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天槍のユニカ  作者: 暁子
第1章 凍てつく槍の来歴
27/62

8.公国騎士の参上(2)

 城壁を揺るがすような歓声に包まれ、ディルクはゆっくりと手を振り続けていた。


 うるさくていい加減に頭が痛い。耳がおかしくなりそうだ。


 これだけ民衆と離れていればどんなに引き攣った微笑みを浮かべていてもばれないだろうが、明るい表情を絶やすわけにもいかず。


 その点、王は羨ましい。彼は終始無表情だったにも関わらず、彼が広場へお出ましになった瞬間、民衆の歓声は爆発するように盛り上がった。


 王は無愛想だが、仕事好きで(まつりごと)も善い。毎月最後の安息日には全国の貧民街へ食べものや衣類を配るよう手配している情のある君主でもある。


 そんな彼は民から絶大な信頼と敬愛を集めていて、軽く手を掲げて見せただけで民衆の歓呼は頂点を極めた。


『国王陛下万歳!』


『王太子殿下万歳!』


 止まない大喝采に背を向けて、ディルクも城内へ戻るため輿に乗り込んだ。


「お疲れ様でございます」


 満面の笑みで、カミルが即座に膝掛けを差し出してきた。ディルクはありがたくそれを受け取り、冷え切った手を革の手套の上から擦り合わせる。


「お寒いですか?」


「ああ。雪が降らなくてよかった。晴れていなければとても笑ってなどいられなかったよ」


「民衆は殿下に微笑みかけられて、大変喜んでおりましたね」


「そうだな」


 ディルクは相槌を打ちながらも、目隠しのために天蓋の布を降ろさせた。もう少し民衆に手を振ってやるのかと思ったら、彼はさっさと隠れて外套にくるまっている。その様子を覗き込んでカミルはくすくすと笑った。


 初めから王太子然としていたディルクだったが、この頃は気を許し始めてくれたのか、時々こうして気の抜けた姿をカミルに見せてくれるようになってきた。舐められているだけとは考えもせず、カミルはただただ嬉しい。「帰ったらすぐにお湯浴みの用意をして差し上げよう」と、ディルクが喜ぶ顔を想像してうきうきするだけだ。


 とにもかくにも、主人が民衆に受け入れられるのを目の当たりにして、今日のカミルはここひと月で一番幸せだった。


「これでひと通り、ご挨拶は終わりましたね。次は七日後の叙任式ですが、それまで大きなご公務はございません。少し、ゆっくりしていただけそうです」


 もちろん、毎日のように挨拶にやってくる貴族をもてなさなくてはならないが、こうした大きな催しがあるのとないのではディルクの疲労の具合も大違いだ。


 特にこの十日間、ディルクは公国の使節と頻繁に会い、連日交渉を重ねていたせいでしっかり休めていない。


 快復したエイルリヒが使節団を宥めてくれたおかげで、ディルクが主催した昼食会で起こった毒殺未遂事件はようやく王国側が提案した形に落着した。しかし、使節団の中核を担う公国貴族たちがディルクに向ける不審の目――あれを思い出すと、カミルは気分が落ち込む。


「三日後の午後はしっかり空けてあるな?」


「はい、ですが……」


「口を出すんじゃない。恩人に礼をするだけだ」


「はい……」


 それからもう一つ、カミルにとって憂鬱なことがあった。あの日以来、城に流れている噂だ。


 エイルリヒを毒から救ったのは『天槍の娘』だというのである。しかも、ディルクが直々に頭を下げに行ったとか。


 本人に確かめたところ噂ではないというからカミルは仰天した。事実であることは認めるしかないようだ。しかし不安な噂はその事実の続きにあった。


 あの日、ディルクが『天槍の娘』を抱えて城内を歩き回っていたらしい。それも自ら西の宮へ迎えに行ったり送り届けたり。行き来はそこで終わらず、それ以来ディルクは夜な夜な娘の許へ通い続けているというのだ。


 これはもちろん誰かがつくりあげた嘘だ。王太子は毎晩自分の寝室で眠っているのだから。


(いや、もしかして、抜け出して……?)


