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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
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8.無価値な涙の跡(2)

 これから見るものはあまり愉快な光景ではないと思う。そうディルクに言われたものの、初めから面白いことなど期待していなかったユニカは黙って頷いた。


 しかし、その部屋に通された途端、彼女は息を呑んだ。


 部屋を暖める暖炉、寛げるようにしつらえられた家具の装飾は豪華ではないけれど美しく、壁には春の花々のブーケを描いた大きなタペストリーが飾ってあった。兵士と家族が面会するための応接間の一つだ。


 暖かな色合いに満たされる部屋の真ん中に向き合う形で椅子があり、片方には一人の青年が座っていた。彼は先ほどのユニカのように暖炉の火を見つめている。異様なのは、彼が後ろ手に鋼鉄の枷で戒められているところだ。


 人が入ってきた物音に気づいただろうに、彼は微動だにしなかった。


「向かいの席へ」


 ユニカはディルクの言葉に思わず振り返り、彼の表情を確かめた。冗談ではなさそうだ。


 そして改めて部屋の中を確認する。向かいの席というのは、あの青年の前に置いてある椅子のことに違いない。


 急に、怖いと思った。あそこにユニカが座ったら、青年はどんな顔をするだろう。地下牢で見た彼の憎悪に燃える瞳を思い出す。きっとあの時と同じ目で見つめられる。


「やめるか?」


 そう言うディルクの声色がひどく意地悪に感じた。


 あの騎士に会いたいと言ったのはユニカだ。だからディルクはこうして席を用意してくれた。


 ユニカは首を振って、暖炉を背にした椅子の隣まで進み出る。ディルクも少し離れたところにあった椅子へ座った。ユニカは席に着く決心がつかないまま、立ち尽くして青年を見下ろす。


「君に危害は加えさせない。安心して訊きたいことを訊くといい。顔を上げろ、ローデリヒ・ブレンナイス」


 ディルクに命じられても、彼は応じようとしない。何の意思も宿していない薄暗い瞳はまっすぐ炎を見ているだけだ。ディルクは溜め息を吐き、隣に控えていた侍女に目配せした。


 頷いた彼女は、部屋の端に除けられていたテーブルの上から鎖を掴み、ローデリヒの背後へ移った。そして両手でのばした鎖を騎士の首に巻き付け、躊躇いなく後ろへ引く。


「……っく」


 苦痛に歪む彼の顔を見てユニカははっとなる。地下牢でローデリヒを見た時、何となく見覚えのある顔だと思った。相手はこの城を守る騎士だ。どこかで出くわしていてもおかしくはない。けれど彼とどこで出会っていたのか、ユニカは今思い出した。


「伝えてあった通りだ。ユニカが卿と話をしたがっている。分かっているとは思うが、応じないという選択肢を卿には用意していない」


 じゃり、と鎖の擦れる音がして、侍女は更にローデリヒの首を締め上げた。鎖に引っ張られるまま仰け反る彼は、わずかに視線を動かしてディルクの声のする方を睨んだようだった。しかし抗議の声は一言ももらさず、静かに目を瞑る。


「鎖を放してあげて」


 ユニカは震える声で言いながら椅子に座った。このまま自分が立ち尽くしていれば騎士への戒めは強くなるばかりかも知れない。ところがローデリヒの背後に立つ侍女は、ユニカが席についても顔色も変えなければ鎖を引く力も緩めなかった。代わりにディルクを覗い、彼が手を振ると侍女はようやく鎖を緩めた。


「クヴェン殿下の葬儀の時に、私に手を貸してくれた方かしら」


 ユニカはあの日のことを気にも留めていなかったが、一つだけ、騎士に近づいた心当たりがある。王家の葬祭堂へ到着し馬車を降りる時に、馬車を守っていた騎士がもたつくユニカの手を引いてくれたのだ。


