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4-5(宦官の帝国5)

 ヴラドが鞘に収められた2本の剣を居間のテーブルに並べたのは、翌日の昼過ぎのことである。

 いや、そのうちの1本は、剣ではなく片刃の直刀であった。木製の柄は両手で持つためであろう、長く設えてあり、滑り止めと思われる細い糸が巻いてあった。

 アキラは直刀を手に取り、鞘から慎重に引き抜いた。重さを確認するように正眼に構え、何度か軽く切っ先を上下させる。

「どうだ?」

 アキラに訊いたのはヴラドだ。

「こっちの方がやっぱりオレには使いやすいですね。こちらにもこういった刀が存在するんですね」

「いや、それは特注品だ。オメエに聞いてから、街の鍛冶屋に作らせてたんだ。オレの剣を打ち上げた男の弟子がここにいるからな。ま、オメエの言う日本刀とは別モンだろうが、それで勘弁してくれ。

 握りや重さはどうだ?」

「問題ありません」

「ちょっと外へ出て試してみよう。おっと、嬢ちゃんはここにいな。アキラの野郎、思いっきり振ったら刀をすっぽ抜かすかもしれねえ。危ねえからな」

 ヴラドは、少し離れて見守っていたナーナに向かって言った。

「えー」

 不満そうな声を上げたナーナに、ヴラドが人差し指を突き付ける。

「イチャイチャするのは暫く我慢、と昨日言ったろ?」

 絶句するナーナに低い笑い声を残して、ヴラドはアキラと外に出た。ナーナの抗議の声が扉の向こうから追って来たが、ヴラドはそれを心地よく聞き流していた。


 ヴラド自身は、アキラの前に置いてあったもう一本の剣を手にしていた。

 普通の長剣だったが、ヴラドが握るとそれは、まるで両刃の大きめのナイフとしか見えなかった。

 正眼の構えから打ち込むアキラの斬撃を片手で握った剣で何合か受け止めた後、ヴラドは軽くアキラに打ちかかっていった。

 アキラが刀で受け流しながら後退する。足捌きは剣道の基本の摺り足である。剣道は中学から大学まで体育の授業で習った程度だったが、身体が覚えているものをわざわざ崩さない方がいいだろうというヴラドの判断だった。

 上段から打ち込んでいたプラドの長剣が不意に軌道を変えて、横からアキラを襲った。慌てることなくアキラは重い斬撃を受け流し、ヴラドがわざと見せた隙を、足を踏み込んで突いた。

 体を躱したヴラドの毛が幾本か飛び散り、ヴラドは満足したように笑った。

「いいだろう。だいぶサマになって来たぜ」

 プラドはそう言って、剣を鞘に収めた。

「打ち込みをやってみな」

「はい」

 黙々と打ち込みを繰り返すアキラを見ながら、ヴラドは口を開いた。

「オメエの基本的な戦い方は、持久戦だ」

 淡々とヴラドが言う。

「オレが教え始めてからまだ一ヶ月程度だからな。まともに戦ったんじゃあ、まず勝てねえ。だから極力、相手を疲れさせて隙を作れ。なんなら逃げ回ったって構いやしねえ。むしろ、できるだけ逃げろ。逃げるのは恥でもなんでもねえ。戦わずに済むんならそれに越したことはねえからな」

「はい」

 打ち込みを続けながらアキラは応えた。

「もし、魔術師と戦うことになった場合には、スピードが決め手になる。例えば嬢ちゃんが術を使うスピードは2秒もかからねぇが、オレなら、間合いに入っちまえば2秒もあれば欠伸しながらでも倒せるだろうよ。

 大概の魔術師の術の発動は、精霊を呼び出してから5秒以上はかかる。10秒以上かかるヤツもザラだ。その場合は、100m程度離れていてもオレの勝ちだ。

 あと、嬢ちゃんのスゲエところは術の精度だ。最初に会った時、オレの鼻先に火球を出現させただろう?あんな真似できるヤツは滅多にいねぇ。あの精度があれば、実戦では、相手の頭ん中とか腹ん中、場合によったら頸動脈や心臓を狙って火球を出現させることもできるだろうよ。

 そっちの方がはるかに手っ取り早い。

 しかしだ、オレがトップスピードで駆け寄ったとしたら、そうそう正確には狙えねぇ。素直にまっすぐ駆け寄ったりしねぇしな。で、間合いに入っちまえばこっちのモンっていう訳だ。

