5.王城の表裏(2)
ローデリヒは内郭を出て兵舎近くにある地下牢へ入って行った。
入り口を見張っていたのはヴィクセル隊の兵士だった。小隊長に用があると言うと、彼らは疑いもせずローデリヒを通した。
火の灯された通路を奥へ進み、鉄格子の扉も何枚かくぐる。
ここは城の創建当初からある施設で、戦後の混乱を極めた当時は多くの朝敵が収容されたのだろう。奥は深く、廊下は枝分かれして、監房は五十を超える。
ローデリヒは一番奥へと行き着く前にヴィクセルを見つけた。彼は難しい顔をして腕を組み、鉄格子の扉の奥を睨んでいた。
「ヴィクセルさん」
声を抑えてローデリヒが呼ぶと、彼は瞠目して慌てた。奥の様子をちらりと覗ったあと、ローデリヒの腕を掴んでいくらか道を戻った。
「なぜここへ来た。早く城を出ろ」
「すみません、隊長の印章が偽物にすり替えられていたようです。午前にお渡しした命令書は私が偽造したものだとすぐに発覚します」
「なんだと?」
「命令書を見せてください。……ここ、不死鳥の尾羽です、十二枚しかないはずなのに十三枚ある。午までに発行された命令書にこのにせの判を捺したのは、すべて私です。つまりこの命令書に判を捺せたのも私だけ、ということになります」
「ちっ、王太子か!」
命令書を握り潰しかけたヴィクセルの手を押さえ、ローデリヒは鉄格子の奥を睨んだ。
「ヴィクセルさんはこのままこれを持っていてください。昨日のライナと同じようにすればいい。あなたはこれが偽物であることに気づかず、魔女を捕らえた。それだけのことです」
「分かっている。あとはあの方に委ねよう。お前は早く城を出ろ。王太子がお前を疑っていたなら手が回っているかも知れん」
「いいえ、これが作戦に反することだとは分かっています、でも私は、どうしても――」
剣の柄に手を掛けるローデリヒを、ヴィクセルが抑え込む。
「だめだ。魔女からあの騎士が離れない」
「あの騎士?」
「王太子付きの、あいつだ」
人の話し声がする。
うとうとしかけていたルウェルは我に返った。まずい、これは「寝たら死ぬぞ」な感じの眠気な気がする。
無理もない。マントを敷物代わりにしているとはいえ、もう一時間以上凍りついた石床の上に座っているのだ。なかなかきつい。冷たさのあまり腰がじんじんしてきた。
そう思うと、鍛え抜かれた兵士でもない若い娘が同じ状況で大した防寒着も着ずに平然としているのを見ると、感心を通り越してとても驚いた。
いや、平然としてはいないかも知れない。
近衛騎士達にここへ連行されたユニカは進んで牢の奥へ入って行き、隅っこに陣取ると、入り口に背を向けて座ったきり膝を抱えたままそこから動かなくなった。
抵抗しないものだから近衛兵たちも拍子抜けしていたほどである。
「おーい、死んでねぇよなぁ」
ルウェルが声をかけると彼女はかすかに震えた。もしかすると寒さに耐えかねてうとうとしていたのかも。
「なぁー、無言じゃお互いつまんねぇしさ。多分ディルクもすぐ助けに来てくれると思うし。もうちょっとこっち来てなんか喋ってようぜ」
「……」
「つーか、いくらあんたが『天槍の娘』とやらでやばいことやらかしたにしても、女にこの待遇っつーのは、俺ちょっと許せねぇな。女子供には優しくしろって、結構口うるさく教えられてきたからさ。意外に紳士だろ、俺」
「……」
続けて無視されると、ルウェルも一旦は諦めるようになった。むすっとしつつも溜め息をついただけで彼は立ち上がる。
「毛布でも貰えないか聞いてきてやりますよ」
座りっぱなしで丸まっていた背筋を伸ばし、明かりを手に通路を戻ると、ルウェルはヴィクセル、そしてローデリヒに出くわした。
「あれ? 何してんのローディ。隊長んとこで仕事手伝ってるはずじゃ……」
「城を降りる前に、ヴィクセルさんに用事がありまして」
「げっ、そうだった。家帰るんだっけ。えーと、それはまずいぞ。俺、分身する魔法とか使えないし」
ユニカも見ていなくてはいけないし、ローデリヒを見張るようにも言われているし。
口の中でもごもごと呟いて、ルウェルはようやくディルクから与えられた二つの命令が同時に遂行できないことに気づいた。
「やばい、これはやばいぞ。っていうかディルクめ、気づいてないのか?」
自分も気づいていなかったことは棚に上げておく。
