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5-3(神追う祭り3)

「あいつら、部屋にいねえぞ」

 自分の部屋に戻って来たヴラドがフランに向かってそう訝しげに言ったのは、翌朝のことである。

「早くに二人で出かけたみたいよ。新しい神の面談に行ったんじゃないかしら」

「まだ早いだろう。なんでだ」

「おおかみくんに会いたくなかったんじゃないかな。おおかみくんに会うと、どういう結果だったにしろ」

 フランがヴラドの黒い鼻をつつく。

「全部判っちゃうから」

「嬢ちゃんはともかく、アキラはそんな歳じゃねぇだろう」

「お姫ちゃんの為でしょ、だから。まあ、あっちにもこっちにも子種だけ残してる無責任くんには判らないでしょうけど。見習君の気遣いは」

「気遣いねえ。確かに判らねぇな、オレには。考えすぎなんだよ、アキラは。いろいろとな。そうは思わねえか?どうせなるようにしかならねぇんだから、人生はシンプルに行けばいいのによ」

「みんながみんな、おおかみくんみたいにはできないのよ。おおかみくんには判らないかも知れないけど。とりあえず、寂しく二人で朝ごはんに行きましょ」


 ヴラドとフランがそう話していた頃、アキラとナーナは昨日の受付にいた。

 早すぎたかと思ったが、すでにさわやか君がヒマそうに椅子に座って、体を意味なく揺らしていた。

「おはようございます」

 ローブで隠すように握っていたナーナの小さな手を離し、アキラはさわやか君に声をかけた。

 アキラを見返し、すぐに笑顔を浮かべてさわやか君が立ち上がる。

「あっ、早いね、お兄さん。あ、美人のお姉さんは一緒じゃないんだ。残念だなあ。でも良かったね、面談できるようになって。実はね、昨日の夜遅くになって、もう神との面談も、えーと、今日を入れて4日で終わらせるように魔術師協会から通達があってね。順番通りだったらとても面談できないところだったんだよ」

「それって、もう、門が開くってことですか?」

 アキラの横からナーナが訊ねる。

「多分そうだろうね。詳しいことは教えてくれなかったけど。じゃあ、行く?あちらはもう用意できているみたいだからさ」

 さわやか君は、塀のすぐ脇に建てられた仮設の建物の前に二人を連れて行った。

 そこでアキラとナーナが引き合わされたのは、新しい神の面談担当者という中年の魔術師の男だった。激務のためか、頬がげっそりとこけ、目の下には隈まであったが、彼は挨拶もそこそこにしっかりとした声で面談にあたっての注意点を簡潔に説明した。そして、ナーナに幾つか質問した後、二人に呪をかけた。その呪が何のためかと説明を求めたが、それはやんわりと拒否された。

 塀の内側には、昨日アキラたちが覗いたのとは別の門から入った。仮設の建物のすぐ近くに設けられた簡素な門が、正門のようだった。

 詠唱の声がより大きく響く塀の内側は、外とは別世界だった。

 外からは判らなかったが塀の内側は全て白く塗られ、地面には、昨日ちらりと見たように複雑な文様が描かれていた。どういう仕組みか、外の雑踏はまったく聞こえなかった。

 門からは、石畳の通路がまっすぐ神殿へと続いていた。

 神殿に渡るために池に架けられた橋も石造りで、神殿の観音開きの扉は、やはり白く塗り上げられていた。

 封印を解くためだろう、魔術師が何かを呟き、観音開きの扉を手前に引いて開いた。扉を開いた先に、もうひとつ黒い扉があった。

「どうぞ。あの先に新しい神がおられます」

 魔術師が黒い扉を指し示す。

 ここからは自分たちだけで行けということだろう。

 アキラがナーナを見ると、彼女もアキラを見返していた。こくりと頷いて、アキラは神殿内に踏み込み、黒い扉を押し開いた。


 扉を抜けるとひやりとして、ナーナはぶるりと体を震わせた。

 二人が入ったそこは、6畳間程度の広さの、狭い四角い部屋だった。天井はアキラの頭が届きそうなほど低く、窓はなく、壁も床も天井までが白く塗り上げられ、壁そのものが発光しているかのように室内を淡く照らし出していた。