 だから魔術師と戦うハメになっちまった場合は、狙いを定められないよう、とにかく走れ。いいな」

「判りました」

「もう打ち込みはいいぜ」

 そう言われた時、アキラの握った刀は頭上に振り上げられていた。

「はい」と応えて振り下ろした切っ先が、ピタリと止まった。その姿勢のままアキラが長い息を吐く。

 ヴラドが鼻をひくひくと動かす。

「いいぜ」

 アキラを見つめたままヴラドは言った。

「それが、オメエの--」

 ふと、彼の耳が細かく動いた。顔を道に向け、臭いを嗅ぐ。

「来たようだぜ。腐った臭いのする馬車が……1台、近づいて来る」

「中で待ちましょう」

「ああ、そうだな。フランは、まだ街から戻ってねぇよな」

 フランは昼食が終わった後に、買い物がてら街へ情報を拾いに行ったきりまだ戻っていないはずだった。

「ええ、まだ出かけて1時間も経っていませんから暫くは戻って来ないでしょう」

 アキラは家に入り、「来たみたいだよ」とナーナに声をかけた。魔術書を読み耽っていたナーナは「うん」と頷き、魔術書を片づけ、魔術師の黒いローブに袖を通した。

 ナーナがテーブルを挟んで玄関の扉と相対するように腰を下ろす。

 アキラも魔術師見習いのローブを羽織り、鞘に収めた刀を手に、テーブルから少し離れてナーナの斜め後ろに控えた。

 ヴラドはこれ見よがしに大剣をテーブルに立てかけ、鞘に収めた長剣を手にしてナーナの横の椅子にどかりと座った。

「馬車から降りた。馬車は返すようだな。来るぜ。宦官が、二人だ」

 ヴラドが呟くように告げる。

 アキラとナーナにも足音が聞こえ始め、ほどなく扉がノックされた。

「どうぞ、お入りください。鍵は開けてあります」

 ナーナが返事をし、蝶番を軋ませて扉が開かれる。

 現れたのは、昨日のシュ・ガイではなかった。

 しかし、肌の色も髪の色も、シュ・ガイとそっくりだった。ただ、シュ・ガイよりもいささか背が低く、口元に浮かんだ笑みも、シュ・ガイに比べればまだ人間的な温かみを残していた。歳は60代ぐらいかと見えたが、それは顔に深く刻まれた皴のせいで、もっと若いのではないかともアキラには思われた。

「おやおや、随分、警戒されておりますねぇ」

 やはり甲高い耳障りな声で、室内に足を踏み入れながら宦官は言った。

「ご挨拶は、どなたにすればよろしいでしょう?」

「わたしが」

 と立ち上がってナーナが前に出る。

「ラカン帝国で宮廷の内回りの仕事を担当しております。ノヴァと申します。よろしくお見知りおきを」

「わたしは、カナルのナーナ。魔術師です。よろしくお願いします」

 名刺を交換している間に、後から入って来たシュ・ガイが扉を閉じた。

 ナーナが指し示した椅子にノヴァが腰を下ろし、シュ・ガイはノヴァの後ろに、彼を警護するかのように立った。


「さて」

 最初に口を開いたのは、ノヴァである。

「あまり歓迎されていないようですので、前置きは抜きにしてさっそく用件に入りましょうか。わたくしどもが参りましたのは、昨日シュ・ガイがお伝えした通りなのですが……」

「理由はなんだ」

 ぶっきらぼうにヴラドが問う。

 ノヴァがちらりと、そのヴラドを見る。

「名刺も頂戴していない御方のご質問にはお答えいたしかねますねえ。あなたは、どちら様ですか?」

「知っているだろう?」

「ノヴァ様」

 シュ・ガイがノヴァの耳に何事か囁く。

 ノヴァは頷き、言った。

「ああ。あなたがあの高名な英雄殺しですか。新しい神の事件で勇名を馳せた。ですが、わたくしは今ナーナ様とお話しております。横から口を挟まないでいただけますか?」

「なんだと」

「ヴラドさん」

 体を乗り出したヴラドにアキラが声をかけ、ヴラドは不満そうに鼻を鳴らして背もたれに体を戻した。

「ノヴァ様、わたしも理由を教えていただければと考えています。弟子を招待したいというその理由を教えていただかなければ、諾とも否とも回答を致しかねます。是非、理由をお教えいただけますか?」

