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天槍のユニカ  作者: 暁子
第2章 籠の中の争い
33/62

1.矛先(2)

 藍色の絨毯の上に無数の白い羽が散っている。


 リータとフラレイは呆然と部屋の中を見渡しているだけだったが、ユニカは無言で寝室、そしてその奥の衣装部屋を確かめに行った。


 すべてのチェストと棚が開けられ、ドレスが床に散乱している。アクセサリーの入っていた箱もすべて引っ繰り返されているが、中身はほとんど見あたらない。


 遠慮した気配もなく下着の類もすべて引きずり出されており、この部屋は一番足の踏み場がなかった。


 寝室も羽毛だらけだった。枕は三つとも引き裂かれ、寝台の天蓋から垂れ下がっていたカーテンも引き千切られて床に落ちていた。


 枕の下に隠してあった本はもちろんない。読み終え、ディルクから贈られてきた箱に収めてあった本もだ。


 寝台のそばのテーブルが倒れ、置いてあった硝子の花瓶も砕けている。それに活けてあったハーブまで持って行ったらしい。あとには数本のラベンダーしか残っていなかった。


 その状況を眺めていたユニカは、白い羽毛の間にラベンダーとは違う薄紫色の花が覗いているのに気づき、それを拾い上げた。


 本と一緒に贈られてきたディルクのカードだ。しおりの代わりに使っていたのだが、これだけ本の間から滑り落ち、気づかれずに羽に埋まってしまったようだ。


 ユニカはカードを握り潰すと、うろうろと歩き回っていた侍女達にぴしゃりと言った。


「片付けておいて」


 彼女らのか細い返事も聞かず、ユニカは足早で部屋を出る。


 目の奥が熱くなってくるのを、唇を噛んで必死に我慢した。




 

     * * *


 

 ふんふんふんと鼻歌を歌いながら、ルウェルはディルクから託された本を抱きしめてたったかと柱廊(コロネード)を走っていた。


 ディルクの紋章と王国騎士のブローチを与えられたから機嫌がいいというわけではない。むしろその逆で、雪の中へ放り出された腹立たしさを紛らわせるため、鼻歌など歌ってみている。


 『王太子付き』という肩書きのもと、ルウェルはディルクの護衛を務めているが、今日の午前の終わりに言いつけられた仕事は、ルウェルが馬で蹴り倒し負傷させた侍従の代わりに使い走りをすることだった。分厚い法令の注釈書を三冊、図書館へ戻してくるという大変重大な仕事だ。


 風はないものの、辺りが見えないほど濛々と雪が降っていた。十一月はシヴィロ王国で最も多くの雪が降る月である。この頃の兵士の主な仕事は、王城の警護よりも王都アマリアの主要な道を除雪することといってもいい。


 雪の中でも人が歩く道を確保できるように、王城内の建物は柱廊で結ばれているところが多い。図書館も例外ではなかったが、柱と屋根だけで寒さは防げない。


 ようやく図書館へ飛び込んだルウェルは、歯をかちかち震わせながらディルクに渡されたメモを取り出した。本はその辺の空いている棚に突っ込むと行方不明になるものらしい。だから正確に元の場所に戻してくるようにという厳命だ。


「えーと、二百八十三番の棚、上から八段目、シヴィロ法大系二巻と六巻の間」


 (ばかな)ルウェルにも分かるようにとの、王太子からのご配慮がこもった丁寧な指示である。が、さすがのルウェルでも、三、四、五巻が二巻と六巻の間であることくらい分かる。


「ちっ、ばかにしやがってぇ……ここが九十二番の棚で、なんだよ、すげぇ奥じゃん」

 早くディルクの部屋に戻って火にあたりたい。そう思いながらルウェルは棚と棚の間を駆け抜けていく。


 ところが、目的の棚が近づくとルウェルは速度を落とした。濡れた足跡が一つ、別の棚の間から続いていたからだ。


 ここは王家の図書館。入る者は限られると聞かされていたが。


 鼻歌も止め、ゆっくりと歩きながら足跡を追うように奥へと進む。静寂が支配する中で耳をそばだててみたが、人の気配はなかなか掴めない。別の通路から立ち去ったあとだろうか。


