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4-3(宦官の帝国3)

 ナーナがその話をヴラドに語ったのは、それから2日後の夜のことである。

 一部入金の残額も滞りなく回収し、近辺での貸付金の回収業務にケリが着いたので、ちょっとした祝杯を4人で上げたのだ。

 ナーナが生まれた時に神々に祝福も呪いもされなかったことや、それですぐに魔術師に預けられたこと、フランから聞いた両親のことを、ナーナは話した。そして、少し考えさせて、とナーナは言った。ありがとう、フランさん。でも、ちょっと考えさせてと。

 そう話しているうちにビールはなくなり、ワインも減って、話はアキラとの出会いに進んでいった。

「でね」

 アルコールが入って、ナーナはかなり上機嫌になっていた。

「小道に倒れていたアキラを運ぶためにね、その、解析が終わったばかりの術を使ってみようと思ったの」

「それはつまり、オレで人体実験したってこと?」

 うーんと、ナーナが真っ赤な顔で考え込む。

「ま、そういうことかな」

 そう言って、彼女は大笑いした。

「ヴラドさん」

 と、アキラ。囁き声である。

「やっぱりこうなったじゃないですか」

「すまねぇ。確かにちょっと呑ませ過ぎちまったな」

「そこ、こそこそ話さない!」

「そうだ、ノリが悪いぞぉ!」

 ナーナの隣に座ったフランが、ワインの入ったグラスを手に、いつもとはまるで違う子供のような満面の笑みを浮かべてナーナに同調する。

「あ、ああ、すまねぇな。その術というのは、どんな術なんだ?」

「あ、あたしも知りたーい。教えて、お姫ちゃん」

「えーとね、まだ魔術書に書かれてる術の全体像は判ってないんだけどね、試したのは、その一部の、重力を消すところなの」

「重力を消すと、どうなるの?」

「何でも浮かせることができるよ。重さに関係なく。でも、質量はなくなるわけじゃないから、アキラで試した時には上手くいかなくて」

「ふーん。重力を消して、何でも浮かせることができるようになって、それで、箒にでも乗って飛ぼうっていうの?魔女みたいに」

「あ、いいな。具体的には考えてなかったけど、箒に乗って飛ぶっていうのはできそうな気がする。いいアイディアだよ、フランさん」

「重さには関係ないって、オレでも浮かせられるってことか?」

「うん。やってみせようか?」

「ナーナ、今はやめた方がいいよ。酔ってるんだから。詠唱を間違えて大変なことになるかも知れないし」

「わたし、酔ってないよ」

 酔っぱらいが必ず口にするセリフを、真っ赤な顔でナーナが断言する。

「必要な部分はもうほとんどルーチン化してあるし、後は幾つかのパラメータさえ間違えなければ問題ないよ。もし間違えても、何も起こらないだけだから大丈夫。ホント、アキラは心配性なんだから。面白みに欠けるゾ、キミは」

「うっ」と、アキラが自分の胸を掴む。

 彼を酷く傷つけたことも知らず、お嬢様はヴラドに「じゃあ、やってみよう!」と、声をかけた。

 フランが「おー」と拍手する。

 部屋の隅で一人いじけるアキラ以外の3人でテーブルを脇にどかし、部屋の真ん中にヴラドがどかりと胡坐をかいて座った。

「よし、始めてくれ」

「うん」と頷いてナーナがヴラドの前に立ち、両手を前に差し出した。掌を下に向け、詠唱を始める。

 前準備の長い長い呪文は、すでにルーチン化してあった。そのルーチン化した呪文を呼び出し、そこに重ねるように、前準備の呪がまだ終わらないうちにナーナは別の呪を唱えた。

 ヴラドが鼻を動かす。精霊を呼び出している気配はない。

 ヴラドの質量を調べるルーチンを実行し、その結果を次のルーチンのパラメータとして与え、前準備が完了したことを確認するための呪文を挟む。こうした確認のための呪を挟むのも、彼女独自のやり方だった。

 同時に走らせていたルーチンが終了していることを確認し、最後の呪を唱える。初めてアキラで試した時に比べれば、詠唱を完了させるまでの時間は10分の1程度まで減っていた。