 緊張感を漂わせた声でナーナが言う。

 ノウァは薄い笑みを浮かべたまま眉を僅かにひそめ、首を傾げた。

「困りましたねぇ。実は、理由を話すことはわたくしの主人から禁じられておりまして、その理由を話すとわたくしの命はなくなることになっております。

 ただ、わたくしの主人がアキラ殿に非常に関心をお持ちですので、是非に、我が国までおいでいただきたいと、こういうことなのですが。もちろん、我が国においでいただければそれ相応の謝礼もさせていただきます。

 如何でしょうか」

「そんなんじゃあ、オレの雇い主を行かせる訳にはいかねぇ。帰りな」

 ノヴァがわざとらしくため息をつく。

「あなたと話しているのではないと言ったはずですが。口を挟まないで下さいませ。英雄殺し殿」

「ああ?」

「それはそうと、昨日シュ・ガイがこちらに参上いたしました折に、ナーナ様とアキラ殿が旅の途中とお伺いしたと聞き及んでおりますが、旅の目的地は、アレクシ、いや……、ラクド、でしたかな」

「え」

 ナーナが驚きの声を上げる。そのナーナの表情を、ノヴァが細い目の奥からそっと伺っていた。

「いえ、アキラ殿をお探ししている際中に耳にいたしまして。ラクド、ということは、……大災厄についてお調べに?」

「それが、テメエになんの関係がある」

 ナーナが答えるのを遮るように、ヴラドが口を挟む。ノヴァは今度は、ヴラドに顔を向けようともしなかった。

「もし、我が国においで頂ければ、お調べごとの手助けができるやも知れません。大災厄については、わたくしどもでも興味を持って長年調べております。ラクドで収集した文献や他国にはない資料も様々ございます。もちろんその際には、おいで頂く理由も我が主人に許しを頂いてお伝えできましょう。

 如何でしょうか。重ねてのお願いとなりますが、我が国に御足労をお願いできないでしょうか」

「駄目だ」

 ヴラドが即答する。

「テメエからは、ここに入って来た時から殺気が漂って来ていやがる。テメエ、こっちが断ればアキラを殺してでも連れて帰るつもりだろう」

「何をおっしゃいますやら」

 ノヴァはヴラドに笑顔を向けた。

「わたくしどもは、ご招待に参ったと……」

「臭いで判るんだよ」

 ヴラドは体を乗り出して宦官を睨み付けた。

「必ずしもアキラを殺すつもりじゃあねぇみてえだが、連れて帰るのは生死を問わずって、テメエの主人とやらに言われて来たんじゃねえのか」

「おやおや、これはとんだ濡れ衣でございますね」

 ナーナが不安げにヴラドを見る。だが、ヴラドは値踏みをするように琥珀色の瞳をノヴァに向けたままだった。

「ナーナ様。当方にアキラ殿を害そうなどという考えはまったくございません。わたくしどもの主である皇帝陛下にお誓いして、断じて」

 ナーナがノヴァに視線を戻す。しかし、その瞳には迷いがあった。

 大災厄に関する資料という言葉が、彼女の心を揺らしていた。もしかすると、ラカン帝国にはショナにはない資料があるのかも知れない。可能性は低いが、ないことではない。そもそも、彼らがアキラをラカン帝国に招きたがっているのも、ラカン帝国にあるというその資料が基になっているのではないのか--。

「お師匠様」

 落ち着きを無くしたナーナに、アキラは後ろから声をかけた。そして、振り返ったナーナに、彼は小さく首を振って見せた。二人はそのまましばらく見つめ合っていたが、やがてナーナが、判ったと言うように頷いて見せた。

 ノヴァに向き直った時には、ナーナの瞳から迷いは消えていた。

「ノヴァ様。せっかくのお話ですが、お断りさせていただきます。調べ事はわたくしどもの方で何とかいたしますので、お引き取りいただけますか」

「そうですか」

 残念そうにノヴァが言う。

「後悔なさいますよ」

「それは、こちらが決めることだ」

 ノヴァが細い目でヴラドを見る。口は開かない。能面のように感情を消して、ただ見つめるだけだった。

「判りました。今日のところは引き上げるといたしましょう」

「ノヴァ様、お宜しいので」

 後ろに控えたシュ・ガイがノヴァに囁く。

「仕方ありません、本日のところは。あ、お見送りは結構ですよ」

 ノヴァは立ち上がると、ナーナとアキラに向かって頭を下げて部屋を出て行った。ヴラドは無視である。シュ・ガイは、わざわざヴラドを憎々し気に睨みつけるという念の入れようだった。

