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4-4(宦官の帝国4)

 男は、細面で、肌の色は白粉を塗ったかのように白かった。

 歳を推し量ろうとしたが、アキラにはどうにも判断することができなかった。見た目は20代のようだったが、人を値踏みするように見つめる目や口角を僅かに上げただけの唇は、彼の外観を年齢不詳に見せる効果を上げていた。

 短く刈った髪はほとんど白と言っていい銀髪で、一本一本が今にも抜け落ちそうなほど脆い印象を与えていた。

「あなたが、アキラ様ですか?」

 アキラのほんの1mほど前で立ち止まり、妙に甲高い、ひどく耳障りな声で男は訊いた。

 アキラの傍にはナーナもいて、話しかけて来た男を不審そうに見つめていた。フランが朝食の準備をしている間に、二人で井戸の水を汲みに出て来たのである。

 もちろん、アキラは頭巾で髪を隠した上でだ。

「そうですが」

 アキラは不信感を滲ませて答えた。

 彼の名を知っている者はあまり、いや、ほとんどいないはずだった。貸付金の回収の際にも必要な場合を除いて名前は名乗らなかったし、なるべくお互い名前も呼び合わないようにしていた。もちろん回収業務中に債務者に問われて名前を答えないのは、日本では御法度である。

 この近辺の貸付金の回収はすべて終わっていたが、どこかの債務者が送り込んで来た弁護士か用心棒かとアキラは推測した。

「お会いするのは初めてだと思いますが、どちらさまでしょう?」

 そう問いながら、ナーナをそっと背後に庇う。ナーナもまた両手で印を結んで身構えていた。

「ああ、失礼いたしました。あたくしは、あなたをお迎えに--」

「おい」

 いつの間に近づいたのか、アキラとナーナのすぐ後ろで響いたヴラドの低い声が、男の声を遮った。ヴラドはそのままアキラとナーナの脇を通って男に近づくと、薄笑いを浮かべた男の顔に拳を叩き込んだ。

 異音が轟き、顔を陥没させた男の体が10mほども宙を飛んだ。

「ヴラドさん、何を!」

 思わずアキラが叫ぶ。

 男の細い体がごろごろと人形のように転がって、止まる。顔を叩き潰されたのだ、生きているはずがない状況だった。しかし、アキラとナーナの見守る前で、ひょこりと男の首が持ち上がった。

