな。新しい神の事件でも、神官どもは世界の終わりだと騒いでたな」
「そういう意味では、毎年1回ぐらいはどこかで世界の終わりって騒いでいるかな」
「年中行事ですか」
「そうそう。だから、見習君とお姫ちゃんの場合もなんでもないことかも知れないわよ」
「大災厄が一番だな、被害が大きかったのは」
「その大災厄について訊くと、大災厄のことを始まりと言ったんですよ。その意味を訊いたら、始まりは始まりだと、答えにならない答えで」
「そこは神だから。本来、神託っていろんな解釈ができるというか、ホント、判りづらいというか」
「勿体ぶってますよね」
「あ、見習君もそう思うか。あたしもそう思うよ。勿体ぶるのが仕事かと思うぐらい勿体ぶるわよねぇ」
彼らが話し合っているのは、貸切馬車の中である。
さわやか君の話から、少なくとも門が開くまでまだ2日、3日あることが判明したため、近辺の街の貸付金の回収を片付けておこうということになったのである。今回は、ナーナは魔術書の解析をしたいということで留守番として旅館に残っていた。
代わりに行きたいと言い出したのが、フランだった。
「南方の事件で新しい神が生まれたきっかけか」
どういう話の流れからか、アキラに問われてヴラドが話し始めていた。
「詳しいことは判ってねぇ。だが、譲ちゃんが前に言ったように、人の不満が新しい神を生むんだとしたら、原因は、貴族ということだけが自慢の下らねぇ領主だったことは間違いねぇ。こいつが愚かではあるものの頭の回転だけは早い上に、人を人と思わねえっていうどうしようもないヤツで、自分の領民を徹底的に搾取していやがった。死人が何人も出るほどな」
「本来なら許されるはずがないんだけど、法の定めを遥かに超えてね」
フランが補足する。
「領民や奴隷を理由なく殺すってこともよくあったらしい。それも後になって判った事だが。元老院が事態に気づいたのは新しい神が生まれた後だっていうから、よくも隠していたというか、ある意味たいしたもんだな。
他の国ならそういうヤツは多いが、ショナじゃあ珍しい。
そういった不正は、この国ではどういう訳だかすぐにバレちまうからな」
「そうね」
フランが短く同意する。
「それで、新しい神が生まれるきっかけになったっていうその領主は、結局どうなったんですか?逮捕でもされたんですか?」
アキラの問いに、ヴラドは簡潔に答えた。
「新しい神の英雄に、一族ごと皆殺しにされたぜ」
「あら、皆殺しにさせた、の間違いじゃないの?」
ヴラドがちらりとフランを見る。
フランはヴラドから視線を逸らしてそ知らぬ顔をしていた。
「フラン、一応それは、軍事機密ってヤツだぜ?まぁいいけどよ。
譲ちゃんにはあまり聞かせたくねえ話なんだが、アキラならいいだろう。
新しい神を追うのは信者を片付けるっていうのが基本だが、それとは別に信者の想いを遂げさせてやるっていうやり方もあるんだ。
信者の多くは領主を恨んでた。
それで信者になっているヤツも多かった。
だから、わざと軍を引いて信者を領主の館のなだれ込ませたんだ。領主一族が皆殺しにされた後は、潮が引くように信者の数が減っていったぜ。
もっとも本当にその領主が新しい神が生まれた原因だったかどうかは、可能性は高かったが、確かじゃなかった。人の不満が新しい神を生むっていうのもホントかどうか定かじゃないしな。
南方の事件で軍を指揮していた野郎はそういうカケができるヤツで、領主が死んで信者が狙い通り減ったんで、結果的に正しかったんだろうってなった訳だ。
ま、もし信者が減らなかったとしても死んで困るような領主じゃなかったし、ケリをつけるには法的な手続きに従うよりヤツを片付ける方が手っ取り早いって判断したんだろうな」
「領主一族を皆殺しにした新しい神の英雄は、おおかみくんがひとりで片付けたんでしょう?」
