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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
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4.見ない流星(1)

 暖炉の薪が爆ぜる音でユニカは我に返る。


 身じろぎすると王太子の腕が片方外れ、ユニカの右腕をさすりながら手の方へと降りてきた。彼はそこに巻かれた包帯を確かめるように撫でたあと、手を重ねてゆっくりと指を絡めてくる。


「どうして逃げるんだ」


「逃げるんじゃ、ないわ。大事なものが落ちているの。拾いたいだけです」


 ユニカが答えると、ディルクは彼女の左肩に顎を乗せたまま身を乗り出して、二人の足許を確かめた。さらに身体が密着するが彼は少しも気にしていない。この体勢が当然であるかのようだ。


 ものが落ちているのを見つけただろうに、ディルクはユニカを放そうとはしなかった。


「大丈夫か? 助けを呼んでいた、泣きながら」


 慰撫するようなディルクの声音が、ざっくりとユニカの胸を抉る。彼の顔が視界の外にあるのが幸いだった。こんなに動揺した表情を、日に何度も他人にさらすわけにはいかなかったから。


「何ともありません。いいから放して」


 ユニカは遠慮なく身をよじる。ディルクは諦めたようで、溜め息のような笑いをもらして腕を解いた。


「大丈夫なら、それでいいんだが」


 涙を拭いながらユニカは手紙を拾い始めた。ディルクが気にかけてくれているのは分かるが、どんな言葉も返せない。よそから来たこの王子にはユニカの事情など関係ないのだから。


 黙々と手紙を集めるユニカの隣に屈み込み、ディルクは一通の封筒を拾い上げた。


「これは?」


 一文字さえ読む隙もなく奪い取ったので、彼にはそれが古い手紙であるということしか分からなかっただろう。ディルクの質問に答えず、ユニカは黒檀の手箱に手紙をすべて詰め込むと、それを抱えて立ち上がった。


「何かご用があっていらしたのではないのですか」


「つれないな。せっかく仕事を早めに切り上げて戻って来たのに、君はもう部屋にいないし、まるで用がないなら来るなと言っているように聞こえる」


「ご用がないのなら私のところへは近づかない方がよいと思いますが。その、お世話をしていただいたうえにこちらに泊めてくださるのはありがたいですけれど、ティアナという侍女が何か勘違いをしているようで、おかげでほかの侍女も勘違いを……」


「勘違い?」


「殿下が、愛人を選んできたと思っているのではありませんか? 私が西の宮に住んでいる〝あの娘〟だということも勘付かれています。早く誤解を解いて、私と何かあると思わせるような行いは慎まれた方がよいと思います」


「なぜ?」


 立ち上がったディルクはテーブルに置いてあった鈴を鳴らした。合図を待っていたのだろう、彼の侍女達がワゴンを押して部屋へ入ってくる。それぞれ部屋に明かりを散らしに行ったり、テーブルに布を広げ始めたり。


 何をするつもりなのかと彼女らを警戒しながらも、ユニカは声をひそめて言った。


「なぜって、あなたはこの国の世継ぎでしょう? 私と親しいことは殿下にとって不利になります」


「一体何に対して不利になるのか私には分からないが……今さらだな」


「今更って――?」


「私は君ととても親しいらしい。城兵の間からそういう噂が立っている」


 どうしてそんなことに。


 絶句したユニカだったが、すぐに思い当たることがあった。


 公子エイルリヒが毒を飲まされたというあの時、ユニカはディルクに抱えられて城の中を移動していた。エルメンヒルデ城の中には小区画を形成する城壁が無数に走り、また各区画を繋ぐ門も無数にある。


 あの日の様子は、門を守るどれだけの兵士に見られたかとても数えられない。ディルクに抱えられていたのが誰なのかということなど、迎賓館を出入りしていた侍官や召使い、諸侯たちの口から勝手にもれていくだろう。


 ああ。なんてばかなことをしたのだ。自分は顔を知られていないと思ったし、城に仕える多くの者は、禁忌であるユニカのことは見て見ぬ振りをするだろうからと気を抜いていたことは否めない。


 新しく迎えられた王太子は、今城内で最も目立ち、最も話題に上るお人だ。広がっている噂は「ユニカについて」というより「王太子について」語るものだろうが、そこに自分の存在が加えられていることは非常に居心地が悪かった。


「噂を否定なさらないのですか?」


「労力を割かなくてはいけないほどの噂でもないし、皆が飽きればそのうち消えていくよ。噂を真実にするのも悪くはないしな。鴨は食べられるか? 燻製の」


「かも?」


 引っかかる言葉を聞いた気がしたが、卓上に並べられていく皿を見てようやく事態を悟ったユニカは引っ繰り返った声で訊き返した。すると王太子は公式の場で見せているのであろう極上の笑みを浮かべ、箱を抱きしめていたユニカの手を片方取り上げる。