 いやいやいや、そんな余裕はなかったはずだ。ディルクが疲れているのは目に見えて分かった。噂が一人歩きして大きくなっているだけなのだ。


 この噂は王太子の名誉を傷つけかねないものだとカミルは思った。


 名君といわれる今上の国王がただ一つ抱える汚点、それが『天槍の娘』。


 王太子までもが彼女に籠絡されてしまったと思われたら、王家に寄せられる民からの信頼が揺らぐことになりはしないだろうか。


 しかも、カミルの心配をよそに、ディルクは何やら娘に贈りものを届けさせていた。三日後には彼女をお茶に招待すると言っているから頭が痛い。やめた方がいいとカミルが言っても、主は聞かないのだ。


(陛下にお知らせしようか……あ、ラヒアック殿でも……とにかく殿下をお諫めくださる方に相談した方がいいのかも)


 行列の前方、王の背後を守る一人の騎士が目に映る。『忠誠心』の異名を持つ彼ならば、きっとディルクの軽率な行動を止められるはずだ。


「カミル」


 拳を握り、ちょっと恐くて近づき難いけど頑張って近衛隊長にお願いしよう! と決意したところで、カミルは冷たい声で主に呼ばれた。


「余計なことをしてみろ。暇を出すぞ」


 笑顔をともなう脅迫に、カミルはあっさりと決意をくじかれた。なぜ考えていることがばれたのだろう。そしてそんなに怒るほど、主は『天槍の娘』に興味を持ってしまったのだろうか。


 歩きながら悩み悶える器用な侍従を横目に、ディルクは溜め息をついた。


 ユニカのことをよく思っていない者が傍にいると邪魔だった。カミルの見極め期間もそろそろ終わりである。さて、どうするかな。首を切るのは簡単だが……。


 もう一度息をつき、ディルクは椅子に深く身体を預けて目をつむる。後ろから迫るように聞こえてくる歓声に耳を澄まし、今日のところは何も考えないでおこうと決めた。


 せっかく大きな公務を終えたのだ。温めた葡萄酒を飲んでお湯に浸かって、あとは寝るだけにして、カミルの処遇は後日考えることにしよう。


 そうして無心になりかけた時、不意に城門前から響く歓声が乱れた。


 耳を澄ましていなければ気がつかないほどの、一部で生じたどよめき。


「なんだ?」


「どうかなさいましたか?」


「悲鳴が聞こえなかったか?」


「悲鳴?」


 カミルには分からなかったようだ。ディルクは輿から身を乗り出し、行列の後ろを振り返る。


 ちょうどその時、最下層の城門からけたたましく警鐘が鳴り始めた。外敵の侵入を告げる信号旗が門の上に掲げられる。


「うわっ、で、殿下の馬を! 早く!」


 信号旗を確認したカミルが蒼白になって叫んだ。


 ディルクは輿を降ろされながらくぐってきた門の方を睨む。が、行列の乱れが発見できない。侵入者は少数か。


「殿下、馬へお早く! 内郭へお逃げください!」


「陛下は?」


「近衛隊の方々が、先に……!」


 行列の先を切り裂くように、五騎の赤いマントを翻す一団が駆け上っていく。恐らくあの真ん中に王が守られている。ならばディルクが慌てる必要はなかった。


「小門の鉄柵を落とせ、すべてだ。弓兵構えろ」


 脇を守っていた近衛兵の一人を伝令に走らせ、ディルクは鞍に飛び乗った。視線が上へ上がった分、視界がぐっと広くなる。


 すると、二つ先の門の向こう側で人が撥ね飛ばされるのが見えた。異常な勢いで駆け上がってくる騎馬は一騎。


「あそこか」


「殿下、お逃げください!」


「騒ぐなカミル、脇へ避けてるんだ」


「嫌です! 殿下がお逃げにならないなら、私も!」


 カミルはがっちりとディルクの馬の轡を掴んでいる。これでは逃げようにも(カミルを蹴飛ばさなければ)動けない。本当に蹴飛ばすぞと思いながらも、ディルクは冷静に行列の後方を見つめた。


