大根を買いに行く
この作品は、秋月 忍様の『ネタの細道』にヒントを得て投稿した作品です。
大根を買いに行く。母が畑をやっていた頃には、こんなことはなかった。家で作れる野菜は、絶対に外で買わない主義だった。そんな私が、大根を買いに行く。
私が小学生の時、冬の国体が行われた。私は覚えていないが、土の見えるスキー場で競技が行われたそいだ。気象学者がいうには、このころから地球の気候に異常が現れていたとか。今から思えば、わかっていたのなら早くから警告を鳴らしてほしかった。
気が付けば、天気予報から夕立という言葉が聞かれなくなっていた。それに代わってゲリラ豪雨といわれるようになった。夕立とゲリラ豪雨の違いは災害が起きるか起きないかの違いなのだろうか。それと前後するように、夏日・真夏日よりも高い日を意味する、猛暑日という言葉が使われるようになっていた。
2016年から異常が顕著になってきたように思う。
全国のスキー場で雪不足に悩まされていた。お正月に市内のスキー場に行ったら、砂利の上をすべるような状態だった。市内の小学校でも、スキー教室の中止や場所の変更があったとニュースで知った。
例年年よりもだいぶ早くに、梅の花が咲いた。そこに雪が降る。また暖かくなって花が咲く。雪が降る。こんな繰り返しがあって、庭の小梅で梅漬けを漬けることはあきらめていたのだが、根性のある実だけが残って自然に摘果されたようで、思いの外豊作になった。
世の中がリオオリンピックにわいてた頃、我が家でちょっとしたことが起きた。例年なら、月遅れのお盆の後に出荷するはずの桃が、3週間早く出荷することとなった。何十年も桃を作っていて、初めてのことだと、母が言っていた。
自家用に作っている野菜も、例年通りの出来にならなかった。母と、こんな変な気候が当たり前になっていくのかねぇ、なんて話していたのが懐かしい。
母が漬物を漬けなくなったのは、この時から数年たってだと思う。年齢を重ね、体が思うように動かなくなっただけが理由ではない。母が作る漬物の大半は、秋先に種をまき晩秋に漬け込むものがだった。食べれるようになるのは、年末。寒の頃には漬け汁の上には氷が張っていたの記憶している。
それが気候がおかしくなって、漬け野菜自体ができなくなっていた。今までと同じ時期に種をまいても、ちゃんとしたものにならない。アブラムシがついて、漬物にできない。いつまでも気温が下がらずに、霜が降りない。野沢菜などは、数回霜に当てないと独特の食感が出ないとか。
漬けた後も、気温が高くすぐに味がおかしくなってしまう。そんなことが数年続いて、私も漬物を漬けることを断念した。
それから何年たったか、二度目の東京オリンピックの年に中学生だった息子は、父親に似たのか頭が薄くなってきた。自分の家で食べる分くらいのお米は作ってね、という私の言葉を聞き入れてくれて稲作だけは続けてくれている。作っている品種もだいぶ変わった。最近の狂った気候でも作れる品種を、農業試験場が必死になって開発した品種だそうだ。
庭先には、わずかばかりのイチゴが生えている。昔庭先でイチゴを楽しんでいたものが、今でも生き残っている。確か買った時には春に花が咲いて、5月か6月に食べられる品種を買ったはずなのに、年中実をつけている。それ以外の作物は作るのをやめてしまった。田舎の年寄りのお金のかからない趣味だった家庭菜園は、すっかり見られなくなった。気候が変わってしまって、素人が路地で野菜を作るのが難しくなってしまったせいだ。今一般に出回っている野菜は、大規模なプラントによって作られているものばかりだ。
だから私は、大根を買いに行く。大根なんて秋先に種をまけば、晩秋になれば食べられるものだと思っていたのに、もう自分で作ることが難しくなってしまった。
母に教わった、野菜の作り方はもう役に立たない。
数十年後、こんなことになっていたらいやだなぁ。




