3-7(終わりの旅の始まり7)
忘れ物がないか居間や台所を再度チェックしてから、アキラはナーナの部屋に声をかけた。
「ナーナ、まだか?!」
「もう、行く。ちょっと待って!」
そう叫び返し、バタバタとナーナが駆け出して来た。魔術師の黒いローブを纏い、デアに来た時と同じ、あまり多くはない荷物を手にしていた。
「よし、行こう!」
「さっき、イーダから手紙が来てたよ」
「本当?荷物が着いたって連絡かな」
デアにいる一ヶ月ほどの間にナーナが買った、彼女曰く希少な魔術書は7冊を数えていた。よくもそれだけ希少な魔術書が市場の古本屋で売っていたものである。さすがデアは都会(こちらもナーナ曰く)といったところだったが、それをラクドまで持って行く訳にもいかず、数日前にイーダ宛に送っておいたのである。
アキラが鍵をかけ、ナーナが玄関を封印する。
魔術師協会に寄って鍵を返し、二人は駅馬車の駅舎に向かった。
「お気をつけて……」
いつも通りの青白い顔で事務員が見送ってくれた。
ヴラドはすでに駅舎のベンチに座っていた。肩に凭せ掛けた大剣がほとんど天井まで届いており、すぐにそれと知れた。
「おはようございます、ヴラドさん」
声を揃えて二人は言った。
「おう、おはよう。嬢ちゃん、小僧。今日からよろしくな」と言ってヴラドが立ち上がる。「もう、荷物の積み込みは始まってるみたいだぜ」
切符を買い、乗合馬車に乗り込む。ヴラドの大剣は、ヴラド自身が乗合馬車の屋根に担ぎ上げた。乗合馬車の中ほどの席にナーナとアキラが並んで座り、その後ろにヴラドが座った。彼は一人で二人分の座席を占めていたが、それでも窮屈そうに不満げな唸り声を上げていた。
「おおかみくん」
と、声がしたのは、その時である。
「フラン、オメエ」とヴラドが声を上げる。「ホントに来たのか」
アキラとナーナが振り返ると、ヴラドのすぐ後ろの席に座った女性が艶然と微笑んで小さく手を振っていた。
鮮やかな赤い髪が、まずアキラとナーナの目を引いた。
美しい人だった。
肩を大胆に出した衣装が艶めかしい。
歳は20代後半だろう。しかしどこか、歳の判りにくい人だった。細い眉はきれいに整えられ、薄い唇に引かれた赤い口紅がよく似合っていた。
「当たり前でしょう?そう言ったじゃない、おおかみくんについて行くって。本気にしてなかったの?」
切れ長の目を細めて、鼻にかかった甘い声で彼女がヴラドに話しかける。ナーナに似た栗色の瞳の奥で、時折、赤い光が小さく輝いていた。
「店はどうした」
「知り合いの子に譲って来たわ、女の子ごとね」
「ホントかよ」
ヴラドが驚いたように言う。
「ヴラドさん、その方は?」
「ああ、こいつは、オレがねぐらにしていた娼館の女将で--」
「ニムシェのフランよ、よろしくね」
「……ニムシェって、あのニムシェ?」
ナーナは誰にともなく呟くようにそう訊いた。信じられないといった口調だ。
その街の名に、アキラも聞き覚えがあった。ナーナから聞いた西の戦乱で、西の山岳地帯の領有権をショナと争っている隣の国の首都だ。ニムシェのと名乗るからには、彼女の国籍はまだ隣国にあるということだった。
「すげえだろ、堂々とそう名乗るんだからよ」
「あ、わたしはナーナ。カナルのナーナ。そしてこちらは、私の弟子のアキラです」と遅ればせながらナーナが自己紹介をする。
「よろしくお願いします」とアキラも、背筋を伸ばして軽く頭を下げた。「失礼ですが、フランさんも一緒に行かれるんですか?」
「そうよ。でも、勝手について行くだけだから気にしないでね」
「勝手にって、オメエ、オレは来るなと言ったぜ」
「だから、勝手について行くだけ。来るなと言われて、黙ってはいそうですかなんて言えないわ。あたし、おおかみくんが気に入っちゃったんだから。
もうお店も手放しちゃったし、そういうことで改めてよろしくね、お姫ちゃん、見習君」
「お姫ちゃん……?」
「見習君……」
「パーティは3人だけなの?」
「ああ、そうだ。だが、オメエ、本当に……」
「あら、神追う祭りの情報を教えてあげたの、忘れちゃった?あの時、教えてあげたら何でも言うことを聞いてくれるって言ったじゃない」
「えっ?」と、アキラとナーナ。
「神追う祭りの情報源はフランさんなんですか?」
「そうよ」
「まあな、軍からの情報よりコイツの情報の方が早かったんだ」
「娼館は情報の溜まり場だもの」
ああ、とアキラもナーナも思わないでもなかった。
「言ったけどよ、しかし」
フランがヴラドをからかうように口の端を上げる。
「英雄殺しのヴラドともあろう者が、前言を翻すの?」
ヴラドがうっと詰まる。そしてため息を落とし、「好きにしろ」と言った後、アキラとナーナを見て、「すまねぇ」と謝った。
「そういうことなら」とアキラ。
「まあ、旅は多い方が楽しいかな」とナーナ。
「でしょ?」とフラン。
御者が鞭の音を響かせ、乗合馬車が動き出した。
アキラとナーナは顔を見合わせると、うんと頷いて、前方に向き直った。
「狭いぜ、フラン」
「それがいいんでしょ」
どうやら、フランがヴラドの隣に移動したようだった。彼女の香水の香りが増したが、主張し過ぎない、心地良い上品な香りだった。
「ナーナ、これ」
アキラがイーダからの手紙を差し出す。
「あ、うん」
早速、ナーナが封を切る。
乗合馬車は、デアの市街地をゆっくりと進んで行く。
それが、二人の冒険の始まりだった。




