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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
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2.追想の場所(3)

 〝力〟を抑えきれなかった。今、飛び出したそれが王太子にあたったのではないか。


「おーい、なんかすげぇ音がするけどー?」


 確かめることさえ躊躇してしまうほどの不安で硬直していたユニカは、岩屋の中でこだましたルウェルの声でようやく身体を震わせた。思い出したようにディルクの腕から抜け出そうともがけば、彼は子供をあやすように髪を撫でてきた。


「大丈夫だ。君を傷つけようとする者はここにはいない。怖がらなくていい」


 人の吐息が耳に入り込んでくる。そのくすぐったさと熱っぽさにユニカは背筋を粟立たせる。


 しかし、相変わらず心臓は激しく脈打っているのに、脳裏にちらついていた光がすっかり消えた。

どうしたというのだろう。


 ルウェルの呼びかけには答えず、ディルクは少しだけ腕の力を緩める。そして、呆然としながらも彼の胸を押し返そうとするユニカの掌が黒っぽく汚れているのに気がついた。


 見たことのある色だった。ディルクはユニカの右手首を掴んで引き寄せ、彼女の手を汚すものを確かめた。


「この傷はなんだ」


 薄暗い中でも、ユニカの掌と指に切り傷が走っているのが分かった。刃物を握ったような傷だ。


 ユニカは手を引っ込めようとした。が、ディルクはそれ以上の力で手首を掴み放さない。


「騎士が乱暴な真似をしたとは聞いたが……まさか剣を抜いたのか?」


「……放して」


 ユニカは悔しげに眉根を寄せ、ディルクを左手で突き飛ばし距離をとろうとした。


「私はいてはいけない者ですもの。何をされても不思議ではありませんわ。それに、殿下だってご存じでしょう。私を追い払いたいなら殺すつもりで来たってそう簡単にはいかないのに、これくらいじゃなんともならないって」


「なんともないのなら、君は伯母上のところへは来ないんじゃないのか?」


 どうにかして笑いながら啖呵を切ったのに、ディルクの言葉は簡単にユニカの心を揺さぶって表情すら思い通りにはさせてくれない。


 なぜ彼の口からそんな言葉が出たのか分からず、ユニカは涙で腫れた瞼をさらすことも厭わず顔を上げた。


 ユニカは人前で王妃と親しい素振りを見せないように注意していた。クレスツェンツがどのように思ってくれていようと、彼女が正式な手続きも経ないまま平民の娘を王城に住まわせているというのは、いかにもまずい。


 それについては、王に血を差し出し、王もまたユニカの血を受け取るという関係はいい隠れ蓑になった。少なくとも王妃とユニカの関係は表沙汰にならず、批難は憎い王へ向けられることになったから。


 ユニカを城に迎え入れたのが王妃であるということや、その理由を知る者も少ないはずなのに、ディルクの口振りはまるでそうした事情をすべて承知しているようである。


 そこでようやく、なぜ彼がここへやって来たのかと疑問に思った。それを察したらしく、ディルクは険しくしていた表情をふと緩めた。


「エリュゼに聞いたんだ。伯母上が君を可愛がっていたと。君も、逃げるとしたら伯母上にゆかりのあるもののそば――ここだろうと」


「エリュゼが、どうしてそんなことを……」


「今は君を迎えに行くのが先だと思って出てきたから、私も詳しくは聞いていない。とにかく、ここは寒い。宮へ戻ろう。身体が冷え切ってる」


 ディルクに肩を抱き寄せられそうになり、ユニカは慌てて彼の胸に腕を突っ張ってそれを拒んだ。


「放っておいて。私は風邪も引かなければ凍え死ぬこともないようですから」


 ユニカが皮肉たっぷりの笑みでそう言うと、溜め息を吐いたディルクはずっと掴んでいたユニカの右手を引き寄せ、固く閉じていたそれを力任せに開かせる。ユニカは抵抗しようと指に力を込めたが、傷が痛み、彼にされるがままとなってしまう。