ローデリヒがディルクからトカゲ呼ばわりされている理由はよく知らないが、それはルウェルが把握しておかねばならない事柄ではない。彼はただ生活をともにするローデリヒを観察し、城から出ることを防げばいい。
これまで、ローデリヒは夜間に何度か兵舎を抜け出すことはあったが、城外へ出る素振りはなかった。なのに、ここにきてまさか休暇を願い出て堂々と出て行かれるとは。
「あー、ローディ、もう家に帰るところなんだろ? 時間があるならちょっと付き合ってくれよ。ユニカを見てなきゃいけないんだけどさ、あいつ何も喋らないからすげぇ暇なんだよ」
苦し紛れにルウェルは言ってみたが、案の定、ローデリヒは訝しげな顔をするだけで首を縦には振ってくれない。
「申し訳ないが……。ルウェル殿は、なぜここにいらっしゃるのですか。あの娘、何か罪があってここへ勾留されるされているのでしょう。そのような者に構うことはありません。殿下の許へお戻りになってはいかがですか」
「そうしたいのは山々なんだけどさ、ディルクんとこにはクリスタが報せに行ってくれたし。よく分からんがユニカに危害を加えようとする奴らがいるらしくて、そういうのに出くわしたら斬っていいよってことになってんの」
ヴィクセルがかすかに息を呑みながら左手を剣の鞘に添えた。ほとんど無意識の行動であっただろう。
「もしかして、心当たりあったりする?」
それに気づいたルウェルは、緊張感のない顔で首を傾げた。
* * *
昼食後、国王ユグフェルトは客人を迎えていた。
「パウル導主より、グレディ大教会堂へ着任のご挨拶を申し上げます」
そう言って恭しく腰を折り、やがて顔を上げた青年は不遜な目をしてユグフェルトを見下ろす。
三十代半ばの彼は、教会の伝令役として各地を行き来する『伝師』という少し特殊な僧侶である。日焼けした肌からは彼が多く旅に身を置いているのが分かる。この王都アマリア、そしてエルメンヒルデ城へも何度も足を運んでいる人物だった。
しかし、彼が王城へやって来る目的はもっぱら王妃であり、ユグフェルトに対しては教会から命じられた言伝を届けに来るだけだったので、あまり個人的に話をしたことはない。
それも去年までのことだ。彼は王妃の葬儀以来しばらくアマリアへ姿を見せることはなかったが、今は彼に応対する王妃がいない。窓口は否応なくユグフェルトということになる。
導主からの贈りものを侍従長に渡すと、彼はすぐに〝高僧の声〟という伝師の役目を終えて自分のために口を開いた。
「マグヌス導主より伺いました。どういうおつもりなのか教えていただきたい。ユニカをアヒムの戸籍から抜いたのはなぜです。王妃様がお亡くなりになってからもう一年も経つのに、どうして今さら。承認の日付を王妃様の生前に偽装することまで依頼なさったそうですね」
根深い不信感を露わに、伝師の青年は吐き捨てるように言う。
ユグフェルトとしてはあまり聞かれたくない内容だ。部屋にいた侍従長と書記官を視線だけで追い出し、彼は執務机から立ち上がった。伝師に椅子をすすめ、自分もその向かいへと移動した。
「新しい世継ぎを迎えたことで城内が不安定な状態にある。今までのように、宮に隠しておくだけではままならぬと判断したゆえだ」
「今までだって、ユニカの身の安全が保証されていたとは言えないと思いますが」
「……過日、娘が衛兵を装う何者かに襲われ、けがを負った」
「な、」
腰掛けたばかりの伝師は組もうとしていた脚を下ろして身を乗り出してきた。
「ユニカは!? 無事なんでしょうね」
「けがを負ったあと、伝師殿に手紙を出しておる」
「……あれか。そんなこと一言も……」
歯噛みしながら座り直すと、伝師はしばらく足許を睨んでいた。やがてその鋭い視線を王に向ける。
「ユニカを襲った者はどうなったのですか」
「分からぬ。捕らえていない」
「やはりそうですか。あなたはいつもそうだ。いや、その点は王妃様も変わらなかったが。そんな状態のどこが『庇護』なんだ。あなたはあの子の復讐を利用して、あの子を自分の手の内に囲っているだけだ。王家にユニカを守るつもりがないなら、グラウン家には彼女を迎える用意がある」
「その必要はない。王家があの娘を引き受けるために、導主に戸籍帳の書き換えを依頼したのだ。マグヌス・グラウン導主は、それでご了承くださったようだが?」