 ああいう場面ではごく自然なエスコートだ。だからユニカは、黒いヴェール越しの視界に映った騎士の顔を特別に記憶しようと思いもしなかった。


「お前が『天槍の娘』だと知っていれば、あの時斬り棄ててやったのに」


 返ってきた冷たい答えに心臓が大きく脈打つ。ユニカは膝の上でドレスを握りしめ、それをやり過ごした。いつものように、こちらも冷たく、淡々と確かめるだけだ。心の中でそう呟き、喉の奥の震えが収まるのを待った。


「だったらあなたはご存じでしょうけれど。私は、〝八年前〟にとてもたくさんの人を殺したわ。一人一人の顔も名も知らない。だからお訊きしたいと思って……私はあなたの誰を殺したのか」


 確かめてどうするのか、とディルクに問われた。その通りだ。ユニカが焼き尽くしてしまった命は数にしておよそ七百。ユニカが把握していたわけではない。村の異変を察知した太守が兵を派遣し、彼らが炎に舐め尽くされた瓦礫の中と大地に転がっていた死体を数えた。


 実感のない数だった。当時ユニカは、村への人の流入が激しくなってからほとんど家の外へ出なかったから。だからあの小さな村にそんなにたくさんの人々が集まっていたことは気配でしか知らない。


 ただ怖くて、ユニカはアヒムに言われるまま隠れていた。村の異様な雰囲気、毎日遅くまで家に戻ってこない養父、遺骸が森の向こうの墓地へ運ばれるのが窓から見える。養父から任せられた薬の調合だけを必死にやって、一日も早くこの悪夢が終わるのを願っていた。


 誰を殺したのか確かめて、どうすればいいのかなんて分からない。後悔するだけなのは自分でも分かる。それでも……と思うのはどうしてなのだろう。


 ローデリヒは答えてくれなかった。うつむき加減に、底の見えないほど暗く淀んだ瞳でユニカを見つめ返してくるばかりだ。


「返答を」


 ディルクの一声で侍女が鎖の端を握り直す。すると騎士は、諦めたように力なく笑った。


「その魔女が、今ここで死んでくれるというなら考えましょう」


「選択肢は用意していないと言ったはずだ。条件を提示することも許可していない」


「ならばこのまま、この〝侍女〟に首を折らせても構わないのですよ、王太子殿下」


「そう。仕方がないな」


 抑揚のない会話が終わると、侍女の右手がするりとローデリヒの顎にかかった。


「エミ、殺すつもりはない。彼女たちを呼んできてくれ」


「はい」


 侍女は鎖を放すと、一礼して応接間を出て行った。ローデリヒの関心が彼女の動きに向いた瞬間、ユニカはわずかに緊張を緩める。彼女たちとは誰のことなのだろう。


 それからほどなくして、エミは二人の娘を引き連れて戻ってきた。

伯爵として正装したエリュゼと、彼女に追い立てられるようにして部屋に入ってきたのはテリエナだ。


 どうしてテリエナがこんなところへ。ユニカの侍女がこの件とどう関係しているのだ。


 疑問に思ったのと同時にテリエナの両手も鎖に繋がれていることに気づいて、ユニカは息を呑んだ。


「卿に話す気がないというのなら、この娘に訊こう」


 テリエナはいつものように何かに怯えていた。彼女はほかの侍女の誰よりもユニカのことを怖がっていたのだそうだ。だが、それは侍女達の中で一番気弱なテリエナが一番ユニカを怖がっているように見える、それだけの話だと思っていた。


 様子が変わったのはローデリヒだった。彼の後ろでは侍女のエミが再び彼の首に巻かれた鎖を握っているが、狼狽えたのはそのせいではなさそうだ。


「テリエナ。ユニカの質問に答えてやってくれないか。君がブレイ村で喪ったのは誰だ?」


 怯える娘は何度か唇を空回りさせた。怖じけて声を出せないらしい。


「お待ちください、殿下。テリエナがどうしたというの? なぜ鎖で繋いでいるの?」


 確かに出来の悪い侍女ではあったが、捕らえられるほどのことはしていないと思う。むしろこのひ弱そうな少女が何をしたというのか……ユニカの疑問には、ディルクではなくエリュゼが答えた。


