1.矛先(3)
* * *
西の宮へ戻ったエリュゼは、ユニカの部屋の惨状に唖然とした。
リータと、すすり泣くフラレイが、いつものごとくすこぶる要領の悪い手つきで床を埋め尽くす羽毛を掃き集めていた。
ユニカが出て行ってからかなり時間が経っていたが、二人はふわふわと舞う羽に苦戦しおり、部屋の状態はさして変わっていなかった。
「何があったの?」
侍女のまとめ役であり、一番年長で頼りになるエリュゼが戻ってきたと気づくや否や、羽毛を追いかけていた二人は彼女のもとへ駆け寄ってきた。
「こ、近衛の方々が……」
「近衛? 近衛の兵が部屋を荒らして行ったの?」
頷いたフラレイはそのままエリュゼに抱きついて泣き出してしまった。よく見れば頬に血を拭った跡がある。気になったエリュゼがそこを撫でてやると、フラレイは一層激しく声を上げた。
「どうして近衛の方が? ユニカ様はどこなの?」
「分からないわ。ケーキを切って貰いに調理場へ行っていたら、戻ってきた時にはもうユニカ様とフラレイが追い出されていて。ユニカ様は、片付けておいてとおっしゃってそのままどこかへ……」
泣きじゃくるフラレイなら少しは事情を知っているらしい。
エリュゼはフラレイをリータに任せると、羽毛で一杯の部屋へ入っていった。
カーテンの千切られた寝台の天蓋、引きずり出された衣類や、宝飾品の箱が空になっているのを見て、その遠慮のなさと乱暴さに言葉も出ない。
エリュゼは胃の辺りが熱くなるのを堪えながら努めて優しく笑い、リータとフラレイを振り返った。
「まずはお部屋を片付けましょう。あらかた片付いたら、わたしがユニカ様を探しに行くわ。フラレイ、嫌な思いをしたのね。辛いでしょうけど、近衛の方々がいらした時の様子を教えて」
フラレイは鼻をぐずぐずいわせながらも頷く。
三人は部屋の中へ戻るとそれぞれ箒を手にして、エリュゼの指示のもと、羽毛を部屋の隅に追い詰めていくことにした。その作業をしながら、フラレイは時々手を止めて話し始めた。
「いらしたのは騎士様がひとりと、ほかに十人くらいの近衛兵の方々よ。突然入って来て、ユニカ様とわたしに、中を検めるから外へ出ろっておっしゃって……」
「十人?」
エリュゼが確かめると、フラレイは目許を拭いながら首肯した。
恐らく、やって来たのは騎士を含めて十二人、一つの小隊だろう。エリュゼはそう推測する。
その秩序に則ってやって来たということは、西の宮へ押し入った近衛兵たちはユニカへの私的な嫌がらせではなく、公の命令の下に動いていたということだ。
近衛兵に命令を出せるのは? 国王以外に、名前は二人浮かんでくる。
エリュゼは手が軋むくらいに箒の柄を強く握り、こみ上げてくる怒りを堪えた。
「これは〝検めた〟という状態ではないわ」
引き裂かれ、倒された家具。たくさんのものが盗まれている。まるで強盗が押し入ったあとだ。
吐き捨てるように言った彼女の声が不機嫌絶頂のユニカ並みに恐ろしかったので、リータとフラレイは思わず息を呑んだ。
「証拠を探しに来たんだって、おっしゃっていました」
「証拠? なんの?」
「ユニカ様がお訊きになっても、騎士様は教えてくださらなかったから分からない。それに、ひどいの! 騎士様は剣を抜いて、外へ出ろって脅かしてきて、ユニカ様が言うことをきかないからって、わ、わたしにまで……」
剣を突きつけられたときのことを思い出し、フラレイは言葉を詰まらせまたぼろぼろと涙を零し始めた。近くにいたリータが背中をさすって宥めてやる。
なんとなく状況を察したエリュゼは眉間に皺を寄せた。
「誰の言うこともきかないんだもの、ユニカ様は。それは騎士様だって怒るわ」
「でも、わたしの顔に剣があてられたら、ユニカ様は素直に外へ出てくださったのよ。見捨てられるかと思ったけど、ちゃんと助けてくださったの。わたし、今度からもっとちゃんとユニカ様のお世話をするわ。『ロマサフ』も読んでるし、きっとわがままで怖いだけの人じゃないのよ。リータもそうしましょう?」
