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2-4(黒いユニコーン4)

 その男は、当たり屋だった。

 身長は180cmをゆうに越え、荒事を生業としている者に相応しく、両腕から背中にかけて色鮮やかな刺青を彫り込んでいた。無精髭の下の頬には大きな傷があり、片目は半ば潰れていた。

 彼は、ハクの駅馬車用の駅舎で朝からカモを探していた。

 カナル方向から来た乗合馬車から降りた一人の若い男が、男の注意を引いた。

 後から降りた魔術師--多分、女--の、おそらく下僕だろう、その若い男は、デカいリュックを背負って田舎者らしくキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回していた。

 まったくもって隙だらけだった。

 一度は雑踏で見失ったが、主人の魔術師と二人で立ち食い飯屋で昼メシを食っているところを見つけた。

 男は舌なめずりをした。

 気取られないように後をつける。

 魔術師と若い男は、東西にひとつずつある市場のうち東の市場に行くようだった。

 市場とは事を起こすにはなおさら好都合だ、と男は考えた。

 しかし、その男は、実は当たり屋としてはまだまだ初心者だった。

 田舎からハクに流れて来て、日数もあまり経ってはいなかった。

 貴重品はたいてい魔術師が自分で身に着けているし、また、下手に魔術師の持ち物に手を出すのも危険だった。どんな呪いがかけてあるか、知れたものではないか。と、いった知識も思慮も、初心者である男は持ち合わせていなかった。

 もちろん、そのデカいリュックの中身がクッションふたつだけとは、彼は夢にも思っていなかった。

 東の市場に着くと、しばらくして魔術師が下僕を置いて立ち去った。

 好機、と当たり屋は思った。

 こっそりと後ろから若い男に近づき、ドンとぶつかる。

 若い男がよろめいてたたらを踏む。

 あとはこれまで何度かやってきた通りである。若い男の胸ぐらを掴み、大声で恫喝する。市場の喧騒が、その一角だけ静まった。

 若い男は、ただオロオロしているだけのように彼には見えた。

「笠ぐらい外しやがれっ」

 笠を奪い取って投げ捨てると、若い男は頭巾も被っていた。生意気な、と当たり屋は思ったが、実のところ頭巾の何が生意気なのかは彼にも判っていなかったに違いない。

「その頭巾もだっ」

 そう言って伸ばした男の手は、予想に反して手首を握って止められた。

 若い男が申し訳なさそうに、男の知らない言葉で何かを話しかけていた。

 意外にも若い男の力は強く、かつ、男に語りかける声にも妙な落ち着きがあった。

 何かヘンだと思いながら、今さら後に引くことなどできるはずもなく、当たり屋は怒声を上げて若い男に殴り掛かった。

 若い男がするりと体を躱し、男の拳は空を切った。

 オヤッともう一度思ったが、自分の方が体がデカいという事実が、不幸にも彼の危機察知能力を抑え込んでいた。満身の力を込めて殴り掛かる。身を躱した若い男の後ろでかろうじて踏み止まり、叫び声を上げて掴みかかる。

 捕まえてしまえばこちらのものだと考えていた。

 逃げようとした若い男のパンチが、たまたまだろう、当たり屋のアゴにクリーンヒットした。「あっ、ごめ」と若い男が言ったのを聞いたように思ったが、当たり屋の意識はそこで途切れた。

 そのため、彼はその後自分が引き起こした騒ぎを知らずに済んだ。

 当たり屋は意識を失ったまま若い男に凭れ掛かり、彼の頭巾に手を掛けた。ずるずると頭巾を握ったまま倒れる。

 若い男の髪が、白昼に曝け出された。

 烏の濡羽色が如き、黒い髪が。

 水を打った静けさ、というのはこういうのを言うのかなぁと、他人事のように若い男は考えていた。

 冷気が、恐怖に凍り付いた人々の間を吹き抜けていった。その冷気は、若い男の足元から流れて来ているようだった。

 耐えきれなくなった誰かが、叫んだ。

 けっして口にしてはならない言葉を。

 口にすれば、彼らを呼ぶことになるからと、誰もが避けていた言葉を。

「闇の……闇の一族だぁ!!!」

 地鳴りのような悲鳴とともに、パニックが、ハクの東の市場で沸き起こった。


「アキラッ」

 ナーナは小さく叫んで、立ち尽すアキラに駆け寄った。冷気を流したのは、当然彼女の仕業だ。アキラが揉め事に巻き込まれているのに気づいて、全ての精霊を呼び出して様子を窺っていたのである。

 気を失ったまま倒れた当たり屋の肩の辺りを蹴飛ばし、ナーナはその手から頭巾を奪い返した。投げ捨てられた笠も素早く拾い上げ、アキラの手を取ると、彼女は一目散にその場を逃げ出した。

 市場からはすでにひと気はほとんどなくなっていたが、腰を抜かした女が二人を見送りながら悲鳴を上げ続けていた。

 路地裏に走り込む。そこでいったん足を止め、手早くアキラに頭巾を被せると、ナーナは再び脱兎のごとく駆け出した。魔術師らしく振る舞うどころではない。

 幾つもの角を曲がり、曲がりして、喧騒もほとんど聞こえなくなってようやく、彼女は走る速度を緩めた。脚ががくがくと震えてその場にへたり込む。

 石畳に両手をついて、はぁはぁと肩で息をする。

 大粒の汗が後から後から噴き出し、ぽたぽたと石畳にしたたり落ちた。

 アキラがいま来た道を振り返り、「<大丈夫みたいだよ、ナーナ>」と言った。

 見上げると、彼は平然としていて息すら乱していなかった。

「もうちょっと……」

 声にならない。5分以上も経って、ナーナは、はぁと長い息を吐いて体を起こした。

「もう、なんで……」

 そうアキラに言いかけ、ナーナは口を閉じた。アキラが悪い訳ではない。それは判っている。それに、いや、それどころか。

 プっと、笑いが洩れた。低く笑う。なかなか、アキラはたいしたもんだった。ナーナは当たり屋が崩れ落ちる姿を思い出して、笑いが抑えられなくなった。やがて声を上げて、彼女は笑い始めた。

「ナーナ」

 アキラが注意するが、笑いを止められない。

 声を上げて笑うのは久しぶりだった。いや、もしかすると初めてだったかも知れない。少なくとも物心ついてからは、心の底から笑ったという記憶は彼女にはなかった。

 うんうんとアキラに首だけで頷いて、ナーナはひとり楽し気に笑い続けていた。

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