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3-6(終わりの旅の始まり6)

 風呂に入るのは久しぶりだった。

 こちらに来てから初めてだから、三ヶ月ぶり以上だ。

 思わず「あー」と声が出た。『やっぱり日本人だなあ』と湯船に肩まで浸かって、アキラは再確認していた。部屋着に着替えて居間に戻ると、誰もいなかった。旅の疲れもあり、ナーナは早々に自室に引き上げていた。

 台所へ行き、ビールを取り出す。

 ナーナには内緒だ。

 彼女には呑み過ぎと言って、夕食時にもビールを飲ませなかったのである。

 グラスを片手に居間に戻り、アキラはガイド本を開いた。

 ヴラドを雇うことを伝えに魔術師協会に行ったついでに寄った、旅行代理店で買ったのである。旅行代理店に寄ったのは、ビザ取得の相談のためだ。ビザは20日ぐらいで取得できるだろうということだった。

 ガイド本は、アキラが覚えたこちらの言葉で表音文字を使って書かれていた。これなら時間はかかるが、アキラにも読むことができた。

 アキラは、ラクドについて記述されたページを開いた。

 黄昏の街、と書かれていた。

『ラクドの街は、神代の時代に作られたと言われる黒い城壁によって囲まれています。城壁の全周は12キロ、高さは200mあり……』『城壁の素材は今にいたるまで不明で……』『城壁内は常に薄暮に包まれており、そのためラクドは黄昏の街と……』『ラクドを治めるのは最後の神官王……』『城壁内には、永遠の泉と呼ばれる泉があります。その泉の水は決して枯れることがなく、城壁の外まで流されて……』『ラクドの周囲の砂漠は空白の砂漠と呼ばれ、砂漠の砂丘に落ちる夕日は……』『運が良ければ砂丘の上を跳馬に乗って空駆ける騎士を……』『ラクドに通じるルートで気をつけなければならないのは、砂漠を流浪する火の一族の襲撃……』

 ふと、ひとつの記述がアキラを引き寄せた。

 失われた神の神殿と書かれていた。

 ラクドの守護神は今は失われた神で、その神を祀っているとのことだった。失われた神を模したと思われるあまり上手いと言えない挿絵が載っていた。

 女神だ。

 そして、鬼神でもあった。

 憤怒の表情を浮かべ、両手には悪鬼から引き千切ったと伝えられる太い腕がそれぞれに握られていた。

『違う……』

『悪鬼じゃない』

『彼女が握っているのは、オレの腕だ……』

 アキラの脳裏に、彼女の姿がまざまざと浮かんだ。

 彼女は、アキラ以外には誰も触ることのできない黒い剣を奪うために、アキラの腕を引き千切ったのだ。返り血が彼女の全身を真っ赤に染めていた。アキラの血だった。光そのものと見間違えそうな長い髪が、彼女の背中で激しく踊っていた。

 それは、余りにも美しい姿だった。

 アキラは、見惚れてしまったのだ。自分の腕を引き千切った彼女に。そして、彼女が何をしようとしているのか見届けたかったのだ。

 彼女が詠唱を始める。描くことさえ難しい魔法陣が、彼女の四囲に現れる。魔法陣が眩しく輝き、陽光よりも白く彼女を照らし出す。見る角度によって色の変わる深い緑色の瞳が、アキラに向けられる。

 胸を締め付けられそうな哀しみと、揺るぎようのない決意を湛えて。

『なぜ……』

『前はなかったはずだ』

『前の、時間の流れの中では』

『誰がこれを……』

「あー!!」

 突然居間に響いた声が、アキラを現実に引き戻した。

 記憶は、粉々になって散った。

「ビール呑んでる!」

 居間の戸口に少女が立っていた。

 ナーナだ。

 両方の眉がきりきりと吊り上がり、かなり立腹しているのは明らかだった。

「わたしには呑むなって言っといて!」

「あ、ごめん、久しぶりに風呂に入ったら飲みたくなって。ナーナも呑むか?」

 抑えようのない怒りに、固く握った拳をナーナはジタバタと激しく上下させた。

「今日はあの狼男のことで、ムカついてムカついて仕方なかったのに、アキラまでこんなことするなんて!いらないよーだ。勝手に独りで飲んでれば!」

 そう言い残して、足音も高く彼女は自室に戻って行った。それを笑って見送り、アキラはガイド本を閉じた。

 飲み干したグラスを台所に片付け、居間のランプを消した時には、ラクドの失われた神の記憶は彼の中のどこにも残っていなかった。

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