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カフェにて

作者: ハル

すみません、落としましたよ。


不意に声をかけられ私は顔を上げた。


相手の顔もろくに見ないまま反射的に

右手を出す。


「これはすみません。ありがとうございます。」


「いえいえ、お気をつけて」


そう言われ渡されたのは、ナイフだった。



午後2時。


高架下の小さなカフェ。


近くの予備校生らしき青年が参考書に

よだれを垂らして寝入っている。


角のボックス席の主婦達から歓声が

上がった。


そんな店内の隅で、二人の男がカウンター席

に隣り合って座っている。


それ自体場違いなのに、この状況はさらに

異常だろう。


「ん?これあなたのナイフですよね?」


平然とナイフを渡してくる目の前の男。


30代前半の、どこかですれ違っていそうな

特徴のない風貌。


ご丁寧に自分の方に向けた刃を、

おしぼりで挟んで差し出している。


思わず誰かに見られていないか周囲を

盗みみた。


こんな状況怪しまれるのは必然だが、

誰かが叫び出すこともなく、午後の日差しは穏やかだ。


自分のいる場所が誰にも見えなくなってしまったような

妙な感覚。


「案外人って見てないですよね」


男はそう言うと、中途半端に差し出していた私の

右手にナイフを置いた。


「ちょっと、なんでこれが私のだなんて」


「すみません、ブレンドおかわりで」


マスターがこちらに顔を向ける前に、

カウンター下の荷物置きにナイフを隠した。


咄嗟に動いてしまった自分を恨む。


これじゃナイフの持ち主ですと言っているような

ものじゃないか。


うらめしく隣の男を見ると、何食わぬ顔で

コーヒーの残りを飲みほしている。


「なんで私のものだと思うんですか」


「それは」


男はカップをソーサーに戻した。


「俺の後にトイレに行ったのはあなただけで、

さっきまたトイレに行ったらそれが落ちてたからですよ。

それにあなたはカバンを持ってトイレに入りましたしね」


確かに状況としては私は怪しい。


それにしてもこの男、よく見ているにも程がある。


自分を棚に上げて男が怪しい人間に思える。


「別に怪しい者じゃないですよ」

全く説得力がない。


「ちょっとそんな目で見ないでくださいよ。

あ、口封じとか言ってこの後俺の背後からブスッとか

嫌ですからね」


「なっ、人聞きの悪いことを言わないでください」


「ほんと今は死ぬわけには行かないんですよ。

これから敵討ちに行くんでね」


何を言っているんだこいつは。


別の意味でやばいやつだったか。


「それは何かの比喩かい?」


「ええまあ。敵と言っても身内ですからね」


よくわからない。まあ誰かに会いに行くのだろう。


「その人に会えるといいですね」


男はニコリと笑った。


「そうですね。会えたらあなたに教えますよ」


「なんでですか。別にいいですよ。」


「いいじゃないですか」


つくづく変な冗談を言ってくる男だ。


「ああ、俺そろそろ行かないとなんで」


男が立ち上がった。


「そうですか。お気をつけて。」


ふと男が立ち止まった。何やら胸ポケットを

漁っている。


「どうかしましたか」

「いえ、ただ」


男の手には細身のボールペンが握られている。


「人を動けなくさせるには、こんなもので

充分ですよ」


それですっと首をなでる仕草をしてみせると、

男は今度こそ振り返らず去っていった。



しばらくして私もその店から出た。


ナイフがカバンの中で微かに音を立てる。


このナイフを使って金を盗る計画だったのだが。


妙な男に会ってしまった。


彼の最後の仕草を思い出し、粟立つ肌をなでる。


ただのボールペンが、どんな凶器よりも恐ろしく見えた。


もし私が計画を実行していたら、彼に逆襲されていた

だろうか。


案外、見かけによらない人間は多いのかもしれない。



数日後。


交差点で信号が変わるのを待つ。


巨大な液晶に殺人事件の報道が

映されていた。


信号が変わり、人の群れが動き出す。


向こうからきた男とすれ違った。


「落としましたよ」


あの男の声に、思わず振り返った。


しかし、たった今すれ違ったはずの

背中は、人波に消えてしまった。


液晶からアナウンサーの声が響く。


「また、被害者は頭部が切断され…

犯人はいまだ逃亡中です。警察は…」












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