 ひたりとヴラドを見つめ、相変わらず口角を僅かに上げただけの酷薄そうな笑みを浮かべていた。

「いきなり酷いですねえ」

「何の用だ、宦官」

 ヴラドの言葉に、ナーナがハッと息を呑む。

「宦官--って、本当?ヴラドさん」

「ああ、家ン中まで腐った臭いがしてきやがった」

「何?」

 アキラがナーナを見る。

「手っ取り早くいやあ、クズだ。ラカン帝国のな」

「ラカン帝国って、西の山岳地帯の領有権を争っているっていう、あの?」

「うん」

 宦官と呼ばれた男が、土を払いながら立ち上がる。

 叩き潰されたはずの顔は、何事もなかったかのように元に戻っていた。ひょこりひょこりと奇妙な足取りで、男は3人の前まで戻って来た。

「いえね、あたくしどもの主人が黒い髪をした”残され人”に」

 男がアキラの頭巾にちらりと目をやる。蛇のようなその眼差しに、アキラの服を握っていたナーナの手がビクリと震えた。

「興味をお持ちになっておりまして、それで、もし宜しければアキラ様に我が国までご足労願えないかと、ご招待いたしたくこうして参上したのですが」

「オメエらの主人というのは、皇帝か、それとも」

「さて。詳しいことはあたくしも聞いておりませぬゆえ、お答えいたしかねますねぇ。本日はとりあえずご挨拶にとお伺いしましたが、随分と手荒いお出迎えで。

 さすがは」

 舐めるように宦官がヴラドを見上げる。

「英雄殺しだ」

 ぎょろりと、ヴラドが宦官を見下ろす。前に出ようとしたヴラドをアキラが抑え、ナーナがさらに一歩前へ足を踏み出した。

 ナーナは宦官の異様に白い顔に、濃い栗色の瞳をまっすぐ向けた。

「ご挨拶を、ということでしたら、まずお名刺をいただけますか」

「もちろん、そのつもりでしたよ」

 人を小馬鹿にしたような口調で言い、芝居がかった仕草で宦官は懐から名刺を取り出した。

「ラカン帝国で宮廷の内回りの仕事を担当しております。シュ・ガイと申します。よろしくお見知りおきを」

 細長い指で摘むようして名刺を差し出し、シュ・ガイと名乗った宦官がわざとらしく腰を折る。

「わたしは、カナルのナーナ。魔術師です。アキラはわたしの弟子ですので、もしアキラにご用がおありでしたら、わたしを必ず通して頂けますか?」

 ポーチから取り出した自分の名刺を渡しながら、ナーナは宦官の目を見据えて言った。

「先ほど弟子をラカン帝国に招待したいとおっしゃいましたが、彼は今、わたしと旅の途上にいます。ですので、ご要望にはお応えいたしかねます」

「ああ、そうですか。それは残念。ですが、あたくしも主人に必ずと申し付けられておりますので、はいそうですかと国に戻ることはできません。それでは改めて、上司を連れてご相談に参上するといたしましょう」

「何度来られても、こちらとしてはお断りするしかありません。無駄足になりますので来られない方がよろしいかと」

「こちらが勝手に参りますので、ご心配下さいますな。では」

 軽く頭を下げるとクルリと背を向け、宦官はひょこりひょこりと奇妙な足取りで帰って行った。


「宦官って、なに?」

 アキラがナーナにそう訊ねたのは朝食の片付けが終わった後である。

「えーと、それはね」

 言い淀むナーナに、フランが助け舟を出した。

「宮廷に仕えるために、男性器を切り取った男たちよ。いろんな国にいるけれど、特にラカン帝国の宦官となると特別な意味を持つことになるわ」

「なんでしょう、特別な意味って」

「死なないのよ、彼らは」

「死なない……」

「ヤツラは男性器を切り取る代わりに、本来なら残せるはずだった子孫の分の命を与えられている、と聞いている。本当のところは判らないがな。本来残せるはずだった子孫の分の命が尽きるまで、何があっても死なないと。

 実際、見た通りだ。

 それに、宮廷の内回りの仕事をしているなんぞとぬかしやがったが、実質的にラカン帝国を支配しているのはヤツラだ。表の仕事もこなすし、裏の仕事もこなす。場合によっては戦場で戦うこともあるのが、ラカンの宦官だ」

 淡々とヴラドが言う。

「問題は、なぜヤツラがアキラを連れて行こうとしているのかってことだが」

「そうね。どこで見習君のことを知ったのかしら?」

「フラン、何か知らねえか?」

「心当たりはないわねえ。ちょっと時間をもらえる?」

「ああ、頼む。招待と言っていたが、本当の目的がなんなのか知りたい。こんな国境から離れた街まで来るなんざ余程のことだからな」

「それと、誰の指示なのかしらねぇ」

「そいつも気になるな。皇帝か、それとも腐った宰相か」

「どういうこと?」

 アキラがナーナに問う。

「ラカン帝国はね、帝国というだけあって一応皇帝が国のトップなの。現皇帝は、在位5年ぐらいで確か20代後半だったかな。

 でも、本当のところは皇帝はただのお飾りで、実質的には宦官の長が国を取り仕切ってるって言われてるの」

「もう、200年ほども生きているって噂の宦官が、ラカン建国の頃からね」

「でも、どうやってこんなところまで来たのかな。こんな敵国のど真ん中に」

「多分だが、ラカン帝国と取引のある商人を使ったんだと思うぜ。戦争をしているとは言っても、貿易は表でも裏でも行われているからな」

「十中八九、そうでしょうね。デアのお店にも、ラカンの商人はよく来ていたもの」

「……だとすれば、ヤツラが大人数のはずはねぇ。1人か2人、多くて3人、そんなモンだろう。だが、少人数でも宦官となると、ちっと厄介だな」

「役所に通報してはどうでしょう?彼らはまず間違いなく不法入国者ですから」

「まっとうに考えればそうだな。スパイってことで通報すりゃあ軍も動くだろう。しかし、どうかな……。ヤツラが来た目的が判らねぇと、役所に通報するのはやめた方がいいかも知れねえ。通報するなら、むしろ--」

