2.追想の場所(2)
* * *
西の宮を抜け出したディルクとルウェルは、侍女達から借りた外套を被りながら物陰を縫うようにして移動してきた。雪が衛兵の視界を妨げているのはいいが、こちらからも相手の陰を見落としやすい。
「ここどこ?」
彼らはそれぞれ柱の陰に隠れて兵士が通り過ぎるのを待ち、再び合流して柱廊を歩いていた。
ドンジョンへ入れば衛兵だけではなく官吏たちの目もある。先ほどは仕事を放って部屋を抜け出してきたので、ラヒアックがディルクを探し回っている可能性も大きい。
見つからないように細心の注意を払いながら、ディルクは先へ先へと急いだ。
「ドンジョンの外れだ。まだ人が多いな。やっぱり外を迂回した方がいい」
「俺、もう濡れるの嫌だ」
「だったら先に執務室へ戻ってろ。俺の代わりにラヒアックの説教を受けて足止めして来い」
「……そっちの方が嫌だ」
柱廊を出て建物の裏へ回るディルクのあとを追いながら、ルウェルはしょんぼりと呟いた。
「つーか『ユニカ』って何者だよ。何で西の宮に住んでるんだ? シヴィロに王女なんていなかったはずだろ」
「彼女は噂に名高い『天槍の娘』だ」
「天槍の……? あはは、なんつー冗談」
庭木の枝から落ちてきた雪を避けるために立ち止まったディルクは、すぐには歩き出さずにルウェルを振り返った。彼の表情は冗談を言う時のものとはほど遠く、不敵に笑っている。
「えー……さっきの、あの凶暴娘が?」
「お前が驚かせたから、彼女は自分を守ろうとしただけなんじゃないのか?」
「違ぇよ、慰めようとしただけだって」
もちろん多少の下心はあったが、まだ手も触れていなかった。そう言ったところで誤解が解けるわけでもないので、ルウェルは不満そうに口を尖らせたままディルクのあとをついて行く。
「けどさー、『天槍の娘』って、俺はてっきり妖精みたいなもんだと思ってたぜ」
「妖精?」
「そ。いるようなー、いないようなー、いたらすげぇなーって感じのもの」
神話や伝説に語られる妖精の存在は、森に宿り魔法を使い、かつて人と相対してこの地上の支配を争ったという。世界の裏へ追いやられた妖精たちは今でも人々の暮らしのそばに潜み、地上を奪われた腹癒せに人に対して悪さをする。
しかし、それは他愛もないお伽話の残滓である。
「ユニカはそんな生半可なものじゃない。それに、例えるなら妖精より十番目の女神の化身だな」
彼女の不死は本物のようだし、彼女の血はエイルリヒの命を救った。
頑なにディルクを拒もうとした彼女の様子は、不死身なだけで野蛮な妖精とは違い、雷の槍と万能薬の花を掲げた救療の女神が孤高を持する姿に例えたほうが相応しいと思う。
「妖精でも女神でもいいけどさ、珍しいもんに興味が湧くのは人間の性だよな」
後ろを歩くルウェルは、ディルクがユニカに執着する理由を彼女の異能に見出したようだった。
「そうだな」
相槌を打っておくだけで、ディルクは否定も肯定もしない。
王冠の廟は、城の中において王の後ろ姿と都を眺めることが出来る内郭の北の外れにある。
主に政治と儀式の場であるドンジョン、その奥の国王の住まい、そのさらに北側の一角に岩を削って作られたドームがあり、扉の奥には階段が設えられていた。
そこに立ち入れるのは王家の者のみで、常に衛兵が入り口を守っているはずだった。
しかし、ディルクが廟へたどり着いた時、衛兵らは扉の脇に倒れ、彼らの上にはうっすらと雪が積もっていた。生死を確かめると、どうやら気絶しているだけのようだ。
「寝てたら凍死するぞー。……だめだな、起きねぇ」