 そこでナーナが見たのは、異様なほど目が大きな一人の幼児である。歳は5、6才と思えたが、口元には穏やかな笑みが浮かび、その表情に子供らしさはまったくなかった。服は着ておらず、赤みを帯びた肌はまるで光を纏っているかのように淡く輝いていた。

 一方、アキラが見たのは、1枚の古びた円形の鏡であった。

「これで、どう話すんだろう?」

 不思議に思ってアキラが呟く。

 ナーナは驚いてアキラを見上げた。

「え、ちゃんと口があるよ」

「我は」

 どこからともなく声が響く。男の声のようではあったが、そうとは断定しかねる中性的な声だった。

「相対する者の、こうと想う姿になる」

「ああ。アリシア人方式、ということですね」

 そう言った途端、アキラは宙に浮かんだ脳を見ていた。脳が別のモノをアキラに連想させ、それを神が読み取ったのだろう、新しい神は、唇が特徴的な、頭でっかちの三本足の生物に変じていた。

「あっ、チ……」

「アキラ」

 話が逸れる気配を感じて、ナーナは低い声でアキラの言葉を遮った。「話が進まなくなるでしょう?」と、アキラに文句を言って、新しい神に向き直る。アキラの暢気な態度に緊張が緩んで、新しい神と相対しているにも関わらず、いつもの調子が戻って来るのをナーナは感じていた。

「神様も少し考えてください。仮にも神様なんだから、ご自分が在りたい姿ってないんですか」

「ああ」

 意外な素直さで新しい神が応じ、三本足の生物と幼児が消え、アキラとナーナの前に、素朴な衣装を着た一人の少女が現れた。

 歳はナーナと同じぐらいだろう。よく日に焼けた小柄な丸顔の少女だった。

「これで良いか」

「はい。その方がお話ししやすいです。どなたでしょう、そのお姿は」

「我の信者だ。今も、この神殿近くに建てられた小屋で我のために祈ってくれている。我は」

 少し間があった。そして新しい神は、少女の姿に似合わぬ平板で無機質な声で言った。

「かの娘の歌声が、とても好ましかったのだ……」


 新しい神が表した少女の足元には、影がなかった。いや、足元だけでなく、顔にも身体にもひとつも陰影がなく、一見すると彼女はただの絵の様に見えた。

 それがアキラに、彼女が尋常ならざる存在なのだと、神なのだと実感させた。

「神様、いくつか質問をさせていただいてよろしいでしょうか」

 アキラは声を改め、新しい神に問いかけた。

 アキラとナーナが魔術師協会から許された面談時間は10分間。様々な注意を受け、呪を掛けられて部屋に入った二人は、すでにその半分の時間を使っていた。

「いいだろう。話すがいい」

 瞬きをしない青い瞳を、神がアキラに向ける。声は聞こえたが、アキラとナーナの前に佇む少女の口は少しも動いてはいなかった。

「まず、教えていただけますか。なぜ、我々に特別に会っていただけたんでしょう」

「せっかく今という時に生まれたのだ。こんな機会はもうないだろう。是非に、解放者と姫に会いたかったのだ」

 まったく言い淀むことなく新しい神が答える。

「解放者?」「姫?」

 アキラとナーナは顔を見合わせた。ナーナの顔にも、アキラと同じ戸惑いが浮かんでいた。

 アキラは新しい神に、再度、問いかけた。

「解放者とは、姫とはどういうことでしょう?」

「解放者は解放者だ。姫は、姫だ。他の何者でもない」

 新しい神の答えは、答えになっていなかった。しかし、と、アキラとナーナはもう一度顔を見合わせた。

 おそらく、新しい神にとっては自明ことなのだろうと二人は思った。自明のことであるがために、それ以上の説明が新しい神にはできないのだろうと。

「どういうことか、もう少し詳しく教えていただけないでしょうか。オレが解放者というのは、いったいオレが何を」

 そう話すアキラの脳裏に、空間の裂け目のような黒い剣の姿が浮かんだ。

「解放するというのでしょうか。オレは、何者なんでしょう」

「お前が何者か、そんなことは知らぬ。それを知ることが、お前の役目のひとつではないのか?解放者」

 アキラはハクで物乞いに言われた言葉を思い出した。「わたしは、何者だ?」「わたしたちは、何者だ?」「そして、お前は、何者だ?」と、日本語で言われた言葉を。新しい神が言っているのは、それと同じことではないかとアキラは思った。

