3-4(終わりの旅の始まり4)
アキラとナーナが滞在することになったデアには、城壁がなかった。
四方を山に囲まれた盆地に、1本の大河を懐に抱くようにして市街地が遠く山裾まで拡がり、デアを囲む峻険な山々を、天然の城壁として利用しているようだった。
人口はハクよりもはるかに多く、繁栄もしていたが、その分貧民も多いようで、アキラとナーナがデアの仮住まいに辿り着くまで、地面に座り込んだりあてもなくうろついている物乞いの姿を何人も目にした。野良犬が多いのはハクも同じだったが、デアの野良犬の方が、ハクよりも痩せているようにアキラには感じられた。
二人が借りた住居は、上流階級の住むエリアと下町のちょうど境目といっていい場所にあった。魔術師協会の事務員の説明によれば、市場にも乗合馬車の駅舎にも近く、立地としては最高と言ってもいい物件だった。
アキラが物理的な鍵を開け、ナーナが事務員に教えられた通り、呪を唱えて封印を解いた。
元は貴族の所有だったという住居はロの字型の一階建ての一軒家で、家の中心の中庭には数本の木まで植えてあった。住居の一角には立派な神棚まであったが、アキラとナーナには不要なものだった。ナーナが神々に祝福されていないということもあって、二人は神殿には一切立ち入らないようにしていたからである。
「神棚に祀られている神様は、誰?」
答えを半ば予想しながら、アキラは訊いた。
「エア神よ、ハクと同じで」
神棚を見ながらナーナが答える。「偶然だね」とナーナは言ったが、アキラは偶然ではないだろうなと考えていた。
魔術師協会での依頼が彼の心を重くしていた。
それは、口数が減ったナーナも同じだろうとアキラは思っていた。
三ヶ月前から、未来を告げる業が一切不可能になっています--。三ヶ月前。その三ヶ月前に、アキラはここに、この世界に来たのである。
関係がないと考えるほど、アキラもナーナも楽天家ではなかった。
「アキラ」
それぞれに割り当てた自室に荷物を置いて来たのだろう、布を一枚垂らしただけで扉のない戸口にナーナが立っていた。
「大丈夫?」
「大丈夫って言いたいところだけど、ゴメン、ちょっと大丈夫じゃないかな」
ベッドに座ったまま、アキラは応えた。
ナーナは部屋に入るとアキラの横に座り、彼を見上げた。彼女の濃い栗色の瞳にも、アキラと同じ不安が漂っていた。
「協会のあの依頼って、やっぱりわたしたちに関係あるのかな」
「あるだろうね、多分。三ヶ月前からって言ってたから。ない方が不思議かな」
「どうするの、これから」
「さて、どうしよう。未来を告げる業が一切不可能になってるっていうのは、あまり気持ちのいい話じゃないよね」
「うん……」
「でも」と、アキラは続けた。
「立ち止まるという選択肢はないよね、今は。もし、今後何か新しいことが判ったら、立ち止まるなり、引き返すっていうこともあるだろうけど、今は」
「うん」
ナーナが頷く。
「もうわたしたち、歩き出しちゃったから」
「そうだね。歩き出しちゃったからね」
アキラは改めて、隣に座るナーナを見た。意味ありげに微笑む。
「とりあえず、名前を教えてくれないかな。オレは、トダ・アキラ。いや、アキラ・トダって言う方が、ここではいいのかな」
ナーナもまた微笑み、どこか気取った仕草で自分の胸に右手を添えた。
「わたしは、ナーナ。あなたがつけてくれた名前。よろしくね、アキラ」
「うん。こちらこそよろしく、ナーナ」
見つめ合った二人の口から、どちらからともなく笑いが洩れる。
アキラがナーナの手を握り、彼女に体を寄せた。そしてその後のことは、もはや記す必要のない彼らだけの物語である。