 最後の仕上げに、ナーナは指先に力を込めて、両手を勢いよく振り下ろした。

 ヴラドの巨体が、不意に音もなく床を離れた。

「おお?」「あらあ」

 ふわりふわりとプラドの体が天井に向かって浮き上がって行く。

「すごいね」そう言ったのは、いつの間にかナーナの隣に立って見守っていたアキラだった。「でも、何か歪んでない?ヴラドさんの回り」

「えっ、そう?」

「フランさんはどうです?ヴラドさんの回り、なんか、霞んでいるというか、ちょっと変な見え方していませんか?」

「ううん、そんなもの見えないわよ」

「うーん、それじゃあ気のせいか……?」

「でもね、この術」

「うん?なに?」

「重力を消すために、なぜ最後に力を下向きに働かせるのか、その理由がどうしても判らないの」

「下向きって、もしかして、加速度を下向きに働かせてるってこと?」

「うん、そうだけど、なんで判るの?」

「ごめんね、質問に質問で返して。それじゃあ、加速度で発生するはずの速度は、どこへ行ったの?」

「それはね」と、ナーナは説明を始めた。しかし、残念ながらアキラには理解できない単語の連続で、判る単語も前後の脈絡がまったく理解できず、しばらく聞いていたアキラだったが、諦めて「ごめん、オレには判らないかな」と言った。

「おーい、オレはどうすればいいんだ?」

 天井付近まで浮き上がったヴラドがナーナに声をかける。彼の体は、少しずつ回転し始めていた。

「天井まで届いたら、軽く天井を押して下りて来て。あまり強く押すと危ないから、ゆっくりとね」

「おおかみくん、空中で泳いだりできないの?」

「おお、なるほど。やってみるわ」

「じゃあ、教えてくれる?わたしが下向きの力って言っただけで、なんで、それを加速度を働かせていると思ったのか」

 床に座り込み、ナーナがアキラに問う。手にはテーブルの上に置いてあったワインの入ったグラスが握られていた。

 宙に浮いたヴラドを囃し立てるフランの横にも、同じものが置いてあった。

「えーと、オレの世界に、アインシュタインっていう大魔導士がいてね、その彼が、重力に関する一般相対性理論というものを発表してるんだ」

「うんうん」

「その一般相対性理論をまとめるきっかけとなったアインシュタインの人生最大のひらめきというのが、落ちている間は、自分の重さを感じないってことで--」

「おーい、もう床につくぞ」

 ヴラドがナーナを呼ぶ。

 言われて見ると、ほんの20cmほどの高さまで彼の巨体が降りて来ていた。

「あ、うん。ヴラドさん、重さが急に戻るはずだから、気をつけてね」

 ナーナが短く詠唱を唱える。

 ヴラドは言われた通り落下に備えていたが、それでも、彼の巨体が床に落ちる音が大きく響いた。

「いや、なかなかすげえな」

 ヴラドが体を起こす。

「おおかみくん」

 グラスを持って壁際に移動していたフランが彼を手招きする。ヴラドもテーブルの上に置いてあった自分のグラスを取り、彼女の横に腰を下ろした。

「楽しそうだな、フラン」

「お姫ちゃんが笑ってるからね。この前、泣かせちゃったから嬉しいの」

「オメエがそんな殊勝なことを言うタマだとは思わなかったぜ」

 薄く微笑んでフランがグラスを口に運ぶ。

「ところで、あいつらは何を話しているんだ?」

「さあ」

「と、いう訳でね、アインシュタインは重力があるということと加速度があるというのは同じことだと考えたんだよ。例えば、馬車が走り出すときに体が後ろに引っ張られるのも、仮の重力が発生しているんじゃなくて、重力そのものと同じだって。

 それをアインシュタインは、等価原理と名付けたんだ。

 最初に言った自由落下状態に自分の重さを感じないことについて、アインシュタインの前の高名な魔導士、いや、錬金術師かな、ニュートンの理論では、重さと動かしにくさである質量が比例関係にあるからと説明されていたんだけど、じゃあ、なぜ重さと質量が比例関係にあるか、説明できなかったんだ。

