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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
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3.剣の策動(3)

     * * *


 

 何か勘違いされているなという気がする。


 暖炉の前にあるソファを勧められ、ユニカはそこに座ってディルクが用意してくれた新しい本を読んでいた。窓からの距離は遠からず近からず、明るさがちょうどよく暖かい。ディルクが普段寛ぐための場所なのかも知れない。


 足許には天鵞絨(ビロード)のように滑らかな青灰色の毛の猫がやって来て寝そべっていた。ユニカの座っているソファがお目当てだったと見え、少し不機嫌そうで、ぴんぴんと跳ねるように動く長い尻尾が時々ユニカの足を叩いてくる。ディルクの飼い猫なのだろうか。


 後ろには侍女たちが控えていた。黙って立っているだけなのがかえって空恐ろしい。


 けれど、侍官とは本来そういうものなのだろう。ユニカの部屋に仕える侍女たちのように、呼ばれないからといって勝手に控えの部屋へ引っ込んでいたり、ユニカの目の前でこそこそと内緒話をする方がおかしいのだ。


 しかし、いかに王太子の侍女といえど、中身が普通の若い娘であることに変わりないのはよく分かった。


 ティアナに連れられてやって来たユニカを、彼女らは無言で、値踏みするように視線で舐め回した。態度こそディルクに預けられた客人に対して相応しいものだったが、目は口ほどにものをいう。


 多分、ディルクが愛人にする女を連れてきたと思っているのだろう。彼の浴室を使い、そのあと彼の部屋で寛いでいれば誤解されるのは仕方ない。


 しかも東の宮では女物の衣裳を用意できなかったらしく、ユニカはディルクのものと思しきガウンを着せられていた。


 いくらなんでもそれはないと抗議したが、西の宮までユニカの衣裳を取りに行ってくるからその間だけ、とティアナに説き伏せられてしまった。


 裸で過ごすわけにもいかず、仕方なくユニカは差し出されたガウンに袖を通したが、寸法が全然合わない。持ち主の身体の大きさを意識してしまって堪らなく恥ずかしい。


 この意味深なもてなしのすべてを指揮しているのは、ティアナだ。


 こんなにディルクのものを使わせる必要があるだろうか。これでは諸々の事情を知らないほかの侍女が、変な意味にとっても仕方ないではないか。


 ティアナが外へ出て行っても、残った侍女達の態度は特に変わらなかった。ちまちまと攻撃されたりひそひそ話が聞こえてきたりするかと思ったが、それもない。


 彼女らはかいがいしく冷めたお茶を取り替え、その都度お茶に合わせたお菓子に花を添えて持ってきてくれる。


 ユニカが手をつけようがつけまいが、お茶が冷めた頃にそれらは交換され、常にカップからは温かい湯気が立っていた。


(なんて無駄なの……)


 「そこまでしなくてもいい」と声を掛けてよいものか。何せ彼女らはお世継ぎの侍女だ。ユニカが命令しても構わないのかが分からなかった。


 そんなことを気にしながら本を読んでいる内に、またもやぬるくなったお茶がさげられ、新しいカップが登場した。


 お茶を運んでくれた黒髪の侍女と目が合い、にこりと微笑まれたのでユニカは反射的にお辞儀をする。やり取りは無言で、お茶もお菓子も替えなくていい、とは言えないまま。


 さすがにもったいなくなってきたので、ユニカは本を置いて、くるみの乗ったクッキーを一つ口に入れてみた。


 美味しい。けれど、後ろから感じる視線が居たたまれない。


 ユニカのそんな状況を救う者はほどなくして現れた。


 西の宮からユニカの着替え諸々を抱えてやって来たエリュゼとフラレイだ。


「お待たせいたしました。さぁ、まずはお着替えを」


 ずいぶん待たされたのは事実だが、一応急いで来てくれたのだろう。ティアナと三人で大荷物を抱えて来た侍女達はわずかに息を乱しているほどだ。


 ディルクの侍女達もすぐさま行動に移り、素早く主の衣装部屋から衝立を移動してくる。


 エリュゼはその陰にユニカを押し込むと、有無をいわさず寸法違いなガウンを脱がせいつもの肌着を着せていく。


 慣れた手つきで着替えをすすめるエリュゼを、ユニカはじっと見つめた。


 ディルクが王冠の廟へやって来たのは、ユニカがいるであろう場所をエリュゼに聞いたからだと言っていた。


「エリュゼ」


「はい」


 コルセットの紐をぎゅっと締めながら、彼女は返事をする。手を休めたりはしない。


「どうして私の居場所を知っていたの?」


「ティアナ様が西の宮へ知らせに来てくださいましたので。お衣装がまだ片付いておりませんでしたから、傷みのないドレスを探すのに手間取り遅くなってしまいました。申し訳ございません」


