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4-1(宦官の帝国1)

 それが、二人の冒険の始まりのハズだった。

『それが、なんでこんなことに……』

 魔術師見習いのローブを目深にかぶって、アキラは一人愚痴っていた。

 室内には、戸口近くに立ったアキラの他に3人の登場人物がいた。ナーナとヴラド、それと、気の毒な債務者である。

 ヴラドが小さなテーブルを挟んで向かい合って座った債務者と話していた。

 彼らは、魔術師協会から依頼された貸付金の回収、平たく言えば借金取りの真っ最中だったのである。

 ヴラドの低い声は小さすぎてアキラには聞き取れなかったが、脂汗をぽたぽたと落とし、ぶるぶると震えている債務者の顔色を見ると、何かアキラには窺い知れない世界の言葉で丁寧に説得しているものと思われた。

『それにしても』と思う。『戦力の、凄い無駄遣いだなあ』

 フランによれば、ヴラドの異名は英雄殺し。

 南方の事件で新しい神の英雄のほとんどを始末したのは、実はヴラドだったのである。それも、旧来の神々の加護も無しに、ただ純粋に彼自身の持って生まれた物理的な力だけで。

 その英雄殺しが目の前で行っているのが、これである。

 ふーと、ヴラドが長いため息をついて天井を見上げる。ヴラドの座った椅子がぎしぎしと音を立てる。そして、彼は仕方なさそうに隣の椅子にふんぞり返るようにして座ったナーナを見た。

 ナーナの出番だ。

 打ち合わせ通り、ナーナがガンッとテーブルを蹴った。日本では、完全にパクられる行為である。しかし如何せんそのキックは可愛い女の子キックで、実際には、ガンッというよりカツンと表現した方が適切なキックだった。

 ヴラドが僅かに顔をしかめる。

 そして、青ざめていた債務者の口元が、ちょっと綻んだ。

 ナーナが何やら脅し文句を口にしていたが、それもちょっと声のトーンが高すぎた。もっとドスを効かせた方がいいのになぁと、アキラは戸口に立ったまま考えていた。

「おい」

 ヴラドが振り返ってアキラに声をかける。

 ちょっと予定より早いが、アキラの出番ということだろう。

 打ち合わせ通り数歩足を踏み出して、アキラはナーナとヴラドが座った椅子の後ろに立った。そして彼は、債務者の男を見つめたまま黙って両手でゆっくりとフードを背中に落とした。頭巾は、被っていなかった。

 債務者の長い長い悲鳴が、室内に反響した。

 何のことはない、アキラもノリノリなのであった。


 彼らが、デアの南方の小都市に腰を据えてから、すでに一ヶ月が過ぎていた。

 神追う祭りが行われる街に近く、かつ交通の便が良いこともあって、市街から少し離れたところにポツンと建てられた一軒家を拠点として、周辺の街々の貸付金の回収に励んでいたのである。

 街は、かつては堀だった細い川に隔てられて、ふたつの市街地に分かれていた。

 大きく崩れて今にも朽ち果てようとしている形ばかりの城壁に囲まれているのが新市街。比較的新しい城壁に囲まれているのが、旧市街である。

 元々無人の廃墟だったところに川を挟んで新しい城壁を築いて街を作り、やがて手狭になったために川を越えて街の外にあった廃虚へと市街地を拡げていった結果、外観と名称が逆転した風変わりな街が生まれたのである。


