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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
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8.無価値な涙の跡(4)

 同僚と思しき騎士に付き添われて、息子を抱いた夫が応接間へ入ってきた。ここは近衛隊の兵舎だ。


 王太子のフィドルの指南役として登城するように言われ、城に着くや否や息子と引き離されたエリカ・ブレンナイスは、ただ不安にさいなまれながら待っているしかなかった。


 そんな彼女はようやくほっと息をつく。


「ロー、ヴィーラ」


 けがをしたと聞いた夫の顔色はやはり悪かったが、それでもエリカは嬉しかった。駆け寄り、息子ヴィーラントを夫から受け取りながら彼を見上げる。


「けがをしたって聞いたわ……まだ熱があるのね」


 本当なら夫は一昨日帰宅し、昨日には父共々、地方領へ引き上げる予定だった。しかし夫の顔色を見ると帰宅できなかった理由も分かる。首を横に走る赤い痕――まるで何かで絞めたような痕があるのは気になったが、しばらく療養が必要な様子には違いない。


 一緒にやって来た騎士も左肩にけがをしているようだ。城内で何かあったのだろうか。


「エリカは、どうしてここに……」


 エリカは以前、元近衛隊長である父の名を濫用し、無理矢理ローデリヒに会いに来て叱られたことがあった。夫の怪訝そうな言葉を聞き、彼女はその時のことを思い出した。


「こっそり会いに来たわけではないのよ。王太子殿下がわたしをフィドルの指南役にとおおせらしくて……しばらく王城に滞在するようにと言われているの。ヴィーラもまだ小さいから一緒に滞在してよいとおっしゃってくださって」


 同じ城内にいれば今日のように夫と会えることもあるかも知れない。エリカはそう期待してしまい、そのみずみずしい頬に嬉しさが滲み出るのを止められなかったが、それを聞いたローデリヒは苦しげに顔を歪めた。


 それを妻に見つけられる前に、彼は赤子ごとエリカを抱きしめる。


「ロー?」


 夫を抱きしめ返してあげたいが、エリカの腕の中には小さな息子がいる。幸せなことだと思いながら、彼女はただローデリヒの肩に額を押しつけて目をつむった。




* * *




 午になると天候は荒れた。今朝送り出した使者が足止めをくらっていないか気になるところだが、さすがに吹雪を止ませる力は誰にもない。必要とあらば審問の日程を延ばしていくしかない。


 ドンジョンにある王の執務室にて、ディルクは人払いをさせ王と向き合っていた。


「明日の審問会の開始を午後へ延ばしていただくことは出来ませんか。午前の内に相手の駒は奪えるだけ奪っておこうと思うのですが」


「審問会は朝議の延長で開催されることになっている。午後へ延ばすとなると、朝議自体を遅らせねばなるまいな」


 王はディルクの提案にあまり乗り気ではなさそうだ。審問会を遅らせることには賛成だが、そのほかの日々の政務について確認と調整を行う会議は、いつも通りにやっておきたいからだろう。


「途中で陛下に体調を崩していただくというのはどうでしょう。頭痛でも腹痛でも目眩でもよいので、何か不調を起こしてくださいませんか」


 何となく不安そうに、王はお茶を啜った。


「仮病を使うということか」


「そうです」


「あまり、演技には自身がない」


「あからさまでもよいのですよ。陛下がもう座っていられないとおおせであれば、無理に朝議を続けるわけには参りますまい」


 うむ、と頷くものの、王はやはりディルクの提案を歓迎していなさそうだった。この人はそんなに嘘をつくのが嫌なのだろうかと思いながら、ディルクは話を進めていく。


「それからもう一つ、ブレンナイス侯爵家の処遇についてなのですが」


「この件はそなたに全権を委ねると言ったはずだが」


「ならばご報告まで。ヘンリック・ブレンナイス並びにローデリヒ・ブレンナイスは、この件の収束後、アマリアを追放、地方領に永蟄居を命じます。ブレンナイス家の地方領は王太子領に隣接しているので監視も容易ですし、不穏な動きがあれば王太子領に駐留する軍を派遣することが出来ます。将来、ヴィーラント・ブレンナイスの爵位の継承を承認するかどうかは、その時の判断でよいと考えます」


 王は頷いただけだ。近衛隊長時代のヘンリックのことはよく知っているだろうが、同情する様子はない。死罪ではなく永蟄居という処分が妥当だったのだろう。


 ブレンナイス元将軍はこの件に荷担してはいなかった。しかし、ローデリヒが大恩ある義父に黙ってその顔に泥を塗る真似をするはずもなかった。どこかの時点で義父には自分がすることを伝えていたようだ。


