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5-2(神追う祭り2)

 新しい神を封じた神殿の塀のすぐ外側に、魔術師協会のトップであるユン魔術師の仮設の執務室はあった。

 壁には大きなスケジュール表が貼られ、そこに進捗状況が細かく書き込まれていた。

 几帳面な性格なのだろう、書類や書物はすべてきちんと戸棚に整理され、机の上には当面必要な1冊の魔術書だけが広げられていた。

 その机の前に座り、ユン魔術師はずっと続いている詠唱に少しだけ意識を向けながら、壁のスケジュール表を見つめていた。ユン魔術師の栗色の瞳の奥で、時折、赤い光がきらめいていた。

 進捗に問題はなかった。

 このままいけば、あと5日もすれば門を開く準備が整いそうだった。

 三重の障壁はすでに構築され、強度に問題がないことも確かめてあった。門の封印も3つまでは開封済みで、4つ目の封印が開くのももう時間の問題だった。残すは、5つ目の封印だけだ。

 門を閉じる準備も問題なく進んでいる。

 いざというときに直ちに門を閉じるための封印も、2つまで準備済みだ。もちろん、通常の封印の用意に抜かりはない。

 遅れはまったくない。

 しかし、どうしようもない不安がユン魔術師の中には燻っていた。

 彼女が門を開くのは二度目だった。

 ただし、一度目はもう50年近く前のことで、その時には彼女はまだ下働きに過ぎなかった。ほとんどのことは当時の魔術師協会のトップが管理をしていたし、実務は彼女よりも経験豊富な幾人もの魔術師が担当していた。

 そして何より。

『あの時には、まだお母さまがご健在だった……』

 暗い気持ちで、ユン魔術師は胸のうちで呟いた。

『お母さまさえご健在であれば、こんな心配をする必要はまったくないのだけれど。せめて、お姉さまがいらっしゃって下されば--』

 不意に、誰もいないはずの部屋の暗がりから、「ユン」と、そっと彼女に呼びかける声が響いた。知っている声だった。ユン魔術師は声を上げて立ち上がろうとしたが、慌てたために、逆に咄嗟に腰が上がらなかった。

「そのままでいて」

 暗がりから赤い髪の女が、フランが姿を現した。

 フランは椅子に座ったままのユン魔術師に歩み寄ると、腰をかがめて彼女を抱き締めた。

「フラン姉さま」

 フランの背中に震える手をしっかりと回して、ユン魔術師は言った。

「お久しぶりでございます」

「久しぶりね。元気そうで良かった」

「いいえ。すっかりお婆ちゃんになってしまいました」

 抱擁を解き、フランがユン魔術師に微笑みかける。

「そんなことないわ。今日昼間に見かけた時も、魔術師協会のトップらしくしっかり胸を張って歩いてたじゃない」

「魔術師は魔術師らしく。フラン姉さまからお教えいただいたことです。なるべくそうありたいと、今でも心がけております。今日、お見かけした時は本当に嬉しゅうございました。

 一緒にいらっしゃったのは、英雄殺しのヴラド殿とお見受けしましたが、残りのお二人は、もしや」

「ええ」

「そうでしたか」

 ユン魔術師の勧めた椅子に、フランは腰を下ろした。ユン魔術師を見つめ、ゆっくりと口を開く。

「今日は、あなたに伝えなければならないことがあって来たの」

「わたくしの伝言をお聞きになって、いらっしゃったのでは?」

「じゃあ、行き違いになったのね。違うわ。今日はカーナのことで来たのよ」

 ユン魔術師の顔が不安に曇る。

「カーナが如何いたしましたか。あの子は、もう半年も前に家を出たまま帰ってはおりません。何か、良くないことがございましたか」

「あの子は黄泉路に旅立ったわ」

 淡々と、フランが言う。

 おお、とユン魔術師は悲嘆の声を上げた。

「なにゆえに、でございましょう」

「あの子は、ラカンの後宮に月神の巫女を騙って潜り込んでいたの。そして、宦官長に嘘の予言を吹き込んでいたわ。黒い髪の”残され人”が世界を滅ぼすって」

「では、この間の宦官の侵入は」

「ええ。あの子の仕業よ」

 ユン魔術師は、小さくため息を落とした。

「それで得心がいきました。二人の宦官のうち、一人の死因が不明と聞いておりましたが、あれはフラン姉さまがなされたことだったのですね」

「ええ」

「ああ、カーナ、なんと愚かな……。力もあり、聡くて、お母さま想いのいい子でしたのに。ただ、少し思い込みが激しくて、周りが見えないところをわたくしも心配しておりました……」

