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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
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3.剣の策動(1)

 十九歳のライナは最年少の近衛騎士だった。彼の剣の腕を高く買った伯父が、古くからの友人であった近衛隊長にライナを強く推薦したからというのが、この歳で近衛入隊が叶った大きな理由だ。


 小隊も一つ任され、ライナはやる気に溢れていたがいかんせんまだ若い。自分の隊もまとめ切れていないのが本人も自覚していない実情だった。


 彼は部下がユニカの部屋から押収した宝飾品を自分たちの懐に入れていることに気づかないまま報告へやって来た。


「なんだ、ローディしかいないのか」


 ライナは近衛隊長の執務室に入るなり緊張を解いた。中で仕事をしていたのは四つ年上の同僚だけだったからだ。


「隊長なら殿下のところへ行かれたが、何かあったか?」


「ああ、任務完遂のご報告にあがった」


「命令書は?」


「ある」


 ライナは手を止めたローデリヒのもとへ一枚の紙を持ってきた。得意顔である。


 ラヒアックがいれば決して許されないことだったが、彼は命令書を広げるとローデリヒの机にどっかと腰掛けた。


「『天槍の娘』のところへ行っていたのか?」


「おう、ガサ入れ。あの女、意外に大人しかったな。もっと抵抗するかと思ったが」


 本人や侍女に剣を突きつけたことをわざわざ言わないが、ユニカはあれしきのことで神妙になり、不満そうにしながらもライナの隊が部屋を引っ掻き回すのを黙って見ていた。もっと刃向かわれると踏んでいたので、あの手応えのなさは少々物足りなかったと思えてしまう。それもわざわざ口にはしないけれど。


 ライナの言葉を聞きながら捜査の理由を読み、ローデリヒは目を細めて笑った。


「押収したものはすべて指示通りに運んだぞ。けど、なんで――」


「隊長の署名は俺が貰っておくよ。ご苦労だったな」


「ん、……ああ、頼んだ」


 ローデリヒは命令書を未決済の籠に入れ、再びもとの書類仕事に戻る。


 これで用は済んだのだが、ライナは立ち去らずに、ペンを動かすローデリヒを間近で眺め続けた。


「まだ何かあるのか?」


「あるにはある」


 しかし、ローデリヒの右手を見ればそれもなかなか口にし辛い。ライナは考える振りをして部屋を見渡した。


 ローデリヒは、長年故郷を離れて都に暮らしているライナにとって兄代わりの先輩でもある。近衛騎士の中では歳が一番近く、よく声を掛け面倒を見てくれるので、ライナは何かと彼に甘えがちだった。


 その最も慕う同僚が書類に埋もれているのを見ると胸が痛む。


 今月に入ってけがをしたローデリヒは、そのまま騎士号を返上すると言い始めたのだ。


 どういうけがだったのか詳しく語らないまま、昨日からラヒアックの部屋で事務仕事を手伝い始めている。正式に事務方へ配属されるための辞令も数日内に王太子が出すそうだ。


「ローディ、本当に腕は治らないのか? 時間がかかるだけかも知れないだろ。騎士号の返上はもう少し待てよ」


 ローデリヒはゆっくりと首を動かし、机に腰掛けたままのライナを見上げた。


 彼が以前は見せたこともないような陰鬱な笑みを湛えているのに気がつき、ライナはうっと息を呑む。


「待ったところで無駄だろう。ペンもようやく握れるくらいだ。これではいざという時に陛下をお守り出来ない」


 ローデリヒはそう言って、布を巻いて太くしたペン、それを帯紐で巻き付けてある右手を持ち上げて見せた。


 ペンすらこの様子ではとても剣など握れないし、彼が食事にも難儀しているのを知っているライナは自分が口にした言葉を後悔する。しかし諦めきれないのである。


 ローデリヒの剣は御前試合でいつも上位に食い込むものだったのに。そのトーナメント戦でライナはまだローデリヒと剣を交えたことがない。本気で勝負し、必ず勝ち星を挙げたいと思っていた憧れの騎士だったのに。