 足跡はルウェルの目的の棚を通り過ぎ、奥へと続いていた。本を棚に収め、彼はさらにそれを追う。


 すると、引き締まった冷たい空気の中に、薔薇のようで、麝香(ムスク)のようでもある不思議な香りが漂ってきた。妙に気にかかるのは、きっと女の匂いだからだ。


「お……」


 足跡の終着点を見つけたルウェルは思わず声を漏らしてしまった。ルウェルに気づいた相手も肩を震わせて顔を上げる。


 棚と棚の間に、娘がうずくまっていた。薄いグレーに、青と白の花が散らしてある地味なドレス、暗い印象を与える濡れた漆黒の髪。


 しかし、その間からははっとするほど白くて真珠のように透明感のある肌と、アイオライトを思わせる紺青色の瞳が現れた。


 頬が濡れている。泣いていたらしい。


 娘はルウェルの出で立ちを確かめてさらに震えた。自分が帯剣していたせいだと思ったルウェルは、近衛騎士であることを示す深紅のマントでさっと剣を隠した。


「どこの女官だ? 具合でも悪いのか? それともいじめられて泣きに来てたか?」


 なかなかの美人だ。それに、立っているこちらからはふくらかな胸の谷間がよく見える。寒い思いをしてここまで来たのも許せる幸運だ。


 名前くらいは聞き出そうという下心を持ったルウェルは、柔和に笑いながら屈み込んだ。娘の涙を拭ってやろうと手を伸ばす。


 すると彼女は途端に目を吊り上げ、ルウェルの手を振り払った。もっと予想外だったのは、娘が隣にあった棚から本を引っ掴み、それで殴りかかって来たことだ。


「いてっ! おいこらっ何しやがる……痛いっての!」


 ルウェルは腕を盾に娘の攻撃を防ぐが、彼女はその間に体勢が崩れたルウェルを突き飛ばし、とどめといわんばかりに両手に持っていた本を投げつけてきた。


「おい! 待てよ!」


 本の角を眉間に食らったルウェルは痛みに悶えながら怒鳴ることしか出来ない。


 彼が伸ばした腕をかわし、娘――ユニカは、濡れた髪とドレスを振り乱して降りしきる雪の中へ再び飛び出して行った。







「なんだその顔は」


 先日カミルが馬に蹴られたのと同じ場所を赤くして帰ってきたルウェルを見て、ディルクは鼻で笑った。


「なんだってなんだよ。つーか笑うな、心配しろよな」


 ルウェルは情けない声を出しながら来客用の長椅子に座り、背もたれに寄りかかって天井を仰いだ。呻きつつ涙と寒さのために垂れてくる鼻水をすすっている。


「だから事情を聞いてやってるだろう。本はちゃんと戻して来たか? その辺の棚に押し込んでないだろうな」


「話題変えるの早くね? 俺まだ〝事情〟言ってないんだけど」


「さっさと言え。聞き流してやる」


 ディルクは戻ってきたルウェルの顔を確かめたきり、手元から視線を上げようとしない。いくつもの書類を見比べ、付箋を挟んだり並べ替えたり何かを書き込んだりと忙しそうである。


 ディルクはエイルリヒを最初の宿営地へ送り届けてこの方、ラヒアックから回されてくる机仕事の処理に追われていた。


 近衛の長、そして王家の軍の長となったディルクは、近衛隊長から種々の権限を引き継ぐのに手一杯だ。しかし、もともとディルクは公国軍の一翼を指揮するところから公職に就いた。指揮する軍の規模は格段に大きくなったが、やることはさして変わらない。


 広く盤上を見渡し、駒を運ぶのは彼の得意とするところ。


 真剣に文書と向き合いながらもどこか生き生きしているディルクを眺めて、ルウェルはこの幼馴染みならうまくやるだろうなと、にやにやにやしながら思った。


「まぁ聞き流してくれていいんだけどさ、図書館に先客がいたわけよ」


「先客?」


「そ。なかなかの美少女。でも凶暴だった」


 ルウェルも最初は気にした〝図書館に人がいた〟という事実に、ディルクも引っかかるものがあったようだ。聞き流すと言っていたディルクだが、手を止めて顔を上げた。


「若い娘が? 一人か?」


「おう。いじめられた女官が泣きに来てたんだろうけどさ。色白で、黒髪ツヤツヤで、可愛いんだけど、なぁんか暗そうな娘だったなぁ」


「年頃は?」


「二十歳過ぎてるような色気はなかったと思うぜ。あ、胸はけっこうでかかったけど。お前の二つか三つ下じゃねぇかな。なんだ、興味があるのか?」


 ディルクは机に視線を戻し、書類をめくりながら考え込んだ。


 ルウェルは面識のない相手だが、それはユニカではないかとディルクは思った。


 色白で、黒髪で、まだ二十歳に満たないほどの娘。それだけの条件なら女官の中を探せばいくらでも該当者が現れる。しかし王家の所有物である図書館に、女官は一人で出入りしないだろう。


