3-3(終わりの旅の始まり3)
デアに到着した二人はまず、デアの魔術師協会に出向いた。ハクと違い、ショナ国内の総本部である。ハクの事務長に地図を描いてもらっていたので迷うことはなかったが、その外観は、予想に反してハクの魔術師協会とほとんど変わりのない質素さだった。
ナーナが合言葉に応え、二人はハクよりは幾分広い部屋に招じ入れられた。二人を出迎えたのは、顔色の悪い、30代半ばの痩せた事務員の女性だった。
ここでの目的は3つあった。
ひとつは、一ヶ月は滞在することになる予定のデアでの住居の確保である。これは、ラクドに行くことが決まった時点ですでに魔術師協会に斡旋を依頼済みで、かつての貴族の屋敷が用意されていた。浴室付きの家を、という希望だったために贅沢な住居になったが、アキラの髪を他人に見られるといったトラブルを避けるためには仕方がない選択だった。
2つめが、護衛の斡旋の依頼である。
行程のほとんどが治安の良いショナでの旅とはいえ、アキラとナーナ、二人だけではいささか安全面に不安があった。そこで、こちらもやはりラクドに行くことが決まった時点で魔術師協会に護衛の斡旋を依頼していたのである。
「人選はすでに済ませて、待機してもらっています……。後で、候補者に直接、お住まいの方に行ってもらったのでいいですか……」
今にも消え入りそうなか細い声で、事務員の女性は言った。
「ええ」
カウンターを挟んで彼女と向かい合って座ったアキラが答える。
「ただ、雇うかどうかを決める前にちょっと試験をしたいんですが、それは問題ないですか?」
「それはまったく問題ありません……。試験の結果不採用になりましたら別の方を紹介しますし、改めて紹介料をいただくこともありません……」
「それと、試験内容についても口外してもらっては困るので口の堅い人をお願いしたいんですが」
アキラの言う試験とは、彼の髪のことだった。
護衛として雇う以上、彼の髪を見て腰を抜かすようでは困るのである。また、髪のことを口外されても問題があった。
「ご心配なら、試験の前にこちらの機密保持契約を結ばれては如何でしょう……」
事務員がカウンターの下から1枚の契約書を取り出してアキラの前に置いた。
「いや、幾ら機密保持契約を結んでも……」
そう言いかけたアキラの袖を、隣に座ったナーナが引っ張った。
「大丈夫だよ、アキラ。この契約書なら」
「ん?」
「これ、特別製なの。ちょっと値段は高いけど、もしこの契約書に逆らって機密をしゃべろうとしたら、首がね、こうぎゅーっと、捩じ切れるから」
可愛い顔をして、ナーナが平然と恐ろしいことを言う。アキラは心の中で小さく悲鳴を上げて、自分の首をそっと撫でた。
「……判りました。この契約書、買わせていただきます」
「ありがとうございます……」
次に事務員が言い出したのが、ここに来た3つめの目的である闇の司祭に会うための紹介状の金額である。
「ラクドの王宮に入るための紹介状と、ウィストナッシュ様に会うための紹介状、2通で200万バル(≒円)になります……」
「えっ」
アキラは絶句した。
事務員が淡々と話を続ける。
「ただし、この金額は先方へお渡しする金額ですので、それとは別に、当方の手数料が紹介状1枚につき20%必要になり、合計で240万バルとなります……。さらに高額な買い物には、デアでは20%の特別地方消費税も加算されますので、合わせて288万バルになります……」
しばらく沈黙が落ちた。
「……高い」
「そう?」
意外そうにアキラを見つめて、お嬢様なナーナが言う。
「わたくしも高いと思いますが、おやめになりますか……」
平板な、蚊の鳴くような声で事務員が確認する。
いや、やめる訳にはいかないのである。それに、ナーナの財政状況からすれば問題のない出費でもあった。ただし、家計を預かる身として、アキラは腸を捩じ切られそうなほどの痛みを覚えた。
彼の大学での生活費は、親の仕送りを基本として月に6万バル(※レート換算済み)程度でしかなかった。その彼からしてみれば、たかが2枚の紙切れにこれほどの出費をするのは、清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟が必要だった。
しかし、金銭感覚に乏しい、というかまったく欠けたスポンサーは、その金額を全然、露ほどにも気にしていないのである。
「……紹介状の用意を、お願いします」
血を吐くような思いでアキラが口にする。
「ありがとうございます……。では、前金で。先方との交渉が上手くいかなくても、200万バルと消費税分は返還できませんので、ご了承ください……」
ぐはっと倒れ伏したアキラの横で、「じゃ、わたしの口座から一括で」とナーナが明るく答えていた。
「それで、こちらからも依頼があるのですが……」
紹介状の依頼書にナーナがサインし、支払いも滞りなく終えた後、事務員がぼそぼそと呟いた。
「なんでしょうか」
どうにか気を取り直したアキラが応える。
「最近、西の戦乱と、南方の事件で人手が不足していまして、ラクドに行かれるついでに、貸付金の回収をお願いできないでしょうか……」
「貸付金って何でしょう?」
その問いにはナーナが横から答えた。
「魔術師協会ではね、わたしたちが預けたお金を貸し出してて、その回収を、ということだよ、アキラ。
うん、これまでもやったことがあるし、やります」
「やったことあるの?」
「うん、師匠がいらっしゃった時に、師匠の代わりに。楽しかったよ」
屈託のない、青空のような笑みを浮かべてナーナが答える。笑顔で言うことだろうかと思いながら、アキラは事務員に聞いてみた。
「貸付の利率はいくらなんですか?」
「うちは良心的なので、年利50%です……」
『利息制限法、軽く越えてるよ……』と思ったが、それで良心的なのだろう、こちらでは、と思うしかないアキラだった。年利50%が良心的だとしたら普通の利率がいくらなのかは、あまり考えたくなかった。
「判りました。お引き受けします」
「ありがとうございます……。回収していただく証文が揃いましたら、回収の手数料を含めて、改めてご相談させていただきます……。
それと、もうひとつ、あるのですが」
「なんでしょう」
もう、何でも来いという気持ちでアキラは訊いた。
「こちらの案件は、これに」
先ほどアキラが買った機密保持契約書が、一枚ずつ二人の前に差し出された。
「サインしていただいた上での依頼となります……」
アキラはナーナと顔を見合わせた。いいよ、とナーナが目で答える。二人が抱える問題の手掛かりになる可能性があった。それが、深刻であればあるほど。
「判りました」と答え、アキラは機密保持契約書を見た。
呪術用の文字で書いてあるため彼には読めなかったが、何を機密とするか、肝心な部分は紙を貼って隠しているようだった。
「どう、ナーナ」
「うん、問題ない」
契約書を目で追っていたナーナが答える。
二人でペンを取り、同時に名前を書いた。
事務員が機密保持契約書を受け取り、署名を確かめる。アキラの日本語での署名を少し訝し気に見ていたが、彼女は何も言わなかった。
「ありがとうございます……。では、依頼内容です……」
機密保持契約書が改めて二人の前に置かれる。
「成功報酬は、1,000万バル……。手付として、10%の100万バルをお支払いいたします……。やっていただきたいのは」
と言って紙をはがし、機密保持契約書の隠されていた部分を、事務員は針のように細い指で示した。
「三ヶ月ほど前から、神託・預言・予言、それに場末の占いまで含めて、未来を告げる業が一切、不可能になっています……。その原因を、調査してください……」