 掌にこびりついた血は乾いていて、ディルクは血が固まった傷の縁を労るようにそっと撫でた。


「痛いだろう?」


「平気です」


「痛くないとは言えないんだな。正直な子だ」


 次の瞬間、ユニカは悲鳴を飲み込んで目を瞠った。


 ディルクが、ユニカの掌に口づけたのだ。しかも、ぱっくりと開いた傷口に温かい舌が這う。


「……っい」


 痛い、と言いかけた自分の唇を噛んで堪えるが、ディルクは痛みを与えるためにやっているのだろう。熱く湿ったものは、しつこく、ゆっくりと傷を撫でていった。


「強がっても無駄だ」


 指の傷まですべて舐め終えると、ディルクはやっとユニカの手を解放した。そして祭壇へ追い詰めるように彼女に迫り、涙で濡れていた頬を両手で包み込む。


「少しも平気になんて見えない」


 声色は意地悪だったが、ユニカが見上げる表情は相反して優しい。


「痛いなら痛いと言えば、嫌な思いをしたなら泣いて助けを求めればいい。この世界にいるのは、君の敵ばかりじゃないんだ」


 そう言って、ディルクは彼女の頭を自分の肩の方へ抱き寄せる。それきり、彼は黙った。


 ディルクの肩に額を押しつける格好のまま、ユニカは息を止めた。少しでも息を吐き出せば、それと一緒に感情も溢れ出てきそうだったからだ。


 本当は、ディルクの言葉を否定したかった。


 ユニカが過ごす世界、この城の中には、ユニカを厭い憎む者と傍観者ばかり。味方でない他者は、みんな敵だ。


 この人だってユニカの異能を珍しがって近づいてきているに違いない。


 理性ではそう思っていても、冷え切った身体に染みこんでくるディルクの体温や手の感触は、他人に愛されることを知っているユニカにとってあまりにも甘い蜜だった。


 ディルクがあやす手つきでゆっくりと髪を撫でてくる。


 異性の大きな掌はどうしても養父のことを思い出させて。


 止めていた息を吐き出すのと同時に、ユニカは堪えていた嗚咽を漏らし始める。


 ディルクは、そんなユニカの背にそっと腕を回した。






 しばらく黙って立ち尽くしていた二人だったが、ややするとユニカはディルクの肩から離れた。そしてディルクを見上げ、何かに気がつき目を瞠る。


「耳が……!」


「ああ、」


 ディルクはユニカの『天槍』がかすめていった左の耳をそっとさすった。実はそれなりに痛むが、触ってみたところ血は出ていないようだ。


 ただ、イヤリングがなくなっていた。そのことに気づいたディルクの中を冷たい風が吹き過ぎたが、探さねばという気持ちは動揺したユニカと目が合うとすぐに消えていった。


 大切に持っていたものではあったが、あれは過去の欠片にすぎない。耳の身代わりになってくれたのだろうと思うことにする。


「たいしたことはないよ」


 笑ってみせるが、ユニカは涙を拭いながら顔を背けてしまった。


「ごめんなさい」


 投げやりにそう言って鼻を啜り、彼女は続けて口を開く。


「……本が、」


「本?」


「殿下にいただいた本が、持って行かれてしまったわ」


「近衛兵に?」


 言いにくそうにするから何かと思えば、本の話か。ユニカはいたって深刻になっていたが、ディルクは思わず笑った。悲しそうにしてくれるということは気に入ってくれたということだろう。