「ああ。英雄っていうのは、どっち側の英雄でも頭のネジが飛んでいるヤツが多かったが、アイツは完全にイカレてた。本人の主張によると、どうやら領主が領民に生ませた子供だったらしい。
しかし、領主にはそのままほったらかしにされ、領民には受け入れてもらえずと散々な人生だったようだ。
殺した領主一族の首を、まだ小せえガキの分まで城壁に並べて、今度は自分が新しい領主だと笑いながらホザいていやがった。まったく訳が判らねぇ。
だから、オレが叩き殺して、ヤツの首もそこに並べてやったんだ」
「確かにナーナには、あまり聞かせたくない話ですね」
「だろ?譲ちゃんがオレに抱いてるイメージを壊したくはねえよな?」
「イメージはまったく壊れないと思うわよ、おおかみくん」
「なに言ってやがる、フラン。
ただな、ちょっと訂正しておくと、新しい神の英雄にトドメを刺したのは確かにオレだが、軍の協力がなきゃあとてもじゃないができることじゃなかった。南方の事件ではたくさんの兵士が死んだが、オレに言わせりゃあ、死んだアイツらこそ英雄殺しさ」
「あら。いいこと言うわね」
「おう。このセリフのとこだけ譲ちゃんに話してもいいぜ、アキラ」
と、アキラに琥珀色の瞳を向けて、ヴラドは澄ましてそう言った。
やがて貸切馬車は目的の街に到着し、そこでヴラドとアキラは、フランの恐ろしさを身をもって知ることとなった。
シナリオ通りヴラドが債務者の前で「どうしますか、姐さん」と話を振った後に、フランが机を、やはりシナリオ通りにガンと蹴ったが、それはナーナの女の子キックとはまったく異なり、ドガンッと表現した方がいい蹴りだった。
フランが机を蹴った途端、債務者だけでなく、アキラどころかヴラドまでもが固まっていた。
その後に、絶妙の間で口を開いたフランの声は、普段の鼻にかかった甘い声とは似ても似つかぬほどドスが効いて、正直、アキラは戸口近くに立って震えあがっていた。最近はアキラの黒髪も業界内ではけっこう知られるようになって威力が大幅に下がっていたが、フランの静かな恫喝は、アキラの黒髪どころではない迫力だった。
「よかったね、みんな多めに払ってくれて」
回収業務がすべて終わった後、いつも通りの甘い声でフランは言った。
回収に回った債務者の全員が、自ら進んで、遅延金と称して余分に借金を返してくれたのである。震える手で、どうぞこれでお引き取りを、と懇願しながら。
「こんなに怖いヤツだったのか」
貸切馬車から降りて旅館に戻って行くフランの後姿を見つめながら、しみじみとヴラドは言った。
「どうします、多めにもらった分」
同じようにフランの後姿を見送りながらアキラが訊く。
「オメエ、フランにこれを返してきますって言えるか?」
「いえいえ、そこはヴラドさんが」
「オレにも言えねえよ、そんなこと。そもそも、相手が受け取らねえ。絶対に。受け取ったら、アイツがまた来るかも知れねえんだぜ」
「ああ」
フランの恫喝を思い出して、アキラは身震いした。
「それじゃあ」
「使っちまえ。問題にはならねえよ」
その夜、4人で酒場に繰り出し、浴びるほど呑んだ。もちろん、フランが他の誰よりも一番多く呑んだのは言うまでもない。
「ちょっと術を試してみたいの」
ナーナがそう言い出したのは、貸付金の回収業務も片付き、芝居小屋が取り払われ、後は移動しやすい露店のみとなった日の午後のことだった。翌日にはその露店も、神追う祭り本番に備えて撤去されるはずだった。
「術って例の?」
「もちろん。ただね、近くではできないの。協会からのお達しだと門の近くで術を使うのは厳禁で、せめて5キロは離れろってことなんだけど、前に言ったように、この術、門に関係あるかも知れないからその倍は離れた方がいいかな」
「じゃあ、10キロぐらいか。また貸切馬車を借りようか」
今度はフランを抜きにして3人で貸切馬車に乗り込んだ。フランは「今日は気が乗らないわ」という理由で留守番である。