ルウェルが衛兵の頬を叩いているうちにディルクは廟の扉に手を掛けてみる。表にある錠前は壊されていたが、うっすらと空く隙間からは中で掛け金が落ちているのが見えた。誰かいるようだ。
「こいつらユニカにやられたんじゃねぇの? 特にけがはしてないみたいだけど……。凶暴だと思ったぜ、兵士の後ろもとれるほど強いんだな」
「ばかを言ってないでこの隙間に差し込めそうなものを探せ。中に簡易の鍵があるみたいだ。うまく持ち上げれば外せる」
「そんなもん、これで充分だろ」
ルウェルは抱えていた見張りの兵士を捨て置き、すらりと抜き身を放った。
嫌な予感に眉を顰めたディルクは騎士に押しのけられる。そして思った通り、ルウェルは奥に少しだけ動く扉を足で押さえ、出来た隙間に躊躇なく剣先を突き立てた。
板金で保護された扉は堅く、なおかつその隙間はルウェルの剣を差し込むにはいささか狭かった。耳障りな金属音が辺りにこだまし火花が散る。
「んー、ちょっと狭いな。でも勢いつけたらいけそうだ」
ルウェルは何度となく剣先を扉の隙間に叩き付ける。一見雑な行為ではあるが、彼の剣は同じ場所を正確に突いていた。鋼は徐々に扉の金属を凹ませ、削っていく。
「そんな使い方をしているからすぐに刃がぼろぼろになるんだろう」
「刃毀れしたら研げばいいの!」
一際力を入れた突きがついに扉のわずかな隙間を貫通して、向こう側にあった掛け金を弾き飛ばす。広い空間に金物が転がる音が響くのに遅れて、扉が軋みながら開いた。
「開けたぜ」
「壊したと言え」
「最初から壊されてたじゃん」
「……。ここで待ってろ。中を見てくる」
扉の隙間から廟の奥で微かに明かりが揺れているのが見えた。祭壇に火が灯っているようだ。ユニカが点けたのだろうか。
それを確かめるためにもディルクが廟へ降りようとしたところ、ルウェルは抗議しながら足許に転がっている衛兵の一人を剣の先でつついた。
「ムリムリ。雪降ってんだぜ? 寒いなー、風邪引くなー。こいつらも、このまま雪積もらせて置いといたらほんとに死ぬかも」
「ここに入れるのは王家の人間だけだ。少しは遠慮しろ」
「いーじゃん、誰も見てないんだから。階段で待ってるし、こいつらも待避させとくし。とりあえず屋根の下までな」
ディルクが是と言う前にルウェルは衛兵の一人を担ぎ起こしている。
兵の生命を盾に頼み込まれては仕方がない。これは報告しなければよいと考えながら、ルウェルがのびた彼らを階段に寝かせて被った雪を払っているのを横目に、ディルクは廟の中へと続く階段を下りた。
曇天から注ぐ光は奥まで届かず、階段を降りきるあたりでは足許が真っ暗だった。
そこで立ち止まり顔を上げると、明かりを灯した祭壇を背に人影が一つ、佇んでいる。
「ユニカ?」
顔はよく見えなかったが、まっすぐに流れる髪とドレスの影の形で相手が女であることは分かる。そしてユニカはここへ逃げた可能性が高い。エリュゼがそう言っていた。
亡き王妃クレスツェンツはユニカの養父の親友であり、また王城へユニカを引き取った、ユニカにとっては二人目の親に等しい存在であるから、と。
王妃の実家に縁が深いプラネルト伯爵が言うのだ。ユニカと王妃の親子のような関係は嘘ではないだろう。
ならばなぜ、王妃は病で死んだのだろうか。
ユニカは冷たく傲慢に振る舞おうとしているが、それは感情を表に出さないための鎧のような演技である。親に等しい人間を見殺しにするような真に冷たい娘ではないと、ディルクは読んでいるのだが。
きっと、彼女は王妃を助けようとしたはずだ。王に血を提供するのとはまた別の感情や理由をもって。
ならば、なぜ?