「テリエナはわたくしが察知している限り、三度に渡ってユニカ様のお食事や茶葉に毒を混ぜ、ユニカ様の裁縫針にも毒を塗っておりました。証拠が掴めず捕縛が遅れましたこと、どうかお許しください」


 エリュゼが刺々しくそう言うと、彼女の前に立っていたテリエナは大袈裟に震え上がる。


「そ、そう……」


 知らなかった。毒を口にしてしまい体調を崩したことも、針が刺さった指と手が異常に腫れ痛い思いをしたことも記憶に新しいが、どの場合もユニカを数日寝込ませただけだ。


 侍女か召し使いの中に犯人がいるのだろうと思えば不愉快で、悲しかったし怖かったが、逆に自分の命の強靱さに呆れた程度の出来事だった。


 ともかく波風を立てないことを選んだユニカは、少しも動じていない振りを続けると決め、犯人も探さなかった。


 まさか、いつもおどおどしていて、出来るだけユニカと接触しないように逃げ回りながら仕事をしていたテリエナが犯人だったとは。いや、彼女の態度は自分のしたことを曝かれ、処罰されることを恐れていたためだったのか。


 そしてテリエナがユニカに度々毒を盛ったのは、彼女もまた、ユニカを憎む者だったからと言うことか……。納得する反面、胸が締めつけられた。


「あなたも、私に誰かを殺されていたのね」


 テリエナは震えながら足許を見ているだけで、ユニカのくぐもった呟きに気づいたかどうか分からない。


「そしてどうも、彼女とその騎士が喪った者は共通するらしい」


「それは、どういうことです?」


「兄妹だからな」


 ディルクはわざとらしいほど重々しく言った。ユニカは目を丸くしてローデリヒとテリエナを見比べる。彼らは同じ貴族社会に生きる者達だ、きょうだい別々に王城に仕えていることもあるだろうから、特に驚くほどのことでもない気がするが。


「彼らはビーレ領邦の太守に仕えていた文官の子供達だそうだ。ローデリヒは八年前の春、疫病が広がる前に都へ上り、武門の家に騎士になる修行のため身を寄せていた。テリエナは疫病の流行が始まった直後にアマリアのヨナス家に預けられ、そのまま生家が滅びたので養子として引き取られた。ローデリヒも帰る家を亡くし、滞在していたブレンナイス家の一人娘の女婿として、やがては家を継ぐ……予定だった。ユニカを陥れる企てに荷担しなければな」


 何か間違っているところは? とディルクは問うたが、二人は返事をしない。


 ユニカは激しい目眩を覚えた。椅子から転げ落ちてしまいそうだ。この二人は、八年前の疫病がもとで……いや、ユニカのせいで、家族を――


「ユニカ。知ってどうする、こんなことを。床に平伏して彼らに赦しを乞うのか? それともここで死んでみせるか? それだけで済むことじゃない。分かるだろう?」


 この二人は家族を亡くし離ればなれになったあと、それでもお互いに落ち着ける場所を得ていた。しかしそれさえ棄てて、ユニカを憎むがために復讐に走った。彼らの手には新たな家さえ残らない。もう、遅いのだ、この二人は。