 その機会は永遠に失われようとしている。それは、根っからの剣士であるライナにとって堪らなく口惜しいことだった。


「こういう仕事も悪くはない。兵舎での暮らしを数字で見ると面白いんだぞ。ライナ、またレモント殿にそそのかされて厨房の酒をくすねて行ってるんじゃないのか? 減りが早いことに隊長も気づいていらっしゃる。叱られる前にやめることだな」


 ライナは赤くなりながら机を飛び降りた。思わず主のいない近衛隊長の椅子を見る。


 彼らの上官は忠誠心に篤く厳格だが、少しだけ身内に甘い。兵が自らの悪事に気づき思い改める時間をくれる。が、その機会を逃せば拷問並みに厳しい譴責を喰らうことになるだろう。


「こういう細々したことを殿下に報告なさっていないのも、一応お前達のためだぞ。殿下は小さな規律違反も見逃さない方針のお方だから、ばれれば北の国境行きかも知れないな」


 それを聞いて、子供っぽくむくれていたライナの表情がにわかに引き攣った。


 ライナは、王太子が近衛隊の、そして王国軍の長となったことが気に入らない人間の一人だ。理由は様々、周りの先輩から吹き込まれているが、一つにはディルクが騎士の率いる小隊を解体しようとしているからだった。まだ自分の隊を持って三月経たないくらいなので、ライナは単純に面白くない。


「この城の事情もよく知らない奴が偉そうに。近衛はラヒアック隊長のもとでうまくまとまってる。なにが『近衛長官』だ」


「殿下には大きな武勲がある。将としても、相としても才能のあるお方だよ。それより、ご本人がいないところでもそういう言い方はよさないか。ふとしたときに表に出るぞ」


「ふん。武勲? バルタス鉱山の一つじゃないか。それに、意見を言ってくれとおっしゃったのは向こうだぜ。だから近衛はこのままでいいって言ってるんだ」


「お前の口ぶりは王家の方に対する態度として相応しくない。近衛は剣だけではないんだ。お前にはその辺りの自覚が――」


「分かった分かった」


 まだ歳相応のやんちゃさが目立つライナは、物腰柔らかで作法の面でも完璧なローデリヒに散々注意されてきた。本人は聞き飽きているが、ローデリヒの教えが身についているかどうかはまた別の話だった。


「そういえば、殿下はもう『天槍の娘』と親密らしいな。殿下の手が早いのか、娘のたぶらかし方が巧いのか。ま、どっちもだろうけどな。娘はもう長いこと陛下に取り入って姫君暮らしだし、噂じゃ殿下も、王家入りが決まるまでの一年半、十人も二十人も愛人がいたんだろ。そんな軟弱な奴が俺たちの長だなんて」


 噂の数字が大げさなのは承知の上だが、ディルクがここ最近、恋人を取っ替え引っ替えしていたのは本当のことらしい。


 これも恋人がいたことのないライナの嫉妬が半分ほど混ざった批難だったが、とにかくライナは、ディルクがラヒアックの実権を奪っていくのが許せない。それゆえいくらでもディルクの粗をほじくり出してやるという心づもりだ。


 何か言葉を返せばライナの喚きも延々と止まらないと思ったので、ローデリヒはもう無視することに決めた。


 聞いてくれる相手がいなくなったと悟ったライナは不満の吐き出し口を失って再びむくれ、ローデリヒの机に座り直した。


「ちっ、クヴェン殿下が身罷られてからろくなことがない。ローディはけがをするし、新しい世継ぎは軟弱者だし、その軟弱者に隊は引っ掻き回されそうだし……全部あの女のせいだ」