「扉を壊したのですか」
低く響いてきたのは紛れもなくユニカの声だった。心なしか鼻声である。それを聞いて泣いていたのだなとディルクは確信した。
「鍵が掛けられていたからな。外の兵士は君がやったのか」
「……」
返事は返ってこなかったが、それ以外に考えられない。どうやったのかまでディルクの想像は及ばなかったけれど、これはちとまずいなと思った。兵士に危害を加えたとなると、彼らが気を失っただけとはいえ王城への敵対行為と見なされる。
騒ぎにしないためにも、エリュゼが言うようにユニカを保護する必要があるな。
そう考えながらディルクが最後の一段から足を踏み出そうとした瞬間、バチバチと音を立てて薄闇の中に青白い光が弾けた。彼は思わず足を止める。
その時、祭壇の前で不意にユニカの影が崩れた。祭壇に手をつき、背中を丸めて痙攣するように震えているのが見える。
「具合が悪いのか?」
「お願いだから出て行って。王冠を荒らしたりしないわ、私はしばらくここにいたいだけよ」
ユニカが唸るのと同時に、また離れたところで光と音が弾けた。ディルクは慎重に何かが弾けた闇の様子を覗うが、その後は変化がない。
「君の周りで弾けているのは『天槍』と謂われる稲妻か。威嚇しているつもりかな」
「……そうよ。黒こげになるのは嫌でしょう? 王太子殿下」
ユニカは喉を振るわせながら笑う。
胸の奥が熱く、何かが溢れ出てきそうになるのを堪えるのに精一杯で、本当は会話どころではない。感情が乱れているせいだ。落ち着きかけていたのに、ディルクの出現で動揺している心が抑えられない。
ユニカは祭壇に手をついている方の腕を、力一杯反対の手で掴んでいた。この力を少しでも緩めれば、また小さな稲妻が辺りに飛び散りそうだ。
威嚇ととってくれたのならそれでよい。誰にも近づいて欲しくなかった。
救いたい人を救えない、ユニカに何も与えないこの異能を見られるのが嫌だ。
ユニカの影が被さり、ディルクの表情の半分は暗闇の中だ。片方だけ見える彼の青緑の目はユニカの言葉に対して何の反応も示さなかった。それどころか、彼は一歩こちらへ足を踏み出してくる。
「部屋の様子を見てきた」
部屋とはどこの部屋のことなのか、聞き返さなくても分かった。大きく目を瞠ったユニカは一歩後退って、けれど祭壇に退路を阻まれる。
「近衛兵が荒らしていったそうだな。残念だが私にも理由は分からない」
「どうして、私の部屋に……」
「図書館で騎士に会っただろう。あれが私付きの騎士で、君が泣いていたと言うから様子を、」
かつん、かつんと、ディルクの長靴が岩の床を叩く。その音がする度に目の奥で青白い光が弾ける。
だめだ、抑えきれない。
そう思ったユニカがきつく目を瞑った瞬間、ぱしんっという乾いた音と一緒にディルクの眼前を稲妻が走った。
彼は再び足を止めたが、稲妻が彼にあたったわけではなかったようだ。ユニカは思わずほっと息をついてしまう。
「威嚇はしていても、私がけがをするのは不本意?」
ディルクが意地悪く笑いながらそう言う。ユニカはしまったと思いながら顔を背けた。
「君は故意に人を傷つけられるような子じゃない」
「そんなこと、あなたが知るはずが……」
反論しようと顔を上げたユニカは息を呑んだ。一気に距離を詰めてきた王太子の手が、自分の左腕を強く握るユニカの右手を掴んだのだ。
「あ、……っ」
驚きに、脳裏の稲光を押さえていた集中力は瞬時に切れる。一際大きな光が頭の中で弾け、同時に鋭く太い光の針が目の前に飛び出していく。
直後、ディルクの左頬のそばで光と熱が弾けた。
彼は一瞬目を閉じるが、すぐに悲鳴をあげたユニカを荒っぽく掻き抱き、その声を封じ込める。
「……!」
呆然とするユニカの周りで、残り火のようにぱちぱちと稲妻が弾ける。
そして、すぐに辺りは静まりかえった。
肩、腰に回された腕の力強さと、目の前にあるディルクの金の髪と、あまりに近い他人の香りに、ユニカの身体はおののき動けなくなる。




