日常
ラドクリフの講義には優秀な魔法使い達が教えを乞うために世界中から、こぞって集まる。
ラドクリフ本人は国王の命令の為に嫌々やっているのだが器用で完璧主義な性格から手を抜けない質で、非常に分かりやすく丁寧な講義は受講生達に評判が高かった。
「ラドクリフ様、次回までに防御系魔法を全て覚えるのは無理があります!」
「ぼ、僕も無理です!」
「私も!」
「黙れ愚図ども。この世が戦国の世なら君達は魔法使いになる前に死んでいた。死ぬ気で覚えたまえ」
評判は高いが暴言付きスパルタ講義である。だが受講生からは優秀な魔法使いに成長する者が多い。その中でダントツに優秀な者がいた。
ゴードン・レイニー
背が高く、さらさらとした黒髪が清潔感漂う爽やか好青年のゴードンは、ラドクリフの無理難題を、いとも簡単に爽やかに、やってのけてしまう天才だった。
そのゴードンが講義の為にラドクリフが待機できるよう用意された準備室に姿を見せている。
「君ほど出来る者に僕の講義は必要ないだろう。働きたまえ」
背中を向けたままゴードンを見ようともせず、ラドクリフは冷たく言い放つ。
「ラドクリフ様、僕はラドクリフ様が目標なのです。まだまだ学びたい事が沢山あります」
「何度来てもらっても僕は弟子をとらない」
「……そうですか」
ゴードンは優秀な魔法使いであるが、ラドクリフの弟子になりたいと何度も冷たくされ暴言を吐かれ断られてもラドクリフの元へ足繁く通っていた。
「失礼しまーす」
ラドクリフの講義が終わり迎えに来たローズが入ってきた。
「あっ! ゴードン!」
「やぁ、ローズ」
背中を向けて机で作業をしていたラドクリフの手が止まる。
「また来てたの? 今日の講義でわかんないとこあった? ゴードンて真面目で勉強熱心だよね」
「そんな事ないよ。ラドクリフ様の講義は今日も大変素晴らしいものだった」
「またまたぁ~」
ローズとゴードン、若者同士は気が合うのか楽しそうな会話がラドクリフの耳に嫌でも入ってくる。
ラドクリフは無性にゴードンが気にくわなかった。
ラドクリフの弟子になりたがる者は、だいたいがラドクリフを盲目的に盲信している変態が多い。
しかしゴードンからは、そのような熱意や必死さを感じなかった。
表向きはラドクリフを誉め称え足繁くラドクリフの元へ通ってはラドクリフを盲信しているように見えるが、ゴードンの狙いがラドクリフではない事は分かっていた。
「ラドクリフ様、僕はこれで、お先に失礼します。貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました」
礼儀正しく一礼をして部屋を後にしようとするゴードンを、ローズが扉の前まで見送った。
扉が閉まりかける瞬間、ゴードンはローズの耳に顔を近づけた。
「また一緒に課題の答え合わせをしよう。ね、ローズ」
囁くような甘ったるい声。
ラドクリフを出汁にしてゴードンの狙いがローズだという事は明らかだった。むしろ、そうだと言わんばかりに最近では、あからさまになってきている。
ローズに近づく為にラドクリフを利用しようとする魂胆が無性に気にくわない。
「うん、またね。ゴードン」
特に何も気にしないローズは、いつも通りゴードンを見送って扉を閉め、さっさと家に帰ろうと思い振り向いたら、ラドクリフが恐ろしい形相で、すぐ側に立っていた。
「ぎゃっ! びっくりしたー。なんですか?」
無言でローズを見下ろすラドクリフは、おじさんだがイケメン。
「なんなんですか? もー!」
またラドクリフの訳のわからないスイッチが入ったんだなと思いローズは彼を避けて荷物を取りに行こうとした。
だがそれは叶わずラドクリフが扉にドンと手を置きローズは道を塞がれてしまった。
ローズにとって人生初の壁ドンだった。
「し、師匠、どうしました?」
また何かトチ狂ったのかとローズは思ったが惚れた男に壁ドンされて嬉しくない女はいないだろう。ローズはついドキドキしてしまった。
だが、近くで見る美しいラドクリフの顔には怒りが表れている。
「いつのまに名前を呼び捨てで呼び合うようになった?」
「は?」
「あれと一緒に、僕の課題をしているのか?」
あれ、とはゴードンの事とローズは解釈する。
「はい……」
「二人で?」
「はい。二人で」
ローズの返答が気に入らなかったようで、ラドクリフの眉間に皺が深くなった。
「不純異性交遊は認めない!」
「ふ、不純!?」
何がどう不純なのかローズには分からない。
しかもラドクリフを怒らせるような、やましい事は何もない。
「不純て、なんですか?」
「軽々しく名前を呼び捨てたり異性と二人でいる事だ!」
「それって……不純ですか?」
「不純だ」
「師匠と暮らしてるのも不純ですか?」
「不純……ではない」
いい加減、解放して欲しくてローズは身動ぎするが、ラドクリフは逃がす気がない。
「師匠? あの、師匠?」
ぐっとラドクリフの顔が近づき美しいイケメンの顔が既の所まで迫ってきた。
「あれとは呼び捨てなのに、僕は師匠なんだね」
何をいまさら?
「師匠が、そう呼べと言いました」
ローズが弟子に成り立ての頃、ラドクリフ様と呼んだら忌々しげに師匠と呼べと怒られたのは遠い昔。
それを聞いたラドクリフはハッとした表情の後、顔を手で覆い隠し項垂れた。
「師匠?」
動かなくなったラドクリフを不信に思い、ローズは覗きこもうとした瞬間、何を言ってるかまでは分からなかったがラドクリフから舌打ちが聞こえた。
「ちっ。あの芋野郎」
「え? 芋?」
壁ドンから解放されると、ラドクリフは机に戻りテキパキと荷物を片付け帰る準備をしだした。
帰り支度が整うと、準備室に鍵をかけ二人一緒に部屋を後にする。
「ローズ、今日はお酒を買って帰ろう」
「あ、はい……」
最近、酒を煽る頻度が多くなったラドクリフをローズは嫌だった。
物思いに耽りながら切なそうな表情を浮かべ、まるで誰かを想っているように酒を煽る。
弟子の分際でラドクリフに想いを寄せているなんて痴がましいにも程があると充分に身の程を弁えてるつもりだが、ローズはそんなラドクリフを見るのは嫌だった。
酒を呑んでなきゃやってられないラドクリフの気持ちなどローズは露知らず。
「明日も早いので、あまり飲み過ぎないようにしてくださいね」
「じゃあ明日も起こしてよ。ローズ」
「えー。最近、毎日じゃないですかー」
「朝起きてローズが居ると僕は幸せなんだ」
一緒に買い物して家に帰る間は先程の機嫌の悪さは消え、ラドクリフからは笑顔が見えた。
ローズからしてみれば、これがラドクリフの通常運転である。
毒舌暴言吐きの大魔法使いは信頼した人間には甘やかす程に優しい。
師匠と弟子。
この居心地のいい場所をローズは失いたくなかった。
「くどいです。師匠」
だからローズはラドクリフを好きという気持ちを頑なに鍵をかける。
「今日の晩御飯は……」
「唐揚げは、どうですか?」
「うん……肉じゃがにしよう」
先程ラドクリフが芋と呟いたのは晩御飯の事かとローズは思った。