 すぐ手前の門に鉄柵が落とされようとしている。侵入者がそこをすり抜けるのは無理だろう。門と門の間に閉じこめればこちらのものだ。


 しかし、異常事態に気づいた行列はディルクの予想に反する乱れ方をした。猛然と馬を駆る侵入者から逃れるため、結果として侵入者に道を開けるように左右に割れてしまったのだ。


 これ幸いといわんばかりに、侵入者は馬を加速させる。


 そしてぴたりと馬の背に身体を伏せ、落ちてくる鉄柵の下を――くぐり抜けた。


 なんと鮮やかな身のこなしか。ディルクは思わず感心してしまった。侵入者は真っ直ぐ彼のもとへ向かってくるというのに。


「撃て!!」


 誰かの号令と同時に、門と左右城壁の上から侵入者に向けて鉛の矢が飛ぶ。


 彼は鞘ごと長剣を振り回し、そのいくつかを払い落とした。立ちはだかる二騎の騎士には抜剣する隙も与えず、一方の右肩を鞘で打ち付け、もう一方はすれ違い様に兜の上から後頭部を殴って文字通り馬から叩き落とした。


(剣を抜いていない)


 それに気づいた瞬間、ディルクは覆面をする侵入者と視線がぶつかった。にやり、と相手の目許が歪む。


 一方、カミルは唖然としながら動かない主を見上げた。


 なぜ動かれないんだろう。まさか身がすくんでしまっているのだろうか。振り返れば、近衛兵の間をすり抜け、時には騎士を殴り飛ばしながら侵入者が迫ってくる。


 どうしよう、どうしよう。何としてもディルクは守らなくてはならない。


 混乱でわけが分からなくなっていたカミルの頭の中で、何かがぷちんとはち切れる。


「わああああっ」


 侍従の情けない雄叫びを聞いて、ディルクは我に返った。


 見れば彼の侍従は躓きそうになりながらひょろひょろと、猛烈な勢いで駆けてくる侵入者の馬に向かって(多分)捨て身の体当たりを仕掛けようとしている。あのままでは撥ねられるだけだ。