 ライナは低く唸り、剣の柄を撫でた。


 あのまま娘が抵抗したことにして、喉に剣を突き立ててやればよかったと今さら惜しむ。『天槍の娘』をこの城から排除したとあれば大きな手柄になったかも知れない。


 誰にも咎められることはあるまい。たとえ王のお気に入りでも、王太子の愛人になっていても、大逆の罪までは庇えないだろうから。


「もうじきいなくなるさ。お前の働きがあの魔女の罪を明らかにする。それこそ近衛の働きだ。同じ騎士だった者として誇りに思うぞ」


「ローディ……〝だった〟とか言うなよ。俺はまだ認めてない!」


「お前に認められなくても、騎士号を返上することはもう決まった」


「……」


「そんな顔をしないでくれ。悪いことをしている気分になるじゃないか」


 悲しく心細そうなライナの眼差しはまるで迷子になった子供のようだ。


 近衛騎士に任じられたといっても、やはり彼は高官の息子で、苦労知らずで、実戦経験もないのでどうしても甘ったれである。


 今後、同僚たちがライナを育ててくれることに期待しながらローデリヒはわざと冷たく視線を逸らした。


「ここは休憩室じゃないぞ。早く持ち場に戻れ」


「ふん、分かったよ」


 ライナは舌打ちし、腹立たしそうに言い捨てて机を降りる。まだもの言いたげにローデリヒを振り返るが、彼がこちらを見ないようにしていることくらい分かるので、気持ちがもやもやするまま出て行こうとした。


 しかし、その前にノックもなく扉が開いた。


 部屋の主人が戻ってきたのかと緊張したライナだったが、入ってきたのは隊長とよく似た赤毛の青年だった。敬礼しかけていたライナは不愉快そうに眉を顰めた。


「隊長さん、いる? いねーな。お疲れローディ。じゃっ」


「おい、待てよ」


 それだけ言って扉の向こうへ引っ込んで行こうとしたルウェルを、ライナは鋭く呼び止める。


「ノックもしないで入って来るなよ。公国の騎士殿」


 相手の気に障るのを承知の上でライナは言った。


 すでに国王の御前に跪き、王家に仕える騎士になることを誓ったルウェルを〝公国の〟騎士と呼ぶのは不適当である。しかしルウェルはそれが自分のことだと認識したようで、ちょっと呆れた顔で立ち止まった。


 ディルクのことが気にくわないライナは、必然、派手に登場して当たり前のように王太子付きに任じられたルウェルのことも気にくわない。


 その人事が贔屓にほかならないからだった。ゆえに、ルウェルが近衛の兵舎に入ったその日からライナは彼に食ってかかっている。


「殿下の使い走りか?」


「まーな、カミルは俺が撥ねちゃって休養中だから」


「騎士が侍官の真似事をさせられるとは嘆かわしいな。それじゃ、王太子付きが名誉な役目とも言い切れない」


「あ、じゃあ別に王太子付きはやりたくねーの?」


「なに?」


「あと三人は王太子付きに引っ張ってきたいってディルクが言ってたからさぁ、ライナがやりたそうだぜって言っておいたんだけど。つーか、やりたかった王太子付きを俺がやってるから、俺に突っかかってくるんだろ?」


「なっ、違う!!」


 図星を突かれた恥ずかしさからライナは怒鳴るしかない。


 自分では認めていないが、ライナの不満の原因はひとえにそれだった。


 ディルクはライナに見向きもせず、しかも隊を取り上げようとしている。家柄もよく、隊長からも取り立てて貰えているはずの自分はそこそこ目立っているはずだ。


 それなのに無視されているのが腹立たしいのだ。


「余計なことを! 誰があんな女の息子に仕えたいもんか!」


「あんな女?」


 肩越しに遣り取りしていただけのルウェルの声が、突然低くなった。振り返った彼は大股でライナとの距離を埋め、同時に剣を抜き放つ。


「あんな女ってのは、姫さまのことかよ?」


「ルウェル殿!」


 遅れて席を立ったローデリヒは、二人の間に割って入りながらライナの首筋に宛がわれているルウェルの剣をそっと押さえた。


「抜剣は、いくらなんでもまずいでしょう。おさげください」


「聞いてんだよ。ライナ、あんな女ってのは、姫さまのことか?」


「これは見ての通りまだまだ子供です。指導が行き届いていないのは我々同輩と上官の落ち度。公妃様はもちろん、王家の名誉を汚すことのないようよく教えますので、今日は私に免じて、どうか」