ユグフェルトの反論に、伝師は悔しげに眉根を寄せた。一族の上層部と自分の思いが食い違うことを突き付けられるのは、事実なだけに何よりも効果のある反論だった。
「そんなもの、あの子の意志一つで俺が覆してやる」
初めから攻撃的なこの青年とは何を話しても穏やかな方向へは運ばない。ユグフェルトは溜め息を吐いた。昨日、ユニカが再び憂き目に遭ったことを報告するのを面倒に思ってしまう。
まして彼女が貴族院の審問に召喚されたなどと知ったら、この若者はすぐにでもユニカを攫って教会に立て籠もってしまいそうだ。
ユニカを取り巻く状況の説明はディルクに任せようか。王が王太子に面倒な仕事を押しつけようと考えた時。
退出したばかりの侍従長が、一枚の便箋を携えて戻ってきた。どうやら伝師宛のようだ。
侍従長から便箋を受け取ると、彼は途端に機嫌よく顔を綻ばせた。
「ひとまずは今後も王家の対応を観察させていただくことにします」
「どちらへ行かれる」
席を立つ伝師に呼びかけると、彼は便箋をひらひらと振って見せる。
「いつものように温室で待ち合わせることになりましたので、失礼します。後ほど王太子殿下にもお目通りを願いますが、お忙しいそうなので夕刻まで待たせていただきますね。では」
「待たれよ。温室へ? あの者には東の宮を出ぬようにと申しつけたはず。手紙は届けたか、ツェーザル」
「はい、確かに」
叩頭する侍従長を眺めながら、伝師はふと違和感に駆られた。
もう一度便箋を確かめる。
いつも使われる紙とは少し違う。縁取りはスミレの花のモチーフで描かれ、ユニカが捺す一角獣の印も使われていなかった。代わりにサインがあるのでユニカからの手紙だということは紛うはずもないが。
「待て。東の宮? どういうことだ、ユニカが住んでいるのは西の宮のはずだ!」
さすがに王の胸ぐらを掴むような真似はしなかったが、代わりに、伝師はユニカの手紙を届けてくれたツェーザルに掴みかかった。
一方、同じドンジョンの中。
昼食を終えたディルクは午後の休憩の最中だった。
昨日のように自分の部屋へ戻って夕食をとれることは、このところ特にない。午後から働かねばならない時間が長いので、ディルクは昼食を取り始めたら二時間は動かないことに決めていた。
が、やはり昨晩ユニカの言ったことが脳裏をちらついて休息に集中できない。昼寝用の大きなクッションを置いてソファの肘掛けに寄りかかってはみたものの、少しも眠気が湧いてこなかった。
これなら彼女の顔を見に東の宮へ戻った方がよさそうだ。煙たがられるかも知れないが、昨夜の別れ際に――彼女がディルクから逃れるために打ち明けた秘密の真意を確かめたかった。
ユニカの敵意は王家ではなく王一人に向けられているように感じるが、彼を苦しませるためにその周囲へ牙を向けたとも考えられる。
もし彼女に掛かる疑いが真実なら、彼女の後ろにはあの女がいるかも知れない。
ディルクは頭上に掲げて読んでいたユニカへの召喚状をテーブルの上に投げ捨て、身体を起こした。
念のためルウェルを彼女のそばに置いてきたが、今さらながら人選は間違えたなと思う。
きっと気が合わず、あちらはぎすぎすした空気に耐えて過ごしているところだろう。ほかに任せられる騎士はラヒアックくらいしかいなかったが、どちらにしろユニカには居心地が悪いことになる。
三時までにここへ戻ればよいと時計を確認して、ディルクは宮へ帰ることにした。その間にディルクの許へユニカを引き渡すようにという要求があるかも知れないが、想定してあることなので慌てる必要もない。
「殿下、どちらへ?」
「ユニカの様子を見てくる。ああ、せっかくだからそのお菓子は貰おうか。彼女の気を引くのに使えそうだ」
「はい」
ディルクのためにお茶の用意をしていたティアナから焼き菓子の載った皿を貰い、ナプキンでくるんで持っていくことにする。
「ユニカ様も甘いものがお好きでしょうか」
「エイルリヒほどじゃないだろうけど。彼女の部屋に入ったときには干した果物だとかケーキだとかが置いてあった。陛下からの贈りものかな。どっちも手を着けている感じではなかったんだが、陛下が贈るということはいつもそれなりに食べるんだろう」
「では、今度ユニカ様のために何かご用意しましょう。殿下がそれとなくユニカ様の好みを聞き出してくだされば、なおよいのですが」