 エリュゼの力はわずかに緩んだが、返答は滑らかだった。しかしそれはユニカが求めていた答えではない。


「日暮れまでにお部屋を元通りにすることが出来ませんので、本日はこちらにお泊まりくださいませ。王太子殿下はお許しくださっておりますし、ユニカ様のお世話のためにフラレイを残していきます」


 ドレスを着せ終えたエリュゼはユニカを暖炉の前の席に戻し、三人がかりで運んできた荷物を絨毯の上で広げ始めた。


 夜の着替え、明日着るドレス、それに合わせた髪留め。暇つぶしのためにと持ってきてくれたのだろう、裁縫箱と作りかけの刺繍もある。


「それから、こちらも……」


 エリュゼは一際大切そうに、黒檀に銀で装飾をした平たい手箱を持ち上げて見せた。


 ユニカはそれを目にした途端、彼女から箱を奪い取り、両腕でがっちりと胸に抱え込む。


「抽斗に鍵を掛けてあったはずよ」


「机が壊されておりましたので鍵も一緒に壊れてしまったようです。中は荒らされておりませんでした。ご安心ください」


「抽斗の二重底も? 知っていたの?」


「はい。ユニカ様が箱を出し入れなさるのを、何度も見ておりますから」


「……中を見たの」


「いいえ。大切なものであろうことは、ユニカ様を見ていれば分かりましたので」


 エリュゼは穏やかに微笑んで答えた。黒く古びたその箱は、エリュゼにとっても思い出のある品物である。一刻も早くユニカの手に戻してやらねばと思ったから、ユニカの不興を買うことを承知で持ち出してきた。


 まだ、それを言うつもりはエリュゼにはなかったけれど。


「あなたは、なぜ私が王妃様のもとへ行くと知っていたの」


 低い声で問いかけるユニカの目には深い猜疑の火が点っていた。そんな目で見られるのは不本意だが、仕方ないと思いながらエリュゼは立ち上がった。


「ここで、お話しする必要はないと考えております」


 いつも通りの事務的な声音で答えると、エリュゼはディルクの侍女達にユニカの持ちものを頼むと言って、すぐに立ち去ろうとした。


 ユニカはその背にさらに問いかけようと口を開いたが、やめた。


 追い縋るのは見苦しいだけだ。


 味方を求めず、一人で待つと決めた。


 だから、時折エリュゼが見せてくれる気遣いに期待してはいけない。


「ほかに部屋はないの?」


「お泊まりいただくお部屋はご用意できておりますが……」


 ユニカの荷物を片付けていた侍女の一人が恐る恐る言う。エリュゼとの会話からユニカが何者かを察したのだろう。さっきまではなかった怯えが彼女達の間に漂い始めた。


「そこに移るわ」


「もうしばらくこちらでお寛ぎくださいませ。殿下がこのお部屋でお待ちいただくようにとおおせでございましたので」


 ティアナが立ち上がろうとするユニカを宥めながら近づいてくる。しかし黒檀の箱を抱きしめた彼女に睨め付けられ、途中で言葉を飲み込み立ち止まった。


「一人になりたいの。部屋はどこ?」


 燃えるようないらだちの籠もった目にティアナも気圧されそうになったが、彼女は毅然としながら腰を折った。

「かしこまりました。ご案内いたしましょう」



* * *


 