 呆然としながら騎士と侍女の兄妹を見つめていたユニカは、おもむろに腰を浮かせた。椅子から降り、ローデリヒの足許にへたり込む。


「ユニカ様!」


 声を上げたのはエリュゼだったが、ユニカが床に手をつく前にそれを止めたのは素早く席を立ったディルクだった。


「やめなさい」


「でも……っ」


 腕を掴まれ引き起こされる。ユニカでは対抗し得ない膂力だった。


「無駄だと言ったつもりだったんだがな。はっきり言葉にしなかった私も悪かった」


「放して! 意味がないことなんて分かっているわ……!」


「では君が満足できるだけで、この二人が救われるわけじゃないということも分かった上で、自分だけ罪を償ったつもりになるんだな」


 違う。


 そう叫ぶ代わりに、ユニカは掴まれていない方の手でディルクの頬を打っていた。


 小気味よく乾いた音が響き、我に返ったユニカは頭に上った血が一瞬で引いていくのを感じた。


 皆が息を呑んだ沈黙を、くすりともれた笑いが裂いた。ローデリヒだ。


「ここで死んでくれるのなら、私はそれで構わない。あの病に冒された弟も、弟のため『神の娘』の血に救いを求めに行った先で殺された父母も、主神の掲げる天秤の前できっと待っている。罪深い魔女の魂が裁かれて、二度目の死を迎えるのを見るために。だが、こう望んでいる人間は国中にどれほどいるだろうな。今日お前が死ななくても、いずれ彼らの憎しみが殺しに来る。どれだけの憎悪を負っているか思い知ればいい――」


「黙らせろ」


 ディルクの命令が下された瞬間、エミはローデリヒの首に巻き付けていた鎖を一気に引いた。彼が呻く隣で、テリエナが悲鳴をあげて目を瞑る。


「少し外す。エミ、殺すなよ」


「はい」


 鎖が緩められた途端、ローデリヒは激しく咳き込んだ。それを見ていたユニカは知らずのうちに歯を震わせてディルクの袖の端を掴んでいる。


 ディルクはその手をゆっくりと解いてから肩を支え、先ほどまで彼女を待たせていた部屋へ戻った。


「傷つくだけだと言ったのに」


 ディルクはユニカの前に膝をついて、子どもに言い含めるように囁いた。


「知らなくても、きっと同じくらい苦しかったわ」


 思わず反論めいたことを言ってからユニカは後悔した。彼は何も言わなかったが、眼差しは続きを促してきた。


「私は、あの日、いえ、あの数日間のこと……はっきりとは覚えていないのよ。覚えているのは――」


 言おうか迷ったが、そっと手をさすられた瞬間に何かの糸が切れた気がした。ディルクが、何も知らない他人であるからかも知れない。


 同じ人々を愛していたエリーアスには、決して打ち明けられなかったことを。養父の友であった王妃クレスツェンツにも言えなかったことを、ユニカは、涙が溢れるのと一緒に吐き出した。


「私、キルルを、私に、刺繍や裁縫を教えてくれた、姉さんのような人を殺したの。私なんかいなければよかった、私がみんなの代わりに死ねばいいんだって、言われて。そうかも知れないと思ったのに、殺されそうになったら怖くて、苦しくて、気がついたら、キルルは真っ黒になって私の上に倒れてきた……。そこから何も覚えていないの。次に目を覚ましたらペシラの太守館で、王妃様とエリーがいて、村がなくなっていて。でも、私が村を焼き尽くしたのだわ。キルルを殺したのと同じ〝天槍〟で。だから、知らないですませてはいけないと、」


 涙が出ているのに、不思議なくらい声は枯れなかった。


 言葉が途切れたのは、立ち上がったディルクの腕の中に頭を抱え込まれたからだった。


「私が殺した数だって、君には負けていない」


 突然のことに驚きユニカが黙っていると、ディルクはぽつりとそう呟いた。


「それに、君があの兄妹に対して罪を負っているかどうかは、もう誰にも分からないんだ」


 先の言葉も理解できていないうちに降ってきた次の言葉は、なおさら意味が分からなかった。


 ディルクの腕が緩むと同時に、ユニカは戸惑いながら彼を見上げた。


「大丈夫、君のことは〝私達〟が守る」


 けれども、返ってきたのは多くの者を魅了する若い王太子の微笑だけ。ユニカは疑問も晴れないまま再びその部屋で待たされることになった。


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