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4-2(宦官の帝国2)

「これで全員ですよ、ヴラドさん。行くとしましょうか」

 アキラは人数を確認し、ヴラドに声をかけた。彼の目の前には荷車が一台停められ、意識を失った男たちが無造作に山積みにされていた。

「おう。とっとと片付けて来るとするか」

 男たちを荷車に乗せ終えたヴラドが、荷車の脇で両手の土を払い落しながら応える。

 彼らを襲って来たのは、この近辺で最後に残った大物債務者の用心棒や手下たちだった。これまでも何度か3人で出向いてはいたものの、言を左右して一向に返済に応じてくれなかった強者である。それを男たちから聞き出し、さっそくお礼に行かなくてはと荷車を調達して来たのである。

 もちろん、ついでに貸付金の回収もする予定だ。

 荷車に乗せられた男たちは、ナーナの術でぐっすりと眠らされて起きる心配はなかった。ひょっとすると誰か一人ぐらいは窒息するかも知れなかったが、それは気にしないことにしていた。

「本当に、わたしは行かなくていいの?」

「うん、留守番よろしく」

 夜道を照らすランプを片手にアキラとヴラドは出かけて行った。荷車はヴラドがまるで何も乗っていないかのように軽々と引いていった。


「ねえ、お姫ちゃん」

 夕食の洗い物を片付け、嘘のように静まり返った居間で、テーブルに広げた魔術書を読み耽っていたナーナに、フランが話しかけた。フランにしては珍しく、声音に少しためらいがあった。

「なに、フランさん」

 魔術書から顔を上げ、ナーナが応じる。

「あのね、お姫ちゃんに話すべきかどうか、ずっと迷ってたんだけどね、あたしって、お仕事がお仕事だから記憶力がいいの。お客さまの顔は一度見たら忘れないし、一度聞いたこともほとんど忘れないの」

「それがなに?」

 フランの言いたいことが判らず、ナーナは首を傾げた。

「驚かないでね。前に、娼館は情報の溜まり場って言ったでしょう。だからすぐに判ったの、お姫ちゃんがカナルのって名乗った時に。ああ、あのって」

「あのって……」

 フランを見つめるナーナの顔が、戸惑いと不安に曇る。そのナーナを安心させるようにフランは微笑み、言葉を続けた。

「ハクの街で、名を口にするのも憚られる御方たちの一人が現れたって噂も聞いたことがあるわ。

 すぐに否定されたけど。

 でもあたし、忘れられないから、その噂についても憶えてて、魔術師協会の人たちが娼館で落としていった黒い髪の”残され人”の噂とか、そうしたことを考え合わせると、会った時から見習君のことも予想がついてたの。

 だから、見習君の髪を見た時に驚かなかったのよ」

 何と言えばいいのか判らず、ナーナは視線をフランの顔の上に彷徨わせた。

「驚かせちゃった?」

「……うん」とナーナが頷く。

「だから、フランさん……」

 しばらくそのまま視線を床に彷徨わせていたが、もう一度うんと頷き、ナーナはフランに笑って見せた。

「驚いたよ。でも、すごいね、フランさん。一度聞いたことを忘れないなんて」

「うん、そうね」

 フランが微笑む。薄く、どこか寂し気に。

「でね、お姫ちゃん。あたしが話すべきどうか迷ってたのは、もうちょっと別のことなの。お姫ちゃんに言うべきか、ずっと迷ってたの。でも、やっぱり言った方がいいのかなって」

「……なに?」

 そろりとナーナは訊いた。嫌な予感に胸がざわついた。

「あのね、14年前にこの辺りで噂が広まったことがあるの。神々に祝福も呪いもされなかった子供が生まれたって」

 今度こそ、ナーナは絶句した。

 フランの言葉が、ガンガンと彼女の脳裏で木霊する。神々に祝福も呪いもされなかった子供。それは。それは、つまり。

「お姫ちゃん、ご両親に会いたい?」

 ガツンと殴られたように、ナーナは感じた。眩暈がして、フランの赤い髪がゆらゆらと揺れて見えた。

「両親……?」

「うん」

「……でも。でも。わたしの家族は、戦乱でみんな死んだって……、お師匠様が……」

「ううん。この辺りが戦乱に巻き込まれたことは、もう何十年もないわ。

 多分それは、お姫ちゃんのお師匠様が嘘をついたんだと思う。どうして嘘をついたかは判らないけれど。

 ……お姫ちゃんのご家族は生きてるわ。

 お姫ちゃんたちがお仕事に行ってる間に、時間があったから調べてみたの。お姫ちゃんのご両親は健在よ。お姫ちゃんの兄弟も姉妹も」

「兄弟、姉妹……」

 どす黒い感情がナーナの心に湧き上がった。兄弟姉妹。自分の。それが、両親の許で生きている。

 ナーナの息が、荒くなった。

「お姫ちゃん?」

 フランの声が遠くで響く。

 気分が悪かった。世界が彼女の周りで回っていた。ぐるぐる、ぐるぐる。ナーナは自分の服の胸を掴んだ。息が苦しい。まるで、自分で自分を殺そうとしているみたい、とナーナは思った。

 胸の内を深く蝕むその感情を、彼女はよく知っていた。

「……フランさん、わたし」

 小さく呟いて、ナーナは立ち上がった。

 ナーナの頬を、涙が伝い落ちた。それを無意識に拭い、拭った手を、彼女はしばらく不思議そうに見つめていた。そしてフランに背を向けると、ナーナは駆けるように居間を出た。廊下に面したナーナの部屋の扉が開き、再び閉じる音がフランに聞こえた。