「それはよいことだわ。リータにもフラレイにも、ユニカ様への態度は改善して貰いたいと思っていたところよ」
「どうしたの? エリュゼまで……」
エリュゼは笑ってごまかすと、集めた羽毛を袋に詰め始めた。まるで八つ当たりするように乱暴に羽毛を掴んでは袋の中に押し込んでいる。
掃除の手間が増えたことにいらついているだけのようには見えず、リータとフラレイは顔を見合わせ首を傾げた。
羽毛を集め終えたエリュゼは、倒れたチェストや引っ繰り返されたその中身を元通りにするよう指示を出し、自分は窓辺に置いてあるユニカの机を片付けに行った。
ユニカが大切な物をしまっていた抽斗は鍵に守られ荒らされていなかった。
エリュゼはほっとしつつも不審に思う。
〝証拠を探しに来た〟のなら、鍵の掛かっているところを怪しんで、壊してでも中を探るものではないのだろうか。〝証拠〟とはどんなもののことかは分からないが、机周りにあるもの――例えば誰かと遣り取りした手紙などではないということか。
どちらにしろ、あまりいい予感はしない。
インク壺が倒れていたので机の上もひどいありさまだった。雑巾を用意してこなくてはいけない。
エリュゼが踵を返そうとしたその時、誰かが中庭からテラスへと入り込んできた。
外は静かな大雪。その雪にまみれて真っ白だったが、エリュゼは硝子を叩く彼が王太子だとすぐに気がついた。後ろには同じく真っ白になった騎士を連れている。
目を疑い思考も止まりかけたが、エリュゼは急いで扉を開けた。
「し、死ぬ……!」
ろくに雪も払わず、まずは騎士が部屋に飛び込んで来た。彼は一目散に暖炉の前へ走り、そこで犬のようにぶるぶると身体を震わせて雪を落としている。
「なぜお庭から……?」
部屋へ入る前にきちんと雪を払うディルクに問いかけると、彼は苦笑しながら入っていいかと訊いてきた。部屋の主は不在だが、エリュゼは彼を招き入れた。
「きゃーっ!」
その途端、彼女らの後ろで悲鳴が上がる。振り返れば、ルウェルの深紅のマントに気がついたフラレイが叫びながらリータにしがみついて隠れようとしていた。部屋に押し入って来たのが近衛騎士だったからだろう。
「なんだぁ?」
暖炉の前で震えていたルウェルはフラレイを振り返り、鬱陶しそうに唸った。すると彼女はますます縮み上がり、リータも脅えた様子で、二人してじりじりと部屋の隅へと後退っていった。
「王太子殿下、あの騎士様は、どちらの小隊の方でしょうか?」
「あれは私の護衛専門だ。公国から呼んだばかりの新顔でどこにも属していないが、何かあったか? 怖い顔をして……と、尋ねるのもばかばかしいな」
ディルクは荒らされたユニカの部屋を眺め、剣呑に目を細めた。
「宮の入り口をうろついている近衛兵がいたおかげで庭から忍び込む羽目になったんだが……ああ、ここへは近づくなと陛下に言われているものだから、人目につくのはまずいんだ。内密にな」
「近衛兵が宮の周りに……? わたくしが留守の間にユニカ様のお部屋を荒らして行ったのも近衛の方々だそうです。騎士様が侍女にまで乱暴を働いたので、あの娘はすっかり脅えきっております」
「俺じゃないよー」
ならば他人事であるとでも言いたげにルウェルは顔を逸らし、再び温もりを与えてくれる暖炉の火を愛おしげに見つめる。
「騎士が乱暴を? それは済まなかったな、フラレイ。けがはないか? 騎士の特徴を教えてくれ。見つけ出して処罰しよう」
「その前に、このお部屋のありさまについてご説明いただけませんか?」
「……ずいぶん荒らされている」
「そうではなく!」
エリュゼはそばにあったチェストを叩いて声を荒らげる。目を瞠ったディルクは、しかしすぐに尊大に顎を反らし、エリュゼを見下ろした。すると彼女は大人しく腰を折り、臣下として礼をとった。
「申し訳ございません」
「この部屋を荒らしに来たのは近衛兵。だから私の命令ではないのかと、そう言いたいのか?」
「――はい」
「はっきり言ってくれる。だが違う。確かにこの国の兵を操る権限を私は得たが、まだ実が伴っていない。この部屋の状態も、ここへ来て初めて知った」