「そろそろここから移動した方がよさそうだな。神追う祭りの準備は粗方終わってるようだぜ」

 新市街の外れに借りた借家へ帰る道すがら、軍で情報を聞き込んで来たヴラドが、傍らを歩くナーナに話しかけた。

 フランに頼まれて市場で買って来た食料品の入った籠を手にしているのが、彼の巨体と相まって、どこか不思議なおかし味を醸し出していた。

 3人とも徒歩である。

 今日、回収した貸付金は、魔術師協会の分室ですでに納金済みだ。

「でも、移動するならここの貸付金を全部片付けてからにしたいな、わたしは」

 ヴラドの横を歩きながらナーナが言う。ヴラドがゆっくり歩いてくれていたものの、それでも彼女はいささか早足になっていた。

 ナーナの隣でアキラが頷く。

「そうだね。ここからなら、神追う祭りが行われる街までそう遠くはないしね」

「うん」

「まあ、残っているのがアレだし、中途半端にはしたくねえよな」

「ヴラドさん、西の戦乱の方は何か新しい動きはあった?」

 ナーナの問いに、ヴラドは首を振った。

「いいや。どうやら静かなままらしい。何を企んでいるのか判らねぇが、何ヶ月も動きがねえってのはちょっといい気はしねぇな」

「難民も見なくなりましたね、随分」

 と、呟くようにアキラが言う。

 彼らがこの街に来た時には、すでに数は減っていたものの、南方の事件と西の戦乱を逃れて来た難民の姿をまだ見ることが多かった。それが、実質的に南方の事件が収束し、西の戦乱で前線が静かになっているということもあって、今ではほとんど見ることがなくなっていた。

「そうだな。しかし、西の戦乱の難民はいつもこんな感じだ。戦乱の状況に応じて東に流れ、西に戻り、ほとんど季節労働者みたいなもんだ」

「西の戦乱って、いつになったら終わるのかな」

「さてな。終わらない方がいい連中がいるのかも知れねぇぜ。譲ちゃん」

「西の戦乱で稼いでいる魔術師のこと?ヴラドさん」

「オレには判らねえよ、譲ちゃん。そういったことにはあまり興味ねぇしな。まあ、オレ自身が傭兵で食ってる訳だし、いつまでも続いてくれていた方がオレとしてはありがたいんだがな」

 と、本気とも冗談ともつかない口調で、ヴラドは薄く笑った。


「じゃあ、今日の反省点だが--」

 借家の居間で、箸を手にしたヴラドが言う。

 夕食を取りながらの反省会である。夕食は留守番をしていたフランのお手製だ。

「嬢ちゃん、もうちょっと、こう、蹴りを入れるときに腰を入れられねえか。あれじゃあ脅しにならねぇ」

「うーん、頑張ってるんだけどなぁ。こう?」

 ナーナが夕食の載ったテーブルの脚を蹴って見せる。しかし、やはりカツンという迫力のない音しかしない。

「ちょっとシナリオを変えるか?」

「いいよ、今のままで。ちょっと練習しとく」

「おう、そうしてくれ。アキラはだいぶ良くなって来たな。タイミングはあれで問題ねえが、もうちょっと、こう半眼にした方がいいかも知れねぇ」

「判りました。こうですか?」

 箸を置き、アキラが半眼にして見せる。それを見たナーナが、彼の隣でくっくっくっと笑った。

「ぜんぜん怖くないよ」

「……笑わないでくれ」

 そう言いながらアキラは、指で眉間に皺を寄せてみたり顎を引いたりしていた。『真面目だなぁ、アキラは』と、それを横目で見ながら、ナーナはヴラドに話しかけた。

「ねぇ、ヴラドさん」

「ん、なんだ?」

「ヴラドさん、いつからアキラのこと、小僧じゃなくて名前で呼ぶようになったの?」

「あ、それ、あたしも気になってたのよ。旅に出てしばらくしてからよねぇ、おおかみくん?」

「わたしのことはずっと嬢ちゃんなのに」

 唇を尖らせ、不満そうにナーナが言う。

「ああ、そうだったかな」

「あらあ?いま、おおかみくんと見習君、目配せしなかった?」

「ああ?してねえぜ」

「ホント?なんか怪しいぞ。ねぇ、お姫ちゃん」

「うん。怪しい。どうなの、アキラ」

「目配せなんかしてないよ」

 アキラはいつもの口調でそう言って箸を取った。とりあえず食事に戻ることにしたようだった。

 しかし、彼が話を誤魔化そうとしている気配を、ナーナは敏感に感じ取っていた。

 小さな不安が、彼女の胸にきゅっと湧いた。

 ナーナはちらりとアキラの様子を窺い、箸を握った手元に視線を落とした。しばらくそのまま手を止めて、みんなの会話を聞くともなしに聞いていたが、やがて意を決したように小さく頷いて、背筋を伸ばし、何気ない風を装ってアキラに顔を向けた。