「口がきけなくなってからの方が良いわねぇ」

 フランが独り言のように言う。つまり、死んでもらってからということだ。

「ああ。いずれにしても情報が足りねえ。今は待ちの姿勢で情報を集めるしかねえな。場合によっては、ヤツラの一人をとっ捕まえた方が早いかも知れねえ」

「そうね」

「アキラ、嬢ちゃん、暫くはオレと離れないようにしてくれ。イチャイチャできなくて不便かも知れねえが、そこは我慢だ」

「……真面目な顔をして何を」

 低い声でナーナが言う。固く握り締めた小さな拳が、怒りに震えていた。

「オレはいつだって真面目だぜ?」

 本気で言っているのかどうか、毛皮に覆われたヴラドの顔は、表情を読み取るのがなかなかに難しかった。


 話は、少し戻る。

 シュ・ガイと名乗った宦官はアキラたちの借家を離れると、少し離れたところに隠すように停められた馬車に歩み寄っていった。馬車に近づき、扉をノックする。窓が僅かに開き、鍵が外された。

「いやいや」

 嘆息しながら、シュ・ガイは馬車に乗り込んだ。

「参りました」

「どうでした?」

 馬車の奥に座った男が訊いた。シュ・ガイと同じような、甲高い声だった。

「お話になりません。いきなり素手で顔を叩き潰されて、断られました」

「文字通り、顔を潰された訳ですね」

 コロコロと、馬車の奥に座った男が笑う。

「ノヴァ様、少しも面白くありませんよ」

 シュ・ガイが平坦な声で言う。

「噂通りでございました、英雄殺しは。いきなり有無を言わさずに殴り飛ばされましたから。ただ、直情径行タイプのように振る舞ってはおりますが、あたくしの顔をいきなり殴りつけたのは、おそらく話の主導権を握るためでございましょう」

「それはなかなかに厄介な御方ですねえ」

「はい。しかし、ノヴァ様のお見立て通り、挑発すれば乗ってくるタイプではないかと思われます」

「そうですか。ご苦労様でした。では、やはり第2案でいくしかありませんねえ」

「お宜しいのですか、ノヴァ様。第2案では、ノヴァ様が一番危のうございますよ」

「仕方がありません。主上のご下命には全力を持ってお応えするのがわたくしたちの務めですから。宮仕えというのは辛いものですよ」

「ノヴァ様、失礼を承知でお訊ねいたしますが、主上があの者に関心を持たれているのは何故でございましょう。あたくしの見ますところ、これといった特徴のある男ではございませんでした。むしろ、師匠と名乗った、まだ若い女魔術師の方があたくしには気になりました」

 コロコロとノヴァが笑う。

「それを話しますと、わたくしの命はございませんからねえ。残念ではありますが、貴方にもお話しすることはできませんねえ」

 ノヴァが御者に合図する。

 鞭の音が響き、馬車がゆっくりと動き出す。

「早く国に帰りたいですねえ」

「ええ、本当に。何の因果で、ノヴァ様がこんなことを……」

「仕方がないのですよ。主上も……おっと、こんなことを話していてはお叱りを受けてしまいますね。貴方も、見届け役をしっかりとお務め下さいね」

「はい。しっかりと務めさせていただきます」

「さて、では明日の午後にでも、もう一度出向くとしますかねえ……」

 小さくノヴァが呟く。

 二人の宦官を乗せた馬車は、ガラガラと音を立てながら敵国の市街地の雑踏に紛れて消えていった。

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