「では、なにゆえこの宮へおいでになったのですか?」
「そこの騎士が、図書館でユニカと思しき娘が泣いていたと言うから様子を確かめに。だが、やはり戻ってはいなかったか。泣いていた原因は分かったが……荒らして行ったとは腑に落ちない。シヴィロ王国の近衛を束ねていたのはラヒアックだ。このような狼藉を働く命令は出さないはずだ」
「騎士様は『証拠を探しに来た』とおっしゃっていたそうです。フラレイが聞いていました」
ディルクは、傷つけられ倒されている調度類を見渡して腕を組んだ。
「『荒らして行った』と言いたくなるのは分からないでもないが、とにかく私には心当たりのない命令だ。ユニカに対してこんな仕打ちをする必要がない。ほかに近衛を動かせる陛下にも、ラヒアックにもな」
エリュゼはディルクのその言葉が不服だった。現実にユニカの部屋はこんなことになっているのだ。彼女はじっと王太子を睨み、目が合う前にさっと視線を逸らす。
「それで、ユニカがどこにいるか心当たりはないか? 図書館を飛び出していったらしいんだ。ほかに彼女が行きそうな場所は?」
「心当たりは、一つございますが」
「教えてくれ。迎えに行こう」
「殿下が、でございますか?」
エリュゼのその言葉に、いち早く反応したのは暖炉の前で膝を抱え丸まっていたルウェルだった。彼の周りには溶けた雪がいくつもの小さな水溜まりを作っていた。
「俺はここで待ってる。服乾くまで動かないぞ。これ以上冷えたら風邪引きそうだ」
炎を見つめているルウェルは知る由もないが、エリュゼは不快感を露わに、彼の主であるディルクに「それはならない」と視線で訴えかける。
「安心しろルウェル、ばかは風邪を引かない。それとも、護衛のくせに俺から離れる気か?」
「ち、違うけどさぁ」
ルウェルは大げさに震えて見せたが、ディルクには相手にもされていなかった。仕方がないので、残りわずかな時間にめいっぱい暖をとっておこうと暖炉ににじり寄る。
「殿下、ユニカ様をお迎えに行ってくださるなら、もう一つお願いしたいことがございます」
「なんだ?」
「そのまま、こちらにはお連れせず、殿下のところでユニカ様をお預かりいただきたいのです」
「――なぜだ? 彼女が承諾するとは思えないが」
「近衛兵が宮の入り口にいたとおっしゃいましたね。彼らは警護のために置かれた兵ではない、それだけは確かです。わたくしが出入りする時には気がつきませんでしたが、恐らく見張りの兵ではないかと思います。なぜ見張るのか、その理由が分かりません。理由が分かるまではユニカ様を宮へ戻さぬ方がよい気がするのです」
ユニカに警護はつかない――ディルクが疑問に思っていることの事情を、エリュゼはまるで知っているかのような口振りである。
しかしディルクは特に驚かなかった。頷く代わりに、彼はエリュゼの首筋に手を伸ばし、巻かれていた女官であることを示すスカーフを静かに奪い取った。
「いいだろう、ユニカは私が預かる。だがその前に訊いておきたい。卿はなぜ侍官の真似事をしているんだ? プラネルト女伯爵」
驚いたのはエリュゼ本人ではなく、遠巻きにその遣り取りを聞いていたリータとフラレイだった。緊迫した遣り取りを妨げないよう、彼女らは声の漏れそうになった口をそれぞれ塞いで、〝伯爵〟と呼ばれたエリュゼを凝視した。
「お調べになったのですか」
「堂々と陛下の執務室にいながら、ばれないと思っていたのか? ユニカ付きのただの侍女が王の執務室にいるはずがない。さすがに調べるさ」
エリュゼは身じろぎひとつせず、突き付けられるディルクの言葉をじっと待っている。
「シヴィロ貴族の中では、爵位を持つ女性はたった三人だけだ。先日引退したタールベルク太守・ブリュック女侯爵、医官のヘルツォーク女子爵。それから、プラネルト女伯爵。卿だ」
身分を暴かれた彼女はその場に跪き、ディルクの上着の裾を取り上げてそこに口づける。
帰服の意を示しエリュゼは、王太子の顔を仰ぎ見て言った。
「ユニカ様のこと、どうぞよろしくお願いいたします」