 あまりにも芝居がかりすぎている、とアキラは思った。


「ヴラドさん、殺気って、本当?」

 扉が閉じるとすぐに、ナーナはヴラドを振り返って訊いた。

「いや、ありゃあ、嘘だ」と、扉を睨みつけたままヴラド。「ええっ」と声を上げるナーナに視線を戻し、ヴラドは牙を剥き出して笑って見せた。

「カマかけてみたんだが、当たりだったようだな。ちなみに、ヤツがラクドと大災厄について話したのも、多分はったりだ。アレクシというのは知っていたようだが、ラクドって言った時は嬢ちゃんの顔をじっと観察していたからな。あとは、ラクドと当たりをつけて大災厄と、あっちはあっちでカマかけたんだろう。

 大災厄の文献があるとかいろいろ言っていたが、本当は、たいしたことは知らねぇと思っていいぜ」

「……じゃあ、わたし」

「ああ、まんまと乗せられるところだったな。これも経験だ、嬢ちゃん。さて、ヤツラ次はどんな……」

 ヴラドが言葉を切る。

 その時には、アキラもナーナも、扉の隙間から霧が、それも妙に濃い霧が流れ込んで来ていることに気づいた。いつの間にか、窓の外は真っ白だった。

「さっそく実力行使と来たか……?」

 ヴラドが鼻と耳を動かす。ただの霧とすぐに知れた。

 宦官は、二人とも家から20mほど離れて並んで立っているようだった。術を使っているのは、おそらく向かって左側に立った宦官、シュ・ガイの方だ。

『視覚を奪おうっていうのか?しかし、オレのことは知っているはずだ。ノヴァってヤツはそんなバカなヤツじゃないと思ったが……ん?』

 何かが、足を引き摺るようにして歩いていた。

 宦官ではない。そして、その足音はひとつやふたつではなかった。土と腐った肉の臭いが、強烈に漂い始めた。

「いけねぇ。霧は別の術を隠すための目くらましだ。ヤツラの、多分、ノヴァってヤツは死人使いだ」

「ええっ」

 ナーナが驚きの声を上げる。

 死人を使うのは、魔術の中でもかなり高度な部類に入る術だ。ただ歩かせるだけなら難しくはないが、実戦で使えるほど自在に死人を動かすとなると、編み上げなければならない呪は相当多岐に渡り、気が遠くなるほど膨大な数になるはずだった。

 かつてナーナは、死人使いの術式を記した魔術書を見たことはあったが、あまりの分量に本を開くことさえ諦めたほどである。

「おそらく術はここに来る前に、いや、こりゃあ、もっと前から仕掛けられていたな。ぐだぐだ言ってたのは時間稼ぎだったか?もう、囲まれちまってる」

「どうしますか、ヴラドさん」

 意外なほど冷静な声でアキラが問う。霧はすでに室内に満ちて、3人の視界をほとんど塞ぎかけていた。

「アキラ、しっかり刀を持ってろよ」

 ヴラドはそう言うと右腕でアキラを、そして左腕でナーナを抱え上げた。

 ナーナが短く驚きの声を上げる。体が後ろに引っ張られるのをナーナが感じた時には、ヴラドは扉を蹴破って外へ、冷たい霧の中へ飛び出していた。

 扉の前まで迫っていた死人をひと蹴りで--文字通り--粉砕し、二人を抱えたままヴラドは跳躍した。

 ナーナが悲鳴を上げる。

 死人の頭上を軽々と越える高さまで飛んだものの着地の衝撃はほとんどなく、着地したと思う間もなくヴラドは大地を蹴った。そうして楽々と囲みを突破して、ヴラドは霧の中を迷うことなく駆け抜けた。

 目を回したナーナがふと気づくと、すでに彼らは霧の外だった。自分の周りを音を立てて流れていく白い霧の残像だけが、彼女の脳裏に残っていた。

「オメエらはここにいな」

 二人を下ろしてヴラドが言う。

「すぐに済む」

「ヴラドさん!」と、アキラが叫ぶのに軽く手を上げて応えて、ヴラドは一人、霧の中に再び駆け込んで行った。

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