 今、王家の図書館から本を取り出して読もうとするのは、王とディルク。


 もう一人考えられるのは、図書館の本を読み尽くしそうだと言っていたユニカだ。


「泣いていたのか?」


「ああ。だから慰めてやろうと思ったのに、声かけたら本でガンガン殴ってきやがったの。あんまおすすめしないぜ? お前、ひたすら可愛いだけの女の方が好みだろ」


「そういう問題じゃない時もある」


 嘆息しながら、ディルクは書類の山と置き時計を見比べる。そろそろ昼食の時間だが、午後からは出かける予定もあり、今を逃せば真相を確かめに行く時間はなかった。


「抜けるぞ」


「え?」


「その娘のところに行く」


「今の話にディルクの食指を動かす要素があったとは思えねぇんだけど……っていうか知り合い? あの暗そうな子と? 新しい彼女ならちゃんと俺にも紹介しろよな」


「うるさい。黙ってついて来い」


「また寒い中に出て行かなくちゃいけないんだ、俺」


 ぶつぶつ言うルウェルを無視し、ディルクは席を立った。


 あのユニカが泣くのにはよっぽどの理由が必要な気がする。彼女は自分の感情を怒りや機嫌の悪さでごまかし、人に読ませまいとしているところがある。何度か会ううちにディルクはそう感じ取った。


 泣くほど無防備になることが彼女に出来るとは思えなかった。何か、ユニカの鎧を突き崩すような出来事が起こったのだ。


 ディルクが上着を羽織ったのと同時に、誰かが執務室の扉を叩いた。


「殿下、よろしいでしょうか」


 扉の前でディルクとルウェルは顔を見合わせ、互いに眉を顰める。声の主は近衛隊長のラヒアックだったからだ。


(どうする?)


 唇の動きだけで、ルウェルが言う。


 ラヒアックのことだ。仕事の途中で抜け出すとなれば理由を聞いてくるだろうし、正直にユニカのところへ行くなどと言えるはずもない。


 ディルクは左右に首を振って、中庭に面した窓を顧みた。庭には雪が積もっているが、しばらく壁沿いに歩き、庭木の根元の雪が少ないところを伝って行けば柱廊(コロネード)まで辿り着けそうだ。


(窓から出よう)


(そこまでして会いたいのか? まぁいいや、ほんとに紹介しろよな)


(お前は時間を稼いでから来い)


(りょーかい)


 二人は音もなく会話を済ませると、方々へ散った。


 ディルクは窓から庭を見渡し、近くに衛兵がいないことを確かめる。難なく窓枠に足を掛けて雪の上に飛び降り、そのまま壁伝いに雪の浅いところを歩き始めた。


 ルウェルは執務室を眺め、もう一度聞こえたノックの音に慌てる。


「殿下?」


「は、はーい」


 思わず返事をしてしまいながら、彼は急いで二人がけの長椅子をずりずりと扉の前へと引っ張っていく。


「失礼しますぞ」


 長椅子が扉を塞いだのと、不審に思ったラヒアックが扉を開けたのはほぼ同時だった。ガコッと間抜けな音を立てて、扉は長椅子の背もたれにつっかえる。


「殿下? これは一体……」


 隙間から中を覗いたラヒアックは、ひらりと深紅のマントが翻るのを見た。


「――ギムガルテか!? これは何の真似だ! 殿下、いらっしゃいますか!?」


 がなるラヒアックの声を背に、ルウェルも窓から外へ飛び出した。


 相変わらず視界を妨げるほどの雪が降っている。寒くて嫌になるが、人目を忍ぶにはちょうどよい。


 金の髪に雪を積もらせて前方を歩いているディルクに追いつくと、ルウェルはわざと乱暴に肩を組んだ。


「……歩きにくい」


「いーじゃんいーじゃん。久しぶりだぞ、こういうの」


 窓はれっきとした出入り口である、とルウェルがディルクに教えたのは、もう十年は昔のことだ。


 窓から出入りするのはたいてい後ろめたいことがある時。だが、同時に面白いことをする時だった。


 ルウェルがにかっと笑えばディルクも悪い気はしていないようで、かすかに口の端を持ち上げて見せる。


「で、どこに向かうんだ?」


「図書館」


「や、あの子なら走って逃げてったから、もう図書館にはいねーよ?」


「それを早く言え」


 柱廊に辿り着くと、ディルクは頭や肩に積もった雪と一緒にルウェルの腕も払い除ける。そして西の宮がある方角を見つめた。


 あちらには立ち入ってはいけないと言われているが。


「そっち、図書館だぞ?」


「途中まで道は同じだ」


「ふーん……?」


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