「食事にしよう」


「ここで?」


 テーブルの上に出された前菜を見れば、そんなことは訊くまでもない。


「そう、一緒に」


 狼狽えるユニカを席まで導くと、ディルクは自ら椅子を引いて彼女を座らせる。黒檀の箱を預けるように手を差し出してきたが、ユニカは逆にそれを強く抱きしめて手放そうとしない。


「勝手に中を見たりはしない。向こうに置いておこう。手が塞がっていては何も食べられないよ」


 確かにそうだ。不信感を露わにしながらも、ユニカは黒檀の箱をディルクに渡した。


「手は大丈夫そうだな」


 ディルクも席に着き、どちらからともなく銀器を手にとって食事を始める。


 キッシュを切り分けていたユニカは手を止めた。顔を上げ、心配してくれる彼を思わず見つめ返す。


 火の色が映り込むと、ディルクの瞳はとてもきれいだった。もともと珍しい、光の加減によっては青にも見える緑の虹彩に橙色が差し込むと、彼の髪のように淡い金色に変わる。不思議な色だ。


 ディルクが首を傾げると、ユニカははっとなって視線を手許に戻した。ナイフを握る手には包帯が巻かれていたが、ディルクの言うようにもうほとんど痛みはない。包帯をとっても大丈夫だろう。


「痛いのか?」


「いいえ」


 応えないでいるとディルクがまた問うてきた。さすがにユニカの愛想のない態度が不満そうである。彼は銀器を置くと頬杖をついてこちらを睨んできた。


「ようやくゆっくり話せる時間を作ったのに、君は私と会話するのが嫌なのか?」


「……誰かと食事をすることに慣れていないだけです。向かいに人が座っていると緊張します」


 ユニカはつこうどな口調でそう言い、キッシュを口に入れた。美味しい。味ももちろんだが、中の芋は薄切りにして一度揚げたのだろう、さっくりとした食感がいい。


 一方、ユニカの主張を聞いたディルクは安心したようだった。


「ならばなおのこと、他愛のないお喋りは必要だな」


「他愛のないお喋り……」


「そうだな。今更だが、自己紹介をするのはどうだろう。お互い、名前や身分くらいしか知らないだろう?」

「嘘をおっしゃらないでください。殿下は、私のことを色々と調べてきていらっしゃるはずだわ」


 一度緩んでいたディルクの眉根が、再びきゅっと寄せられる。彼は難しい顔をしながら黙って食事を再開した。否定しない彼を睨みながら、ユニカも次のキッシュをぱくりと頬張る。


「調べたくなるのは無理もないと思うんだがな。母の故郷とはいえ、一度も訪れたことがない国に突然行けといわれただけでも身構えたのに、新しい居住先には伯父以外の同居人が、それも王族でも貴族でもない娘がいるとなれば、それは何者か気になる。君の噂は公国にも届いていたし」


「噂ですか。どんな……?」


「気になる?」


 ユニカが興味を示すと、ディルクは素直に嬉しそうだった。彼が思いのほか無邪気に、いや、悪戯を仕掛けようとする子供のように不敵な笑みを浮かべる。少し上目遣いなその表情には少年じみた可愛らしさがあって、ユニカは不意を突かれた。


「どうせ、この王城で囁かれているようなことでしょう」


「それがそうでもないんだ。確かに、君が陛下に取り入り王城での暮らしを得ているという噂もあるが、公国では、八年前の疫病を消滅させたのは君だといわれているよ。おかげで病は公国へ届かなかった。君はきっと、救療の女神の化身なんだろう、と」


「え?」


「意外かな? 私はむしろ、この国の人々の君への評価が冷たすぎると思ったが。君が数百人を灰に変えたという話も聞いているが、それが真実だったとしても、疫病の対策におくれを取った者達には君を批難できないと思う。君が数百人を殺めていようといまいと、王国の南部はすでに壊滅状態に近かった。死者の数があれ以上増えることも――」


「やめて!!」


 淡々と語っていたディルクは言葉を遮られて顔を上げる。


 ユニカは銀器を握りしめた手をぶるぶると震わせていた。燭台の暖かな光の中でも、彼女が真っ青なのがディルクにも分かった。


「違うわ、そんなわけがないわ」


 王妃の到着が間に合い、薬と医師たちが、多くの命を救ったはずだ。


 養父や、キルルや、ほかの村人や、村に集まっていた人々の命も。


「私さえ、いなければ、」


 ユニカはその先を言葉に出来ず、無意味に息を吸う。空気は少しも肺に入ってきた気がしなかった。喉の奥が震えるだけだ。


「すまない、嫌な話になったな。水を」


 血の気を引かせたユニカに、一人残って給仕をしていたティアナが杯を持たせて水を注ぐ。


「公国でもあの疫病に関する混乱はあったんだが、私はどうしても当事者ではなかった。無神経なことを言った。申し訳ない」


 水を飲み干したユニカは頭を下げるディルクに目を向けず、細かく震え続ける胸を押さえていた。


「だが公国での君の評判は、少なくともここよりいい。それに、君の名を聞いて納得もしたよ。ユニカ……古い発音では『ユーニキア』だ。正義と導きの神の十二人の娘のひとり、救療の女神の名だもの。その名は、誰がつけたんだ?」


