7.繋いだ虚ろの手(3)
ここは王太子が貴族との会見に使う公私の狭間の部屋である。
二人がやって来たのと同時に、中で控えていた侍女がお湯にかけて温めてあった葡萄酒を注ぎ始める。
「そこに座りなさい。話がある。ユニカと一緒に聞いて貰おうと思っていたが、彼女は今あの状態だ。卿だけにでも先に伝えておこう。報告が遅れるとまた怒られそうだからな」
エリュゼは今までに二度はディルクを怒鳴りつけているが、今のはどうもそれを根に持っている言い種だった。
相手が相手なので、手打ちにすると言われればエリュゼの命運もそれまでの暴挙だったと、今では反省も後悔もしている。そういう沙汰がないのはありがたいが、ディルクがエリュゼの無礼を覚えているとなるとかなり気まずい。
席を勧められたが、ものすごく帰りたかった。エミと一緒にユニカの番をしたいところだ。
侍女は主とエリュゼの前にそれぞれ酒肴を出すといなくなってしまった。人払いをしなければ話せないこととなればなおさらいい予感はしない。
「卿はついぞ私のところへ挨拶に来なかったな。プラネルト伯爵としては」
不安がるエリュゼをよそにディルクは姿勢を崩し、頬杖をつきながら酒肴のチーズをつまんだ。
「ご挨拶に伺う時間がとれず……」
「この冬の間に登城できない者達は挨拶状と贈りものを寄越してきた。アマリアに住みながらそれすらないというのはどういうことだ? 侍女の仕事が非番の日もあったはずだが、卿はどこで何をしていた」
やはりそれから責められるのか。廊下でかけられた冷たい言葉を思い出しながら、エリュゼはうつむきディルクから視線を反らした。
「非番の日は施療院の手伝いをしております。冬は風邪が流行り、いつも人手が足りないので」
「それは、卿が王の直臣として果たさなくてはならない役目か?」
「……違います」
はい、などと言えるはずもない。エリュゼとて分かっていてユニカのところと施療院に入り浸っていた。王には定期的な報告と挨拶をしていたので、王家を蔑ろにすることにはならないだろうと言い訳して、プラネルト伯爵としてディルクに挨拶にも行かなければ、定期的に行われる貴族院の大議会にも、小議会にも出席していなかった。
もともとプラネルト伯爵家は貴族社会の端っこに引っかかっているような家だ。エルツェ公爵家から別れた王家を祖とする家系の一つとして、選ばれた貴族当主のみで構成される小議会にまで議席を持っていたが、発言力はないに等しい。
エリュゼは女だ。それも今年ようやく二十歳になったばかり。兄弟がいなかったので長女のエリュゼが領地と爵位を継ぎはしたが、男ばかりの政治の世界はそれを受け入れてくれなかった。議場へ入ったところでまったく無視されるのは目に見えている。
ディルクが責めようとしているのは、臣下として当然の礼儀を欠いたことより、きっとそちらだろう。
「卿は、臣下であることを辞めるつもりか」
「いいえ。この命のある限り王家にお仕えする覚悟ですわ」
「それをしていないから、辞めるつもりなのかと訊いた」
エリュゼは言い訳を重ねぬように口を噤む。
責められたところでどうしようもない。政治を司る男達の意見は皆同じだ。
早く婿を取り、爵位と当主権を夫に譲れ。
女性の当主がほとんどいないのは、それがシヴィロ王国の貴族社会の習いだからだ。女性はやむなく家を継いでも、すぐに夫や近しい親族にあらゆる権限を譲らねばならない。
エリュゼはそれが嫌で婿を探さないわけではなかった。
自分の夫になり、『プラネルト伯爵』を名乗ることになる人物がユニカの味方となってくれるか。それを心配している。
ユニカの存在を容認している貴族などほとんどいないと言っていい。シヴィロ貴族の男を夫にすれば、クレスツェンツから言いつけられた後見の役目をあっさりと降りてしまうだろう。
それではユニカが本当に孤立してしまう。
「三日後、小議会の議員が召集されての審問会がある。プラネルト女伯爵、必ずこれに出席するんだ」
「はい……?」
「審問の相手はユニカだ。彼女は、クヴェン王子を暗殺した容疑で告発されている」
「はい……?」
同じ反応を二度繰り返し、エリュゼは大きく瞬いた。
「卿はユニカの後見として議場へ来なさい。最初の審問会では何もせず座っているだけでいい。こちらが動くのは二度目以降だ。ユニカを出席させてから――」
「お、お待ちください! なんとおっしゃいましたか? クヴェン殿下を暗殺? ユニカ様が?」
「そうらしい。昨日ユニカを宮へ連れ帰った頃、陛下の許へ審問会の開催要請が届いた」
エリュゼは何かが目の奥で切れそうになったのを堪える。また激高してしまわないよう、ひとつ深呼吸してから低い声で言った。
「あり得ません。ユニカ様が、クレスツェンツ様のお産みになった王子様を手にかけるなど」
「卿もそう言うんだな」
「クヴェン殿下は落馬して亡くなられたのですよ。あれは事故であると結論が出され、陛下もそれを承認なさいました」
「あちらはクヴェン王子の落馬が意図的に引き起こされた証拠を提出すると言っている。恐らくユニカの部屋を調べたライナ隊が何か回収したのだろうとは推測できるが……ものはすでに行方不明だ」
「近衛の方々の横暴は、そういう背景があってのことだったのですね」
許せはしないが、納得はできた。近衛は王家の盾であり剣。王家の敵と見なされたユニカを捕らえ、排除しようとするのは当然のこと。
ただし、それが近衛隊長の命令でもなければ、王太子や王の命令でもないというのは大きな問題である。