 それをアインシュタインは、逆に自分の重さを感じない、ということを基に、重さと質量が比例関係にあることを説明したんだよ。

 つまり、自由落下状態にある時に自分の重さを感じないのは、みかけの力が働いているんじゃなくて、本当に重力が消えているって主張したんだ」

「……判るか、あれ」

「さっぱり。でも、お姫ちゃんは楽しそうだから」

「ああ、確かにそうだな」

 熱心に話し合うアキラとナーナを見ながら、ヴラドはグラスを口に運んだ。

「それなら、いいか」


「それじゃあ、重力って、存在しない力なの?」

 納得できないという口調で、ナーナがアキラに訊ねる。

「どうだろうね」

 と言って、アキラは言葉を続けた。

「本当のところはオレにも判らないかな。何度読んでも難しくて。そもそも数式を理解できないと、本当には理解できないんだろうと思うよ。

 でも、もう少し言うとね、重力が均等に働いている狭い範囲では、確かに重力の影響を消せるけど、重力が均等に働いていない広い範囲で考えると、重力の影響は消せないんだよ。

 ナーナは、潮の満ち引きを引き起こす力って知ってる?」

「うん、太陽の起こす力でしょう。潮汐力って呼んでるよ」

「そうか、こっちには月がないんだったね。オレの元いた世界では月があったから、潮の満ち引きは主に月の潮汐力で引き起こされていたんだ。

 どっちにしても、潮汐力は消せない。これは、重力の中心に向かって落ちて行くボールを考えると判るよね。

 平行に落ちて行くボールは重力の中心に近づくにつれて、お互いが引き寄せられるように近づいていく。最後は、同じ1点に集まるんだから当然そうだよね。一方、縦に並べてボールを落とした場合、2つのボールはどっちも落ちて行ってはいるけど、下のボールの方が強く重力の影響を受けるから、だんだんと距離が離れていく。

 この、物体を横に縮めて、縦に引き延ばす力、つまり潮汐力は、けっして消すことができない。このことから、大魔導士は重力の正体は時空間そのものの歪みだと結論付けたんだ」

「時空間そのものの歪み……」

「うん、物体はその時空間の歪みに沿って動いているんだって。それを重力として認識しているんだって。

 その時空間の歪み方と、歪んだ時空間を物体がどう運動するかを数式としてまとめたのが一般相対性理論で、一般相対性理論は、オレのいた世界でも数人しか本当には理解できている人はいないって言われているよ」

「じゃあ、アキラはそのうちの一人なの?」

 アキラは笑った。

「もし、そうだったら凄いんだけどね。

 オレは、数式を使っていない一般相対性理論の入門書を読みかじっているだけだから、今言ったことが正しいかどうか、ホントのところは自信がないな。

 話を戻すとね、今話した理由で、ヴラドさんを浮かすのに下向きの加速度を与えているのかなって思っただけだよ」

「なるほどなー。いろいろ勉強になるなー」

「そういえば、同じ大魔導士が言ったことで有名なのが、エネルギーと質量は等価であるという考えもあるね」

「どういうこと?」

「エネルギーと質量は、E=mc^2という数式で互いに変換できるということだよ」

「へー。じゃあ、わたしたちの体も--」

「おーい、アキラ、嬢ちゃん」

 突然、ヴラドが二人を呼んだ。

「なんですか?」

 座ったままアキラが応える。

「ちょっと、こっちに来な」

 アキラとナーナは、顔を見合わせて立ち上がり、どこか険悪な雰囲気を漂わせたヴラドとフランに近づいた。

「なにかありました?」

「いや、大した話じゃないんだけどよ、酒の中で一番うまいのは、オメエら、なんだと思う?」

「えっ」

「オレはビールだと思うんだが、フランがワインだって主張して譲らねえんだよ。それでオメエらの意見を聞きたくてよ」

「わたしはどっちも好き」

 明るい声でナーナが答える。

「どっちも同じぐらい、おいしいよ。喉が渇いているとか、その時々の状況次第かな」

「見習君はどうなの?」

「オレも、どっちも好きですよ」

「あっ、ひよったな。見習君」

「おお、いい子ぶりやがった」

「いやいや、そんなことは」

 慌てて否定したアキラを見て、ふふふとフランが笑う。

「じゃあ、お姫ちゃんに合わせたな。なーるほど。おおかみくんも、こういう気遣いをしないから女の子と長続きしないのよ。判った?」

「今のどこが気遣いなんだ?」

 文句を言うヴラドを、ナーナがくすくすと笑いながら見ていた。彼女が笑う理由が、ヴラドの必死な姿を見ているとアキラにも判る気がした。

「テメエら、笑ってばかりいるんじゃねぇ!こっちは真剣なんだ!」

 と、英雄殺しの異名を持つ狼男は平和に吠えた。

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