 黒檀の手箱はクレスツェンツの形見だ。


 彼女の葬儀の後、ユニカのもとへ届けられた。そういえば、これを届けてくれたのはエリュゼだった。


 中に入っていたのはクレスツェンツ宛のたくさんの手紙。そして二冊の日記帳だった。


 手紙の差出人はすべて同じである。


 アヒム・グラウン。


 几帳面さを覗わせる揃った字体。懐かしい筆跡で書かれた手紙は、彼が都を去った直後からほとんど間をおかずにクレスツェンツに宛てて送られていた。


 手紙は、全部読んだ。手紙にはユニカを引き取って以来、必ず近況とともにユニカの様子が書いてあった。


 ユニカがキルルに裁縫を習い始めたこと、ユニカの編んだレースを服飾商人が買い付けていってくれたこと、ペシラまで旅行したこと。


 ユニカが、少し特別な子供であること。でも可愛くて仕方がない。


 いつか必ず、お目に掛けたい。


 そして最後の手紙には、あの夏の村の状況、今後病が広がる可能性の高い地域、アヒムらが推測した感染経路、ある程度治療に効果があった薬、処方の一覧が書かれていて――病に罹らず生き残るであろうユニカを迎えに来て欲しい、自分には送り届けることが出来ないから、とあった。


 二冊の日記帳は、その手紙に添えて送られてきたものである。


 アヒムがユニカを引き取ってからの約二年の記録だった。それをどうして欲しいとは手紙には書かれていない。

 けれどこの日記を読んだから、クレスツェンツはビーレ領邦への医師団派遣を強行し、自らユニカを迎えに来てくれたのだ。


 日記の中では、ユニカを引き取る前後の記述が特に長かった。


 ユニカの両親の葬儀を行ったあと、ユニカの行き先はずいぶん揉めたようだ。村に置くか、大きな教会堂に預けてしまうか、何度も協議を重ねたと書いてある。


 結局アヒムが引き取ることで落ち着いたが、その後すぐに安らかな日々は訪れなかった。


 ユニカはわずかな物音に怯え、特に大人の女を怖がったそうだ。実母から受けた仕打ちのせいだろうと、アヒムは歯切れ悪く記してある。


 血を差し出せば〝許して貰える〟とユニカは思っていたようで、ふとしたことで恐慌状態になり、泣き叫びながら物陰に隠れ、身体に刺せるものは何でも刺すことを繰り返していたらしい。ペン先や、食器の破片、尖った石、木切れ、自分の爪や、歯。


 アヒムはどうしてもそれをやめさせることが出来ず、ついに都からある薬を取り寄せた。


 強い催眠作用のある、新しい薬だ。


 傷がすぐに治るだけではなく、毒や薬も効かないと考えられていたユニカに、アヒムはそれを大量に与えた。





 

 重荷だったはずだ。


 当時はとても大きく見えていた養父の姿だが、それから八年分成長したユニカは彼がとても若かったこと気がついた。


 特殊すぎるユニカと一緒に暮らしていたことで彼は結婚することにも気後れしていただろうし、仲のよかったキルルとの関係も壊れてしまった。


 それでもユニカを手放さなかったのは、養父がユニカの辛い記憶をすべて奪ったからだ。


 もしかしたら、ほんの少しくらいは両親との間にいい思い出があったかも知れない。辛くても、ユニカが忘れたいと言ったことは一度もない。


 それを、アヒムは一人の判断ですべて忘れさせてしまうことを選んだ。奪ったものの代わりに、自分がすべてをかけてユニカを満たすと誓って。


 養父の選択に愛情がなかったはずがない。だからユニカは、養父の日記を読んで初めて自分に二親の記憶がない理由を知ったが、養父を恨もうとは思わなかった。


 むしろ、若くしてこんなに重たいユニカを背負ってくれたことにひたすら感謝と愛おしさを覚えるばかりだ。

 それに対して自分がしたことといえば、炎で何もかもを灰に変えることだった。


 養父との思い出はみんな焼いてしまったと思っていた。だからクレスツェンツの死後、思いもかけない形見が届いて、嬉しかった反面戸惑った。


 こんなものが手の中にあったら、私は弱くなってしまう。


 養父に頭を撫でて欲しくなる。


 抱きしめて欲しくなる。


 もうその人はどこにもいないのに。


 敵ばかりの私は、いったい誰に、この切なさを癒やして貰えば。


 だれか となりに そばに





 

 ユニカは髪を撫でられる感触に気がついて跳ね起きた。


 室内は真っ暗になっていた。暖炉の火もか細くなっていて肌寒い。


 暗闇にひとしいその中できらきらと光っている双つの目。暖炉の火を映し込んだディルクの瞳だった。目が慣れてくると彼の髪や輪郭がぼんやりと見えてくる。


「また泣いていたのか?」


 大きなクッションに身体を預けて、ユニカはいつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。ディルクはユニカの隣に座り、労る手つきで乱れた髪を、そして涙が流れ続けている頬を撫でてくる。