出かけるにあたってナーナが準備したのが、宦官事件の際にヴラドが使った長剣だった。
「嬢ちゃん、どうするんだ、そんなモン」
「この術、ちょっと気になることがあるからその確認に使うの」
人気のない郊外で馬車を降り、3時間後に迎えに来てくれるように頼んで貸切馬車には一旦帰ってもらった。
貸切馬車が見えなくなり、辺りに誰もいないことをヴラドが確認してから、ナーナは詠唱を始めた。
詠唱が終わるまで10分近くが必要だった。
アキラは、詠唱を終えたナーナの前に、一辺が20cmほどの立方体が浮かんでいるのを見た。透明で向こう側が透けてはいたが、確かにそこに何かが浮かんでいた。
「それは何?」
アキラは何気なく訊いたが、ナーナは驚いて彼を振り返った。彼女には何も見えず、どうやって術の確認をしようかと思案しているところだったからである。
「何か見えるの?アキラ」
「うん、ナーナの前に浮かんでるよ。見えない?」
「わたしには何も見えないよ。ヴラドさんは?」
「見えねえな。だが」
アキラの言う辺りに目を向けながらヴラドが鼻を動かす。
「確かに何か、あるな」
「ナーナの前に立方体が浮かんでるよ。大きさは、一辺が20cmぐらいかな」
「どこ?あ、触らないで」
「えーと、この指の先、1mぐらい離れてる」
「動いてる?」
「いや、止まってるな」
ナーナが足元の土を拾い、アキラの指さす辺りに投げた。立方体の上部にかかった土は、そのまま宙に浮かんで止まった。
アキラからすれば、立方体の上に土が乗っただけに見えたが、ナーナとヴラドからは土が空中に浮かんでいるようにしか見えなかった。
「ほう」
「なるほど。これが見えているのね、アキラ」
「そう。完全な立方体に見えてる」
「じゃあ、それはそのままにしておいて、次ね」
ナーナは再び詠唱し、次は1mぐらいの立方体を出現させた。そして、後から出現させた1mぐらいの立方体をきちんと消せるか試した後、2mぐらいの立方体を出現させた。
「大きさの確認はこれぐらいかな」
そう言って彼女が次に取り出したのが長剣である。少し考えて、彼女はそれを鞘のまま地面に突き立てた。ただし、実際に作業したのは、もたもたしているナーナを見かねたヴラドである。
長剣の前に立ち、ナーナは詠唱を始めた。
約10分後に、長剣の中ほどを底辺として、1mほどの立方体が出現した。立方体に囲まれた長剣の上部が、立方体の中でパタリと倒れた。立方体を境界として、長剣が切断されたのである。
ナーナが詠唱を続けると、立方体の中で倒れた長剣がゆっくりと浮き上がった。
「判る?アキラ」
宙に浮いた長剣に目を向けたままナーナがアキラに問う。
「もしかして、その立方体の中、今、無重力状態になってる?」
「そう」
ナーナの手の動きに合わせて、立方体が横に動いて行く。そして、そのまま1mほど動かしたところで、ナーナは立方体を消した。
切断された長剣が、ガチャリと音を立てて落ちる。
ナーナは長剣を拾い上げると慎重に鞘から引き抜いた。そのまま切断面をしばらく見ていたが、「ヴラドさん、この切断面、どう思う?」と、ヴラドに長剣を手渡した。
「スゲエな。すっぱり切れてる。なんでだ?」
「この術ね、時空間を切り離しているの。つまりね、時空間ごと長剣を切り離しちゃったの。こうなるかなとは思ってたけど、こんなに何の抵抗もなく切れちゃうとは思ってなかったな」
「何でも切れるのか、嬢ちゃん」
「うん、多分。ちょっと怖ろしいぐらい。ドラゴンの鱗だろうが何だろうが、時空間ごとだから、理論的には切れないものはないよ」
「ぞっとしねえ話だな」
「じゃあ、お弁当にしようよ。次はちょっと時間がかかるから」
「何をするの?」
少し離れたところに置いた荷物に歩み寄るナーナを追いながら、アキラは訊いた。
「その立方体の中に入ってみるのよ」
アキラを振り返ることなく、まるでなんでもないことのようにナーナは答えた。