 ヘンリックはそれを黙認したばかりか、一族そろって地方領へ逃亡する準備をしていたのだから、彼にも罪を問うのは当然だ。


 ヘンリックが女婿の復讐を黙認したのは、ローデリヒの実父ディールスが、ヘンリックの友人だったからだそうだ。どのような交流があったのかつぶさに聞くほどの興味はないけれど、ヘンリックもまた、会ったこともないユニカを憎む人間だったのだろう。


 掘り返せばどれだけユニカを憎む人間がいるだろうか。


 だが、虚しい恨みだ。今さらユニカに復讐してどうなるというのだ――そんなことを言える資格は自分にないと知りながら、ディルクは顔も知らない人々のことを冷たく嗤う。


「娘へ、これを渡しておいて貰えるか」


「もう準備が? 早いのですね」


 話を切り上げようとした時に王が手ずから差し出してきた箱の中身を確かめ、ディルクは訝しげな顔をした。作るのに半年かかってもおかしくない代物だった。


 上質な綿を敷き詰めた箱に薄紫の絹を敷いて収められていたのは、金の土台に大粒のサファイアを据えたティアラだ。サファイアには少し離れると石自体が薔薇のように見えるという特殊な加工が施され、周りには緑や白の色硝子が散りばめられている。ユニカの黒髪によく映えるだろう。


「ツェンが……王妃が用意していたようだ。プラネルト伯爵が預かっておったわ」


「指輪もですか」


「いや。そちらは王妃のものを着けさせよう」


 ディルクは渡されたもう一つの箱の中身も確かめる。ディルクの左手に収まるのと同じ、サファイアの盾に金で有翼の獅子紋を象嵌した王族の身分を示す指輪だ。


(嫌がるだろうな)


 これを着けろと言われた時のユニカの顔が目の前にあるように想像できた。説得するのに骨が折れそうだと知っていたから、王はこれをディルクに押しつけたのだろう。



 

* * *




 ユニカは衛兵に守られながら東の宮へ戻り、部屋へ着くなりエリーアスが訪ねて来たので少しひやりとした。自分が〝殺した〟かも知れない相手の肉親に会いに行っていたなどと彼が知ったら、きっと怒るに違いない。そしてその怒りの矛先はディルクに向けられるだろう。


 それはさすがに申し訳ないと思った。王太子は――きっと何か思惑があってのことなのだろうが、ユニカを悪いようにはしない。あの冷たい霊廟の中まで迎えに来てくれて以来、気がつけば不安な時はいつも彼に手を握られているような気がする。


 私を守ろうとするなんて、もの好きな人だわ。


 テリエナとあの騎士のことは気がかりだし、自分に宿る力が歪めるものの大きさを思い知った瞬間の胸の痛みは、何度でもよみがえる。


 しかし、


『大丈夫』


 微笑みながらきっぱりと言ったディルクの顔を思い出すと、混乱しそうになる頭を落ち着けることが出来た。


「おい、ユニカ。聞いてないだろ」


 何か愚痴をこぼしていたらしいエリーアスが、むっとした口調でユニカを呼んだ。無視されていたことに気づいたようだ。


「あ、ええ、なに?」


「聞いてなかったんならいいよ、一人で食うし」


 ぼんやり聞こえていたエリーアスの言葉を要約すると、城門をくぐってからこの部屋に辿り着くまで、様々なところで身分を確認されるから一時間もかかる、ということだ。おかげで買ってきた土産が冷めたとも言っていた気が。


 エリーアスはアマリアの街の屋台で買ってきたパンに憤慨しながらかぶりついていた。


 とろけるほど煮込んだ鶏肉が包み込んである、庶民の昼食の定番のパンだ。エリーアスの好物でもあるらしく、時々ユニカにも買ってきてくれた。クレスツェンツと三人で食べたこともあった。


「半分だけちょうだい。朝ごはん、食べていないし、お腹がすいたわ」


 本当はまだこういう重たい食事は胃が受け付けないと思ったが、エリーアスの厚意の分だけでも囓っておきたかった。


 エリーアスはユニカのために買ってきたパンを半分に割りながら、彼女が昨日まで寝込んでいたことをやっと思い出したらしい。元気づけねばということばかり考えていたのだろう。彼は少し申し訳なさそうにパンを差し出してきた。


「無理に食わなくていいぞ……」


「ううん」


 やはり今日はあまり美味しいと感じられなかったが、それでも彼の心遣いは嬉しかった。


 いつか、エリーアスには言える日がくるだろうか。


 あの夏のこと、ユニカが覚えている最後の日のこと。養父とキルルの、最期の瞬間のこと。


 ふとそんな考えも過ぎったが、同時にローデリヒとテリエナの顔が思い浮かぶ。


 エリーアスにあんな目で見られたら。


 その想像の恐ろしさは、ディルクの声を思い出しても収まらなかった。


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