3.剣の策動(2)
* * *
すれ違う人、人、人。誰もがユニカの前を歩く王太子に頭を垂れていく。ディルクも穏やかに微笑みながらそれに応えていた。
どの官吏も、ユニカには少しも興味を示していない。王太子が侍女を連れて歩いているだけにしか見えないのだろう。それでも緊張で激しく胸が脈打っていて、ユニカの挙動はかなり不審だったに違いない。
王城の中にはこんなにたくさんの人間がいたのか。ユニカは改めて驚いた。そして、西の宮が王城の中でいかに辺境なのかを思い知る。
ここは王をはじめ各行政大臣たちの執務室が集まるドンジョン。シヴィロ王国の政治の中枢だ。
宮へ案内すると言われてのこのことついてきたが、まさかドンジョンを突っ切って行くとは思わなかった。なので、ユニカは顔を伏せながらディルクの背中を追うのに必死だ。
そんなユニカの気配を感じとってか、周囲に人がいなくなると、彼は立ち止まってユニカの様子を確かめてくれた。しかし、人の間隙などここではほんの一瞬のこと。何か言葉を交わすほどの余裕はない。
それでも、ユニカがついてきているかを確かめてはふと笑う、ディルクの気遣いが嬉しい。大勢の知らない人間に囲まれるだけで嫌な汗が背筋に浮き上がるが、青緑色の瞳に自分の姿が映ると安心できた。
また一人の官吏が叩頭するのにディルクが手を振って応えた。その向こうから歩いてきた年若い娘が、ディルクに気づくと早足でこちらへ歩み寄って来る。
「殿下、こちらにいらっしゃいましたか」
「いいところに来てくれた、ティアナ」
彼女はぺこりと頭を下げ、ディルクの後ろに隠れるようにしていたユニカに気づくと少しだけ驚いた。
「近衛隊長が殿下を探しにお部屋までいらっしゃったので、これは何か……と思いましたが、なぜユニカ様がこちらに?」
「ちょっと逢い引きをな」
「違うわ!」
「しー」
ディルクの冗談を真に受けたユニカは思わず怒る。するとすれ違う官吏が怪訝そうに三人を眺めながら通り過ぎていった。訂正せよと言いたかったが、少しでも目立ちたくないがためにユニカは悔しげに黙った。
「ここでは説明出来ない。ティアナ、とにかく彼女を東の宮で保護してくれ」
「かしこまりました」
「ユニカ、君はティアナの同僚の振りをしてついていくんだ。彼女と一緒ならどこの門でも身分の確認なしに通れる。宮へ着いたらひとまずは私の部屋で待っていてくれ。本も置いてあるし、湯浴みをして身体を温めていてもいい。その前に……手当が先かな」
「すぐに治ります、これくらい……」
「すぐに治るかどうかは君の身体に任せるよ。だが触ると痛いんだろう。包帯くらい巻いておくといいんじゃないか?」
ディルクはユニカの右手を持ち上げると、傷を気にしながらそっと握りしめる。お互いに掌は冷え切っていたが、触れ合ったところにじんわりと熱が生まれてきた。
たったそれだけのことだったが、ユニカは狼狽え慌てて手を引っ込める。お礼を言うべきところだと分かっているのに、うつむくことしか出来なかった。きっと周りに知らない人間が多すぎるせいだ、と心の中で言い訳しておく。
あとで落ち着いて話をする時間があったら、きちんとお礼を言おう。わざわざユニカを探しに来てくれたこと、それから、もう一月も経っているが、刺客に襲われたユニカを助け、介抱してくれたことについて。
ディルクはユニカの素っ気ない反応にも気を悪くした様子はなかったが、しかしその表情は、ユニカの背後からやって来た人物に気づくと同時に強張った。
「顔を伏せて。私の後ろに」
小声でそう言うと、ディルクはユニカを庇うように彼の方へ進み出た。
現れたのは、この上なく渋面の近衛隊長である。
「殿下、どちらにいらっしゃいました」
聞いたことのある声にユニカは緊張した。直接言葉を交わしたことはないが、時折、ユニカと会うために温室へやって来る王に同行していたことがある男だ。ユニカのことをよく思っていないのは彼の視線からひしひしと伝わってきた。
ユニカの怯えた様子に気づいたのはティアナだった。
「殿下、わたくしどもはこれで失礼いたします」
「ああ、頼んだぞ」
ティアナはこっそりとユニカの袖を引き、その場を立ち去ることを合図してきた。ユニカは彼女の同僚の振りで一緒に頭を垂れてからディルクに背を向ける。