「ごめんなさい、ユン」

 ユン魔術師が力なく首を振る。

「では、ラカン帝国の政変も、お姉さまが?」

「ええ。宦官長には少し姿を消してもらったわ」

「急なことで、不思議なこととわたくしも探りは入れておりましたが、これで納得がいきました」

「門は問題なさそうね。とてもよくできていて感心したわ」

「はい、なんとか進めております。問題は何も起こっておりません。ですが--」

 ユン魔術師が身を乗り出し、フランの手を握った。皴だらけの手だった。その手に少しばかり視線を落とし、フランはもう一度顔を上げて微笑を浮かべた。

「どうかした?」

「フラン姉さま、家に戻ってはいただけませんか」

「……」

「皆、不安に思っております。お母さまがお倒れになってから。もちろん、わたくしも。フラン姉さまがお戻りになれば、皆、安心いたします」

「……今更、家には戻れないわ」

「では、せめて、あの二人が何者なのか教えてくださいませ。フラン姉さまが何をご覧になっているのか。何をご記憶になっているのか。これから、何が起こるのか。お母さまが」

 自分が口にしようとしていることに脅え、ユン魔術師は短く声を詰まらせた。しかし、悲壮なまでの決意を込めて、彼女はフランとの間に言葉を落とした。

「身罷られた後、何が起こるのか」

 そのユン魔術師を励ますように、フランは笑みを浮かべた。

「いずれ判るわ。それに、一度は家に戻ることになると思うわ。彼と一緒にね。お母さまにひとつだけ、……お伝えしないといけないことがあるから」

「フラン姉さま」

「大丈夫。あなたはお母さまの一番の自慢の娘なのだから。自信を持って、ユン」

「フラン姉さま」

 ユン魔術師が繰り返す。

「ひとつだけ。彼がいるから、門に影響が出るかも知れないわ。でも、お母さまの構築された術と、あなたがこれまで積み重ねて来たものを信じていれば何も問題ないわ。当日はあたしも見させてもらうから、頑張ってね。それじゃあ」

 フランは、ユン魔術師の皴だらけの手を優しく叩いた。

「さようなら」

 フランの体が闇に包まれていく。そして、ただの実体のない影となり、闇に吸い込まれるように消えた。

 ユン魔術師はフランの消えた空間を暫く見つめていたが、やがて、ひとり静かに首を落とした。

 途切れることのない、門を開くための詠唱の声が、沈黙の落ちた執務室に一層大きく流れ込んで来た。


「美人のおねーさん」

 旅館の入り口で声をかけられ、フランは後ろを振り返った。新しい神の面談の受付をしていた若い男が、にこやかに笑って立っていた。

「あら。さわやか君」

「え、さわやか君て、オレのことですか。やだなあ、オレのこと覚えててくれたんですか。いやあ、お話もしていないのに、こんなオレのことをあなたみたいな美しい人が覚えてくれてたなんて、オレ大感激ですよ」

「相変わらずよく喋る子ね。何か見習君に御用?」

「見習君って、あのお兄さんのことですか?いやあ、言いえて妙だなあ。おっと、その見習君に伝言があるんで探してたんですよ。狼男のダンナがかなり目立ってたから、狼男のダンナを探せば見つかるかなってここまで来て、この旅館がそうだって分かったんで見習君を呼んでもらおうかどうしようかと思ってたら、ちょうどお姉さんが帰って来られたんで、こりゃちょうどいいやと」

 という訳で、フランはアキラとナーナの部屋の扉をノックしたのである。

 少し、妙な間があった。

 そしてなにやらバタバタする気配。

「どうぞ」

 アキラの声で返事があり、フランは扉を開けた。

 ナーナは部屋の壁際に座り、部屋のほぼ真ん中にアキラが座っていた。魔術書は片付けられ、部屋の隅にメモを挟んで置いてあった。

「あ、フランさん、お帰りなさい」「お帰りなさい、フランさん」

 二人はフランを見上げて同時に声をかけた。

「何かありました?」

「ううん。ちょっと伝言を頼まれたの。明日の午前中に、新しい神が特別に会ってくれるそうよ。なんでも、申込者のリストを見た新しい神が是非にと希望したらしいの。だから、今日の受付に9時45分ぐらいに来て欲しいって、さわやか君が言ってたわ」

「さわやか君……」

 アキラの脳裏に、昼間に会った受付の若い男の笑顔が浮かんだ。

「ああ、判りました。ありがとうございます、フランさん。あ、役所の人がフランさんを探していたらしいですけど、何か知ってますか?」

「ええ。おおかみくんにも聞いたわ。古い友人があたしを探してたみたい。行き違いになっちゃったけど、もう会って来たわ」

「そうですか、それなら問題なしです」

 戸口に立ったまま、フランはナーナに視線を向けた。

「なにか静かね、お姫ちゃん」

「え、そ、そんなことないよ、フランさん」

 ちらり、ちらりとフランが部屋を見回す。その口元に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。

「ちゃんとやることもやってるのね。おおかみくんは、駄目だ、ありゃあって言ってたけど。いいゾ、見習君。じゃあ、お姫ちゃんもしっかりね」

 そう言って、フランは静かに扉を閉じた。

 ナーナの顔が、首までみるみる桜色に染まっていく。アキラはどうしていいか判らず、閉じた扉を見つめたまま、ただ人形のように固まっていた。

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