 ユニカは慌てて顔を反らした。足許を見れば、膝に乗せていた黒檀の手箱が絨毯に落ちて中身が飛び出てしまっている。それを拾い上げようと腰を浮かせた途端、後ろから強く抱きしめられ、再びソファに引き戻された。



     * * *



 時は戻って、夕刻。


 アマリアの城壁の視察から戻ったディルクは、自分の部屋へ帰る前に執務室へ立ち寄り、待たされていたライナから話を聞いた。


 彼の話によると、ラヒアックの名で命令書が届けられたので、そこにあった通りの任務を遂行しただけだという。その話が本当でも、ユニカの部屋をめちゃくちゃにしろという命令ではなかったはずだ。


 ディルクはそこには触れず、無言で若い騎士の顔を眺めていた。


 だが、ラヒアックにはそのような命令を出した覚えはない。近衛隊長の発言にライナは狼狽えたが、命令書は確かにあったと言う。任務を終えてすぐラヒアックの執務室に届け、ローデリヒに渡したそうだ。


 しかし、ライナが退出したあとで新たに呼び出されたその騎士は、首を傾げながら苦笑した。


「受け取った覚えはありませんが……」


「ライナは、命令書はお前が受け取り、私に引き継ぐと言っていた、そう報告してきたが」


「彼は、私に騎士号の返上を思いとどまるようにと言いに来ただけでした。私が事務方へさがることを納得していないそうです。すぐ持ち場に戻るようにと追い返しました」


 ラヒアックはそれを聞いてむぅっと唸る。なぜ二人の言うことが食い違うのか分からない。


「ギムガルテ、その場にいたのでは?」


「いやぁ、ライナが出て行こうとしてるとこに俺が来たみたいだったからなぁ。紙を受け渡ししてるとこは見てないんすよねー」


「――分かった。仕事終わりに呼び出して済まなかったな。騎士解任の辞令は明後日には渡そう。戻って休んでくれ」


 ローデリヒは柔和な笑顔をディルクに返すと、敬礼して踵を返した。


「あ! 俺の飯、確保しといてくれよな。レモントの奴が全部食っちまう」


「了解だ」


 同室のルウェルの依頼を気前よく受け、彼はひらりと手を振った。扉の前でもう一度敬礼して、執務室を出て行く。


 困惑するラヒアックを横目に、ディルクは頬杖をつきながら呟いた。


「ライナが嘘を吐いているとは思えないな」


 しんと静まりかえっていた部屋に、その声は大きく響いた。


 ラヒアックは意外そうにディルクを見下ろした。何かと不満を漏らすことが多く、正直、ライナの小隊長としての働きはそんなに評価できるものではない。ディルクがその彼の肩を持つことに驚いたのだ。


「ラヒアックの命令ではないと言われたときの焦りよう。それに、第三者の名前を出してまで嘘を吐くより、初めから自分の隊ではないと白を切る方がよいはずだ。西の宮では侍女達とユニカ本人のほかに目撃者もいないのだから」


「ですが、ローデリヒがいつわりを言うとも考えられません。あれは、実直で忠誠心も厚く、近衛の中でも模範的な騎士です」


「では、嘘つきはライナか?」


 ディルクがわざと意地悪く言えば、ラヒアックは息を詰まらせる。自分の育ててきた騎士が可愛くて仕方がないのがよく分かる。


「命令書もすでに消失していると考えた方がいい。明日はライナ隊の兵にも話を聞こう。ライナとローデリヒの話だけでは水掛け論になるだけだ。ほかの鍵が欲しい」


 強く追求する方法はいくらでもある。しかし、証拠がそろっていないうちにあまり強硬な手段に出ては後々こちらが叩かれる。ライナはあれで高官の息子。ローデリヒの義父も前近衛隊長として未だに軍への発言力を持っているからだ。


 そして、まだこの国へ来たばかりのディルクがとる強硬手段は、時機を間違えば貴族達の目にはただの横暴としか映らないだろう。誰もが納得する美しさが必要だった。


 目の前で揺れているトカゲの尾に食らいつきたいのは山々だったが、今はそれが千切れることのないよう、慎重に掴むのが肝要である。


 そうやって獲物を狙う焦れったい時間は久しぶりで、決して悪いものではなかった。


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