 ナーナに声をかけるタイミングを失ったまま、フランは開きかけていた唇を閉じた。顔を伏せ、しばらく思案していたが、やがて立ち上がり、フランはナーナの部屋の扉を軽くノックした。

 返事はない。

 ためらいながら扉を開き、「お姫ちゃん?」と声をかける。

 やはり返事はない。暗がりでよく見えなかったが、部屋の主は、ベッドにうつぶせになって枕に顔をうずめているようだった。泣いているのかと思ったが、それらしい声もフランには聞こえなかった。

 フランは部屋に入り、彼女を驚かせないようそっと扉を閉じた。


「帰ったぜ」

 と言いながら扉を開けた居間には、ナーナの姿もフランの姿もなかった。ヴラドは、クンクンと臭いを嗅いだ。二人とも、ナーナの自室にいるのだとすぐに知れた。

「ヴラドさん、二人は?」

 後から入って来たアキラが問う。

「さて。嬢ちゃんの部屋にいるようだが」

 臭いがおかしかった。いろいろな感情が入り混じっている。何か危険なことが起こった訳ではないようだが、何かあったことは確かだった。

 廊下に出てナーナの部屋の前に行き、ヴラドはそっと扉をノックした。

 後でフランに、ノックの仕方が乱暴でデリカシーがなかったと文句を言われたが、ヴラドなりに気は使ったつもりだった。

 扉が開き、フランが顔を覗かせる。

「見習君は?」

「居間だ。何かあったか?」

 フランがするりと外に出て首を振る。

「少しね」

「アキラを呼ぶか?」

「あたしが呼んで来るわ」

 そう言ってフランは居間に行った。

 ヴラドは扉の前に残り、扉に背中を向けると、外界を遮断するかのように腕を組んで瞑目した。

 フランが居間に行くと、そこには椅子に座ったアキラ以外に、もう一人見知らぬ男がいた。頭には包帯を巻き、目の周りには青あざがあり、右腕には副木をして玄関の扉の前で直立していた。

「見習君、その人は誰?」

「さっきの債務者の方がどうしても今日は一部しか入金できないとおっしゃるので、今日、頂いた分の領収書と、残りの分の督促状を持って帰ってもらうためにご足労を願った方です」

 アキラが、手元に落としていた視線をフランに向ける。

「何かありましたか?」

「残りの金額はいくらなの?」

「1132万バルです。それを1130万バルで、2日以内にはお支払い頂けるという約束でご了承頂きました」

「じゃあ、領収書と督促状はあたしが書いてあげる。見習君は、お姫ちゃんを慰めてあげてくれる?」

「何があったんです?」

 立ち上がりながらアキラが問う。

「それは、お姫ちゃんから直接聞いてもらった方がいいかな」

「判りました」

 それ以上問うことなく、アキラは足早に廊下に姿を消した。アキラと入れ替わりに、ヴラドがのっそりと居間に戻って来た。

「何があったんだ?」

 ナーナの部屋を身振りで示してヴラドが訊く。

「お姫ちゃんが話してくれる気になったら、聞いてあげてくれる?」

「ああ」

 ヴラドは小さく頷くと、のしのしと居間を横切ってナーナの部屋から一番遠い椅子にどかりと腰を下ろした。

「それじゃあ、仕事はこっちで片づけるか」

「ええ。そうしましょう」と応じて、フランは直立したままの男に向かって、どこか親し気に艶やかに微笑んだ。


「うちに女奴隷がいたのは知ってる?」

 灯りのない暗い部屋の中で、べッドに座ってナーナは訊いた。小さな頭を僅かに傾け、視線は膝の上で握った自分の手に向けられたままだった。

「うん」

 ナーナの隣に座って、暗闇越しに彼女を見つめたまま、アキラは頷いた。

「イーダに聞いたよ」

「わたし、ずっと囚われていたの」

「何に?」

「他人を羨んだり、憎んだり、どうしてわたしだけがっていう気持ちに。あの頃はちっとも笑えなくて、いっそのこと世界が滅んじゃえばいいのにっていつも思ってた。死にたいっていうんじゃなくて、生きていること自体が嫌で嫌で、苦しくって。

 彼女を、彼女に言われるままに売ったのも、そうしないと彼女を殺してしまいそうだったから。

 殺すことを悪いことだと思えなかったの。だって、そうしないとわたしの方が壊れてしまいそうだったから。彼女に対する恨みと、そんなことしちゃダメだっていう想いに責められて。

 今でもね、彼女のことを思い出すと怖いの。少し体が痺れる感じがするぐらい。だから手当てをやって、過去のことにしちゃったの。

 彼女のためじゃなくて、わたしのために」

「うん」

「アキラが来てくれて、ハクで初めてあんなに笑って、やっと判ったの。わたしが何を背負っていたのか。わたしが、どれほど苦しかったか。

 だから、もう嫌なの。

 あんな苦しい想いをするのは」

「うん」

「あきら」

「なに?」

「どこにも行かないでね。アキラさえいてくれたら、わたしは人を羨んだり憎んだりしなくて済むから。わたしの姉妹が今も両親の許で幸せに生きているとしても、よかったねって言うことができるから」

「ああ」

 アキラは応えた。

「オレはずっと君の側にいるよ。例え、姿が見えなくなったとしてもね。ずっと、ずっと君の隣にね」

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