「これが、他愛のないお喋りですか?」


 ユニカは目を眇めてディルクを睨んだ。結局彼は『天槍の娘』に興味を示しているにほかならない。


 もともと他人に触れられたくない傷がある場所を、ディルクの言葉はつついてくる。不愉快以外のなんでもなかった。


 せっかく、何度も助けてくれたことへのお礼を言おうと思っていたのに、やはりディルクは『天槍の娘』の何かしらを利用しようと考えていただけなのだろう。


 分かっていたつもりだったが、なぜか気持ちがささくれる。


「いけないか? 君のことを知りたいから訊いているだけなのに」


「『天槍の娘』のことをお知りになりたいのなら、たくさんいるご家来から情報を集めてはいかがですか。エリュゼのように、私の深いところを知る人間もいるでしょうから」


「エリュゼか……彼女が君についての情報を喜んで私に提供してくれるとは思えないんだ。必要だったから君と王妃様の関係を私にもらしてくれたんだろう。実際、あの時はそれ以上説明してくれなかった」


「私にだって、『話す必要はない』と」


「うん? そうなのか?」


 ユニカは知らないことだが、跪き、ディルクに「ユニカを頼む」と言ったエリュゼは心からユニカの身を案じているように見えた。


 エリュゼが本来の役目を捨て置き侍女をやっている理由も、まずはユニカに話したいと言ってディルクには教えようとしなかった。


 ユニカを迎えに行くことが先決だと思ってその場では深く追求しなかったが、あの時のエリュゼの顔は、誰かの命令で侍女の真似をしている表情ではない。自分の意思でユニカのそばにいることを選んだ、忠誠すら感じさせるものだった。


「それでも彼女は、君の味方だと思うよ」


 味方という言葉に、ユニカは狼狽える。


「そんなはずは」


「意外に信用されていないんだな、エリュゼも」


「だって、私と王妃様の関係を知っていた理由を、教えてくれなかった」


「どういう状況で訊ねたのかは知らないが、人に聞かれたくなかったのかも知れないし、言う時期を計っているのかも知れない。しかし君には伝えたいと言っていた。それに、これは私が〝彼女は君の味方〟だと推測する根拠の一つなんだが、」


 ディルクがふっと相好を崩す。ユニカはいつの間にか彼をじっと見つめ、彼の言葉に聞き入っていたことに気づいた。急に照れくささが込み上げてきて、ユニカは眉間にしわを寄せる。


 この人の笑顔は大変よろしくない。見ると自分の感情を制御出来なくなる。つまり、怒っていたのに怒りを鎮められてしまったり、安心させられたりしてしまう。


 彼は自分の色々な笑い方が魅力になると分かっているのだ。


「エリュゼは――エリュゼの生家は、王妃様のご実家の分家だ。君を可愛がっていた王妃様と彼女自身に繋がりがあったんだろう。だとしたら、君に理解があっても不思議はない」


「エリュゼと、王妃様が……?」


「この世界にいるのは、君の敵ばかりじゃないと言っただろう。かつて君の絶対の味方であった人たちが色々なものを遺しているはずだ。ここにいるティアナも、……話してもいいだろうか?」


 ディルクに訊ねられると、次の料理の皿を用意していたティアナは少し考えてから頷いた。


「君にはご養父がいたそうだな。このティアナは、そのご養父の師、イシュテン伯爵の娘だよ」


 ユニカは息を呑み、目を瞠ってティアナを振り返る。


 イシュテン伯爵の名はユニカにも覚えがあった。しかしそれは、王城に上がって、王妃の口から何度か聞いたことがあったもので養父の口からではない。


 貴族の名と、王妃と養父が結びつかず、ユニカはただ混乱する。


「嘘だわ。私の気を引くために言っているんでしょう」


「嘘なのか? ティアナ」


「いいえ。アヒム・グラウン様は父の教え子の一人です。我が家に滞在しておられた時期もございますし、アヒム様が大学院に入学するための後見人の一人を務めたのは、わたくしの祖父です。証が必要でしたらいずれご覧に入れましょう。わたくしがアヒム様から個人的にいただいたものがございますの」


 声色は控えめながらきっぱりとそう言ったティアナを、ユニカは呆然と見つめるだけだった。


 やがて俯いた彼女は、それきり食事が終わるまで何も喋らなくなった。


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