「答えろ」


 いつものように飄々と、ライナが食ってかかるのをかわそうとしていたさっきまでのルウェルとは、まるで別人の声だった。明らかな敵意……殺気といってもいい感情が彼の緑色の目の奥にぎらついている。


 激しい殺意に晒されたことのないライナはそれだけで身体が竦んでいた。


「ルウェル殿、その剣は、陛下と殿下をお守りするために捧げた剣のはず。私闘に用いてはなりません。おさげください」


「……ふん」


 辛抱強く呼びかけるローデリヒの声に、ルウェルはようやく応じた。鼻で笑うと、彼は掴んでいたライナの胸ぐらを突き飛ばして剣の切っ先を下げた。


「あんな儀式(もん)、ただの形式だろ。現にこいつも腹の底では姫さまとディルクのことナメてやがるぜ。忠誠を誓ったのが本気のことなら、王様の妹を〝あんな女〟呼ばわりはねーだろ」

 剣を肩に担いだまま、ルウェルは青ざめたライナを見下ろして嗤った。


「ガキだと思って見逃してくれる優しい先輩ばっかりじゃねーぞ。ディルクの前で言ってみろ。その場で殺す」


「ルウェル殿……」


 宥めようとするローデリヒを押しのけて、ルウェルは立ち尽くすライナに手を伸ばした。


 また胸ぐらを掴みあげられるか、殴られるか。そう思ったライナはぎゅっと目を瞑る。


 しかし違った。ライナの襟とマントの間に指を突っ込み、ルウェルは何かを摘み取った。


 彼の手にあったのは一枚の羽毛だ。


 ユニカの部屋に飛び散っていた羽毛――


「ふーん、お前か」


 先ほど見た光景を思い出しながらルウェルは剣を鞘に収め、羽毛をくるくる回して弄ぶ。


「ふーん」


 もう一度じろりとライナを睨め付け、彼はそのまま執務室を出て行った。


 圧迫感から解放されたライナは、途端に大きく息を吐いてその場にうずくまる。そして気遣わしげに肩を叩いてくれるローデリヒに当たり散らした。


「なんなんだあいつ!! 〝あんな女〟って、ちょっと口が滑っただけだ! それに、公妃はそう言われても仕方がない女だろう!」


「黙れライナ。今のはお前が悪い。だから言ったんだ。日頃の悪態はいつか取り繕うことの出来ない失態を生む。お前が王家に忠誠を誓った騎士であるなら、シヴィロの王女であった公妃殿下にも敬意を払わなくてはいけない」


「くそっ、分かってるけどさ」


「……ルウェル殿は、公妃様がウゼロ大公家へ降嫁なさった時からおそばに仕えている。王家に誓いを立てても、自分を騎士にしてくれた主君を貶されて怒るのは当然だ。今日はもう、反省しながら大人しくしていることだな」


 ローデリヒの言葉に、どれだけのフォローと思いやりがこめられていたかライナは気づいていないだろう。相手の口調が厳しいとすぐに叱られた気分になるからだ。


 案の定、彼は面白くなさそうに同僚の手を振り払うと、肩を怒らせて出て行った。


 やれやれと溜め息をつきながら、ローデリヒは投げ出したペンと、それを手に巻き付けていた帯紐を拾い上げる。


 右手は痺れ、動くがものを握ることがほとんど出来ない。パンを千切るのも一苦労だ。


 まさか、ペシラの太守館で弁官を勤めていた父に教わっていた会計の知識が役に立つとは、考えても見なかった。


 剣で生き、剣を失う時は死ぬ時だろうと思っていたから。


 ローデリヒは未決済の籠に入れたライナ持参の命令書を手に取ると、それを歯と左手を使って二つに破き、とろとろと暖かく燃える暖炉の中に放り込んだ。

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