 それが妙に嬉しくて、ディルクは慰める(てい)でもう一度ユニカの髪を撫でた。


「また同じのを買ってあげるよ。実は次の本も用意してあったんだ。一緒に渡そう」


 彼女は首を縦に振るだけだった。愛想はないが、なかなか素直なその反応は可愛くないこともない。


「ここは寒い。もう行こう。エリュゼに外套を借りてきているからこれを着なさい。侍女の振りをして私についてくれば怪しまれない」


 ディルクは投げ捨ててあった外套を拾い上げ、ユニカに羽織らせた。


「外で倒れていた兵の手当もしてやらなくてはな。……もう一度聞くが、君がやったのか?」


 問われて、『天槍の娘』はぎくりとしながら息をのんだ。それでも言い逃れのしようがないと分かっていたようで、正直に白状した。


「曲者だと言って槍を突きつけてきたから、私も、」


「『天槍』をくらわせた?」


「死んでいないはずよ」


「あのまま放っておけば凍え死んでいたかも知れない。君が悪者になることはないよ」


「……今さらだわ」


 ユニカの声は再び冷気をまとう。


 ユニカは村を一つ焼き尽くした――それが本当なら確かに〝今さら〟だ。しかし、そう言う彼女の表情にはあまりにも深い苦悶が滲んでいる。


 故郷を亡ぼしたのは本意ではなかったということだろうか。ディルクはちらりとそんなことを思った。


 それから二人は並んだ王冠に向けて一礼すると、ディルクが明かりを持ち、空いた手でユニカの手を引きながら廟の出口へと向かった。


「まぁ、今はいい。気を失っている彼らのことは私が上手く処理しておく。君の部屋はエリュゼが片付けているから、それが終わるまで私の宮に行こう」


「何をおっしゃっているの……!? そんな必要はないわ、私の部屋へ帰して――」


 抗議のため口を開いたユニカだったが、出口付近の階段に座っていたルウェルを見ると口も歩みも止めて硬直した。


 どうやら、図書館で自分が殴りつけた騎士だと気づいたらしい。


 だらしなく背中を丸めて頬杖をついていたルウェルは、ユニカと目が合った途端に眉間にしわを寄せる。


「おい、俺になんか言うことがあるんじゃねぇの」


「怯えさせるな。お前はラヒアックを探してここへ呼んでくるんだ。その二人を医官のところへ運んでやれ。あとで合流だ」


「それ、結局俺に説教を受けろという……」


「説明はすべて王太子からとだけ言っておけばいい」


「ちっ。ぜってー説教されるに決まってんのに」


 ルウェルはユニカより〝王太子〟からの命令に気をとられたようで、口を尖らせながらも立ち上がり、外套を被って雪の中へと出ていった。


 ディルクは自分の陰に隠れていたユニカを振り返ると、外套のフードを被らせて外へ出るように促した。大人しくついてくるかと思いきや、ルウェルの姿も見えなくなったというのに彼女は動こうとしない。


「私は西の宮へ戻ります。人目につかない道ならよく知っていますから、ここで……」


 だからこの手を放して欲しいと言いたいのだろう。


「君の部屋へ戻るのはやめた方がいい」


「なぜですか?」


「……そうだな。君は今、誰かと一緒にいるべきだ」


 ディルクは、近衛兵が西の宮の周りを見張っているらしいことは教えなかった。それはまだエリュゼが察知した気配でしかない。


 本当に近衛の小隊が動いているのか、だとしたらそれは誰の命令なのか、まずは確認すべきだとディルクは思った。また、いたずらにユニカを不安にさせる必要もないとも思う。


 それに、身の安全云々だけでなく、この泣きはらした目の娘を一人にするのは気持ちのよいことではなかった。


 誰かと一緒にいた方がいい。それもディルクの本音である。


「一晩だけだ。用意してある本を読んでいればあっという間だよ。明日にはエリュゼが迎えに来るだろう」


 一日で部屋へ戻れる確証はもちろんない。それでも、納得いかないという顔をしていたユニカの表情は少しだけ緩んだ。


「……本だけもらって帰ります」


「そんな薄情を言わずに」


 その言葉がどこまで本気だったのかは分からないが、ユニカは大人しくディルクについてくることにしたようだった。


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