 ナーナが口を開こうとしたその時、パタリと、ヴラドが箸を置いた。体を起こし、鼻をひくひくと動かす。

「お客さんだ。大口だな」

 ヴラドが立ち上がる。

「ヴラドさん」

 一緒に立ち上がろうとしたアキラに、ヴラドは床を指さした。

「オメエの担当は、ここだ」

「判りました」

「すぐ済ませる。メシの途中だからな」

 ヴラドの巨体が玄関から出て行き、すぐに怒声が響いて来た。それをヴラドが一喝し、しばし静寂が落ちた。再び怒声が沸き上がったかと思うと、肉を殴りつける音や悲鳴が響き始めた。

「お姫ちゃん、裏からも来てるみたいよ」

 居間に続く台所からごそごそと物音がしていた。

「うん。3人いるよ」

 ナーナは食事を終わらせ、箸を置いた。アキラを真似て「ごちそうさま」と手を合わせる。

 話がうやむやになったが、ナーナはそのことに、むしろ自分がホッとしているのを感じていた。

 アキラもすでに一本の木刀を手に立ち上がっていた。旅に出てからヴラドに剣術を習っており、その際に使っている1.5m程度の長さの木刀だった。そっと玄関に近づいて外を窺う。

 突然、怒声を上げて3人の男が台所から居間になだれ込んで来た。と、それぞれの顔の前で火球が炸裂した。ぎゃっという声に轟という音が重なり、何とも表現のしようのない異音が--破裂音が響いた。

 ナーナが、火球を炸裂させるのと同時に、男たちの頭に向けて両側から空気の塊を打ち付けたのである。

 3人の男は、泡を吹いてその場に崩れ落ちた。

 椅子に座ったまま、ナーナが印を結んでいた手を下ろす。

 おーと、フランが小さく拍手をする。

「アキラ、一人行くぞ!」

 外からヴラドの大声が響き、玄関が勢いよく開かれた。間髪を入れず、アキラの木刀が走り込んで来た男の肩を打ち据える。ぎゃっと男は声を上げてへたり込んだが、ありったけの憎しみを込めてアキラを見上げた。木刀を構えたアキラの顔を彷徨っていた男の視線が、ふと一点に集中した。

 アキラの黒い髪だ。

 悲鳴が男の喉から迸った。そして男は、悲鳴を上げながらくにゃりと気を失って倒れ伏した。

「相変わらずスゴイわねぇ、見習君は。睨んだだけで相手を失神させちゃうなんて」

「フランさんは、初めてアキラの髪を見た時にぜんぜん驚かなかったね」

「知ってたもの」

 ナーナの倒した男たちを縛り上げながらフランが言う。

「ん?」と不思議に思ったが、ナーナはフランの手際の良さの方に注意を引かれた。体をひっくり返し、両腕をねじり上げて手首に縄を巻いてと、フランの動作にまったく無駄がない。

「ずいぶん慣れてるね、フランさん」

「いろんなお客さまがいらっしゃるからね、お店には」

 3人目の男の足首を緊く縛って立ち上がり、フランは椅子に座ったままのナーナに歩み寄った。

「お姫ちゃん、耳を貸して」

「ん?」

 フランがナーナの耳に何事か囁く。きゃーとナーナが声を上げる。「それでね」というフランの声が続き、きゃあきゃあとナーナが騒ぐ。

 自分が倒した相手をもたもたと縛り上げながら、「フランさん。少しは真面目にやってください」と、アキラが注意する。

「あら、見習君も聞きたい?」

「違います。今じゃなく、別の時にお願いします」

 これでいいのか?と男の手首の結び目を確認しながらアキラが応える。

「やっぱり聞きたいんだ。お姫ちゃんさえ良ければ、無料で手取り足取り教えてあげるわよ?」

「ダメッッッ!」とナーナ。「んー?何がダメなの?お姫ちゃん?」と、からかうようにフラン。

「おい、終わった……ぞ」

 室内に戻って来たヴラドは、何やらきゃーきゃー騒いでいる様子に「何やってんだ、オメエら」と呆れたように言った。

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