この場で唯一の知人といえるディルクと離れるのは心細い気もしたが、ちらりと彼の顔を覗えば、大丈夫という言葉の代わりにぱちりと片目だけで瞬く。ウインクされたとユニカが理解できたのは、完全に踵を返してからだった。
「殿下、私の声はお耳に届きませんでしたかな?」
ラヒアックはさらに語調を強めてディルクに詰め寄った。
自分から逃げるように立ち去る侍女に、彼は見覚えがあった。片方はクヴェン王子の侍女も務めていたイシュテン伯爵家の娘、そしてもう片方は――、
「聞こえているよ。ラヒアック、ルウェルに会ったか?」
「ギムガルテですか。いいえ、殿下の執務室の扉を塞ぐ姿を見て以来、会っておりませんが」
「そうか。私の方が早かったか」
執務室から遁走したことについてディルクには少しも説明する気がない。そうとらえたラヒアックはますます眉間にしわを寄せた。しかも、『天槍の娘』を連れてドンジョンの中を歩くなど、彼にはとうてい見逃せないことだった。
「殿下は、あの娘が何者かご存じですかな?」
「ティアナとエミか? 私の侍女だが」
「わたしはあの娘の顔を存じておりますぞ。惚けるだけ無駄でございます」
ち、と小さく舌打ちする音。ラヒアックは思いもかけず粗野なディルクの仕草に驚いたが、これはいよいよ諫めなくてはならないと思った。
「あの娘は、王家の姫君でもなければ臣下の娘でもありません。それどころか、数多の臣民を焼き殺した罪人なのですぞ。殿下のお相手には、相応しくない者なのです」
「彼女が村を一つ焼き滅ぼしたという話は有名だな。だが、卿は実際に見たわけではないだろう。それに彼女はエイルリヒを救ってくれた。謝意を示し、相応しくもてなすのは当然ではないか?」
「そのもてなしが、あの娘をドンジョンに招き入れることだとおっしゃるのですか。お役目を捨て置いてまで」
言い返したラヒアックの声は自然と苦々しく響いた。エイルリヒの毒殺未遂を、未遂で終わらせることが出来たのは彼女の〝血〟の提供があってこそ、というのはわきまえているのだ。
そんな近衛隊長にさらに反論することは出来たが、ディルクも就任したばかりの総帥職をほっぽり出してきたのは事実なので、ここで痛み分けとすることにした。
「私にも事情があったんだ。それに関わることでいくつか聞きたい。今日の近衛小隊の配置はどうなっていた? 内郭に配置された隊だけでいい」
「ボニファーツ隊、エゴン隊、グンディーン隊、ハルトヴィヒ隊が、ドンジョンと各宮の警護をしております」
ラヒアックの答えはディルクが記憶していた通りのものだった。
今日、内郭の警備担当で非番あるいは控えの小隊はほかに六つ。エリュゼとフラレイの話では、若い騎士の率いる小隊がユニカの部屋へ押しかけてきたそうだ。
若い騎士、そして〝隊持ち〟の。
といえば、ディルクはすぐにある顔が浮かんだ。閲兵の時、いつも不満げにディルクを睨んでいるライナである。
剣の腕を買われて近衛騎士になったという彼は、外務副大臣の三男坊だった。若くして小隊を任された自信や近衛騎士という身分を誇示するところがあった。反抗的な相手、それがたとえ武器を持たない娘であっても、力でねじ伏せるような真似をする可能性は大きい。
「配置外の小隊に、西の宮を捜査するよう命令を出したか?」
「いいえ。今日日、あちらに住んでいるのが『天槍の娘』だけとはいえ、宮は王家の方々のお住まい。陛下や殿下のご指示やお許しがない限り、臣下が立ち入ってはならない場所です」
「卿なら、不本意でもその理を侵すことはないな」
王太子が何を言いたいのか分からないラヒアックは、ディルクが一人納得し、また考え込むのをいらだたしげに見下ろしてくる。
(ラヒアックが私的に隊を動かすとは考えにくいし、ならば陛下が……)
しかし、それも考えられない。
王は曲がりなりにもユニカを大事にしている。彼女を軟禁するわけでもなく、城の中を行き来する自由を認め、衣食住も保証して〝対価〟を得ている。
そしてユニカと王には直接のやり取りがあった。何かあれば、王は兵を差し向ける前に自ら彼女に会うはずだ。