「止まれルウェル!!」


 ディルクは叫んだ。


 侵入者は勢いよく手綱を引き絞る。カミルを蹄にかける直前で馬は竿立ちに嘶き、前脚が何度も宙を蹴った。


 止まれなかったのはカミルの方だ。勢い余って前脚を振り上げる馬の前に走り込み、蹄に顔面を蹴られ後ろへ吹っ飛ばされる。


「……あっぶなー。なんだこいつ」


 興奮する馬を宥めつつ、覆面を取り払った侵入者は鼻血を出して倒れているカミルの周りをうろうろと歩いた。


 そして次の瞬間、後ろから迫った武器の気配に反射的に身体を伏せる。彼の頭があったところを重い鉄槍の柄が通り過ぎていく。


 続いて鋭い突きの気配――剣で槍の穂先を払い落とした直後、突然馬が悲鳴を上げた。


 馬の首筋に矢が刺さっている。侵入者は暴れる馬から飛び降りたが、着地の直前に背を何かで激しく打ち据えられ、雪で濡れた石畳の上に叩きつけられた。


「いってぇ……っ」


 呻く彼の背を、更に誰かが踏みつける。頬をかすめて火花を散らし、槍の穂先が目の前に突き立てられた。


 侵入者が痛みを堪えて振り返ってみると、自分を踏みつけているのは壮年のいかにも武人という風貌の男だった。


「何しやがるおっさん!」


「賊が何を言う。鎖と枷を持て。ほかに仲間がいないか警戒せよ」


 侵入者を踏みつけているのは近衛隊長ラヒアックだった。暴れようとする男の背を更に強く踏みにじり、腕を捻りあげる。


「痛い痛い痛い! ちょっ、待て、折れる、骨が折れる!」


「いずれ首と胴が離れるのだ、心配するな」


「待て、ラヒアック」


 侵入者を後ろ手に縛り上げ枷をはめさせていたラヒアックは、やけに静かな王太子の声に応えて顔を上げた。取り押さえられていた男も喚くのをぴたりとやめて、騎馬のまま歩み寄ってきた王太子を見上げる。


「殿下、お近づきになってはなりません。ひとまずは内郭へご避難ください。まだ仲間が潜んでいるやも知れませぬ」


「仲間が一緒に来てくれていれば、むしろよかったのだがな」


 ディルクは馬を降り、怪訝な顔をするラヒアックを無視して倒れているカミルを抱き起こした。だめだ、完全に意識がない。


 彼の搬送と手当を近くの兵に命じると、今度は侵入者とラヒアックの方へ足を向けた。


「ディ、るぐっ!」


 口を開いた侵入者の肩を容赦なく蹴り飛ばし、ディルクは自分の剣を抜く。


「何のつもりだ。ここをどこだと思っている。シヴィロの王城、エルメンヒルデだぞ」


「いや、びっくりさせようと思っ、」


「びっくり? この騒ぎのどこが〝びっくり〟だ。それだけじゃ済んでないだろう」


 そして剣の切っ先を侵入者の喉に突きつけ上向かせる。気まずそうに視線を逸らした男の肩を再度蹴りつけると、ディルクは剣を鞘に収め、枷を外すように言った。


「この者をご存じなのですか?」


 戸惑うラヒアックに、ディルクは盛大に溜め息をつきながら答えた。


「これは母に仕える騎士だ」


「公妃様の!?」


 ラヒアックが絶句するのも無理はない。よく見ればぼろぼろになった外套に公国騎士の紋章をつけているが、それ以外はごく普通の旅人のなりである。


 つまり最小限の荷物と、替えていない服と、日焼けした肌やら髪……。ぎりぎりの路銀で旅をする、庶民の間ではごく普通の、旅人のなりだ。どうして大公の妃に仕える騎士に見えるだろうか。


「使節団と入れ替わりでやって来る官吏の異動人事の中に、これの名前が含まれているはずだ。が、どうしてお前だけここにいる」


「え、みんなでまとまってくる予定だったのか?」


「……当たり前だ」


 げんなりと肩を落とすディルクを見て、男はむくれながら抗議した。


「なんだよその顔。俺はお前に会いたくて飛んできたんだぜ? 知らない土地で寂しくやってんじゃねーかなって、姫さまも心配して」


「貴様、王太子殿下に向かって〝お前〟とはなんだ!」


「耳許で怒鳴るなよおっさん。いいの、俺はディルクが生まれた時から面倒見てやってる兄貴みたいなもんなんだから」


「……。ルウェル・ギムガルテか?」


「え? ……なんで俺の名前知ってんの?」


 ラヒアックは答えないまま枷を外し、侵入者――ルウェルから目を逸らして立ち上がる。


「ラヒアック、枷と鎖はいらないが、これは一晩営倉に放り込んでおいてくれ。明朝解放して、私のところへ連れてくるように」


「はっ」


「げっ。そんなに怒ったのかよ? 悪かったってディルク。それより再会を喜ぼう? な?」


「話しかけるな」


 ディルクは冷たく吐き捨てると、兵たちに指示を出して乱れた行列を整えさせる。


 また、色々なところに頭を下げて回らなくてはならない。


 そう思うとひたすら気が重かった。

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