「ユニカの部屋から持ち去られたものはないか?」
「宝石がいくつも。ですが、あれはユニカ様が陛下や王妃様からいただいたもので、クヴェン殿下とはまったく関係ありません。なんとか見つけてお返しください。おしゃれに無頓着なユニカ様がせっかく気に入って時々身につけていらしたものなのに」
「それはもう取り上げてある。確かに〝証拠〟とは無関係だろう。明日にでもユニカの部屋へ持っていくよ」
ほっとした反面、エリュゼは呆れて溜め息を吐いた。何が王家の盾で剣か。貴族の子弟が盗人のような真似をするとは。
近衛は頭が二つある状態で指揮系統も混乱しているようだし、それを利用した者がユニカを攻撃しているのだから、まったくいい迷惑だとエリュゼは思った。
「ほかになくなったものは? よく思い出してくれ。ユニカの世話をしていた卿にしか分からないことだ」
エリュゼは杯の中に映る自分の顔を見つめながら考え込んだ。
散らかされたユニカの部屋で、何をどこに収め、何を捨てるように指示を出したか順番に思い起こす。
羽根、家具、机の上、衣装、寝台の周り――割れた硝子を始末した記憶が、ふと引っかかった。
「そういえば、公子様からハーブのブーケをいただいたのですが」
「エイルリヒから?」
「はい。公子様が、ご帰国の前に温室で殿下とユニカ様と、三人でお話しなさったでしょう。その時、公子様が『お礼にハーブのリースを贈る』とおっしゃっていたのを覚えていらっしゃいますか?」
「城を出る日にも言っていたな。まだ届いていないが」
「届いていない?」
「ああ」
「公子様がご出立の日に、西の宮にお届けくださったのでは?」
「いや、城門を出る前に『送るから渡してくれ』と言っていた。帰国の準備が慌ただしくて用意できなかったらしい」
「――では、あのブーケは」
テリエナが宮の入り口で渡されたと言って持ってきたハーブのブーケは、ユニカが気に入り寝台のそばに飾っていた。それを活けていた花瓶が近衛兵に部屋を荒らされた時に落ちて割れてしまったらしい。エリュゼには片付けた覚えがある。
しかし当のハーブをどうしたか記憶にない。
「ユニカ様のところへ届けられたハーブのブーケがなくなっています」
「ハーブ? 届けたのは誰だ。エイルリヒの侍従か?」
「テリエナが預かったと言って持ってきました。公子様がくださるとおっしゃっていたのはリースでしたし、陛下や公子様のお名前もなかったので不審に思いましたが、ユニカ様や侍女たちが公子様からだろうと。何より、ユニカ様が嬉しそうにしていらっしゃったので、きちんと確かめずにお部屋に置いてありました」
迂闊な対応を後悔しながら、エリュゼは膝の上で握っていた拳を震わせた。
ディルクは頬杖をついて話を聞いていたが、やがて身体を起こし、今度は背もたれに寄りかかりながら腕を組んだ。
「ハーブが何の『証拠』になるんだ? 送り主が不明、それもエイルリヒからだと勘違いするようにユニカのもとへ届けられる……明らかに怪しいが……」
「簡単なことでございます」
エリュゼは杯を掴んで、一気に温い葡萄酒を呷った。シロップだけでなく香辛料が入っていたらしい。気が昂ぶって渇いた喉を湿らせるつもりが余計にひりひりして、かえって噎せ返る。結局全部は飲み干せずに杯を置いて少し咳き込む羽目になった。
「あのブーケには、ラベンダーを中心に何種類かの青い花が混じっていました。詳しいわけではないので間違いないとは申せませんが、ベロニカに似た青い花があるのです。フロシュメー川以南に咲く、都ではなかなか手に入らない薬草……名前はなんといったか……。とにかく、あのブーケが公子様からの贈りものに見せかけた最初の仕掛けであるとしたら、ユニカ様を告発した者が提示する『証拠』は、きっとそのハーブのブーケです」
「だからそのブーケがなんだと……」
「くだんの薬草は、人には気分を高揚させる抗鬱の薬として用いられます。同じように牛馬を興奮させる作用もあるのです。南部で牧畜を行う人々は、放牧地に群生するこれの駆除に苦労していると聞きます」
「なるほど。そのハーブを、ユニカがクヴェン王子の馬に〝盛った〟と」
「ハーブを贈ってきた者が誰か分かりません。ですから、ハーブは数日前に外から持ち込まれたのだと言っても、どうやってそれを証明したらよいのか」
早口に言い切ると、エリュゼは残りの葡萄酒を飲み干して杯を置いた。そして項垂れる。
怪しいと思っておきながらまんまと敵の贈りものを受け取ってしまった。せめて受け取ったその日のうちに王やディルクに確認しておけば、エイルリヒの贈りものではないと気がつくことが出来たのに。
「いや、『証拠』が何か分かっただけで充分だ。対処する」
「しかし……」
「もう一つ疑問がある。なぜ〝あちら〟は、エイルリヒがユニカにハーブを贈ると知っていたのだろうな。あの場には、私とエイルリヒ、侍女のティアナ、ユニカに、卿ともう一人の侍女、この六人しかいなかったはず」
「それも簡単な話なのです。以前から疑わしい部分はありましたが、証拠がなく様子を見ていました。そして、今回のことではっきりしました」
エリュゼは、その娘の必要以上におどおどした態度を思い浮かべた。誰かに命じられて西の宮へ入り込んだのだろう。そしていつも、エリュゼやユニカに勘付かれるのを恐れていたのだ。
例えばユニカの刺繍針に毒を塗ったことや、ユニカが飲むお茶の茶葉に毒をまぶしておいたことを。




