頼み
「大魔法士ラドクリフ殿」
準備室に一人残ったラドクリフは、ちょうど家に帰ろうと支度をしている所に、ある男が尋ねた。
その男は王家の紋章を身に付け、見るからに高貴な出で立ちをしている。
「陛下」
「邪魔するぞ」
アーロン国王
現国王であり前国王が健在の頃、戦時中は隊を率いる大将を勤め、そのアーロンの右腕としてラドクリフは仕えていた。
部屋にその男が入ってくるとラドクリフは敬意を示すように、優雅で非の打ち所のない一礼をする。
「お久しぶりです。国王陛下。わざわざ、こちらにいらっしゃるとは珍しいですね」
「お互い立場が変わり、あまり接点がなくなった。まあ、君が講義の為に王城に来るのだから、顔を出すだけでも寄ってくれてもいいんだが」
「申し訳ありませんが、あまり国のゴタゴタには関わらないようにしているんです。せっかく国が平和になったのだから、そろそろ僕も平和を謳歌しても良いでしょう」
「戦後には、お前に嫌な仕事をさせてしまったな」
「いえ。僕が望んだことですから」
戦争終結を機にアーロンが国王に就いて十年。
国王という立場が、どれだけの激務で気苦労の絶えない立場なのか物語るように、アーロンの男らしく凛々しかった面立ちは一気に老け込み疲れを感じさせていた。
「わざわざ僕の所にいらっしゃったのは何か用が?」
「近頃、怪しい動きをする連中が現れた」
「僕が根絶やしにしたと思っていましたが、そういう輩は虫のように沸いて出てくるものですね」
「国の在り方に納得のいかない者達が居るという事だ。ただ今回は少し厄介でな。戦後、争いを起こそうとする輩を排除する仕事をしてきたお前なら対処できるだろうと、お前に頼みに来たのだが……」
「国王の命令ならば否応なく受けねばなりません。僕に選択肢を与えるあたり国王として甘いですね。アーロン様」
アーロン国王は、困ったように微笑んだ。
「お前の言う事は相変わらず耳に痛い」
「陛下の頼みならば慎んでお受け致します」
そうしてラドクリフは恭しく頭を垂れた。
『や、やめてくれ! 命だけは!!』
命乞いも虚しく、その男は心臓を貫ぬかれ剣が突き立てられた。
息の途絶えた身体から剣を引き抜くと、その剣の持ち主は魔法使いのローブを被ったラドクリフだった。
蒼白く美しい髪を一本に束ね、血に濡れた剣を持つ彼はぞっとするほど美しい。
『すごい! ラドクリフ様は剣を扱えるのですか!』
声変わりしたばかりの兵士がラドクリフに声かけた。
少年の顔にラドクリフは見覚えがあった。
まだ若い少年だが非常に頭のいい少年で、ラドクリフの部隊に配属されたばかり。
部下は彼一人ではなかったが他の者の姿が見えない辺り、生き残ったのは彼一人だろう。
『いやぁ、魔法士は剣を扱えないとばかり』
『そう思っていたら、お前は戦場で死ぬぞ』
『せっかく戦争は終わったのに、まだ戦争している人間がいるんですね……』
『形ばかりの平和でも戦争してた時代よりは長く続いて欲しいものだがな。ま、こういう輩を消すほうが戦争するより数が少なくて済む』
『それでラドクリフ様は、この役目を?』
『……さあな』
ラドクリフも時代に取り残された一人だと自覚していた。
人より優れた能力は戦争での扱い方しか知らない。平和の為に力を使えと言われても、どうしていいか分からない。
戦争の続く時代に生まれて平和を知らなすぎた。
たった今、剣を突き立てた男共と立場が違うだけで大して変わらない己の姿に辟易としていた。
その場を立ち去ろうと剣を納めたその時、ラドクリフの背中に人がぶつかる衝撃を受けた。
『な、に、をー!』
背中にぶつかって来たのは先程の少年だった。
背中越しに見上げてくる少年を見下ろすと、ラドクリフを見上げてきた少年は、少年の顔にはそぐわない異常な笑みを浮かべていた。
『ダメですよ。油断しちゃ。戦場で死にますよ。ラドクリフ様』
少年が離れると腰の辺りから何か引き抜かれる感触がした後、ラドクリフ足下には血が滴り落ちた。
少年の手元には血濡れたナイフが握られており、そこでラドクリフは少年にナイフで刺されたのを初めて知った。
気づいたときには時すでに遅く、ラドクリフはそのまま倒れ込んだ。
倒れ込んだ時に見えた少年の姿は満足感なのか達成感なのか恍惚の笑みを終始、浮かべていた。
そして少年は、ラドクリフの頭を力一杯に踏みつけた。
『抵抗しないんですか。ラドクリフ様。まだ致命傷ではないと思いますが、このまま血が出てたら死にますね。それとも死にたいの?』
死にたいの?
抵抗もせず身体から血が流れて意識が遠退きそうになりながら、少年の言葉通り、もしかしたら自分ら死にたいのかもしれないとラドクリフは思った。
戦争が当たり前の世界で生まれ両親は戦争で亡くし、この先も戦争は続いていくだろう世界に、ラドクリフは未来に夢も希望もない人生だった。
今更、平和になったからって、僕のような人間は人生が変わるのか?
『さっきラドクリフ様が殺したのは僕の父さんなんだ。でも、いいんだ。子供を殴るクズだったからね。むしろ感謝するよ。ラドクリフ様』
ラドクリフの頭を土で汚すように踏みつけながら、少年は楽しそうだった。
ラドクリフは先程、切り捨てた男の顔が浮かんだ。
目の前で親を殺せば、まだ幼さの残る少年に後ろから刺されるのも、当然かとラドクリフは思った。
『貴方を殺せば、それなりに出世できるかなあって思ったんだけどなぁ』
ラドクリフは、もう意識が朦朧としだした。
『 』
少年が何を言ったか、もう分からず、自分は、もう終わりなのだとラドクリフは悟った。
意識がなくなる直前、もし生まれ変われるならばと柄にもなく思ったが、次は誰かの為に生きる人生がいいなと朧気に願った。