「それは心強い。聞いておくよ」
そんな作戦を練りながらディルクが上着を羽織っていると、ユニカの世話を命じていたはずのクリスタが駆け込んできた。
めいっぱい走ってきたのがよく分かる、結った髪の乱れよう。汗だくになっていた彼女は主達の顔を見るや気が遠くなったのか、その場に崩れ落ちてしまった。
「クリスタ、いったいどうしたの!」
「ティアナ、殿下……」
クリスタは駆け寄ってきたティアナに抱え起こされるが、息が上がってなかなか言葉が出てこない。
ディルクの入城と同時に侍官として勤め始めた、つい最近まで普通の姫君であった彼女の体力は限界値が低い。その針が完全に振り切れているらしい。
「君にはユニカの世話を任せていたはずだが」
嫌な予感を覚えつつも、ディルクは努めて柔らかな声で問いかける。
「温室へ行くと……おっしゃって……」
「外へ出たのか?」
頷いたようにも見えたが、返事をする前にクリスタは気を失ってしまった。ティアナが頬をぺちぺちと叩いてみるが戻ってくる気配はない。
ディルクは舌打ちした。肝心なことが分からなかったこと、しかし十中八九、ユニカが勝手に外出したらしいことにかっとなる。
「クリスタはそこで休ませなさい。ユニカの様子を見てくる」
「はい」
ユニカのお菓子の好みどころではない。ディルクは皿をテーブルの上に置いて代わりに剣を掴み、執務室を出た。
「殿下、お出かけですか?」
慌ただしく出てきたディルクの様子と、今ほど髪を振り乱して入っていった侍女の様子が気になったのだろう。近くにいた近衛兵が声を掛けてくる。
鬱陶しい、と一瞬思ったが、いざというときの連絡役として一人は連れておいた方がいいか。そう思いつき、ディルクは爽やかに笑いながら振り返った。
「君、伴をしてくれないか」
「あ、はいっ!」
近衛兵は思いもよらず栄誉な任務に与ることが出来、子供のように顔を輝かせる。その彼を引き連れて出発しようとしたディルクを、また別の声が呼び止めた。
「待て、王太子!!」
王太子と呼ばれるようになってひと月あまりだが、これほど乱暴に呼びつけられたのは初めてだ。ルウェルの馴れ馴れしさとはまた違った遠慮のない声に、ディルクは眉根を寄せながら振り返った。
「なんだ貴様、殿下に向かって……!」
いきなりの護衛の任務に、近衛兵の声は上擦る。
ディルクを呼び止めたのは黒服の――法衣を着た男だった。そういえば面会を夕刻へ延ばした教会関係者がいたような、と思い起こしているディルクに、彼はつかつかと歩み寄ってくる。
「あんたが王太子で間違いないな。ユニカがあんたのところにいるだと?」
僧侶相手に抜剣することを躊躇った近衛兵はいとも簡単に突き飛ばされ、盾にもならない。
よく分からないが、法衣の男は相当逆上しているようだった。
彼が伸ばしてきた腕をディルクは剣の柄で払いのける。すると相手はわずかに理性を取り戻した。
しかし腹を立てているのは変わらない。睨み付けてくる彼に、ディルクは仕方なく愛想のよい笑顔を向けた。
「ユニカのお知り合いか?」
「王族が気安くあの子の名を呼ぶな」
「申し訳ないが今は時間がないのです。あとで彼女にもあなたのことを伝えておこう。とりあえず定刻までお待ちいただきたい」
「あんたに伝えて貰わなくても自分で連絡する! それより、ユニカに王子殺しの疑いが掛かってるっていうのは本当なのか!?」
男を無視して行こうとしたディルクだったが、その言葉に足を止め、驚きを隠せずに振り返った。
「なぜ知っている」
「陛下に聞いた」
王が教えた? ディルクは耳を疑ったが、ほかにこのことを知る者はどれほどいるだろう。
ラヒアック、ユニカを告発した匿名の貴族。エリュゼには、まだ教えていない。
教会の人間は原則政治の外にいる。戸籍の守護と民の教導が王家から教会に許された職務であり、教会自身も貴族との癒着を嫌う奇妙な体質をしていた。この男が、ユニカの敵側からここへ辿り着いた可能性は低い。
「あなたの名は」
「エリーアス・グラウン。パウル・グラウン導主付きの伝師だ」
「グラウン家のお方か……」
エリーアスと睨み合いながら、ディルクはしばし考える。
「一緒に来てください。君も。今聞いたことは他言無用だ。いいね」
二人の脇で縮こまっていた近衛兵を睨み付けると、ディルクは踵を返した。