残る可能性は、捜査が近衛騎士の独断であるか、あるいは捜査というのは名分で私情の交じった嫌がらせ。これを実行したというのならかなりの度胸があって驚くほどのばかだといえる。
もう一つは、命令の偽造――。
今はラヒアックからディルクへ、様々な権限の委譲が行われている。新体制作りのために命令権の所在があやふやなところもあった。
「今日の午前、西の宮にいずれかの小隊が強制捜査に入った。何か心当たりは? ないようだな」
ラヒアックは顔を顰めながら驚いていたが、後ろめたいところがあるような影はその表情には見あたらない。
「確かに近衛兵だったのですか?」
「襲われたユニカの侍女と、プラネルト女伯爵の証言だ。いつわりはないと思う」
「殿下や陛下からのご命令でもなく?」
「私には覚えがない。陛下には、ユニカに関することでもあるからすぐにご報告して確認する。だが、陛下がユニカに兵を差し向けるとは考えられないな」
「……」
自分のまとめてきた近衛騎士の独断。ディルクの言葉でそう思いついたのか、ラヒアックは絶句した。
「隊長さん、はっけーん。なんだ、ディルクも一緒か。ユニカは? はぐれた?」
その時、硬直するラヒアックの後ろから現れたのは、彼の執務室を出てからドンジョンをうろついていたルウェルだった。いつもより三割り増しに渋面の近衛隊長をなんら恐れることなく、彼は親しげにラヒアックの肩を叩いた。
「えーと、北の廟にて負傷兵二名。至急、搬送のための人手をください。……要請します? まぁいいや、早くしてやらないと、あいつら凍死しちまうからよろしく」
上官への報告に相応しい言葉遣いを試みたようだったが、ルウェルの挑戦はものの四秒で終わった。
いつもの砕けた口調で言い終えてもラヒアックが注意してこない。そこでようやくディルクとラヒアックが何やら深刻な話をしていたのだと、ルウェルは気づいた。
「お説教中だった?」
「いや。いいかラヒアック、西の宮へ踏み込んだ小隊を探せ。卿が案じる近衛騎士の独断である可能性よりも、私は捜査命令の偽造を疑う。小隊を特定し、事情を把握するんだ。ある程度目星はついているが……」
「その目星だけどさぁ。ユニカの部屋を荒らしたやつ、俺見つけちゃったかも」
ルウェルは二人の間にずいと腕を差し出した。握っていた掌を広げると、そこには縮れてしまった羽毛が一枚乗っていた。
「ライナの肩にひっついてた。これ、ユニカの部屋に落ちてた羽根じゃねぇ? 水鳥の羽根だし、クッションの中身っぽい」
「ライナだと?」
「やはりそうか」
「殿下、どういう意味です。なぜライナをお疑いか!」
「隊持ちの騎士で一番若いのはライナだからな。侍女たちの証言に一致する」
彼なら余計な暴力も振るいかねない、とは言わないでおくが、ディルクは羽毛をつまみ上げて意味深に溜め息を吐いて見せた。
「この羽根一枚で彼の隊だと決めつけるわけにはいかないが、まずはライナに話を聞くのがよさそうだな。確かめるんだ。卿になら素直に話すだろう」
羽毛をラヒアックに渡すと、ディルクは踵を返した。
「権限委譲の隙を利用されている。命令を下したのが誰なのか必ず突き止めねば」
近衛隊は王家の盾であり剣。その乱れは、王家の統帥権の乱れだ。これは必ず正さなくてはならない。
ディルクが近衛長官という新たな椅子に座った意味は三つあった。
一つはディルクが次に玉座に座る者であるということを明確に示すため。二つには、外から来たディルクなら、軍の再編をしがらみにとらわれず行えるから。三つには、ラヒアックをはじめとする武門派貴族が長らく指揮してきたシヴィロ王国常備軍の支配権を王家が取り戻すためだった。
王家の兵は王家のもの。王家の命によってのみ動く。
これを覆すことは罷りならないと示すよい機会となるかも知れない。ディルクの指揮のもと、ラヒアックが動くことは。
「午後からの視察には一人で行く。卿は私が戻るまでに小隊を特定し、隊長の騎士を執務室で待機させておくように。陛下へのご報告には、私が今から行ってくる」
「御意……」
「その前に、凍死しそうなの二人の搬送な?」
立ち去るディルクに向けて叩頭していたラヒアックは、緊張感のない声音でそう言うルウェルを睨みながら身体を起こした。