 つまり、あの物乞いはやはり--。

 考え込むように口を閉じたアキラに代わって、今度はナーナが訊いた。

「神様。大災厄とは何だったのでしょうか。何が、1200年前にあったのでしょう」

「大災厄?」

 沈黙が落ちた。何かを考えているようだった。

「ああ、始まりのことか」

「始まり……?」

 意味を図りかねて、ナーナは神の言葉を繰り返した。大災厄が、始まり?

「始まりとは、どういうことでしょう」

「始まりは始まりだ。それ以外の何物でもない」

「その、始まりを引き起こしたのは」

 アキラが質問を引き取る。

「黒い……黒い剣なのですか?」

「むろん、そうだ。他に何がある?解放者よ」

「それは、つまり、オレが、オレたちが」

 刹那、胸の奥から湧き上がった不安が、アキラの声を詰まらせた。言葉にしてしまえば、この旅そのものが終わってしまうのではないかという予感があった。しかし、訊かなければ何も始まらないことも判っていた。

 アキラは軽く息を吸い込み、静かに言った。

「この世界を滅ぼすと、そういうことなのでしょうか」

「世界を滅ぼす?」

 感情のない新しい神の声に、微かに意外の響きがあった。

「滅ぼしたいのか?解放者?そうであれば、そうするがいい。我らは止めぬ。止められぬ。お前が、そうと望むなら」

「オレが望めば……」

「神様。神様は、今も神託を下されていますか?」

 ナーナが声に緊張感を漂わせて訊く。機密保持契約書に抵触するかしないか、微妙な質問だった。

「いや。もう神託は下さぬ」

「それは、信者が、神託を下すべき信者がいないからですか?」

「解放者が現れたのだ。なぜ神託を下すことなどできようか。もはや未来は確定されたも同然なのだから。不確実性はすべて失われたのだから。確定した過去について神託を下すことなど、我らにできようはずがない」

 ああやはりと、アキラは思った。未来を告げる業が一切不可能になっている原因は、オレにあったのかと。オレがこちらに現れたのと時期が重なっていたのは、やはり偶然ではなかったのかと。

 そのことの意味をもっと詳しく確認したかったが、聞かなければならないことはまだあった。

 この旅に出たそもそもの目的である。

「彼女が、貴方が姫と呼ぶ彼女が」

 アキラは、新しい神の、嵌め込んだガラスのように感情のない瞳を見つめて訊いた。

「生まれたときに神々に祝福も呪いもされなかったのは、なぜでしょうか」

 焦点の結ばぬ少女の瞳がアキラに、そしてナーナに向けられる。

 しばらくの沈黙の後、ナーナに瞳を向けたまま、新しい神は神殿内に声を轟々と響かせた。それはまるで、もう下さないと神自身が言ったはずの、神託そのもののように重々しく室内に木霊した。

「姫を祝福などできぬ。祝福など、できようはずがない。なぜなら、姫が解放者を呼び出したのだから。解放者を呼び出した姫を、なぜ祝福できよう。

 そして、姫を呪うことなどできぬ。できようはずがない。なぜなら、姫が解放者を呼び出したのだから。解放者を呼び出した姫を、なぜ呪うことなどできよう。

 そもそも、この世のすべてを支える姫を、なぜ呪うことができようか」

「この世のすべてを支える……?それは、いったいどういう……?」

 アキラが小さく呟く。

 新しい神は表情のない顔をアキラに向けた。

「この世のすべてを支えている。それだけだ。他に意味などない。そのままの意味だ。我らは、我らすべては、姫の、いつか姫の報われる日が来ることを、望んでいる」

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